第6話 イチゴオレ
「うー……」
昼休み。
ガラガラと教室の扉をあけ、姿をあらわした成瀬さんは、パンをいくつも両手に抱えたままがっくしと肩を落としていた。
「イチゴオレが売ってなかった……」
「そっか」
すでにお弁当を食べ終え、ごちそうさまをする私に、足取り重くペタリペタリと近づいてくる彼女。
休み時間になった途端、うきうきと購買へと向かう姿を見ていただけに、なんだか不憫ではある。
「おかしくない? いつもは売ってるのに、わたしが買おうとしたら 売り切れてる」
そう嘆きながら着席した彼女は、わざわざ椅子ごと振り向き、私の机に顎を乗せてぷーっと頬を膨らませていた。
思い浮かんだ言葉はいくつもある。
もちろん真っ先に思い浮かんだのは『
イチゴオレ――この学校において、人気最上位のフルーツ飲料。
学外の自販機ではあまり見掛けない紙パック製で、ペットボトルに比べると量が少なめだがその分値段も安いので、特に節約志向の女子生徒から絶大な人気を誇っていたりする。
もっとも自販機事情に詳しい担任の先生いわく、ここまで爆発的な人気になったのはつい最近の話だとか。
もともとイチゴオレを愛飲していた私としては、仲間が増えて素直に喜んでいたわけだが、売り切れレベルにまで需要が高まっているとなると考えを改める必要があるかもしれない。
もっとも考えを改めたからといって、私になにができるというわけでもないけど……。
「せっかくパンを買ったのに……」
「……水で食べればいいじゃん」
「え~?」
「いや、えーじゃないよ。いつもは水で食べてるよね?」
「いつもはそうだけど、今日はいちごオレの気分だったの~」
うめく彼女は顎を乗せたまま、買って来たばかりの菓子パンを私の机の上に並べていく。
「先に自動販売機を見とけばよかったな~。売り切れだって知ってたら、そしたら、わたしだってちゃんと水に合うパンを買ったよ。よりにもよって、イチゴフェスティバルを開催しようとしていた日に、イチゴオレが売ってないなんて……」
イチゴ味のジャムパンに、ストロベリークリームを挟んだパン、そしてストロベリーチョコレートでコーティングされたドーナツ。
私の机の上に置かれた菓子パンは、どれも甘いものばかりだ。
そして、すべてイチゴを使っている。
この胸焼けしそうな集団に、更にイチゴオレを加えてフェスティバルを開催するという発想はイマイチ理解しがたいが、他人の好みに口を挟む気は無い。
だから私が口を挟もうと考えたのは、まったく別の理由から。
――心当たりがあったのだ。
購買以外にも、イチゴオレを扱っている自販機があることを私は知っていた。
「そんなに飲みたいの、イチゴオレ」
「……飲みたい」
「――5分待てる?」
「え?」
「食べ始めるの、5分待てる?」
「……ま、待てるけど……え、どうする気なの?」
「成瀬さんはここで待ってて」
「ちょ!?」
驚く成瀬るうを尻目にその場で立ち上がった私は、急いで教室の出入り口へ向かう。
説明をする気は無かった。
売り切れの可能性がある以上、ぬか喜びさせたくない。
「ちょ、ちょっとちょっと」
けれど彼女の反応は意外と素早く、真横を通ろうとする私の制服の裾をギュッと握りしめる。
「も、もしかして、イチゴオレを探しに行くの?」
「……まあね」
さすがにこの状況だとバレバレか。
まあ隠せるなんて思っていなかったからこそ、大急ぎで教室を出ようとしていたわけだが。
なんにせよ彼女に変な期待を抱かせてしまう前に、私は言葉を続けた。
「探すっていうか売ってる場所に心当たりがあって。ただ、売り切れてるかもしれないし、成瀬さんは教室で待っててくれる? ふたりで行く意味はないからね」
「売ってるか分からないのならむしろ一緒に行ったほうがよくない?」
成瀬るうは首を傾げていた。
反論というより単純に疑問だったのだろう。
「もしイチゴオレが無くても、ふたり一緒だったらお散歩みたいなものだもん。少なくとも教室でぼんやり萌花ちゃんの帰りを待つより、よっぽど楽しいと思う」
「……」
……なるほど、正論だ。
というか、わけもわからず待たされるというのは、ちょっとつらすぎると思う。
単独行動に慣れていたせいか、気を遣ったつもりの行為がかえって裏目に出ることが多い私なので、すぐに指摘してもらえて本当に助かった。
「たしかにそうだね。じゃあ、一緒に行こうか」
「やった!」
跳び上がるようにしてその場に立ち上がる彼女は、えへへと笑いながら問いかけてきた。
「ちなみに萌花ちゃんの心当たりってどこなの?」
「職員室だよ」
「…………へ、へー」
予想外だったのか、成瀬るうの表情はひきつっていた。
まあ、わたしたちには縁遠い場所だし、気持ちは分かるけど。
◇◇◇◇◇
「しつれいしま~す」
ノックしたあと声を掛け、がらがらと職員室の扉を開けた。
「お? おおお?」
びっくりした顔でこちらを見ているのは、白衣を着た若くて小柄な女性。
――我らが担任のみかん先生だ。
よかった、彼女がいるなら話が早い。
先生は乱雑な自分のデスクを離れ、こちらに近寄ってくる。
「どしたどした、キミたちがわざわざ職員室にくるとは、珍しいじゃないか。もしかしてフルーツ不足かね。最盛期を迎えた先生のみかん畑から、たわわに実った果実を収穫しようと思ったのかね」
そう言いながら手に持っていたみかんをこちらの身体に押し付けてくる先生。
彼女の名前は
