第四話 軍靴の足音

 1938年3月13日。


「ついに欧州の悪魔が動き出しました」


 ブランドの前に座る、三人の軍事長官は厳しい目で、卓上の地図を見つめる。

 新たに就任した陸軍長官ヘンリー・スティムソン、彼の手元には、喜んでハーケンクロイツの旗を振るオーストリア国民の写真が握られていた。

 後ろには、kar98kを持った武装親衛隊黒服の姿が僅かに映り込んでいる。


「海軍としても、最近大西洋において『Uボート』の活動も活発化してきております、交戦はしていませんが、いたるところで演習、待機しているという報告を受けています」


 海軍長官クロード・スワソンも自身の顎に手を当てながら言う。

 

「空軍としては、未だ編成や訓練等が終わっていないため、そちらに力を注いでおります。こちらが、現在の訓練状況の資料です」


 空軍参謀ジョージ・ケニーは、この中唯一の武官である。

 本来合衆国の軍事のトップは、文官であるものが長官として勤めるものだが、新設された空軍は空軍省という名の政府機関が無いため、現役の軍人を採用し、事実上のトップとして大統領が任命したのだ。


「着実に、ドイツは拡大路線を歩んでいるな……」


 ブランドは比較的落ち着いた声でそう呟く。

 

「太平洋問題が一旦安定したとは言え、私の就任前に起きたラインラント進駐、イタリアの拡大を示したエチオピア戦争、そして現在進行形のスペイン内戦……最近では英仏が軍事同盟を結んだようだし……欧州の不安定化は止まらないな」


 ブランドは指で肘置きを叩きながら続けた。

 集まる四人は黙り込み、神妙な空気が会議室に流れる。


 ブランドはこの手の問題にも介入しようかと、イギリスのチェンバレン首相に問い合わせてみたが、英仏連合国は宥和政策の路線を取ることを決定しており、連合国ではないアメリカが横から口を出せる状況ではなかった。

 そんな状況にブランドはヤキモキしながら、欧州を少し離れた大陸から、静かに見守っていた……。



1939年3月16日


「オーストリア併合の話をしていたのが、もう一年も前か」


 再びこの四人はホワイトハウスの一室に集合し、会議を開いていた。

 今回集まる理由となった出来事、それは……。


「ドイツは、オーストリアに続いてチェコスロヴァキアをも併合……そして、ダンツィヒの要求を強めているそうです、諜報員の情報によれば、4月までには侵攻作戦の計画も立案が終わる見込みと……」


 スティムソンはそう報告し、ドイツ国防軍がポーランド国境に展開する写真を数枚渡してきた。

 その写真を手に取ったブランドは、不穏な一言を漏らした。


「『三号戦車』の配備が間に合っている……?」

「どうゆう、ことでしょう?」


 ブランドは一瞬目を逸らしたが、すぐに顔を上げ、写真に写った数量の戦車を指さす。


「この戦車、諜報員の情報によると『三号戦車』と命名されている物で、ドイツの次世代の戦術に対応させるために生み出された新型車両とされていた。しかし、技術的な面で生産が遅れ、部隊への配備が始まるのは早くても39年後半、主力として全線域に行き渡るには、41年までかかると見積もられていた……」


 スティムソンは、やや引きつった笑みで聞き返す。


「その車輌の話は聞いていましたが……まさか、これが全部そうというのですか? 『一号戦車』やその改良型ではなく……?」


 ブランドは首を振る。

 その動作に、三人のトップは身を震わせた。


「少なくとも、ドイツの陸軍技術は想定以上に進化を遂げているということか……」


 ケニーはそう絞り出すように漏らす、一端の軍人であるはずの彼すら、ドイツの陸軍力には恐れ慄く。

 それもそのはずで、ドイツという国の陸軍力は恐ろしいものがある。

 WW1の時、驚異的な技術力で新型戦車や歩兵銃を生産し、協商陣営を苦しめた。

 それは今でも変わらず、諜報員が持ち込む新兵器の情報、戦略的思想には驚かされ続け、軍部内では日夜それに対応するための戦略が練られている。


「……そろそろ、あれを開始すべきかもしれないな」


 ブランドの呟きに、スワソンは頷く。


「そうですね、海軍の方はすでに準備は整っておりますし、ドイツ海軍が警戒しだす前に行った方がよいかと」


 海軍長官の同意を得たブランドは、皆で囲んでいた机から、自分の庶務用の机の上にある電話を取る。

 

「ああ、私だ……ハルは居るか?」


 電話の先は国務省、目的は敏腕外交官、コーデル・ハルだ。


「ハル、フランスへ飛んでくれ……ああそうだ、アレの話を通してくれ……よろしく頼む」


 電話を終え、ブランドは再び他三人と机を囲む。


「スティムソン、物資の状況は?」

「歩兵小銃、弾薬等補助物資、即座に送れるものが7000セット、もう二週間待って頂ければ残りの3000セットも準備が整います。戦車に関しては、200輌の『M2スチュアート』が準備できました」


 スティムソンの答えに、ブランドは二度三度頷く。


「ドイツ戦車にどこまで通用するか分からないが、ないよりはマシだろう……新型中戦車はどうした?」

「はい、現在開発を進めていますが、研究資金等を海軍や空軍に多くつぎ込んでいますから、もうしばらくはかかるかと」


 チラッと空軍参謀や海軍長官の方を見るが、二人は目を合わせないよう手元の資料に目を落としている。

 そんな二人の動作を見て、スティムソンは失笑気味に言う。


「大統領のスワン計画については了承していますし、お考えは尊重いたしますが、陸軍のこともお忘れなく。せっかく編成した機甲師団や、機械化師団に変える予定の自動車師団が腐ってしまいます」


