第15話 孤独の理由(前編)

「ねえ、萌花ちゃん」


「……!」


 成瀬さんから普通に声を掛けられただけなのに、ビクッと反応してしまった。

 いけない。

 神経が過敏になっている。


「……なに?」


「もしかして、体調が悪いんじゃない? わたしの家が近いから、ちょっと休もう?」


「え……?」 


 周囲を見回すと、私が立っていたのは、夕日に照らされたいつもの通学路。

 さすがに驚いた。

 あの路地裏からここまで、いつの間に来ていたんだろう……?

 必死過ぎたせいで、なにも覚えていない。


 掴みっぱなしだった成瀬さんの手をスッと放した私は、冷静を装って答える。

 

「大丈夫。ここからなら私の家だって近いし……」


「でも顔色が悪いよ?」


「……家で休むから」


「おうちには誰かいるの?」

 

「……」

 

 黙り込む私を見て、成瀬さんの瞳が強い光を放った。


「送るから。萌花ちゃんのお家まではぜったいに送る」


 それは彼女らしくない、強引な宣言。

 よほど私は危うい状態に見えるらしい。


 心配してくれるのはもちろん嬉しいが、それでも私の答えはすでに決まっていた。

 

 成瀬さんを巻き込まないためにもここで別れる、それしかないのだ。

 

 ただ――。


「ね? おうちまで送らせて? そうしないと、わたしが安心できないから……」


「……」


「ね……?」


 まるで母親のように心配そうな表情でこちらの顔を覗き込んでくる成瀬さん。


「……うん……」

 

 そんな彼女の瞳を見つめているうちに、私は自然と頷いていたのだった。


◇◇◇◇


 見慣れた一軒家にたどり着いた私は、玄関の鍵を開け、後ろを振り返る。


「ここまでで大丈夫だから」


「…………」


 成瀬さんはなにか言いたげな表情でこちらを見ていた。


 もともと家まで送るという話だったわけで、すでにその約束を果たした以上、このまま彼女を無視して帰ってもいいわけだけど……なぜだかそんな気になれない。


 どうしようか悩みつつ見つめていると、彼女は意を決したように口を開いた。


「……萌花ちゃんのおうちって、いま誰もいないんだよね? やっぱり心配だし、ちょっとあがらせてもらってもいい? しばらく萌花ちゃんの様子を見て、大丈夫そうならわたしも帰るから」


「……」


「ね……? そうしよ?」


「……うん」


 またもや断りきれず、頷いてしまう。


 ……もしかして私は、心細いのだろうか……?

 

 そうかもしれない。

 彼女が一緒にいてくれることが、素直にありがたかった。


「私の部屋、2階だから」


「あ、うん、わかった」


 玄関、廊下、そして階段と、成瀬さんは私のあとを、きょろきょろしながらついてくる。

 まるで子どもだ。

 こんなときだというのに、なんだか微笑ましい。


「ここが私の部屋。お先にどうぞ」


「う、うん……」


 恐る恐るといった感じで私の部屋に足を踏み入れる成瀬さんに続いて、私も入室し――ハッとした。


 自身の失策に気づいたのだ。


 頭がクラクラしながらも、いつもと変わらない私の部屋を見回す。


 棚に並んだぬいぐるみは、相変わらず可愛い。

 ハンガーにはふわモコパジャマが掛かっている。

 これも可愛い。


 壁紙はピンク。

 というか、部屋全体がほんのりピンク

 枕にいたっては、ほんのりどころじゃないピンク。

 可愛い。


 この部屋は世界一可愛い部屋と言っても過言ではない。


 ……そんな部屋に私が暮らしている。

 可愛いからほど遠い私が、暮らしている。


 ……見られたくなかったし、知られたくなかった。


 成瀬さんはいま、私の部屋を興味深そうに眺めているが、口を半開きにしているところを見ると、呆れてしまったのだと思う。

 本当に私なんかには似つかわしくない部屋なのだ。


「ごめん、ベッドで横になる」


 気まずさのあまり制服のままそそくさとベッドにもぐりこんだ私は、布団を頭からかぶりながら、自身の迂闊さを呪った。


 成瀬さんを家に入れたこと自体はまあいい。

 そうでもしないと成瀬さんも納得しなかっただろうから仕方が無い。


 でもどうして彼女を自室に招いてしまったんだ……。

 こうなることは分かりきっていたのに……。

 

