第一話 大統領の演説

 

 1936年12月2日。


「大統領、お時間です」

「うん、ありがとう」


 スーツを着こなした大統領は、秘書より受け取ったコップ一杯の水をのどに流し、壇上の舞台袖に立つ。


 ステージからは、司会が大統領の紹介を行っている。


「それでは、ただいまより大統領の就任挨拶を始めます」


 ちらりと司会が舞台裏に視線を送ると、大統領は襟を正し壇上へと上がって行く。


 堂々と胸を張って壇上に上がる若い大統領。

 同時に、記者たちからフラッシュの嵐が大統領を襲う。

 

 大統領は一瞬怯んだように目を瞑るが、記者たちに笑顔で手を振った。


「やあ皆さん、私が第33代大統領に就任した者だ」


 そう一言挨拶すると、再びフラッシュの嵐が大統領を襲った。

 大統領は少し困った顔をして、再び手を振った。


「国民の皆様、記者の皆様、そして、私の挨拶を聞くことになる全世界の皆様、今日は合衆国の大きな転換点となる日です」


 大統領の挨拶はその一文から始まった。


 1936年、それは恐慌に苦しむアメリカに、経済回復の兆しが見え始めた年であった。

 だが、同時に失意の年でもあったのだ。


 アメリカ経済の立て直しを順当に進めていたルーズベルト大統領が、持病の悪化のため、大統領を辞任せざるを得なかった。

 その後継を決めるための臨時選挙の結果、ルーズベルト大統領のニューディール政策を引き継ぐ方針を発表した、民主党から立候補したが大統領へと就任した。


 現在行われている挨拶では、これから具体的に何をしていくのかを、大統領は語っていた。

 しかし、正直経済政策の話など、国民は気になってはいない。

 新大統領が選挙公約の中で一度だけ言った『対外政策の大転換』このことについて、新大統領の口から説明されるのを、固唾を呑んで見守っているのだ。


 しばらく挨拶、というよりもはや演説となっていたが……。

 それが続いた後、大統領は大きく息を吐き、表情を少し強張らせて、落ち着き払った声で言った。


「皆さんの聞きたいことは、きっとこんなことではないのでしょうね」


 その一言に、記者一同はガッと姿勢を前のめりにし、いかにも「ここから本番」と言わんばかりの姿勢を示した。

 筆を持つ手を握り直し、メモ帳を新たなページに変える。


 記者たちは、大統領の二言目を待った。


「私は、外交政策の大転換を掲げた、今ここで、その中身を教えよう……」


 一度咳払いをして、続けた。


「一つ、モンロー主義を部分的に破棄する」


 その言葉に、辺りの記者はざわめきだした。


「そして二つ目、対アジアについて、日本との友好関係を築き、太平洋の平和を維持する……この二つが、私の掲げる外交の転換だ」


 一気に記者たちがシャッターを切り、筆を走らせる。

 動揺し、衝撃を受けているのは一目瞭然であった。


「大統領! そのことについて、詳しくお話をお聞かせください!」

「大統領!」

「大統領!」


 一斉に声を上げ始めるので、大統領は落ち着かせようと「まあまあ」と手を動かした。


「まずは、最初のモンロー主義の部分的な破棄について教えていただけますでしょうか?」


 記者の言葉に大統領は頷き、表情を整えたのち、落ち付き払った声色で話始めた。


「私は、現在の世界情勢を非常に危険な状態と考える。欧州ではファシズムが横行し、ドイツ、イタリアは今にも他国へ侵攻しそうな勢いであり、アジアでは、互いに限界を迎えた日中が激突しようとしている」


 少し息を入れ、目つきを厳しいものにしながら、大統領は続けた。


「このままいけば、あのおぞましい世界大戦が再び引き起こされるような気がしてならない。前大戦では、我々の参戦決意の遅さから、無駄に戦争を長引かせ、多くの血を流させてしまった」


 大きく息を吸い、激しい声で大統領は言う。


「だからこそ私は決意した! 我々アメリカという大国が即座に対応できるよう準備をし、ギリギリまで戦争を起こさせないよう努力をする。その努力が実らなかった日には、全力をもって平和を乱す国を粛清し、世界に安定を取り戻してみせる」


 その勢いに、思わず記者たち一同は目を見開き、息をのんだ。


「私は皆さんに問いたい。戦争の炎から目を背け、いつか飛び火し燃え上がるその瞬間までの、仮初の平和を享受するのか。それとも、現実を直視し、我らアメリカ合衆国があらゆる火種をなくし、本物の平和を全人類で謳歌するその日を目指すのか。選択をするのは諸君らである、誇りある合衆国民として選択し、私についてきてくれることを期待する」


 その演説が終わると、記者たち一同、再びあわただしくメモを取り、カメラマンはフラッシュをたく。

 それらの動きが落ち着くと、今度は別の記者が声をあげた。


「それでは、日本については? 現在日本はドイツと防共協定を結び、33年には国連を脱退しています、そんな国と友好を築くというのは、どのような意図で?」


 再び大統領は頷き、話始める。


「極東に存在する大日本帝国は、今でこそ大陸や太平洋への進出意欲を示しているが、それを我々が咎めることは出来ない。かの国は、大震災や経済危機に見舞われ、さらには冷酷な共産主義の脅威に晒され続けているのに、自らを弱らせておくことなど断じて不可能であろう」


