第5話 大好き

 彼女の言葉は続く。


「っていうか萌花ちゃんって、わたしのメッセージに返事してくれたことないよね。毎日のように送ってるのに、全部既読スルー。いくら私の冗談が面白くないからって、そういうの良くないと思う」


「それは……その……」


 返事をしようとしたが、答えに詰まってしまった。

 『あのときは鬼状態だったから』という言い訳はすでに潰されている。


 いやそんな言い訳、一度でも通用したのが奇跡だと思うけど……。


「これに関してはわたし、ほんとに怒ってるからね。なんなら今回はわたしのほうが鬼になってるから」


 成瀬るうはそう言いながら、両手の人差し指を頭上に持っていき、頭をゆらゆらと揺らしてみせた。

 おそらく鬼のつのに見立てているのだろう。

 どちらかというとそれは鬼というより牛のモノマネのようだったが、今はそんな批評をしている場合ではない。


 だって、これは彼女が1ヶ月間溜め込んできた気持ちの発露。

 冗談のような振る舞いを真に受けて、てきとうに返事をすれば、手痛いしっぺ返しが待っているはず。

 私たちの関係がここで終わる可能性だって普通にあると思う。


 けれど……どう説明すればいい?


 私が彼女のメッセージに返事をしなかったのは、ただ単に反応できなかったから。 

 面白いとかつまらないとか、そんなことは考えもしなかった。

 単純に意味が分からず、だから返事にきゅうしたのだ。

 

 ……そのことを率直に伝えてよいものか。


 本人としては面白いと思って送ったようだし、あまりストレートな感想を伝えると、ショックを与えそうな気がする。


 それこそ「鬼状態でよく分かりませんでした」とでも返答したほうが、結果的には丸く収まるかもしれない。


 でも……。


「…………」


 私の沈黙が長引いたせいか、いつの間にか成瀬るうは両腕を膝の上におろし、しょんぼりとしていた。

 

 おどけてみせただけで、彼女が傷ついていたのは事実なのだろう。

 その悲しげな表情に胸がチクチクと痛む。


 ……これ以上ごまかしたくない。

 たとえそれが、どんな結果を招いたとしても。


「ごめん。どう返事しようか悩んだけど、成瀬さんが送ってくれたメッセージの意味が、その……よく分からなくて。だから無視する形になった」


「なら意味がわからないって返してくれたらよかったのに」


 私の言葉を単なる言い訳と受け取ったのか、彼女は寂しそうに笑っている。


 その表情が私の心にズシンと重くのしかかり――そして気付いた。


 ――私は、彼女のこの顔を見たくなかったのだ。

 私への失望がありありと浮かんでいる、この顔を。


 素直な感想を伝えたら、彼女が傷つく?

 違う、それは単なる言い訳だ。


 私が本当に恐れていたのは、むしろ逆で……。


「成瀬さんに嫌われたくなかったから……」


「え?」


 ぽつりとつぶやくと、よく聞き取れなかったのか、成瀬るうは首を傾げていた。

 こんな状況でも彼女のことを可愛いと思ってしまう自身の愚かさに内心呆れつつ。


 目を伏せた私は、力なく笑う。


「せっかく送ってくれたメッセージに意味が分からないなんて返信したら、『この人とは話が合わない』って思われるかもでしょ? ――私は、自分が傷つくのが怖くて、だから返事をしなかったの。……でも、身勝手な判断だったね。結局はそのせいで、成瀬さんを傷つける事になったから」


「……………………」


 彼女の沈黙は長かった。

 

「……………………」


 本当に長かった。

 成瀬るうから返事はないが、まあそういうことだろう。


 ため息をつきながら目を向けると、彼女はぽかんと口をあけたままこちらを見ていた。


 ……え、これどういう反応……?

 『まあそういうことだろう』とか思いつつ視線を上げたけど、どういうことか全く分からない……。


 しばらく見守っていると、口を半開きにしていた彼女にようやく動きがあった。


「萌花ちゃんって……」


「な、なに?」


「なんか可愛いよね」


「か、かわいい?」


 それは予想だにしない表現だったが、本人は言葉にすることでさらに納得できたのか腕組みをしてうんうん頷いている。


「素直で子どもっぽいっていうか……思っていることをそのまま全部話してくれる感じがすごく可愛い。見た目の印象とかなり違うから、ちょっとびっくりしちゃった」


「…………」


 これトータルではバカって言われてない?

