第二話 新大統領の名は
新大統領就任演説よりも前、1936年9月20日。
ルーズベルト大統領は、あまり顔色の優れない様子で、ホワイトハウスの一室から、外を見つめていた。
その目の先には、栄えるワシントンの町並みがあった。
しかし、栄えているばかりではなく、少し大通りから外れれば、失業者や浮浪者が列をなして配給に並び、途方に暮れた子供たちが座り込んでいる。
今だに世界恐慌の影響は、アメリカ国内に影を落していた。
「ハル、いるか?」
「はい、ここに」
ルーズベルトがゆっくり振り返ると、ハルと呼ばれた男が、服をビシッと正して、起立していた。
コーデル・ハル、現在の国務長官であり、ルーズベルトのよき相談相手であった。
「アメリカは、再生を続けているかな?」
「はい、それはもちろんです。大統領の卓越した政治的お考えにより、着実に回復し続けています」
ルーズベルトの問に、ハルは満面の笑みで答える。
その回答に、ルーズベルトは満足そうに頷くが、それと同時に物悲しそうな表情をうかべた。
「いかがなさいましたか? ご気分がすぐれないのでしたら、医者を呼びますが……」
ハルの申し出を、軽く断って、ルーズベルトは胸の内を明かした。
「ハル、正直、私の寿命はもう長くない、このままでは、たとえ日独と戦争を始めても、結末を見届けることはできないだろう……」
「大統領……」
二人の間に、沈黙が流れる。
ハルも大統領の病状があまりよろしくないことは重々分かっていた、だからこそ、無理に「続けてくれ」と言うことも躊躇われたのだった。
「そこでだが、臨時選挙を行おうと思う、民主党から……私の後継には、ガーナーを出すつもりだ」
「正気ですか大統領! 彼は、あなたの政策を批判してばかりではないですか! そんな者を出しては、国民に見損なわれてしまいますよ!」
ジョン・N・ガーナー、現在の副大統領だが、どうもルーズベルトに批判的な男で、去年からたびたび対立している。
「奴とて無能ではない、上手く立ち回ってくれるだろうよ……ハル、奴を呼んできてくれ」
「……分かりました」
ハルは、尚も納得できないような様子ではあったが、しぶしぶ部屋を後にした。
「お呼びでしょうか、大統領」
ハルが戻ってくると、後ろに中年の男がついて部屋に入ってきた。
「ガーナー、君に、私の後任を頼みたい」
「……大統領の座を降りる気で?」
静かに大統領は頷く。
だが、ガーナーはすぐに「YES」とは答えなかった。
「選挙を開くということは、対抗馬が出てくると思いますが、それが誰になるか、見当はついていて?」
ガーナーは用心深く選挙のことや、もし自分が勝った後の政策について、執拗にルーズベルトに尋ねた。
「おそらく、アルフレッド・ランドンだ。あいつは私のことをよく思ってくれている、私が君を推薦し、君が私の政策を引き継いでくれるのなら、きっと自ら身を引いてくれると思う」
そうルーズベルトは説得するが、ガーナーは難しい表情をしている。
何か気に食わないことでもあるのか、あごに手を当て考え込んでいる。
「どうした、まだ何か気になるのか? それとも、大統領になるのが嫌だなんて言うんじゃないだろうな?」
少し心配そうに、ルーズベルトは前のめりになってそう問う。
「決して、大統領になりたくないとは言わない……ですが、正直なことを言えば、私は大統領の代わりは務まらないと思います」
予想していなかった解答に焦ったのか、ルーズベルトは、慌てて椅子から立ち上がった。
「何を言うのかね君は、私に散々反対していたのに、私は君の確かな手腕に免じて任せているというのに! うっく……」
「大統領、あまり大きな声をだしては体に障りますよ」
冷静な声で、ガーナーは大統領を窘める。
それとは対照的に、ずっと黙っていたハルは大統領に駆け寄り、肩に手を置く。
「君がやらないというなら、誰がこの国を引っぱって行けると言うんだ、ランドンがいくら私のことを好いていても、共和党内には私を嫌うものは多くいる、私は不安なのだ……」
うつむく大統領、そんな大統領に寄り添うハル、そんな二人をただ黙って見つめている。
しばらくの沈黙の後、ガーナーはゆっくりと口を開いた。
「一人、良い者を知っています」
「なんだね、もったいぶって」
少々不機嫌な様子で、ルーズベルトはガーナーの提案を聞く姿勢をとる。
「経歴は謎の多い奴ですが、一人、優秀な民主党の政治家を知っています。そいつならきっと、大統領の後を継いでくれると思います」
ジョンは、少し視線をずらしながらそう続けた。
「そいつの名前は?」
興味をもったのか、ルーズベルトは少し口角を上げ、背もたれにもたれかかりながら聞いた。
「グリーン・ブランド、突如として民主党内に現れた、謎多き新星です」
その後、ルーズベルトはガーナーの提案を承諾、11月に開かれた臨時大統領選挙には、共和党からアルフレッド・ランドン、民主党からはグリーン・ブランドが立候補する形となった。
国民は、突如として現れた民主党の代表に戸惑いを隠せなかったが、主張を聞いている間に、国民はブランドの演説に魅了されていた。