「……」


 布団の隙間から顔だけ出して、成瀬さんの様子をうかがう。

 予想と異なり、彼女は部屋を見回してはいなかった。

 ベッドの脇に正座して、こちらをじっと見つめている。


「大丈夫……?」


 心配そうな彼女の瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいた。


 それを見ているうちに、私の心も落ち着いてくる。

 いまの成瀬さんにとって、部屋の違和感なんてどうでもいいことなんだろう。


 たしかに冷静になってみればその通りだと思う。

 そもそもこの状況で、そんな心配をした私のほうがどうかしている。


「あの人たちと会ってからだよね」


「……え?」


 成瀬さんの目には、いつのまにやら静かな怒りが浮かんでいた。

 むろん私に向けられたものではないはずだ。


 私を追い詰める者への怒り。

 私がそそくさと布団に潜り込んでしまったので、その理由を勘違いした成瀬さんは、感情を抑えきれなくなってしまったのだと思う。

 これもまた、私の失策だ。

 

「路地裏にいた、あの不良みたいな人たち。あの人たちとなにかあったの? 萌花ちゃんの様子がおかしくなったの、あれからだもん」


「違うよ……そういうのじゃない……」


 成瀬さんのただならぬ様子に気圧されながらも、否定する。

 私の言葉は単なる事実だったわけだが、彼女は信じなかったようで、グッと身を乗り出してきた。


「あのね、わたしは萌花ちゃんの味方だよ。だから、なんでも話して……!」


 義憤に燃える彼女の瞳を間近で見ながら、私は心配になってしまった。


 彼女を巻き込まないためにも事情を話さないつもりだったが、それは本当に正しい選択なのだろうか?


 このままだと、再び不良集団に出くわしでもしたら、「萌花ちゃんになにをしたんですか!」とか問い詰めに行ってもおかしくない気がする。


 わざわざ自分からろくでもない連中に絡まれに行くようなもので……成瀬さんが危険すぎる。


「わたし、萌花ちゃんが苦しんでいるのに見て見ぬふりなんてできない。ひとりで抱え込まないで、一緒になやもう? 一緒に解決方法を探そう? ひとりじゃ無理でも、ふたりならなんとでもなると思う」


 あるいはそれは正論かもしれない。

 でも、たとえ何人集まろうと、無理なものは無理で……そのことを私は、過去の経験で知っていた。


 でも。


「…………」


 まっすぐ見つめてくる成瀬さんの視線に耐えきれず、ソファの上で仰向けに転がり直し、天井を見上げた。


 たったふたりでも、なんとかできることだってある。

 そのこともまた、私は過去の経験で知っていたのだ。


「……」


 成瀬さんの視線を、頬に感じる。

 

 今の彼女は、私にどんな瞳を向けているのだろう?

 怒り? 悲しみ? それとも、心配?

 

 たとえどんなものだったとしても、そこには成瀬さんの強い想いが詰まっているはずで。


 そんな彼女のまっすぐな気持ちに、私はきちんと向き合うべきだと思った。


「私ね……」

  

 苦しい告白。


 結局ひとりで抱え込むのに疲れた私は、いろいろと理由をつけて、成瀬さんにすがりつこうとしているだけなのかもしれない。


 けれど、どちらにせよ私はもう限界なのだ。


 絶対に秘密にすると決めていたのに、言葉が自然と零れ落ちる。


「中学生の頃……喧嘩したんだ……」


「ケンカ……さっきの人たちと?」


「ううん。たしかに街の荒くれ者って意味では似てるかもだけど、そうじゃなくて……」


 記憶を横切る黒い影。

 そして忌まわしい、奴らの叫び。

 

 チクチクと刺激されるトラウマの痛みに耐えながら、私は告げた。

 

「――街中まちじゅうのカラスと喧嘩したの」


「……」


 しばしの無言。

 チラリと視線を向けると、成瀬さんは難しい顔をしていた。

 内容を吟味しているような、そんな表情。

 

「それは……本物のカラスってことだよね……?」


「うん」


 ……本物じゃないカラスってなんだろう……?


「あのカーカー鳴いてるカラスとケンカ……? ……そ、そんなことある……?」


「あるよ。成瀬さんは知らないかもだけど、気性が荒いんだ、関東のカラスって……」


「いや、田舎のカラスも気性は荒いけど……ええぇぇ……? そ、そもそもカラスとケンカってどういう状況……? 向こうから襲い掛かってくるって事?」


「うん……何百というカラスが、上空からわたし目掛けて襲いかかってくるんだ……」


「ケンカっていうか、もはや襲撃だ! な、なんでそんなことに……」


 本当に、どうしてあんなことになったのか……。

 いやもちろん、その発端は覚えている。

 少なくともそのときは、ここまで尾を引く事件になるとは思いもしなかった。


「最初は……人助けだったんだ」

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