第22話 くすぐったがり

「じゃあまずは、髪から洗うね」


「……うん」


 なんだか不思議な展開になってしまった。


 成瀬さんは私の返事を聞く前からシャンプーを手に取り泡立てていた。

 明らかにやる気満々だ。


 そして、浴槽にお湯がたまっていない以上、時間稼ぎが必要なのも確かなわけで。


 この状況だと、成瀬さんに身体を洗ってもらうのも、やむなし……?

 ちょっと照れくさいけど……。


「かゆいところは無いですかぁ~」


 しゃかしゃかと私の髪を洗いながら、美容師のように聞いてくる成瀬さん。


 無邪気でかわいい。

 まるで、ごっこ遊びだ。


「べつにないよ」


「はぁ~い……じゃあ流しますので目を閉じてくださいねぇ~」


「うん」


「ありがとーございまーす」


 ……それにしても成瀬さん、のんびりとした子どもっぽい口調とは裏腹に、実に手際が良い。

 シャンプーが終わったかと思うと、流れるように次の作業へ。

 リンスを髪に手早く馴染ませ、ササッとシャワーで洗い流す。

 そうやって、あっという間に私の髪を洗い終えてしまった。

 

 モタモタやっていた私とは、大違いだ。


 でも……お湯がたまるまで、まだまだ時間が必要なことを考えると、もう少しゆっくりやってくれたほうが嬉しかったりする。


 もちろんだからといって、素早く髪を洗ってくれた成瀬さんを責めるのは筋違いなんだけど……。

 

「じゃあ、つぎは……ふっふっふ~。いよいよ本番、萌花ちゃんの身体を洗っちゃうね~」


「あ、ちょっと待って」

 

 私が振り返ると、成瀬さんの動きがピタリと止まった。


「なに? ここからがメインディッシュなんだから、拒否はダメだよ。わたしの気持ちを萌花ちゃんに伝える大切な時間が、これから始まるの」


「ありがとう。それは嬉しいんだけど」


「それは嬉しいんだ……」


 ポッと成瀬さんの頬が赤くなった。

 いやどうだろ。

 もともと赤かった気もするし、鏡の反射でそう見えてるだけかもだから、なんとも言えないか。


「やめてほしいわけじゃなくて、むしろ逆。できるだけゆっくり私の身体を洗ってくれない?」


「……え? もちろんわたしも丁寧に洗うつもりではあったけど……。り、理由を聞いてもいい……?」


 理由か。

 「お湯がたまるのにまだ時間がかかるから」と普通に伝えてもいいんだけど……でもあまり時間のことは意識して欲しくない。


 せっかく、成瀬さんとふたりきりでお風呂に入っているのだ。

 彼女にはこの特別な時間を、素直に楽しんでほしい。

 そして私も楽しみたい。


 ふたりで楽しくじゃれ合ってるうちに、いつの間にかお湯がたまっていたという状況こそがベスト。


 やはりここは、違う理由を答えておこう。


「成瀬さん、さっき言ってくれたよね。身体を洗って、私に気持ちを伝えたいって」


「……うん。言ったよ」

 

「――私も成瀬さんの気持ちを知りたい。成瀬さんが思ってること、全部教えてほしい」


「ぜ、ぜんぶ……」


 ごくんと唾をのみ込む音がした。

 

 その反応で気付いたが、もしかすると私の表現はちょっと過激だったかもしれない。

 でも今さら言葉を止められない。


 それに、嘘をついたわけでもないのだ。


 私は知りたい。

 成瀬さんの気持ちを。

 今この瞬間、成瀬さんが楽しんでくれているのかを。


「成瀬さんには、ゆっくりと時間を掛けて私の身体を洗ってほしい。そのほうが、成瀬さんの気持ちがたくさん伝わってくる気がするから」


「……!」


 カッと目を見開く成瀬さん。

 よく分からないが、彼女の闘志に火がついたらしい。


「わ、わかった……。そこまで言ってくれるなら、わたしも全力で気持ちを伝えるよ!」


「うん……」


 私から言っておいてあれだけど、なんかちょっと怖い。

 気合が入りすぎてるっていうか……身体を洗うときにタワシを使ったりしそう。

 全力でゴシゴシやられそう。


 まあ、全部自分で撒いた種だから、タワシで私の肌が荒れたとしても我慢するしかないけれども。


「じゃあいくね」

  

 成瀬さんは、目をぎらぎらとさせながら私の首筋へと手を伸ばし、そして――。


「っ!?」


 ビクンと震える私の身体。

 成瀬さんの手が、首筋に触れただけなのに……今の感覚はいったい……?


「だいじょうぶ?」


「……ぜんぜん平気」


 そう答えはしたが、心臓がバクバクとしていた。


 もしかして私……くすぐりに弱いのか……?

