第7話 ふたりでお買い物
今日も今日とて、昼休みの時間がやってきた。
特に約束をしているわけでもないが、成瀬るうはいつものように机ごとクルリと回転。
私の正面で、にこにことお弁当箱を広げだす。
「……」
落ち着かない。
こちらはすでに食事の準備も終わり、タコさんウインナーを箸でつまみ上げたりしているが――正直言って気もそぞろだった。
チラチラと彼女を見てしまう。
いや正確に言うと、私がつい見てしまうのは、彼女のその艶やかな唇だ。
間接キスを意識してからというもの、ことあるごとに私の視線は彼女の口元に向かっていた。
我ながらどうかしている。
これじゃあまるで変態のようだ。
……いやもしかして、本当に変態だったり……?
「あ、そうだ」
そんなとき、なんの前触れもなく顔を上げる成瀬さん。
私は慌てて目をそらし――すぐに後悔した。
だって、いくらなんでもこれでは反応が露骨すぎる。
下心があって唇を見つめていたと勘違いされても不思議ではない。
「あのね、萌花ちゃんに頼みたいことがあるんだけど……」
とはいえ幸いなことに、彼女は私の変質者じみた視線に気づくことはなかったらしく、右手で箸を握りしめながら朗らかに言葉を続けていた。
「放課後ちょっと買い物に付き合ってくれない?」
「買い物?」
「うん。わたしって田舎から引っ越してきたでしょ? お洋服とか、文房具とか必要なものがいろいろあるから、今のうちに揃えておきたくて」
「…………」
すでに入学から1ヶ月以上たっているこのタイミングで……?
そんな疑問が浮かんできたが、すぐに思いなおす。
むしろ逆か。
新生活が落ち着いてきたこのタイミングだからこそ、足りないものに目を向ける余裕ができたのだろう。
ただ……。
「買い物……」
「隣の街に、おっきなショッピングモールがあるって聞いたから、そこに行ってみたいんだけど……ダメ……?」
成瀬さんは、期待で瞳をキラキラと輝かせながら、可愛らしく首を傾げている。
そんな彼女をジッと見つめつつ――本音を言えば、私は迷っていた。
街に遊びに行くのは、どうしても気が引ける。
――暗い過去が頭をよぎるせいだ。
自分だけではなく他人にまで不幸を撒き散らしてしまった、あの苦い記憶。
もちろん、すでに終わった話だと頭では分かってはいるが……。
……いや、そうだ。もう終わった話なのだ。
思い出すのは、やたらと蒸し暑いあの夏の日。
額に汗をかきながら山を登って、私はすべてにケリをつけてきた。
あの日以降、路地裏でたむろする『彼ら』と遭遇したこともあったが、向こうは興味なさげに目をそらすだけ。
きっと、私のことなど忘れてくれたのだろう。
なのに、こちらだけいつまでも気にしていたって仕方がない。
「わかった。今日の放課後だね」
「やった!」
無邪気に喜ぶ成瀬さんに微笑みを返しながら……私は静かに覚悟を決めていた。
――もしなにかあったら。
そのときは私が身を挺して、成瀬さんの安全を確保しよう。
◇◇◇◇◇
青々とした街路樹に、歩道を駆け抜ける心地よい風。
夕方の街は、爽やかだった。
私の隣には制服姿の成瀬るう。
風の影響かあるいは歩幅が大きいのか、彼女が歩くたびにスカートが脚に絡みついていて、私の視線を頻繁に奪い取る。
――可憐だ。
ともすればセクシーと形容したくなるような光景だったが、彼女のその軽やかな足取りと、こちらに向ける天真爛漫な笑顔が、私の心に巣食う邪念を
……いやまあ完全には叩き潰せていないからこそ、彼女の脚に視線が向かうのかもしれないが……。
なんにせよ、来てよかった。
『彼ら』の姿も見えないし、ウジウジと悩んでいたのがバカみたいだ。
「制服のまま寄り道するのって、憧れてたんだよね。うちの中学はそういうの禁止だったからさ~」
こちらを振り返り楽しそうに話す成瀬さんは、がっくりと肩を落とす。
「……まあそもそも、寄れるようなお店なんて無かったんだけど……」