 その言葉に、ブランドは頭をかきながら笑う。

 そんな様子を見てか、ケニーが宥める様に横から口を挟んだ。


「もう少しで次世代戦闘機の開発が終了しますので、それが終われば、一先ず空軍の技術的憂いはなくなります。そうしたら、その分のリソースを陸軍に振ってはどうでしょうか?」


 現在、陸上機の主力は『P40ウォーホーク』と新型に置き換わっているが、艦載機は、旧式の『F3Fフライングバレル』のままであり、新型となるはずだった『F2A』はブランドが要求する性能に及んでおらず、限定的な配備にとどまっていた。

 そこで、『F2A』と同時期に開発案を出していたグラマン社へ、直接ブランドが訪ねどのような戦闘機が良いのかの要望を伝えると、『XF4F-2』として研究を開始した。


「そうだな……そのように手配しよう、うん、そうしよう」




 このまま、ブランドと長官たちは会議を進めていき、新型兵器の開発状況や師団編成状況等を会議し続けた。

 気づけば、日が傾きだしていた。


「随分、長い間話していましたな」


 誰もいなくなった部屋で、ブランドが黄昏ている所に、副大統領であるジョン・ガーナーが入ってきた。

 扉の音がすると、ブランドはくるりと席を回し、ガーナーの方へ向き直る。


「ああ、彼らは軍事のトップ、戦場で銃を持たなくとも兵士もののふであることには変わりない、だからこそ、私と同じ音が聞こえているのだろう」


 どこか遠くを見る様にしながら、ブランドは続ける。


「だからこそ、少し焦りつつも着実に、私が提案した急速な軍拡を成し遂げようとしてくれているのだと思う」


 その言葉に、ガーナーは首を捻りながら、先ほどまで長官たちが座っていた席へと腰掛けた。


「音、ですか?」

「貴官には聞こえないか? ……着実に近づいてくる、軍靴の足音が」


 ブランドは自身の耳に手を当てて、目を閉じる。


「こうすると、私には聞こえてくるのだよ、WW1時に響き渡り、一度は止ったが、今は着実に近づいてきている……この音が止まり、次に聞こえるのは金属音だ、弾を装填し、コッキングする音」


 ガーナーは唾をのみ、恐る恐るブランドへと聞いた。


「その次には、どんな音が聞こえるのでしょうか?」


 数秒の沈黙の後、ブランドは答えた。


「分からないか……? 発砲音、そして悲鳴だ」


 理解はしていた、分かってはいたはずなのだが、ガーナーはその解答を聞いて、背筋が凍る思いであった。


「だからこそ私は平和を探すのだ、もう二度と、軍靴の音が聞こえないように」


 ブランドはそう言い切った後、大きく深呼吸をして、神妙な顔つきから、いつもの表情へと戻した。


「それでガーナー、君は何をしにここへ?」


 その言葉に、ハッと我に返ったのか、ガーナーも表情を崩し、机の上に置いておいた紙袋をブランドに差し出した。


「これですよ、小腹でも減ったんじゃないかと思い、バーガーショップで買ってきました……一緒にどうです?」

「これは丁度良い、ありがたく頂戴するとしよう」


 二人はそう笑いあって、ハンバーガーへと手を伸ばす。

 何気ない日常会話に花を咲かせ、ほんの一時の間だけ、ブランドの頭から政治のことを忘れさせる、癒しの時間となっていた。


 しかし、時間が止まったわけではない、ブランドの言う軍靴の足音は、着々と大きくなっていたのだった……。




1939年9月1日。


 大きく伸びをし、読んでいた小説にしおりを挟む。

 特に予定が入っていなかった大統領は書斎にて、温かい紅茶をお供に、趣味の読書に没頭していた。


「この書斎を作ったセンスだけは尊敬しますよ、ルーズベルト大統領」


 ブランドは、実のところルーズベルトをあまりよく思っていなかった。

 もちろん、ニューディール政策のような政策面では評価しているものの、部下に対してやや高圧的な態度をとっていたり、あえて日本を戦争の道へ引っ張ろうとしたことをブランドは知っていた。

 それらの点でブランドはあまり、ルーズベルトを人間としては評価していなかった。


「もうそろそろ、昼食でも取りに行こうか……」


 ブランドがふと時計に目を向けると、針は12時8分を指していた。


 カップに残っていた紅茶を飲み干したブランドは、部屋を出ようと席を立つが、どたどたと慌ただしい足音が廊下から響いてきた。


「……ああ、そうか今日だったか」


 ブランドは一人、何かを見透かしたような瞳で、扉が開けられるのを待った。


「大統領! 大変です!」

「……始まったんだね」


 静かにブランドが問うと、報告しに来た陸軍省の人間と思われる男は、厳しい目で頷いた。


「他の長官は?」

「すでに招集をかけています、ハル国務長官は現在フランスへ飛ぶ準備を進めています」


 このタイミングでフランスへ飛ぶことは予定通りであるため問題ない。

 

「分かった、私もすぐに行こう、ウェストウィングの閣議室でいいかな?」

「はい、問題ありません……失礼します」


 男はそう言って立ち去っていき、再び書斎には沈黙が訪れた。


「ここからが本番だ、全ての準備は今日ここから起こる、第二次世界大戦のために……」

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