 今までお友達とくすぐり合いとかもしたことがないから、まるで気付かなかった。

 

「そっか。なら、続けるね」


 成瀬さんは、そんな私の様子に察するところがあったのか、軽く笑っているように見えた。

 そして私の首筋にそっと手を乗せた彼女は、スーッと肩のラインに沿って撫でるように洗っていく。


「んんぅっ!」


 あまりのくすぐったさに、ぐいっと左に傾く私の頭。

 きっと防衛本能というやつだろう。

 頭と肩で挟みこむことによって、成瀬さんの左手を完全に押さえつけてしまった。

  

「……もぉー、萌花ちゃん。そうやって押さえられちゃうと、首を洗えないんだけど」

 

「ごめん」


「べつに謝ってほしいわけじゃないよ。首をまっすぐにして、わたしの手を解放してくれたらそれでいいから」


 正論だ。

 でも……。

 

「……解放したら、また洗うよね?」


「もちろん洗う……っていうか、右手はあいてるから今でも普通に洗えるけど。もしかして、やめたほうがいい? 首が弱いみたいだし、このくらいにしとく?」


「……!」


 その優しい言葉のおかげで、自分の置かれている状況を思い出すことができた。


 くすぐったいからやめるなんて、そんなわけにはいかない。

 だって私は、自身の失態をカバーするため、まだまだ時間を稼がないといけないのだ。


 ……それにさっきは、くすぐったがる成瀬さんの首筋をさんざん撫でまわしたわけで。

 最低限、同じ時間は耐えないとフェアじゃないだろう。

 

「……ううん、やめないで。成瀬さんの気持ち、まだ伝わって来てないから。思う存分やっていいよ」


「うん……でも本当に思う存分やると、萌花ちゃんの首が縦横無尽に暴れまわりそうだから、ほどほどにしておくね」


 優しさか警戒心かは微妙な言葉を残しつつ、解放された彼女の手が再び私の首筋を撫で始めた。


「……んぅ」


 くすぐったくて、身体が震える。

 でも成瀬さんの『ほどほどにする』という宣言どおり、首への刺激はかなり弱まっていた。

 

 これなら我慢できる範囲だ。


「ほんとすべすべだよね、萌花ちゃんの肌って……」


「……ぁぅぁ……」


 まあ、変な声は当然のように漏れるけど。

 でも我慢できる範囲だから。


「はぁ~、悶える萌花ちゃんは永久とこしえに可愛い……」


「……とこしえ……?」


「あ、深い意味はないから気にしないで。えっとじゃあ、次はいよいよメインディッシュ、背中にいくね」


「うん」


 私が頷くと同時、成瀬さんの泡々とした手が、私の背中に触れた。

 そのあまりの素早さに一瞬ぎょっとしたが――。


「……」


 あ、でもこれは本当に平気。

 くすぐったさなんて、まるで感じな――。


「ふふふ、油断してるね萌花ちゃん。ここからが本番だよ」


 成瀬さんの両手がスーッと私の背中を撫で下ろしていく。


「んんぅっ!?」


 あまりの刺激に、おもわず身体をよじってしまった。


「やっぱり。萌花ちゃんって首だけじゃなくて、背中も弱いね」


 成瀬さんはそう言いながら、私の背中を上から下までまんべんなく撫でまわしている。

 いや、もちろん実際は撫でているわけではなく、背中を洗っているだけなんだろうけど……でもなんかソフトタッチ過ぎて、くすぐったさが尋常じゃない。


「な、なるせさんも……背中……よわかったよ……」


「かもしれないけど、さすがにここまではクネクネしてなかったと思うなぁ~」


 からかうようにつぶやく成瀬さんの撫でまわしは、さらに激しさを増していく。


「だ……だってぇ……なんかぁ……さわり方がぁ……ソフトタッチすぎてぇっ……!」


 くすぐられながら言葉を発していたせいか、変な言い方になってしまった。

 成瀬さんも、私の異常な口調に驚いたようで、背中からパッと両手を離してくれた。


「ご、ごめん、大丈夫? わたし、調子に乗りすぎちゃった?」


「……べつに。そんなことない」


「……続けても平気……?」 


 心配そうに私の顔をのぞきこんでくる成瀬さん。

 いけない、彼女の表情が曇ってしまっている。


 笑顔を向けて、安心してもらわないと。


「本当にぜんぜん平気だから。むしろ、こんな中途半端なところで終わったほうが嫌だよね」


「そ、そっか……そうだよね」


 成瀬さんは、私のやせ我慢を見抜くどころか、即座に納得してくれた。

 もちろん、そのほうが私も助かるけど……。


 でもなんか成瀬さん、また半笑いになってない?

 笑い方がどこか意地悪というか、いやらしい笑みに見えるんだけど。


「たしかに次が本当のメインディッシュ、お腹を洗う時間だもんね。萌花ちゃんのお腹、ゆっくりじっくり洗わせてもらうからその……くすぐったくて我慢できなくなったら、ちゃんと言ってね」


「あ、うん……」


 まあ、さっきの成瀬さんの反応を見た限り、お腹はそんなにくすぐったくなさそうだし、問題は無いと思う。


 でも……お腹を洗うのが、本当のメインディッシュ……?

 言ってる意味がよく分からない。


 あと成瀬さん、私の身体を洗うたびに『次がメインディッシュ』って言うけど、何回メインディッシュを食べる気なんだ……。

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