「そっか」
「ほんとうに寂しい学生生活だった~」
そう言いながらぶんぶん首を左右に振る彼女は、「だから田舎はダメなの」と言いたげな態度だが、寄り道の経験は私も無かったりする。
どれほどお店があろうとも、行かないのなら存在しないのと同じだ。
そう考えると、いろいろなお店があるのに行こうとすら思わなかった私のほうが、寂しい学生生活を送ってきた気がしなくもない。
「それにしても……」
つぶやきながら足を止める成瀬さん。
彼女は目の前にそびえたつショッピングモールを、やけに遠い目で見上げていた。
「……なんでうちの田舎にあるショッピングモールより大きいんだろ……。向こうのほうが余ってる土地、たくさんあるはずなのに……」
「需要と供給ってやつじゃない?」
「あると思うんだけどなあ、田舎にも需要が……」
嘆く彼女と共に大きな自動ドアを通過、ショッピングモールの内部へ。
通路に出たとたん、彼女はギョッとした様子で立ちすくんでいた。
「け、けっこう人が多いね。お祭りみたい」
「お祭り……」
それはさすがに言い過ぎだとは思うが、たしかに平日にも関わらず真新しいショッピングモールはかなりの賑わいをみせていた。
女性のお客さんが多いようだが年齢層はばらばらで、私たちのような制服姿の学生だけでなく、意外と高齢者も多い。
あまり来たことが無いので知らなかったが、特にセールをやっている感じでもないので、きっといつもこうなのだろう。
成瀬さんは人混みを避けるように通路の端までそそくさと移動し、壁を背に緊張の面持ちで周囲をきょろきょろと見回している。
「とりあえず成瀬さんはどうしたい? まず洋服から?」
私が話しかけると、彼女はどこかホッとした様子で頷く。
「そ、そうだね、とりあえずお洋服が見たいかな。えっと……イマドキの都会の子が来てるような服は、どこで売ってるのかな?」
「そんなあやふやなこと言われても……」
まあ要は、同年代の女性に人気の服を知りたいのだろうが。
もう少し情報が無いと、さすがに返答のしようがない。
「こういうジャンルの服が良いとか、ここのブランドが気になってるとか、もう少し具体的な要望はある?」
尋ねると、彼女はやけにまっすぐこちらを見てきた。
そしてきっぱりと言い切る。
「ない」
「ないんだ……」
「わたし、ファッションに詳しくなくて……だから中学のときも、基本的にはお母さんが買って来てくれた服を着てたというか……」
「へえ」
意外だ。
この口ぶりだと、母親と一緒に買いに行って選んでもらった、というわけでもないらしい。
完全に母親任せだったのだろう。
成瀬さんは黒髪がとても綺麗だし、制服の着こなしもどことなく優雅なので、なんとなくオシャレなイメージがあったが、少なくとも洋服に関しては小学生男子と同程度の感性しか持っていないと思ったほうがいいのかもしれない。
「でもこっちに引っ越して来たら急に『高校生になったんだし、自分の洋服くらい自分で選びなさい』ってお母さんに言われちゃって……。ひどくない……?」
「なるほど、ひどいね」
もちろん母親なりに心配して、そういう対応を取ったのだろうが、いくらなんでも急すぎるとは思う。
せめて「一緒に洋服を買いに行こう」くらいのところから始めればよかったのに、これでは我が子をいきなり谷底へ突き落すようなものだ。
……いや、もしかしてそれが狙いか……?
実際、
母親としてもこの展開を望んでいたような気はする。
依存先が母親から友人に変わっただけ――そう言えなくもないだろうが、けれど誰だって最初はそんなものだろう。
ゆっくりとでも、一歩一歩進んでいけばいいのだ。
だから。
――ここは私がきちんとエスコートして、可憐な成瀬さんに似合う素敵なお洋服を選んであげよう……!
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