最初こそ共和党に圧倒的に票が集まっていたにも関わらず、次第に民主党へと票が入っていき、気づけば、最終投票結果は僅差で民主党が勝る結果となった。
おかしな話だとは思う、しかし、現実にそれは起こってしまったのだ。
つい一か月前ほどから国民に認知された者が、大統領選挙で勝ってしまったのだ。
選挙中、ブランドが行った演説は多くの国民を納得させ、まるで魔法にでもかかったかのようであった。
多くの国民を魅了したその演説は、後世にまで語り継がれるものとなる。
「それでは、民主党代表のグリーン・ブランド候補、壇上へ」
司会に促され、ブランドはゆっくりとマイクの前に立った。
「皆さんこんにちは、民主党代表のグリーン・ブランドです」
ブランドが大きく深呼吸をする。
その様子を、共和党代表のランドンや記者たちが見つめる中、意を決したように口を開いた。
その口から発せられたのは、歴史を変える世紀の発言だった。
「私には夢がある。この国が世界の秩序を保つ者となり、永遠なる平和を生み出す国とすることだ。――――――」
1937年2月3日
「大統領、正気ですか?」
陸軍長官のハリー・ハインズ・ウッドリングは、これまでルーズベルトが座っていた大統領席に腰掛ける、グリーン・ブランド新大統領に詰め寄っていた。
「正気だ、私は散々言っていたはずだ、戦争介入の準備を進めると」
ウッドリングは、モンロー主義の熱心な信者であったため、友好国への武器供与等を認めるレンドリース法を国会で可決したことを、快く思っていなかった。
「それは、確かに聞いていましたが……しかし、騎兵師団を解体するのは、合衆国陸軍省として反対です! ただでさ常時駐屯軍が少なく、その改革案を提出したのに、お読みになられましたか!?」
ウッドリングは、そう言いながらブランドに詰め寄る。
ブランドは、いたって冷静にその言葉に反論する。
「もちろん読んだ。旧型兵器や騎兵などをうまく使用した、1年と少しで展開師団を倍近くにできるよい計画だと思ったよ」
「なら!」
ウッドリングの言葉を遮って、ブランドは続けた。
「戦争をしないのなら、こんなに良い計画はない」
その言葉に、ウッドリングは顔をしかめる。
「貴方に戦争の何がわかるんですか! ぬくぬくと暖かい国内で過ごし、賄賂で国会の支持率を動かそうとする貴方に!」
ウッドリングは、第一次世界大戦を一人の戦車兵として体感していた。
そのため、合衆国の平和を目指し、モンロー主義を信じながら国内の防衛体制を整えようとしていた。
その点をブランドは評価していたが、一方で、アメリカさえ平和ならそれでいいという考えには真っ向から否定的であった。
「口を閉じた方がいい、もしこの部屋に盗聴器があったら、政変時で混乱しているアメリカがさらに混乱することになるぞ」
落ち着きを取り戻したのか、ウッドリングは大きく息を吐き、ソファーに腰掛けた。
そんな様子を見て、ブランドも席を立ち、向かい合うようにソファーへ腰掛ける。
「戦争を知らないと君は言った、だが勘違いしないでほしい」
「何をです?」
明らかに不機嫌そうではあったが、一様聞く気はあるようで、視線はブランドの方へと向けられた。
「深い理由を語ることは出来ないが、私は戦争をよく知っている……そこらの兵隊以上に、戦争というものを体感し、見てきた」
「ふん、本当に経験してきたのなら、なぜ理由を―――ッ!」
ウッドリングは、ブランドの言葉を鼻で笑ったが、瞳を見た瞬間、次に出るはずだった言葉を失っていた。
口に出すのを留めたのではない、消失したのだ、口にするはずだった言葉が。
日ごろブランドは、ゲルマン系アメリカ人によく見える深い碧の瞳をしているはずなのに、この一瞬だけは、まるでルビーかの如く赤く輝いていた。
それは痛々しいほどに美しい赤で、今にも血液の涙が流れてきそうな瞳に、ウッドリングは不思議な感覚を植え付けられた。
言葉に表すなら……そう、まるで未来を見せられたかのような感覚に陥った。
まだ世界が経験したことのない大規模であり凄惨な戦争の記憶、WW1の悲惨な光景ではなく、『謀略』と『野望』と『虐殺』と『虐待』と『思想』と『妄信』と『死体』と『死体』と『死体』と『死体』と『死体』に塗れた、凄惨な記憶。
それを見せられたかのような感覚に陥ったウッドリングは、言葉を発することができなくなっていた。
「私は、決してアメリカの平和を乱したいのではない、永遠なるアメリカの平和のために、世界秩序を保つ役目を果たそうとしているんだ」
「貴方の戦争についての話は承知しました……しかし、私は貴方についていくことは出来ないようだ……」
ウッドリングは、首を振って静かに部屋を後にした。
一人になった後、ブランドは全身から力を抜き、目を瞑って呟いた。
「独裁者と言われても言い、後々後世に愚か者と罵られても構わない、私はやり遂げて見せる……」
ブランドの覚悟は、並大抵のことではビクともしないほどに堅かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます