第13話 交換日記

 結局私たちは、なにも買わないまま洋服屋をあとにすることとなった。

 まあ、成瀬さんが受けたショックの大きさを考えると、そのこと自体は仕方が無いと思う。


 ただ……。


「ふはぁ~……」


 憂鬱ゆううつそうにため息をつく成瀬さん。

 多くの人が行き交うショッピングモールの通路で、がっくりと肩を落としているのは彼女くらいのものだ。


 もう帰ったほうが良いのではないかと思いはするが、本人にその気は無いらしい。

 

 しかし、どうしたものか。

 このままだと居たたまれないし、なんとかテンションを上げてもらいたいところだが……。


「……ん?」


 イチゴジュースを扱っているお店でも無いだろうかと周囲を見回していると、斜め前方に文房具屋を発見。


 そういえば成瀬さん、文房具屋に寄りたいとか言ってたっけ。


 大きな書店の片隅に併設されているそのお店は、ショッピングモールに入っている他の店舗より規模は小さいが、それでも文房具屋には違いが無いだろう。

 遠目に見える範囲だと、品ぞろえも悪くはなさそうだ。 


「ねえ、成瀬さん。あそこに文房具屋があるよ。用があるって言ってなかった?」


「……うん? ああえっと……三色ボールペンが欲しかったんだよね……ちょっと寄らせてもらうね……」


 弱々しい笑顔をこちらに向けた成瀬さんは、よたよたとした足取りで文房具屋に入っていく。


 ……ちょっと期待したんだけど、この感じだと文房具屋が救いの女神になってくれることはなさそうだ。

 むしろ、私に心配を掛けまいと気丈に振る舞う成瀬さんの姿が痛々しい。


 はっきり言って、このまま見ていられないくらいで……。


 ――やってみるか?


 チラリとそんな考えが脳裏をよぎる。


 だって、彼女が入ったのは文房具屋で……実際、おあつらえ向きといえるほど、状況は整っているのだ。


 前々から考えていた話を成瀬さんにするとしたら、このタイミングしかないと思う。

 あとは私の気持ちだけ。


「……」

  

 日記帳が並べられた棚の前をのろのろと通り過ぎる成瀬さんは、後ろ姿だけでも元気が無いのがよく分かる。


 そんな彼女の姿を見て、私の心は決まった。


 ――やろう。


 自分自身のためだけであれば、踏ん切りがつかなかったかもしれない。

 でも今は、彼女を元気づけるためという大義名分があるのだ。

 

 これはもう世界が私に「行け」と言っているとしか思えない。

 勇気を出せ、わたし……!


「ねえ、成瀬さん、ちょっと待ってもらっていい?」


「……なに?」


 背後から声を掛けると、彼女はゆっくりとこちらを振り向いてくれた。

 距離があったし、私の言葉は届かないかもと思っていたが、そんなことはなかったようだ。


 これもまた、世界の意思といえるだろう。


 彼女のどこかぼんやりとした瞳を見つめながら、私はつぶやく。


「私と――交換日記しない?」


 交換日記。


 いかにも唐突な思い付きのようだが、実はそうではない。

 

 それは一ヶ月前、入学式翌日の出来事だ。


◆◆◆◆◆

 

「ほら、これ!」


 朝礼が終わり、担任のみかん先生が教室を出ると同時、いきなりこちらを振り返った成瀬さんが、私の鼻先に突きつけるように、ノートを見せてくる。


 何の変哲もない――というには、少しばかりオシャレなノートの表紙には、なぜか私の名前が書かれていた。


「これは?」


 不思議に思った私は、ノートから顔を離しつつ尋ねたが、成瀬さんはニコニコと笑っている。

 

「交換日記用のノートだよ」


「交換日記?」


「そう。せっかくお友達になれたんだし、ふたりで交換日記しよう!」


 さも当然という言い方。

 そして、断られる可能性など微塵みじんも考えてないような、楽しそうな顔。

 そんな彼女を見ながら、私はゆっくり首を振った。

 

