第14話 警告
◇◇◇◇◇
「交換日記……?」
日記帳が並んだ、文房具屋の棚の前で振り返った成瀬さんは、こちらを見て不思議そうに首を傾げている。
さすがに1か月前の話を急に蒸し返されてもピンとこなかったようだ。
「前に成瀬さんが誘ってくれたよね。交換日記しようって。あのときは嫌だったけど考えが変わった。成瀬さんはどう? まだやる気はある?」
そう、あれからひと月近く成瀬さんと一緒に過ごすうちに、私の考えはかなり変わっていた。
――知りたい。
成瀬さんが普段何を考えているのかを。
いや、より正確に言うと……私と一緒にいるとき、彼女がなにを考えているのか――それを知りたい。
交換日記は、彼女の気持ちをさりげなく聞き出すのに、まさにうってつけだ。
場合によっては、こちらから質問するまでもなく、自然な形で私への気持ちを
もちろん交換日記である以上、私のほうも、自然な形で成瀬さんへの気持ちを吐露してしまう可能性があるのが難点だが……。
でも、そうなったらそうなったで、仕方がないと思う。
彼女の想いを、私の気持ちと交換で知ることができるのなら、それは悪くない取引だ。
だって、私にはどうしても知りたいことがあるのだから。
――成瀬さんは私のことをどう思っているんだろう……?
頭の中で幾度となく繰り返された、その疑問。
べつに嫌われているとは思わない。
だって、成瀬さんが買い物に誘ってくれたのだ。
私のことが嫌いだったら、そんなことしないはず。
学校にいるときだってそうだ。
お昼ご飯は毎日欠かすことなく一緒に食べているが、それだって成瀬さんからの提案だったし、体育の授業でペアを作るよう先生に言われたら、成瀬さんはどんな遠い場所からでも私のもとに飛んでくるし……。
あと、体操着に着替えるときもチラチラとこっちを見てくるし……それで私の貧相な身体をやたらと褒めてくるし……体育が終わった後は私の顔をじっと見て『運動したあとの萌花ちゃんは、普段よりさらにカッコいいね』とか言い出すし……。
……まあ
――成瀬さん、私のことが好きなんじゃないの……?
そんな考えがどうしても浮かび上がってくる。
だからこそ知りたい。
私は思い上がっているのだろうか?
実際彼女はどう見ても人懐っこいタイプだし、誰に対しても同じ態度をとっていてもおかしくはない。
でも、例えそうだとしても――成瀬さんにとって私が特別でなかったとしても、打ちのめされるのなら、早いほうがいいと思う。
今ならまだ、浅い傷で済むだろう。
自惚れがすごいことになる前に、いっそ
「えっと……わたしと交換日記してくれる気になったってこと……?」
「あ、うん。なったってこと」
慌てて頷くと、こちらを見つめる成瀬さんの瞳孔がぐんぐん開いていくのがわかった。
そして早足でこちらに近づいてきた彼女は、私の両手を包み込むようにギュッと握った。
「い、いいの……!? 交換日記、ほんとのほんとに、いいの!?」
やっぱりこの子、私のこと好きじゃない?
ああ、だめだ。
叩いても叩いても自惚れが湧き上がってくる。
笑みを消し、極力冷静に。
私は興奮を抑え、静かに答えた。
「うん、いいよ。でもあのときもらったノートは違うことに使ってるから。だからここで新しいのを買おうと思うんだ。成瀬さん、選んでくれない?」
「そっかぁ~、そっかぁ~……! うん、じゃあとびっきり可愛いノートを選ばないといけないね!」
成瀬さん、ニッコニコだ。
さっきまであんなに落ち込んでいたのに、機嫌を直してくれたらしい。
……成瀬さんは暗い顔をしていても絵になるが、でもやっぱり笑顔のほうがいいな。
楽しそうな彼女を見ていると、こちらまでつい笑ってしまう。
成瀬さんは私と違って、他人に幸せを振りまけるタイプの子なのだ。
……こんな子に特別な感情を向けてもらえたら、きっと人生はバラ色だろう。
◇◇◇◇◇
「萌花ちゃん、なにを書いてくれるかなぁ……?」
ショッピングモールを出て家に帰る途中、成瀬さんは交換日記用のノートが入った私のカバンに優しいまなざしを向けていた。
じゃんけんの結果、交換日記は私からスタートすることになったのだ。
本音を言えば成瀬さんから始めてもらいたかったが、まあ、今日の日記に関してはこのお出かけエピソードを書けるし、それはそれでよかった気もする。
しかし、なにもイベントが起きなかった日は、どんな日記を書けばいいんだろう……?
