第三四話 名将の憂い

 1943年10月、日に日に弱体化していたナチス・ドイツ第三帝国は遂に、かつての国境線まで押し戻されていた。

 東からはソビエトが、西からは連合国が挟むように迫っていた。


 15日には、アフリカ戦線での失態、スエズ運河の陥落、シチリア島の上陸を受けて、盟友であったイタリアのファシスト政権が崩壊、ムッソリーニは逮捕された。

 ヒトラーはムッソリーニを救おうとスパイを忍び込ませたが間に合わず、多くの民衆が見守る中、ムッソリーニ夫妻は絞首刑に晒された。民衆は息が止まったその後も、石を投げ続けたと言う。

 イタリア新政権の共和党は、独伊枢軸同盟を脱退し、パリ宣言を受諾した。しかし、国内が不安定なことなどを受け、ドイツへの宣戦布告は見送る形を取った。

 欧州戦線に決着がついた後、イタリアには処遇を言い渡すと、米英は一度その条件で停戦を承諾した。


 ナチス政権に批判的思考を持つ者達はイタリアの停戦を見て、早期降伏を唱え、領土の保全を主張していた。しかし、ヒトラーがそれを承認するわけもなく、連合国側から出された、『今降伏してくれたら、領土割譲と賠償金は求めない』という内容のパリ宣言も拒絶した。

 そんなヒトラーに不満を持つ軍人や政治家は多く、遂に10月29日、ヒトラー暗殺計画が始動したが―――


                         ――――失敗に終わった。


 多くの幸運不幸が重なり、ヒトラーは無傷で暗殺計画を退け、首謀者たちは逮捕、即処刑された。

 また、その作戦立案、協力した軍部、政府の人間にも指名手配が出され、多くの者が逮捕拘禁、または死刑となった。


 この男もまた、保護拘禁の対象となっていた……。



 1943年10月31日、デュッセルドルフ。


「どうゆうことだ!」


 西部戦線の司令部にいたロンメルは、本土から送られて来た逮捕状を見て、怒りを露わにしていた。


「ロンメル閣下が逮捕だなんてどうかしている!」

「そうだ! 暗殺計画など、閣下が関わっている訳がない!」


 その部下たちも、口を揃えて逮捕状に異議を唱えていた。

 というのも、10月29日に行われたヒトラー暗殺計画の準備を手伝った疑いが、ロンメルにかかっているのだ。


「……はぁ。パリ防衛を失敗したからだろうな」


 しばらく切れ散らかした後、ロンメルは大きくため息をついて、ぽつりと呟いた。


「まさか、作戦失敗の責任がロンメル閣下にあると本部は考えているのですか!?」


 補佐官であるガウゼが声を張り上げる。


「ああ、実際、東部戦線と違って、西部は私が直接作戦展開を指示し、海軍空軍も総動員してもらったのに、反撃どころか抑え込むことすらできなかったからな……」


 東部戦線を指揮していた指揮官は減給を受けるも、処罰が下ることはなく、現在も防衛の指揮を取っている。

 しかし、ロンメルは大規模な作戦を指揮し、多大な損害を出したにも関わらず、戦果を上げられなかったのだ。


「しかしあれは! 明らかに戦力比や部隊全体の練度が――!」

「だが負けたのは事実だ……残念ながらな」


 ロンメルは落胆していた。作戦失敗の処罰が下らなかったから不思議に思っていたら、まさか犯罪者として処罰されそうになるとは思ってもいなかった。

 犯罪者として裁かれるかもしれない。それも、国を裏切ったという軍人最大の恥辱的行為の濡れ衣で。


 そう考えた途端、ロンメルは再び腹の底から怒りがこみ上げた。


「プロイセン軍人は反逆しない。マンシュタイン閣下が常に言っていた。私はそれを今の今まで貫き続けた……だと言うのに!」


 自身の帽子を地面へ投げ捨て、心の内から叫ぶ。


「どうしてドイツは変わってしまった!?」

「か、閣下!?」


 あまりの豹変ぶりに、驚いた部下たちは狼狽える。


「最初は私だって反共産、軍備拡張、失ったドイツ領土復活に賛成し、ヒトラーを賞賛した! 私を一歩兵としての立場から好いてくれたこと、好意で元帥まで上げてくれたことにも感謝している! しかし今の姿はどうだ!? 理性を失ったようにユダヤ人を虐殺し、捕虜も虐殺しろと命令を下し! ここまで劣勢になったにも関わらず、一切降伏の様子を見せない! こんな状態で、強大な陸軍力を持つ米ソに! 海・空軍力を持つ日米英に! 勝てるとでも本気で思っているのか!」