「しない」


「え!? な、なんで!?」


 なんではこちらのセリフだと思った。


 そもそも日記というものが、私は苦手なのだ。

 というか、得意な人のほうがレアだと思う。


 ――その日に起きた出来事や感情などを記載する、日常の記録帳。

 それだけ聞けばいかにも簡単なようだが、実際はまるで違う。


 形として残る以上、どうしても他人の目に触れる可能性を考えないわけにはいかないが、けれどあまりにも体裁を取り繕ってばかりだと、そもそも日記をつける意味がない。


 だからこそ日記をつけるという行為は、羞恥心との戦いになってくるわけだ。


 そして私は、その戦いに負けた。

 完膚なきまでに負けた。


 日記帳を買ってみたはいいものの、自分の心をさらけ出すことに抵抗があり、3日坊主どころか初日の出来事を記録することすらできなかったのだ。

 

 そんな私が得た結論は、ただ一つ。


 ――これができるやつは、精神的な露出狂に違いない。


 だというのに、成瀬さんは私に交換日記を要求してきたのだ。


 自身の心を丸裸にするだけでも抵抗があるのに、それを成瀬さんに見せないといけないなんて……。

 しかも交換日記と銘打っている以上、成瀬さんも裸の心を私に見せつけてくるわけで……。


 はっきりいってセクハラだと思う。


 いまはまだ法整備が追い付いていないだけで、『交換日記』という行為は将来的には間違いなく性犯罪の一種として数えられるようになるはずだ。


「……」


 もっとも目の前に座っている純真な少女に、そんな説明ができるはずもない。


 だから、私の答えは自然と短くなった。

  

「したくないから」


「えっ……!」


 再び衝撃を受けた様子の彼女は、しばらく視線を泳がせた後、すっと私にノートを差し出してきた。


「じゃあこのノートあげる……」


「…………」


 ……いや、なんで?

 

 交換日記を断るとノートがもらえる、その仕組みが分からない。

 彼女の思考回路はどうなっているんだろう……? 


「受け取る理由がない」


「で、でもこの日記帳、表紙に萌花ちゃんの名前を書いちゃったし……わたしがこのノートを使うのはおかしいよ」


「……かもしれないけど。でも、そもそもなんで私の名前だけ書いたの? ふたりで使うノートだったら、成瀬さんの名前も書いてないと変じゃない?」


「えっと……わたしの名前は萌花ちゃんに書いて欲しかったから……」


 ああ、そういうことか……。


 きっとウキウキで私の名前を書いてくれたんだろう。

 私が断るなんて思いもせずに。


 ……なんかちょっと心苦しくなってきた。


「修正テープ持ってる。貸そうか?」


「えー……修正するのはちょっと……」


 気遣ったつもりだったが、成瀬さんは私の提案を聞いて不満そうに口をとがらせていた。


「表紙って何回も見返すところでしょ? 書き直した自分の名前を見るたびに『ああ、そういえば萌花ちゃんに交換日記をことわられたんだっけ』って思い出すことになりそう……。別に高いノートじゃないし、メモ帳代わりにでも使って欲しいな。わたしじゃ、本棚の奥にしまいこんじゃうだけで、もったいないもん」


「……」


 ……まあ言いたいことは理解できる。

 私に断られてしまった以上、そもそも手元に置いておきたくないわけだ。


 私はふうとため息をついた。


「分かった。これはありがたくもらっておく。その代わり、私もノートを買って、プレゼントするから。ノート交換っていう形にしよう」


「い、いいよ、いいよ。私が勝手にやったことだし。新しく買うのはお金がもったいないよ。ほんとに大丈夫だから」

 

 彼女は本心でそう思っているらしいが、ノートをもらっておきながら、なにも返さないわけにはいかない。


 ……などと考えるところまでは我ながら立派だったが、他人に贈り物をするのが苦手な私は、成瀬さんに相応しいノート選びに難航してしまい。


 そのうえ、ある考えが頭の中をぐるぐる回りだすようになり。


 ――結果、ノートの件がうやむやになったまま、一ヶ月がたってしまっていたのだ。

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