成瀬さんへの質問でも書けばいいのかな?
好きな人はいますか――さすがにそれは直球すぎるか。
好きな食べ物はなんですかとか、そのくらい軽い質問のほうが――。
「おい、ふざけんなよっ!」
突如、罵声が耳に飛び込み、妄想に浸っていた私はビクッと首をすくめた。
その直後、なにかが路上を転がるような大きな音も聞こえてくる。
今いる大通りには、私達以外にもそれなりに歩行者がいたが、この程度の騒動は慣れたものなのか、誰一人として歩みを止める様子はない。
明らかに面倒事だし、賢明な判断だろう。
私も争いごとに巻き込まれたくないし、彼らの事なかれ主義を見習ったほうが良さそうだ。
特に今は成瀬さんも一緒にいるのだから、
――けれど、これも運命だろうか。
「……?」
目の端を黒いものが通り過ぎた。
よせばいいのに、私は思わずそれを目で追ってしまい――。
「……!」
身体が硬直した。
私の視線の先、小汚い路地裏に、いかにも不良といった格好をした数名の男たちがたむろしている。
そんな彼らがニヤニヤと見つめる視線の先には、罵声を上げながらごみ袋をぶんぶん振りまわす1人の青年と、その周囲をバサバサと羽音を響かせながら飛び回る複数のカラスの姿。
青年の足元に大きなポリバケツが転がり、その周囲に生ごみが散乱しているところを見ると、おそらくゴミ袋の入っていたポリバケツを蹴飛ばすか何かしたのだろう。
そして路上に散らばった生ゴミに興味を示したカラスが、群れになって襲いかかってきたたわけだ。
「オラッ! オラッ!」
相変わらず罵声を飛ばしながらゴミ袋をぶん回しているが、よく見ると青年は笑顔だ。
周囲の不良集団もそんな青年を遠巻きに見つつ、楽しそうにはやし立てていた。
服装が似通っているので、おそらく青年も不良集団の一味なのだろう。
もめているわけではなく、単なる悪ふざけか。
カラスをゴミ袋で追い払う光景は、思わず眉をひそめたくなる醜悪なものだったが、なんにせよこちらに注目が向いていないのは幸いだった。
彼らに見つかる前に、この場を急いで離れよう。
そう考えた瞬間――ぶわっと生ぬるい風が、私の顔面を撫でた。
ぷんと鼻につく、生ゴミのニオイ。
……それは忘れようとしていた過去を思い起こさせる、おぞましい悪臭で……私は思わずその場に立ちすくんでしまう。
「カァーッ、カァーッ!」
そんな私の目の前に、先程まで青年と争っていたカラスがふわりと降り立った。
強風に煽られただけなのだろうが、その動きはいっそ見惚れてしまうほど優雅なもの。
そしてカラスのそんな動きにつられたように、その場にいた全員がこちらに視線を向けてきた。
――ゾワッと総毛立つ感覚。
皆が見ているのは、私の足元にいるカラスではない。
間違いなく私自身に視線を向けているのだ。
逃げるべきだと頭では分かっているのに、無数の瞳に射すくめられ、その場から一歩も動けない。
「――萌花ちゃん? 大丈夫?」
「……!」
私が立ち止まったことが不思議だったのか、成瀬さんがこちらを振り返り声を掛けてくる。
「萌花ちゃん……?」
彼女は状況をまるで理解できていない。
そのことがなによりも恐ろしかった。
――このままここにいてはいけない……!
彼女を巻き込んでしまう……!
それだけは避けないと……!
「だ、だいじょうぶ……だから……!」
顔を伏せ、彼女の手を取る。
死に物狂いの必死な気持ちが、鉛のように重たい足を動かしてくれた。
彼女の手を掴んだまま、その場から足早に立ち去る。
「カァーッ、カァーッ!」
警告のようなカラスの鳴き声を背中で聞きながら……。
私はかつてのトラウマが、痛いほど刺激されるのを感じていた。
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