第三話 アメリカの新体制

 1938年8月10日


 ブランドの覚悟は嘘ではないことを裏付けるように、順調に政策をこなしていった。


 特に、国民は二つの面でブランドの政策に関心を寄せていた。

 一つ目は経済面だ。

 ルーズベルト大統領の行ったニューディール政策に少し手を加えた、Re:ニューディール政策を実行し、着実に経済は復興、今では全盛期に迫るほどとなっていた。

 おかげで国民の多くが再び職を手にし、安定した生活を送っている。


 二つ目は軍事面。

 これはRe:ニューディール政策に関連する話だが、公共事業として多量の軍需工場を増加させた。

 特に造船所建設に力を入れ、海軍力の増強に力を注いだ。

 これの真意を問うと、「強大な海軍力を保有する日本と、突出した潜水艦技術を持つドイツに対抗するため」と回答した。

 実際、海軍内では船団護衛のドクトリンが探求され、ドイツの通商破壊に対する対抗策が練られた。

 他にもブランドは航空機の有用性を感じており、陸海から独立した空軍を目指し、改革と航空機研究を進めた。

 これにより、航空母艦に搭載する航空機も空軍という扱いになり、航空機の管理は、完全に空軍のものとなった。

 また、航空母艦の造船を急ぎつつ、対空火力を重視した巡洋艦などの設計を指示、それらの造船計画や空軍改革をまとめて『スワン計画』と称し、1942年まで継続して行われることになった。

 陸軍でも師団整理と装備の近代化が行われ、歩兵師団、機甲師団、自動車師団等が編制され、以前と比べ物にならないほどの陸軍総戦力をそろえることに成功した。


 ここまでは表向きに公開された政策であるが、その裏では、ブランドの掲げる『日本との友好』を果たすために、秘密裏に外交が進められていた。




 時間は、1937年7月20日にまで遡る。


「このような会議の場を設けていただき、幸いでございます、ミスターハル」


 腰を低くして、ハワイホノルル島にある軍司令部会議室に入ってきたこの男は、大日本帝国の外交官として派遣された、野村吉三郎だ。

 この男は、内閣の意向で差し向けられた外交官ではあるものの、ハワイへと飛び立つ手前、とある人々と会合をしていた。

 とある人々というのは、山本五十六海軍中将が率いる旭日会の面々であり、表向きには日本陸海軍の情報交換や技術交換を行う交流の場とされていたが、その実、ファシスト的、軍事政権的な日本を打倒し、民主国家にするのを目的とした面々が集合した組織であった。

 海軍中将が作った組織が軍事政権打倒を目指すというのは、なんとも皮肉な話だが、その証拠に、旭日会には片山哲率いる片山派という大政翼賛会に吸収された、民政党の面々も参加していた。


「こちらも、会談の申し出を承諾していただき安堵しております、ミスターノムラ」

 

