第12話 ふたりきりの試着室(後編)

 『パンツ』


 その言葉にはふたつの意味がある。


 ズボンとしてのパンツと、下着としてのパンツ。

 

 思い返してみると、成瀬さんが言う『パンツ』は、どうもイントネーションがおかしかった気がする。


 ずっと下着の『パンツ』の言い方だったのだ。


 地方出身の彼女なので、今までもイントネーションが変なことはあり、だから今回も方言かと思って聞き流していたけれど、もしかしてそうではなかったのだろうか?

 本当に下着のパンツのことを言っていた……?


 ……ありえる。

 パンツ姿で街を歩くことにやたらと拒否反応を示していたのも、そういうことなら頷ける。


 たしかに私だって、下着姿で街を歩くのは単なる変態行為としか思わない。

 全力で拒否だ。


 でももしそうだとして――私と成瀬さんとのあいだで、「パンツ」という言葉が指す物体に関してすれ違いが起きているとして、いったいどうしたらいい?


 この出来事を笑い話にできるような話術なんて、私は持ち合わせていない。

 かといって、このまま下着姿の成瀬さんを眺めているわけにもいかないし……。


 ……仕方が無い。

 素知らぬふりでデニムパンツを成瀬さんに押し付け、そのまま着用してもらうことにしよう。


 成瀬さんが私に下着を見せつけてきたのは、あくまでも冗談ということにしてしまうのだ。


 おそらく成瀬さんは、ズボンのことをパンツと呼ぶこと自体知らないはず。

 だから勢いで押していけば何とかなると思う。


「ねえ成瀬さん」


 可能な限り穏やかに微笑んだ私は、手に持っていたデニムパンツを彼女の目の前に突き出す。


「確かに面白いジョークだったけど、いつまでもその格好だと風邪ひいちゃいそうだし、そろそろこのデニムパンツをはいてみてよ」 


「……え?」


「ぜったいに成瀬さんに似合うと思う。だから脳みそを空っぽにして、なんの疑問も持たずに大急ぎではいてみよう。ね?」


 さて、吉と出るか凶と出るか……。


「え……あ……」


 デニムパンツを見つめる成瀬さんの瞳から、急速に光が失われていく。


 ……これ、凶っぽいな。

 私の有無を言わさぬ勢いに負けて、大急ぎでデニムパンツをはいてくれると一番ありがたかったんだけど……。


「萌花ちゃん……」


「なに?」


「……もしかしてずっと、そっちのパンツの話をしてたの……? 下着のことじゃなくて……?」


 うっ……。


 凶どころか、これは大凶かもしれない。


 ちょっとここから誤魔化すのは難しそう……というか、勘違いしていたことを本人が自白したのだから、もう終わりだ。

 フォローのしようなんて無い。


 でもここで諦めると成瀬さんの心に深い傷が残りかねないわけで。

 私は必死に頭を回転させ、ここから話しをうまくまとめる方法を考えたが――。


「ううっ!」


 私が答えを出すより先に、成瀬さんの心が限界を迎えたようだ。

 うめき声を漏らしながらその場に崩れ落ちた成瀬さんは、試着室のピカピカの床に両手をつく。

 

「知ってましたけど……!」


「う、うん……」


「都会のオシャレ女子はズボンのことをパンツと呼ぶことくらい、わたしだって知ってましたけど……!」


「わ、わかったから落ち着いて。あの、しゃがみこむと下着が見えちゃうから」


「もうどんな体勢でもおんなじだよ! さっき自分から見せたんだもん!」


 それはたしかにそうだが、かといって頷けるわけが無い。

 けれど、こちらの沈黙から肯定のニュアンスを感じ取ったのか、彼女は頭を抱えていた。


「そもそもさぁ、いくらなんでも紛らわしすぎない!? 橋と箸とか、雲と蜘蛛なら分かるよ! イントネーションだけじゃなくて、使う場面もぜんぜん違うし! でも同じ衣類でパンツとパンツって、それはちょっとどうなのかなあ!? しかもどっちも下半身にはくパンツとパンツって、それはもうイジワルだよ! わたしを騙すために生まれてきた言葉じゃん!」


「そ、そうだね、成瀬さんは悪くないよ。ファッション業界の怠慢が生んだ悲劇だよね」


 別にファッション業界に恨みはないが、ここは犠牲になってもらうしかない。

 このままだと、成瀬さんのメンタルがボロボロになりそうだし、必要な犠牲だ。


 とはいえ成瀬さんは高潔な精神の持ち主のようで、こんなときでもファッション業界をあしざまに罵ったりはしなかった。


 その代わり、床に座りこんだ彼女はがっくりと項垂れている。

 顔を両手で覆っているところを見ると、自身を責めている様子だ。


「もうやだぁ~、萌花ちゃんに恥ずかしい所みられたぁ~。バカだと思われたぁ~」


「べ、べつに思ってないから……勘違いなんて誰にでもあるって……」


「下着姿の感想を聞いてくる、変態女だって思われたぁ~」


「……」


「やっぱり思ってるぅ~! 否定がないぃぃ~!」


「ち、ちがうから、別にそんな……成瀬さんは単なる被害者。変態とかそういうのじゃないよ。そもそもパンツ姿で街を出歩くの、ちゃんと拒否してたじゃん。やっぱり変態じゃないって」


「……それはたしかに……」


 私の説得が功を奏したのか、手で顔を覆うのはやめて、子どものように口をとがらせながらも、こっくりと頷く成瀬さん。

 良かった、この感じなら意外とメンタルの復活も速そうだ。


「……でも」


「ん?」


 成瀬さんは床に座り込んだまあ、上目遣いでこちらを見てくる。


「わたし……萌花ちゃんにパンツみせるのは拒否しなかった……」


「…………」


「うううう~、やっぱりわたし変態だぁぁぁ……」


 しまった、なにか返事をするべきだったか。


 ……けれども。

 確かに私も、そこが気になってはいたのだ。


 あんなに嫌がっていたパンツ姿の披露を、なぜ私にだけはOKしてくれたのだろう?


 同性の友達だから?

 情熱的に頼んできたから?

 

 たしかにそれもあるだろう。


 でも、真っ赤な顔で、もじもじしながら私に下着姿の感想を尋ねてきた、成瀬さんのあの恥じらいっぷり。

 あれは単なる友達に見せる態度だろうか……?

 

 もしかして……いや、さすがにうぬぼれすぎだとは思うけど……。


 彼女にとって、私は特別だったりするのか……?

 恥ずかしがりやな彼女が、下着姿を見せても良いと思うほどの特別……?


「うううううううぅぅぅ~」


「あ~、ほら……よしよし」


 試着室の中で頭を抱える成瀬さんを慰めながら私は、頬だけでなく全身が熱くなるのを感じていた。

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