第17話 お泊まり攻防戦

「……けっきょく、カラスババアってなんなんだろう……?」


 座ったまま窓を振り仰ぎ、遠くの山を見つめている成瀬さん。


 私はそんな彼女の背中に声を掛けた。


「ありがとう」


「うん……?」


 成瀬さんは不思議そうに私の顔を見返してきた。


 たしかに変なタイミングでのお礼になってしまったし、理解できないのも無理はあるまい。


 でもそれは、私の心から湧き出た素直な言葉だったのだ。


「カラスと喧嘩してたことなんて誰にも言えなかったから。成瀬さんに聞いてもらえて、なんか落ち着いたかも」


「そ、そう? 正直わたし、わーわー騒いでただけだったような……」


「それはそうだけど――」


「それはそうなんだ……」


 成瀬さんがガクリと肩を落としてしまったので、私は慌てて言葉を続けた。

 

「でも、さっき言ってくれたよね。路地裏で遭遇したカラス、襲いかかってくる様子がなかったって。だから平気じゃないかって。それを聞いて私もハッとしたんだ。たしかに昔はこっちが見つける前から、有無を言わさず襲いかかってきたのに、今回はなにも反応が無かった。……成瀬さんの言う通り私のことは忘れてくれたのかもしれないね」


「うん、きっとそうだよ」


「だから、ありがとう。成瀬さんが指摘してくれなかったら、私は今も布団の中でおびえていたと思う。それくらい冷静じゃなかったから。今こうやって普通に話せてるのは成瀬さんのおかげだって、本当にそう思ってるんだ」

 

「そっか」


 成瀬さんは照れくさそうに頬を指でかいていた。

 私の感謝の気持ちはきちんと彼女に届いたようだ。

 

「わたしも萌花ちゃんの力になれたのなら嬉しいよ。でも今はさ、カラスのことは忘れて、ゆっくり休みなよ」


「うん……」


 成瀬さんは子どもを寝かしつける母親のように、私のお腹のあたりを右手でぽんぽんと叩いてくれた。

 恥ずかしいが……でもなんだか嬉しい。

 不思議な気分だ。

 

「……そういえば、おうちの人は何時くらいに帰ってくるの? あんまり遅くなってもあれだし、私もそろそろ帰ろうと思うんだけど……」


「父さんなら今日は帰って来ないよ」


「そうなの?」


「うん。今日と明日、出張なんだ。だから帰ってくるのは日曜の夜になるみたい」


「だ、大丈夫? この広い家にひとりって、なんか危なくない?」


 たしかに父さんもそれを気にしていたっけ。

 寝る前に戸締まりを忘れないように何度も繰り返し言われたが、それでも不安だったらしく、「明日は学校も休みだし、友達でも家に呼んだらどうだい。夜遅くまで人の気配がすれば、泥棒だってそうそう入ってこないだろうし」なんてことを言われてしまった。


 もちろん家に呼ぶような友達がいない私は、適当に返事をしてその場を逃れたが……。


 でも、今わたしの目の前には、家まで来てくれた友達がいるわけで。


 そして成瀬さんとのお泊まり会を開催したいかといえば、もちろん当然したいわけで。


 …………。


「もし良かったらなんだけど」

 

 魔が差したとしか言いようがないほど自然に。

  

「――成瀬さん、今日うちに泊まっていかない?」


 そんな言葉が口からこぼれ落ち、自分でもドキリとした。


 成瀬さんが……うちに泊まる……?


 優しくてふわふわで、近づくとなんだか甘い匂いがしてくる、カワイイという概念をそのまま具現化したような存在である成瀬さんが、うちに……?