 だいぶ穏当な表現を使ってくれてるけど、バカの子扱いされてる気がする。


 まあ、嫌われてるわけではなさそうだし、別にいいけど……。

 

「メッセージを無視した理由だってそうだよ。萌花ちゃんなら『面倒だったから』ってクールに言っても許されるところなのに、実際は『成瀬さんに嫌われたくなかったから』でしょ? それはさすがに可愛すぎるよ。胸がキュンキュンしちゃったからね」


「む、胸がキュンキュン……?」


 略して胸キュン?

 やけに沈黙が長いと思っていたが、ぽかんと口を開けた状態で、彼女はそんなことになっていたのか……。


「ほんとにこんな展開になるなんて予想外だったな~」


 それに関してはまったく同感ではあったが。

 続く彼女の言葉は、私にとってさらに予想外のものだった。


「正直言うとさ、萌花ちゃんにメッセージを無視されるのもしょうがないかなって思ってたんだよね」


「え……?」


「だって、そもそも無理やりわたしが声をかけて友達になっただけでしょ? うるさくまとわりつくから相手してくれてるだけで、実際はわたしのことなんてどうでもいいから、だからメッセージにも反応がないのかなって――」


「そんなことない……!」


「……!?」

 

 自分でも驚くほど強い否定の言葉が出た。


 成瀬るうもこちらの勢いにびっくりしたのか、軽くのけぞっている。

 なんだか恥ずかしくて、私の視線は教室中をさまよう。

 他に誰もいなくて幸いだ。


「ごめん……でも成瀬さんのことどうでもいいと思ってるとか、そんなことないから」 

 

「えへへ~、そうみたいだね~」


 彼女はニヤニヤと笑っている。


「でもそれならもっと早く、このことを話しておけば良かったな~。そしたら萌花ちゃんを悩ませなくてすんだのに。だって返事なんて、本当になんでも良かったんだよ。適当にスタンプをポンって押すだけで、わたしは大喜びだもん」


「そう……なの?」


「そうなの!」


 やけに笑顔で言い切るものだ。

 彼女の眩しさに目を細めつつ、私は頷く。

  

「……ん、分かった。これからは返事に困ったときでも、スタンプは絶対に押すようにする」


「ほんと?」


 にへらと笑う彼女は、スマホをいじりだす。


「じゃあ、さっそく練習しよっか。今からメッセージを送るから、ちゃんと返事してね」


 返事の練習……?

 ようはスタンプを押せということだろうが……。


「えっへっへ〜」

 

 成瀬るうが楽しそうに笑い出すのと同時、震え出す私のスマホ。

 彼女から送られてきたメッセージは――。


 『拙者、わんぱく侍でござる』


 ……まあ、いつもの感じで、意味不明なヤツだ。

 スマホに慣れていない彼女は、思いついた言葉をなんの加工も施さず、生まれたままの姿で相手に送り付けるという悪癖があるらしい。


 あるいは中学までの友達ならそんな奇行も慣れたもので、彼女が欲しがる反応を見事に返せたのかもしれないが、まともな交友関係を育んでこなかった私にそんなマネができるはずもない。


 いかにも陰キャらしく、見て見ぬふりをするのが精いっぱいだったわけだ。


 けれどこれからは違う。

 なんといっても本人の許可があるわけで。


 私はどこか晴れやかな気持ちでスタンプを選んだ。


「あ、きた」


 彼女は嬉しそうにスマホに視線を落とし――ポッと顔が赤くなった。

 そして照れと困惑が混ざったような、なんともいえない表情で、こちらをチラチラと見てくる。


 たしかにスタンプでも大喜びするとは言っていたが、さすがに反応がおかしいような……。


「えっと、萌花ちゃん、あの、これはどういう意味……? この『大好き』っていうのは……」


「どういうって……」


 伏し目がちに尋ねてくる彼女の不自然さに首を傾げつつ、自身のスマホを見返した。


 わたしが送ったのは、真っ白でふわふわなワンコのキャラクターが、「大好き」と書かれたハート形のチョコを持っているスタンプ。


 もちろん意味なんて決まっている。


「だって、大好きだから」


「……えっ……」


「この犬のキャラクター」


「そっちか……!」


 彼女は握りこぶしを机に押し付け、クッと悔し気にうめいていた。

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