 一気に言葉を解き放ち、ロンメルは息を切らす。


「子供や老人も見える歩兵師団、明らかに整備が行き届いていない機甲師団、足りない補給物資。増え続けるレジスタンス、見切りをつけて亡命や反乱を企てる軍人。もう、ドイツは、戦えない……」


 目元に涙を浮かべながら、ロンメルは呟く様に言う。


「ドイツは、国民を燃料にして動き続ける戦争マシーンへと変貌してしまった。誰かが一度この国を破壊しない限り、もう健全な国家は成り立たないだろう……。日本のように、早く見切りをつけて、内乱でも起こすべきだったんだ……」


 落胆、憤怒、後悔、様々な感情がロンメルの中に渦巻いているその時、突如として指令室の扉が開けられた。


「閣下への面会を求める者達が参りました」

「後にしろ! 今は取り込み中だ!」


 ガウゼが、苛立ちを隠さずにそう言い放つ。


「しかし、日本軍とアメリカ軍の諜報機関の者だと名乗っていまして……」


 その言葉に、ロンメルは怪訝そうな顔をした後、顔を拭い、帽子をかぶり直した後、その者たちを通す様命令した。


 数分経って、両手を上げ、両サイドに『MP40』を構える歩兵に挟まれた状態で、二人の男が入って来た。


「初めましてロンメル閣下。私は日本の対欧州諜報部、西機関に所属する、松岡と申します」

「私は、アメリカのCIA中央情報局に所属する、リーチだ」


 流暢なドイツ語で二人は挨拶を終える。ロンメルは、二人が武器を持っていないことを確認した後、銃を下ろさせた。


「それで、わざわざ険悪だった日米両国のスパイが何の用だ? 話が終わり次第、牢獄に入れることは覚悟のうえで会いに来ているのだろうな?」


 二人は頷き、リーチが自身の胸ポケットに手を掛ける。警戒して、再び二人に銃が向くが、それをロンメルが制止したのを見て、リーチは手紙を取り出した。


「こちらは、現アメリカ大統領、グリーン・ブランドよりお預かりした手紙になります。これを貴方へ渡す様言われて、こちらに参りました」


 対ドイツ戦線が進むにつれて、日米英仏は、戦後のドイツに対して思案を巡らせていた。その中で最も懸念されていたのは、戦後のドイツは誰に率いらせるかと言うものだった。

 パリ宣言を無視したドイツはおそらく、全土を失うような事態になるまで戦争を続けると予想される。荒廃したドイツを再建するには、強力な指導者、または象徴的な人物が必要と、ブランドは考えた。

 英仏は、いっそドイツを解体し、全土を併合するのはどうかという案が出たが、ブランドはこれを拒否した。理由は簡単で、それは民族自決の原則に反するというものであった。


 そして、イギリス・エディンバラ会談の中で、ドイツ国内でも非常に人気のあるロンメル、マンシュタインなどの国防軍人が象徴に最適ではないかと考えた。

 その後、日米の諜報機関が連携してロンメルの位置を突き止め、こうして接触にやって来た。

 

 後にこの出来事は、『エディンバラの謀略』と呼ばれ、戦後の教科書に大々的に掲載されるほどのこととなった。以下は、ブランドが実際にロンメルへ宛てた手紙の内容とされる。


    ♢  ♢  ♢ ブランドの手紙(一部省略) ♢  ♢  ♢


 初めまして、エルヴィン・ロンメル閣下。私はアメリカ大統領として、貴方にある提案を持ち掛けたい。それは、貴方が新たなドイツの最初の首相となることだ。

 聡明で立派な騎士道精神と、冷静な判断力を持つ貴方ならすでに感じているとは思うが、このままいけばドイツは国が崩壊するまで戦い続けることになる。一度崩壊した国を再建するには、強力な指導者が必要だ。まさに、登場当時のヒトラーのような、国民が熱狂的に支持する指導者が必要だ。

 しかし、ヒトラーと貴方では、明らかに思考回路が異なる。貴方ならきっと、正しくドイツを復活させることが出来るだろう。

 プロイセン軍人の忠誠心は分かっている。簡単に決断を下すことは出来ないと分かっている。だが、戦後のドイツには貴方が必要だ。裏切るのではなく、国のために一度身を引く覚悟をして貰いたい。

 もし、この答えに賛同してくれるのなら、11月2日に行う大攻勢時、使者の者達とフランスへ退避してくれ。

 よい結果を待っている。

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