 想像しただけでワクワクしてくるのは確かだ。


 成瀬さんと一緒に晩ごはんを食べたり、パジャマでお布団の上をゴロゴロ転がったり、2人並んで窓から夜空を眺めたり……。


 絶対に楽しいと思う。

 一生の思い出になると思う。 


 ――でもだからこそ、この提案を断られたらツライ。

 もしかしたら立ち直れないかもしれない。


「それってお泊まり会のお誘いってこと……?」


「うん」

 

 緊張を隠しつつ頷くと、成瀬さんは目をキラキラ輝かせながら、身を乗り出してきた。

 

「泊まる! ううん、泊まらない!」


「どっち……?」


 勢いよく訳のわからないことを言い出した成瀬さんに、私は困ってしまった。


 成瀬さんは身を乗り出すのをやめ、かばんのキーホルダーを手でいじっている。


「え、えっと、ほら、勝手にお泊まり会なんてしたら、萌花ちゃんのお父さんも困るだろうし……」

 

「そんなことないよ。そもそも『友達でも家に呼んだら?』って父さんに言われたから。だからあとでメッセージでも送って説明しておけば、それで納得してくれると思う」


「そ……そうなんだ……うーん……」


 成瀬さんは私の説明を聞いてもなお、お泊まりをためらっているようだ。

 

 陰キャな私なので、自分から誘うなんて2度とできないだろうし、多少でも可能性があるなら、なんとか縋りつきたいところだが……。


「……どうする? 泊まる?」


「…………ん、ん~~」


 腕組みしてまで悩みに悩んだ成瀬さんは、うつむいたままぽつりとつぶやく。

  

「……泊まりゃう……」


「泊まりゃう……?」


「…………」

  

 意味が分からず聞き返すが、成瀬さんは無言。

 説明も訂正もない。


 私はベッドから上半身を起こし、改めて尋ねることにした。

 

「……ごめん、泊まりゃうってなに? 泊まるってこと? 泊まらないってこと?」


「……りょうほう……」


「両方……!? そんな言葉があるんだ……!?」


 泊まりゃう。

 それは泊まるという意味であると同時に、泊まらないという意味も含んでいる魔法の言葉。


 『行けたら行く』の亜種だろうか?

 いや行けたら行くは、実質『行かない』という意味で使う人が多いと聞く。


 一方の泊まりゃうは完全なるフィフティフィフティ。

 泊まる50%の泊まらない50%という揺れ動きすらしない絶妙な心情を、過不足なく表現しているわけだ。


 言葉は日々変わりゆくものと聞いたことがあるが、まさか『泊まる』という単語がこんな変化を遂げているとは思いもしなかった。

 

 実際、使う方にとってはかなり便利な言葉だし、こういう変化が起きるのはむしろ当然という気がする。

 一方で、その言葉を受け取る側にとっては、びっくりするほど対応に困る言葉なので、すぐに消えていきそうな気もした。


 なんにせよ今は泊まりゃうの未来を心配している場合ではない。

 私は成瀬さんとお泊りをしたいのだ。


 なんとか説得の糸口を見つけないといけない。


「……ちなみに成瀬さんが泊まれない理由ってなんなのか、聞いてもいい?」

 

「えっと……萌花ちゃんの身が危険だから……」


「…………うん?」


 私が一人で留守番をするのは危険、というのがこの話のスタート地点だったはずなのに、なぜ成瀬さんが泊まった場合も私の身が危険なんだろう……?


 成瀬さんの身が危ないという話ならまだ分かるけど……。


「ごめん、どういう意味?」


「えっと……そのまま……?」


「そのままかあ……」

 

 よくわからない。

 とりあえず保留にしよう。

 

「じゃあ、それ以外で泊まれない理由はある?」


「ない」


「ないんだ……」


 だったら、さっきの答えを保留にしてる場合じゃなかった。

 よくわからない問題と真正面からぶつかって、きちんと解決するしかない。


 私は気合を入れるためベッドの上で正座をして、成瀬さんと向き合う。


「なんで成瀬さんと一緒に泊まると、私が危険なの?」


「……例えばだけどね」


「うん」


「萌花ちゃんがお風呂に入るとするよね」


「うん」


「わたし……のぞきに行くと思う」


「……ふむ」

 

