第4話 もっと話したい
「…………」
静かな朝の教室で、自分以外誰もいないことに心細さを感じつつ、窓の外をぼんやり眺めていた。
――視界に映るのはどこまでも果てしない青空。
やけに綺麗に見えるのは、空気が澄んでいるせいだろう。
教室の最後方、中央部という席はこうやって空を眺める分には悪くない場所だ。
もちろん窓際ならさらに良かったが……。
とはいえ文句を言うつもりなんて毛頭ない。
それどころか、窓際の子から席替えを提案されたとしても、私は断固拒否しただろう。
だってここは彼女といちばん近くにいられる特等席。
澄んだ青空のように素敵な光景を、間近で眺めることができるのだ。
と。
「おはよう、萌花ちゃん」
「おはよ」
私が空を眺めているあいだに、例の素敵な光景を生み出す人物――成瀬るうも教室にたどりついていたようだ。
いつものように笑顔で朝の挨拶をしてきた彼女は、スカートを押さえつつ席に座り、カバンから教科書を取り出す。
……なんてことのない日常的な動作なのに、成瀬るうの場合ひとつひとつの仕草に気品があって、思わず見惚れてしまうほど美しい。
そんな『凛とした成瀬』の姿を、背後から見つめていると――。
「ちがった! のんきに準備してる場合じゃない!」
よく分からないが、準備してる場合ではなかったようだ。
彼女は小声で叫んでから、椅子ごと勢いよくこちらを向き、私に怖い顔を向けてくる。
……まあ本人的にはという注釈がつくけど。
だって、怒った子どものような表情に、怖さなんて感じようがない。
ただ愛らしいだけだ。
「あのね、萌花ちゃん。お話があります」
「おはなし?」
「前から思ってたんだけどなんで毎朝毎朝、あんなにすぐ電話を切っちゃうの? もっとおしゃべりしたいのに……」
「……モーニングコールのこと?」
――モーニングコール。
ねぼすけな成瀬るうが、自身の目を覚ますために私に電話してくるという、ちょっと不思議な私たちの日常。
彼女と連絡先を交換したあの日以降、毎日のように電話が掛かってくるようになっていた。
……まあなっていたもなにも、私が「いいよ」と許可を出したからなんだけど……。
実際、こんな小動物的美少女に可愛くおねだりされて拒否なんてできるはずがない。
「寝坊したくないし、萌花ちゃんにモーニングコールしてもいい?」と聞かれれば、内心意味が分からないと思っていても「どうぞ」以外の返答なんてできなかった。
「そうだよ。萌花ちゃんってわたしが『もう少し話したい』って言っても、そんなことお構いなしにすぐ電話を切っちゃうよね? そのあと送ったメッセージも無視したし。なんでそんなひどいことをするの?」
……そうやって改めて指摘されると、たしかにろくでもないな、私。
もちろん「お互いに遅刻しないために、すぐに電話を切った」と伝えることはできる。
メッセージに関しても同様だ。
遅刻を警戒していたのは事実だし、本当にそう伝えてもいいのだが……。
けれど彼女がそんな説明で納得してくれるとは、とても思えなかった。
だって成瀬るうが望んでいたのは、ごく短時間の会話にすぎない。
それこそ1分も話せばじゅうぶんだったはずで、彼女の望みに付き合ったからといって遅刻することもなかっただろう。
だからこそ、彼女は知りたがっているのだ。
すぐ済むはずのやり取りを私が避けた、その理由を。
……だがなんにせよまずは謝罪が必要か。
そう思った私は、成瀬るうに向けて頭を下げた。
「たしかに成瀬さんが怒るのも当然だと思う。本当にごめん。……でも私にも理由があったってことは分かって欲しい」
「……理由?」
「うん」
頷いた私は、彼女をまっすぐ見つめる。
「――成瀬さんの声が、あまりにも可愛いすぎるから」
「…………」
どうやらこの返答は意外だったらしく、彼女は目を白黒させていた。
しばらくたってようやく落ち着いたのか、もごもごとつぶやく。
「……な、なにそれ。わたしの声が……その…………」
「可愛いすぎる」
「う、うん。その……か、可愛いすぎると、なんで電話を切っちゃうの? それ理由になってなくない?」
「そう?」
「そうだよ。むしろ『もっと声を聞きたい!』ってなるのが普通じゃない? 『たくさんお話ししたい!』ってなると思う」
やはり彼女はなにも分かっていないようだ。
私はゆっくりと首を振った。
「それは違うよ。成瀬さんは、自分のふにゃふにゃボイスが、どれほど
「人心を……?」
困惑した様子の彼女を見ながら、私は言葉を続ける。
「モーニングコールのとき、私がどんな状況だったか分かる? 成瀬さんの声があまりに可愛すぎて、意識が飛びそうになってたんだよ」
「意識が飛びそうになってたの!?」
「心を鬼にすることで、なんとか耐えてた」
「そんな対処法があるんだ……」
驚いた様子の彼女は、しばらく考え込んでいたが、やがてなにかに納得したかのようにうんうん頷き始めた。
「そっか、そういうことだったんだ。萌花ちゃんの心が鬼になってたから、だから電話はすぐ切るし、送ったメッセージに返事もしてくれなかったんだね。でもそれはもう仕方が無いよね、だって心が鬼なんだもん」
「……だね。鬼ってそういうところがあるから」
ほんとにそれでいいのかと思わなくも無いが、成瀬るうが納得してくれたようなので、彼女の解釈に乗っかることにした。
この判断によって今後モーニングコールを受けるときの私は、『心が鬼』という謎状態の演技をする必要がでてきたわけだが、それでもここで成瀬るうと喧嘩別れになるよりはよほどいい。
陰キャで口下手な私なので、そうなる可能性も結構高かっただけに、この程度の被害で済むのならめでたしめでたしといった感じだ。
「でも……」
ん……?
どうやら話はまだ終わっていなかったらしい。
考え事をしているのか、彼女は顔をうつむけたまま言葉を続ける。
「その『心が鬼の状態』って今はもう終わってるよね? ……そもそもいつまで続いてたの?」
「……まあそんなに長い時間じゃないかな。電話を切って少ししたらいつもの私が戻ってくる……って感じ?」
彼女の様子に違和感がありながらも、私は冷静を装って返答した。
もちろん内容は、口から出まかせだ。
『心が鬼』という謎状態がどのくらい続くのかなんて、私が知るはずも無い。
「ふ~ん……じゃあ、今朝も家を出る頃には、鬼は消えてたんだ?」
「まあそうかな」
「そっか。だったら――」
顔を上げ、こちらをまっすぐ見つめてくる成瀬るうと目が合う。
その瞬間、背筋がぞくりとした。
普段なら愛らしいとしか思わないその黒目がちな瞳に、嫌な既視感があったのだ。
もちろんその既視感は一瞬で消えてしまったが、それでも私は身震いするほどの恐怖を感じていた。
それは現在ではなく、過去への恐怖。
――きっと致命的な問いかけが来る。
あのときとはまるで状況が違うけれど、でもきっとあのときと同じように私は追い詰められてしまうのだ……。
私が固唾を飲んで見守るなか、彼女がゆっくりと口を開いた。
「『学校で会おうZ』のメッセージを受け取ったのは、いつもの萌花ちゃんってことだよね? 鬼状態でもないのに、どうして無視したの?」
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