 拳を震わせ、訴えかけるように大統領は演説する。


「しかし、国を立て直すにしても、日本はイギリスのような多くの植民地をもっておらず、我々のような広大な土地と資金もない。それを見かねた日本の軍部は、強引な手段で満州に進出し、政府もそれを承認してしまった」


 大統領の目には、悲痛な嘆きのような、憐みのような色が映る。


「軍部の行動を決して容認するわけではないが、その行動を理解できないわけではない。今の日本は、一時期の気の迷いによって、ファシズムに近しい軍国主義に染まってしまい、世界の脅威となりつつある」


 首を振り、肩を落としながら話を続ける。


「かの国は、我々とは比べ物にもならない長い歴史を持ち、多くの動乱を経験し、一時期は他国を必要以上に怖がったのか、他国との関りを一切経ってしまった時もあった。しかし、我々の来航から始まり、半強制的に世界を見せてやると、状況を認識し、瞬く間に大国へと成りあがった」


 今度は奮い立たせるように声を張り上げ、視線をやや上に上げて言う。


「我々合衆国は、最初こそ見下していたが、今では肩を並べて供に栄えていくような国と、多くの人々が認知している。謙虚な心、巧みな技術、飽きることなき向上心、そして、武士道という素晴らしい精神を持ったかの国、そんな素晴らしい国を、簡単に切り捨てることなど、私には断じてできない」


 あまりにも迫力ある演説に、記者一同は微動だにせず、ただ言葉に耳を傾けていた。

 

「私は、最大限日本と友好関係を築き、日本の中に残っている平和を求める心に手を差し伸べたい。友の気の迷いを晴らしてやるのは、友の務めである。私は、ワシントンに咲く桜にかけて、日本の目を覚ませてやるつもりだ」


 大統領が言い切ったのち、わずかな時間、会場に沈黙が訪れたが、それはすぐに破られることとなった。

 一人の記者が立ち上がって、拍手をしだしたのだ。


 一人、また一人と、その拍手の連鎖は続いていき、最終的には、会場にいる全員が必死に手を叩き、大統領を賞賛していた。


 こうして、ほぼ全ての役職のトップを変えることなく、ルーズベルト政権の形をそのままに大統領だけが変わった新政権が、ここに、確立したのだった。




 翌日の新聞記事の一面には、堂々と演説する新大統領の姿が「新たなアメリカの始まり」というタイトルで飾られていた。


 そんな記事を見て、国民たちはそれぞれの反応を見せた。


「これからのアメリカは、世界のリーダーを目指すんだな!」

「せっかく戦争から離れられると思ったのに、わざわざそこを変えるなんて!」

「日本と友好を目指すのはいいことだ、これなら、ワシントンの桜を燃やさずに済みそうだな」


 しかし、一同共通の認識が一つあった。


「ここを堺に、アメリカは大きく変わる」




 そして、この記事に反応したのはアメリカ国民だけではなかった。

 特にこの記事に興味を示したのは……。


「堀! 聞いてくれ! アメリカの動きが、喜ばしい方向に向かっているぞ!」


 縁側で静かにお茶を飲んでいた一人の男の元へ、海軍士官服を纏ったまま駆けて来る男がいた。


「どうした山本? そんなに興奮して、貴様にしては珍しいじゃないか」


 駆けて来た男は、海軍次官に就任したばかりの山本五十六中将であり、お茶を飲んでいたこの男は、そんな山本の同期であり無二の親友である堀悌吉だ。

 

「この記事を読んで興奮しないでなんぞいられるか! アメリカ自ら、日本に歩み寄ってくれると言っているんだぞ!」


 息も絶え絶えに、山本は堀に新聞を渡す。


「『新大統領は親日? 日米関係に進展か?』これは……確かに……」


 堀も、その記事を一目見ると釘付けになって読み始めた。


「早速、どうやって頭の固い政治家どもを説得するか考える、貴様の知恵を貸してくれ、堀」


 山本は、意気揚々とそう堀に言う。


「ああ、協力しよう! これは、日本の未来が変わるかもしれない……他の奴らも呼ぼう! 時間が空いている対米戦反対派を集めて、今後のことを話し合おう!」

「そうだな、では、三時間後に海軍省で話そう、堀、お前も久しぶりに軍服を引っ張り出して来いよ」


 二人はそう言いあって、拳を突き合せた後、動き始めた。

 山本は海軍次官、堀は今はすでに予備役であり、日本飛行機株式会社の社長であった、それぞれの立場や仕事は違えど、考えることに一寸の狂いもなかった。


『日本に平和を、この国の永遠なる繁栄を』


 さらに言えば、アメリカの新大統領とも考えることは同じであった。


『世界に平和を、太平洋に安然を、両国間の友好を』


 歴史の歯車は、回り始めた。

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