 私は顎に手を当て、静かに目を閉じた。


 成瀬さんの今の言葉をそのまま解釈すれば、当然、変態宣言だ。

 私の身体に興味津々で、だから裸をのぞきに行くぞという堂々たる変態宣言。

 とはいえ、さすがにそれはないだろう。


 だって成瀬さんはスタイルが良いのだ。

 それもちょっとやそっとの話ではない。

 出ているところは出ているのに、太っているわけではないという誰もが羨む理想的なプロポーションの持ち主。

 そんな彼女が、私の貧相な身体に興味を持つとはちょっと思えない。


 そうなると……お泊まり会というワクワクな状況に、思わずはしゃぎ過ぎてしまって、そういう変態行為をしてしまうかも……という話なのだろうか?


 たしかにいくら相手が成瀬さんといえど、お風呂に入っているところを覗かれるのはあまり良い気がしない。

 つまり、テンションが上がりすぎて、私に迷惑をかけてしまうことを心配している……?


 でもそれで私の身が危険か、と言われると、正直そこまででもないような……。


 まあいい。

 成瀬さんがどういう意図で今の発言をしたのかいまいちよく分からないが、でも解決方法自体はシンプルだと思う。

 だから私は思い浮かんだ『正解』を、そのまま彼女に告げた。


「じゃあ一緒にお風呂に入る? そしたら覗かなくてすむよね?」


「…………」


 成瀬さんは、無言のままスッと立ち上がった。

 そして私に視線を向けることなく窓へと一直線に向かい、薄暗くなってきた外の景色をしばらく眺めたあと、再びベッドの脇に戻ってきて、静かに正座をしている。


「……今の動き、なに?」


 問いかけると、成瀬さんは妙に澄んだ瞳でこちらを見返してくる。


「ごめんね、あのまま座っていると、わたしの魂が浄化しそうだったから」


「ふうん……?」


 よく分からないが、やっぱりはしゃいでる感じ……かな?

 まあ少なくともお泊まり会を嫌がってはいないようだし、多少強引にでも話をまとめたほうがお互いにとって良さそうだ。


「とりあえず問題は解決したってことでいいんだよね? だったら――」

 

「ま、まってまって! そういえば他にも問題があった!」


「そうなの?」


「うん! あの……わたしね、夜寝るときに抱き枕が無いと眠れないんだ。だから悪いんだけど――」


「じゃあ私を抱き枕にしたら?」


「…………」


 再び私が『正解』を伝えると、成瀬さんは無言で天井を見上げていた。


「どうせこのベッドで一緒に寝ることになるだろうし、私を抱き枕代わりにしたらいいんだよ」


 聞こえていないと思ったわけでもないが、私はその提案を繰り返し伝えた。

 すると成瀬さんは、無言のままスッと立ち上がる。


 そして向かうのはまたもや背後の窓。

 なんとなく予測できていた私はするりとベッドを抜け出して彼女を追い抜くと、カーテンをさっと閉め。


 そしてくるりと振り向き、成瀬さんと向かい合う。


「ねえ成瀬さん。もし都合が悪いんだったらはっきり断ってくれて大丈夫だよ。そんな謎の動きをあいだに挟む必要はないから」


「べ、べつに都合は悪くないっていうか、むしろわたしもお泊まりしたいんだけど……」

 

「けど?」


「なんかこう……何も知らない幼気いたいけな子どもをだましてる気分になるというか……」


「……?」


 言っている意味が分からない。

 もちろん、なにかの例えなのだろうが……。


 しばらく無言で見つめ合っていたが、やがて成瀬さんも諦めたらしく、軽く頭を振っていた。


「もう……分かったから、そんな寂しそうな目で見ないでよ。結局のところ、わたしが理性を持ち続ければいいだけの話だもんね」


「それってつまり……」


 期待を込めて見つめると、成瀬さんはコクリと頷いてくれた。


「萌花ちゃんのおうちに、お泊まりさせてもらうね」

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