 二人の外交官は、互いに握手をし席に着く。


「ミスターノムラ、後ろの女性は?」

「これは失礼、紹介が遅れましたな」


 野村が手招きをすると、女性は二人の座る席の間に立ち流暢な英語で自己紹介を始めた。


「初めまして、ミスターハル。私の名前は本田昭子、今回は野村外交官の通訳として派遣されました」


 この異例の措置に、アメリカ本国にいた政府官僚たちは心底驚いていた。

 それもそのはずで、政治という場、しかも外交の場に女性の政治家が出てくることなど、今までではありえないことであった。

 というのも、今現在女性の権力は増しているとは言え、世界一の民主国家を謳うアメリカですら、いまだに男尊女卑の習慣は根強く残っている。

 しかし、ファシストであり全体主義であると思われていた日本は、アメリカよりも先に、女性の権力が向上していることをアピールしてきたのである。


 野村は額の汗を拭きながら、ニコニコと話す。


「いや、私は英語があまり達者ではありませんから、一様通訳を通してお話が出来ればと、政府の人間が派遣してくれたのですが、何か問題がありますでしょうか?」


 最初は動揺していたハルだったが、すぐに落ち着きを取り戻し、こちらも笑顔で言葉を返した。


「いえいえ、何も問題はありませんよ。それでは、会談を始めましょうか」


 アメリカがこの会談で日本と話すつもりであったことはただ一つ。


「この部屋に盗聴器は無いことが確認できました、始めましょう、太平洋会談を」


 今現在、この部屋にはハル、野村、本田のみとなり、部屋の外にも、アメリカ憲兵が二人のみという、完全な秘密空間が出来上がった。


「山本さんからお話は伺っています、日本の民主化に力を注いでくださること、まことにありがとうございます」


 野村がそう頭を下げると、本田が英語に翻訳し、ハルに伝える。


「こちらも、新大統領の意向で、貴国との戦争は極力回避するという方針で固まっております故、このような対応をとっていただけるのはありがたい限りです」


 ハルの言葉を日本語に直し、本田が野村にそれを伝える。

 この形で、会談は進行していった。




 真剣な議題ではあったが、両者硬くなることはなく、順調に会談は進んだ。

 野村はルーズベルトと面識があり、ルーズベルトと友好的な人物ということで、ハル自身も親しく接することができたように思える。

 通訳のおかげで、英語によるすれ違いも起こることはなく、会談を円滑に進める手助けをした。

 

「それでは、アメリカ側の要求をまとめます」


 そう言い、ハルは持ち込んでいたカバンから一枚の紙を取り出し、机の上に置く。


「一つ、日本に民政党を主軸とした民主主義政党を作ること

 二つ、南方海域に進出しないこと

 三つ、然るべき時が来たら日本を半場強引にでも民主化する

 私たちアメリカ合衆国が望むことは以上の通りです」


 そう言いながら、ハルは紙にサインを記し万年筆のキャップを閉じた後、紙と筆を野村の方へ差し出した。

 野村は、大きく二度頷き口を開く。


「それを飲む条件として、日本側は三つ要求します」


 紙を受け取り、万年筆のキャップをとる。


「一つ、日本への石油輸出に制限をかけない

 二つ、日本へ小銃の武器輸出を行うこと

 三つ、日中戦争に介入しない

 飲む条件は、以上の通りです」


 野村も、その紙に自らの名前を記し、筆を置いた。


 二人は互いに目を合わせ、頷きあった後に、硬い握手を交わした。

 こうして日本の旭日会の元へと、通称『ハルノート』が渡り、アメリカの計画した日本民主化計画、『ファイヤーファイター計画』は動き出した。


 野村は、もちろんハルノートの件は内閣には伝えず、南方へ進出しない代わりに、日中戦争の妨害はしないという形に落ち着いたことのみ報告する。

 もちろん本田もそれに従い、この事実は秘匿する。


 会談が終わり双方が力を抜いていると、ハルは唐突に語りだした。


「……私の本来の仕事は、日本との戦争の用意をすることだった」


 まるで懐かしむように、双方のサインがされた書類に視線を落としながら続ける。


「しかし、今ではこうして日本との友好関係のために働いている……上が変わると、ここまで仕事が180度かわるものか……」


 その言葉に、野村は失笑気味に答えた。


「だとしたら、今のアメリカ大統領には頑張って頂かないとですな」


 ハルがちらりと野村の方へ視線を戻すと、穏やかな目付きのまま野村は言う。


「貴方のように饒舌で人柄のいい外交官には、卓上で勝てそうにありませんので」


 ハルは一瞬目を見開いたが、すぐに表情をやわらげ、大きな声で笑い声を上げた。

 

「貴官が私に卓上で勝ちたければ、まずはその馬鹿正直な性格を直すのが先のようだな」

「否定できませんね」


 会議室には、二人の男の笑い声が響いていた。

 

 本来、仲を違えすれ違い、戦争までの道を導く運命にあった二人は、一人の大統領イレギュラーのおかげで、その運命を打ち破ることになった。

 手を取り、笑いあい、一緒に平和への道を模索する同士となった。


 

 世界は少しずつ、だが着実に、変わり始めていた……。

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