実家がミカン農家だそうで、定期的に段ボール箱いっぱいのミカンが送られてくるらしく、タイミングが合えばこうしておすそ分けしてくれるのだ。
そんなみかん先生から、丸々として美味しそうなみかんを素直に受け取りつつ、私は静かに首を振る。
「ありがとうございます、でも違うんです。例の自販機を使わせてもらいたくて」
「おお、イチゴオレ目当てか。いいぞ、いいぞ」
「……自販機? 職員室に?」
そのつぶやきが聞こえたのか、先生は職員室の奥にある古びた扉に向かいつつ、こちらを軽く振り返る。
「るう君は知らなかったか。かつて職員室の奥に喫煙スペースがあったのだが、こんなご時世だ廃止になってしまってね。自販機だけが残ったのだよ」
「その自販機、私たちも使っていいんだって」
「へ~」
「うむ。まあ、場所が場所だから我々に声を掛けてもらう必要があるし、はっきり言って使う生徒はいない。……ごく少数の例外を除いて」
「それが萌花ちゃん?」
「まあそういうことだな」
「でも私も、担任がみかん先生だから来てるだけだよ。他の先生と違って、みかん先生は話しやすいから。そうじゃなかったら私だって、職員室に行こうなんて考えもしなかったと思う」
「ほう、そうか。萌花くんは嬉しいことを言ってくれるなぁ」
自販機の前までたどりついた先生は、よほどうれしかったのかニコニコの笑顔でこちらを振り返る。
そんな彼女に私は頷いた。
「みかん先生はちっちゃくて可愛いから、人見知りの私でも声を掛けやすい。なんか先生っていうより、親戚の子と話してる感じになる」
「……親戚の子……?」
ぼんやりつぶやくみかん先生。
その瞳から、一瞬で光が失われてしまった気がする。
もしかして失言だったか?
「あの……表現を間違えました。親戚の優しいおねえさんと話してる感じ、です」
「ほーう、そうかぁ。まったく、末っ子の私がおねえさん扱いされる日がくるとは……ふふふ、なんともくすぐったいことだなぁ」
もしかすると子ども扱いがNGかと思い、おねえさん扱いしてみたが、正解だったらしい。
にやにやと笑いながら首を振っている。
……やっぱり子どもっぽい。
可愛いし、頭を撫でたい。
「あ、あった! しかも売り切れてない!」
おっと、ここに来た目的を忘れていた。
視線を向けると、成瀬るうはすでにイチゴオレの購入を済ませたらしく、その手には紙パックが握られていた。
そして自販機に売り切れの表示は出ていない。
…………。
「私も買っておこうかな、イチゴオレ……」
「うむうむ、そうするといい」
上機嫌に頷くみかん先生。
別に先生の許可が出たからというわけでもないが、ここまで来たのだ。
せっかくだし私も買っておこう。
◇◇◇◇◇
「はぁ~、やっぱり最高だよ、イチゴフェスティバルぅ……」
「みたいだね」
やはり、成瀬るうには明るい笑顔が良く似合う。
教室に戻った彼女は、今までの
私もイチゴオレのほのかな甘みを堪能しながら、フェスティバルを楽しむ成瀬るうを見守る。
……しかし彼女のこの食べ方なら、別にイチゴ味のパンじゃなくても良い気がするんだけどな。
どうせイチゴオレだけでも口の中はイチゴ味になるんだし……。
「萌花ちゃんも食べる?」
成瀬るうはそう言って、食べかけのクリームパンをこちらに差し出してきた。
どうもジッと見つめていたせいで、私も食べたがっていると勘違いさせてしまったらしい。
「いや別にいいよ」
もらったみかんを机の上でごろごろ転がしながら、私は首を振った。
なんだかんだで陽キャなところのある成瀬るうは、間接キスなど気にもしないのだろう。
けれど私は違う。
すっごく気にする。
だって、間接とはいえキスなのだ。
成瀬るうと私が――キス……?
いやいやいやいや。
「でもせっかくだし、萌花ちゃんと一緒にイチゴフェスティバルを開催したいなぁ~」
期待のこもった上目遣い。
断るのも心苦しいが、でも間接キスって……。
それはさすがに恥ずかしい……。
私はイチゴオレに挿したストローに口をつけながら、モゴモゴとつぶやく。
「……別にイチゴオレだけで、イチゴフェスティバルは開催できるから」
「た、たしかに……!」
彼女はハッとしていた。
苦し紛れのいいわけだったが、幸か不幸か納得してくれたようだ。
いや、もちろん納得してくれたのだから、幸に決まってるんだけど。
不幸なはずはないんだけど。
なのになんで私はがっかりしてるんだろう……?
「イチゴオレなら単独でフェスティバルを開催できるよね。それだけの人気と実力があるもん」
そう重々しく頷きながら、再びイチゴオレに手を伸ばす成瀬るう。
紙パックを持ちあげた彼女は、片手で髪を押さえつつストローを口元へ。
ついばむようにして、ちゅうちゅうと飲み始めた。
「…………」
濡れて光る彼女の唇が、妙に色っぽく見える。
いや、友達に対してそんな感想を持つべきでないと分かってはいるんだけど……。
でもやっぱりなんか色っぽい……。
「…………うん?」
視線を感じたのか、成瀬るうはキョトンとした表情でストローから口を離す。
その瞬間、彼女の唇がぷるんと震えた。
それはとても柔らかそうな動きで……。
――触れてみたい……。
「……っ!?」
自身の発想にハッとした私は、思わず目を伏せた。
「なに? どうかした?」
「う、ううん」
やばい。
間接キスを意識したせいか、成瀬るうの唇のことばかり考えてしまう……!
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