第2話 私の居場所
「あ、てかさ。佐々木さんて、可愛くて有名なのに、誰とも話さないのが不思議だよな。なんか悩みでもあんの?」
···ん?ちょっと待って。
「私が可愛くて有名って言った?」
「うん、言った」
イケメンでも冗談なんか言うんだなぁ。
「言っとくけど、冗談じゃないからね。橘先生に聞いてみなよ。佐々木さん、生徒にめっちゃ人気あるから」
なんか。なんか、ややこしくなってきた気がする。
じゃあ、学校でよく感じる男女関係ないあの目線は、それが原因なのか?
私はてっきり、邪魔者扱いされてるのかと···。
いや、実際そうであってほしかった。今の崎守くんの話を聞いてから尚更。
「あっ、俺行かなきゃ!じゃあまた!」
「あ、うん。またね」
本当に不思議な子だな。私がここまで普通に話せるなんて思わなかった。
崎守くんが階段を駆け上がっていって見えなくなったくらいで、真瑚が職員室から出てきた。
「ごめん、待たせて!橘先生と盛り上がっちゃって···」
誠に申し訳ない。と言葉を付け足して、真瑚は床に置いてあった自分のカバンを手に取った。
そして、私の顔をまじまじと見つめた。
「え、どしたの?」
「いや、なんか···心做しか奈緒が楽しかったって顔してる気がした」
「ない!絶対にないっ!」
幼馴染みは本当に怖い。ちょっとした変化でも気付くんだもん。
真瑚にだけはバレたくないなぁ、崎守くんの家庭教師みたいになっちゃったこと。
私は勉強は好きだけど、それなりに人に上手く説明できるかはわからない。
でも、学力が平均よりちょい下の真瑚は、私の説明で満足してくれる。『わかりやすい』と何度言われたことか。
数秒前に崎守くんが上がっていった階段を私たちは一段飛ばしで駆け上がる。
朝課外の予鈴が鳴る数分前に教室に入るのが大体いつものこと。まあ、ほぼギリギリなんだけど。
「あ、そだ。奈緒、社会のプリント見せて!今日提出のやつ」
教室に入ってすぐ、真瑚がそんなことを言った。
「またですか、真瑚さん」
「面目ない」
「そんな言葉知ってたんだ?」
「失礼極まりないな、このやろー!」
ごめんごめん。と言いながら、私は真瑚にプリントを渡した。私と真瑚の席は前後で、私が後ろの席。そして窓際。
崎守くんが言ってた通り、私はここでよく本を読んでいる。昔から本は好きだし、暇さえあれば読書してたけど、そこまで目立っていたとは···。予想外。
─佐々木さん、可愛くて有名なのに。
ふと、崎守くんの言葉が頭をよぎる。
私が可愛くて有名?そんなこと考えたこともなかった。私よりも真瑚の方が可愛いんじゃ···。
身長は低くて、髪もゆるふわで、目もぱっちりでくっきり二重。おまけに内面はめちゃくちゃ天使。···部分によるけど。
でもそうやって考えたら、平凡な私なんか─
「奈緒ー!!」
「わあっ!?今度は何よ······」
真瑚が急に抱きついてきた。
ほら、こういうところ。真瑚の方が可愛いじゃん。
「崎守が社会のプリント終わってんだけど!」
「えっ?崎守くん?」
ビシッと効果音がつくくらい、勢いよく私たちの前方、右斜め前の方を指した。
先生の教卓の目の前の席。そこには崎守くんと、彼を囲む男女の集団があった。
「崎守くんに負けたくなかったの?」
「負けたくないっていうか、あいつより下に思われたくない」
たかが社会のプリント如きで変に張り合ってるんじゃないよ。昨日にでも言ってくれれば、写真ででも送ったのに。もし思い出したとしても、当日にやるのが真瑚なんだよね。悪い癖だなぁ。
「下に思われたくないなら急いで終わらせなよ。わかんないところは教えてあげるから」
「ほんっとに女神様ぁぁ!」
「はいはい」
私は真瑚の頭を撫でながら返事をした。
やっぱり崎守くんって人気者なんだなぁ。
「···あっ」
ヤバいヤバい!崎守くんのこと見すぎた!目が合っちゃった!完全に合った!向こうも『あっ』て顔したもん!
えっ?え?なになに?崎守くんがこっちに来るんだけど!
ごめんごめん。ずっと見てたことは謝るから!
「佐々木さんって、瀬尾と幼馴染みなんだっけ?」
「えっ?うん···そうだけど」
「羨ましい!」
「なんの話!?」
前の席とはいえ、集中しすぎてなのか、真瑚は私と崎守くんの話が聞こえてなかったらしい。
「俺も佐々木さんと幼馴染みが良かった」
「知らないよ。そんなに奈緒と仲良くなりたいなら、名前で呼んであげたら?」
「···え?」
「あ、そっか。じゃあ奈緒で!」
「あ、え···?」
崎守くん、ものすごい笑顔。可愛い。
「奈緒も俺のこと千夏って呼んで!」
「え、あ、うん。わかった···」
右手でガッツポーズして満面の笑みを浮かべる崎守くん···じゃなくて、千夏くん。
あと多分、真瑚は適当に返事してるよね。幼馴染みって昔から一緒にいる人のことだからね。
···ていうか、真瑚と千夏くんって仲良いんだ。
思えば、二年に進級してからすぐに話してたな。美男美女。お互いに話しやすいんだろうな。
比べて私は誰とも話さなかったな。話したとして、去年から同じクラスの女子と男子だけ。それも五人もいない。だから正直、千夏くんと仲良くなれたのは嬉しい。飛んでいったプリントありがとう。
***
その日の昼休み。私は早速、千夏くんに勉強を教えていた。
「奈緒と崎守が仲良いなんて知らなかった」
真瑚に対して千夏くんは『まともに話したの、今日の朝が初めてだからな』と言った。
千夏くんは社会が特に苦手らしく、人物名とか国の場所を中々覚えられない。だから、中々先に進めない。
「俺、数学と理科は出来るんだけどさー。それ以外はほんっとに無理なわけよ。社会とかマジわかんねー」
「それな。人物名って覚える必要ある?」
「ねーだろ」
まあ、私もそれは思ったことあるよ。
人物名覚えて何になるんだって。でも、知識としては身につくからね。
「とりあえず、千夏くんが得意な数学と理科に切り替える?」
「切り替える!」
両腕をぐーんと伸ばして、簡単にストレッチをしながら千夏くんは答えた。
私の隣では真瑚が『ほんとかー?』なんて言ってる。
集中力としては多分、真瑚の方がないからね?その部分は千夏くんを見習ってよ。文系面では真瑚が勝ってるけど、理系では千夏くんが上かぁ。やっぱりバラバラだなあ。
「二人とも塾とか行ってないの?」
「行ってない」
初めて二人の答えが揃った。
「呆れた···。行こうとか思わないの?」
「思わない」
また揃った。
「逆にそれで親に怒られないのが羨ましいよ」
「そういえば、奈緒ママたち厳しいよね。勉強面とか、友達付き合いとか」
「そうなの?」
千夏くんが首を傾げて聞く。
「そうなんだよねー」
私は机に頬杖をついて、気だるげに答えた。
うちの親は、物心つく前から私に文字を覚えさせて、小学校では五教科の中でも英語を徹底的にしごかれた。両親の知り合いに外国人がいるからだ。
お母さんたちは恥をかくまいと、私に英語を叩き込んだのだ。私の意見も聞かずに。
「奈緒、無理してない?」
「···大丈夫だよ!実際助かってるんだし」
嘘。ホントは助かってなんかない。ずっと辛いんだ。周りからは、ちょっと頭が良いだけで気取ってるとか、点数をバカにしてくるとか。私はそんなこと思ったことないのに、彼らからの妬みなのか、それに押し潰される。もう嫌なんだ。”勉強が出来てしまう”のが。
周りに妬まれて友達がいなくなるくらいなら、勉強が出来なくて真瑚や千夏くんみたいに元気で明るい人間でいたい。その方が絶対に気が楽になるだろうから。
なんでお父さんとお母さんは、私を愛してくれないんだろう。
「奈緒も大変なんだな」
「うん、まあね···」
真瑚と千夏くんは、勉強をする手を完全に止めて、私の心配をしてくれた。私はこんな優しさに触れたことがない。
風邪を引けば自力で治せ。怪我をしたなら唾でもつけとけ。そんな両親からは全く触れたことのない優しさが、私の心を潤す。
心のいろんな箇所に食い込んだ棘が、一気に洗い流されるような、そんな感覚。
発熱して保健室で休んだ時も、早退は許されなかった。これには流石に先生たちが味方して話し合ってくれたが、私の親は一切聞く耳を持たなかったらしい。
『教育だ』、『自立の為に必要なことを教えているだけだ』。一般理論でも、そんな躾の仕方はないよ。最低だと思う。
「お母さんたちは愛されてたのかな···」
ふと、思った。
よく聞くものだ。自分が親にされたことを、そのまま自分の子供にもしてしまったという実例を。
「まあ気にしないでよ。私は平気だからさ!」
私たちの場所だけ、空気が重くなったのを感じて、私は咄嗟に話題を変えた。
泣きそうになるのを必死に堪えて、無理矢理笑顔を作る。表情筋がつりそうだ。
「奈緒ってば、自分を犠牲にしすぎ。私らじゃ頼りにならないわけ?」
「頼りにならないっていうか、単に迷惑かけたくないだけ。私の家庭環境なんて知ってどうするの?」
「そっ、それは···!」
真瑚が回答に困り、俯いた時─
「大事な人の家庭環境くらい知ってちゃダメ?少しは頼りなよ。会ったばっかでなんだコイツってなるかもしれないけどさ、俺は奈緒が苦しむのだけは嫌だ」
「···っ」
なっ···!なんだ、大事な人って!?
「あ、ありがとう···。でも今は話したくないかな···」
「だよな。無理に聞いてごめん」
「いやいや!心配してくれて嬉しいよ」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴って、私たちは解散した。
今日は昼までの授業だったから、このあとは真瑚と二人で帰る。
あの家には帰りたくはないけど、今日も親の前では優等生を演じなきゃ。
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