日米戦争編

第一四話 燃えるフィリピン

 時間は少し巻き戻る。


 1940年12月15日、午後10時30分。


「陸軍サンは正気なんでしょうか……」

「さあな、わざわざアメリカが妥協してくれているというのに、挑発行動をとる理由が分からん」


 旭日会の片山派たちは、ぶつぶつとそう呟きながら酒を飲み交わしていた。


「フィリピン周辺にお船浮かべて、陸軍サンの上陸舟艇の演習を行うんだと。これじゃあまるで、今からフィリピン攻めますよって言っているようなものじゃないか」

「ああ、全くだ。俺たちの努力が無駄になっちまう」


 この日、陸軍の将官たちは、海軍の将官たちを呼んで、陸海共同演習をしたいとで申し出てきた。

 演習自体にはなんの問題もないのだが、その内容と言うのが、フィリピン沖で大発動艇を発進させると言う物だった。

 もちろん、連合艦隊司令長官である山本五十六大将はそれに反対したが、永野大将が、ここで陸軍と足並みを乱すのは愚策、今は付き合ってやろうと山本を説得した結果、それを行うことになった。

 

「陸軍のトップは、最初北進論を提唱していて、我々の唱えた資源確保のために考えた南進論は軽視していたくせに、今となっては陸軍が南進論を唱える様になった……」


 そうため息をついていると、一人の男が、酒を酌み交わす旭日会のいる部屋へと入っていき、座布団に腰を下ろした。


「援蒋ルートの封鎖と、対インドに向けてですよ」

「これはこれは今村殿、中国から帰っていらしたのですね」


 旭日会の数少ない陸軍メンバーの一人である。


「ええ、どうも来年の春までは侵攻を停止し、補給の充実、戦線の整理を行うそうなので、今のうちに休暇をと思って日本に戻ってきたんですよ」


 そんな風に今村均中将は言いながら、酒を注いでもらう。


「どうなるんでしょうね、これから」


 グイッと一杯流し込むと、今村は遠くを見る目で、そう呟いた。

 



12月23日、午前7時20分、南シナ海フィリピン沖。


「これより、大発動艇の発進と回収訓練を行う」


 艦隊に放送が響き渡り、輸送艦たちから次々と舟艇たちが出撃していく。

 もちろん、その上には陸軍が乗っている。


「大本営はなんと?」

「宣戦布告は8時10分に行う予定とのことです、そのまえに欺瞞工作を」

「気に食わんが、上の命令には黙って従うほかあるまいか……」


 輸送船の上に乗る田中静壱中将は、苦い顔をしながら、受話器を取った。


「私だ、ああ、工作員の用意は整っているか? そうか、ならこの後40分後に始めてくれ」



 演習が順調に進んでいるその時だった、8時00分、突如として、フィリピン沿岸より、上陸舟艇や艦艇に向けて砲弾が飛翔した。

 それに対し、現場の兵や海軍の者たちは混乱したが、士官たちは一切動揺することはなかった。


「今頃、海軍から大本営に知らせが言った頃か」


 田中中将は刀を床に突き立てるように持ちながら、じっと目を閉じている。


「これから、この土地で多くの人の血が流れる。アジア解放のためと謳いながら、我々はアジアの人々を殺すのだ……」


 現在のフィリピンには、もちろん米軍もいるが、多くは米国によって組織されたフィリピン人の軍隊が土地を守っている。

 

 今回日本がフィリピンに攻めこむ理由は、来るアジア解放戦争のため、東南アジア進撃の足掛かりとするためだ。他にも、米軍がここを軍事基地として日本を攻撃されないようにという考えもある。

 欧米植民地に苦しむ国々を解放するためを大義名分に掲げたが、結局は日本の拡大欲求に他ならないと田中中将は考えていた。


「陛下は、このようなことを望んでなどいないはずだ……武力に任せた解決など……」


 田中中将は、アジア解放それ自体を否定する気はなかったが、武力に任せて欧米を追い出し、日本の保護下に入れるというやり方に、あまりに野蛮だと不満を露わにしていた。


「そして、そもそもこの戦争の真の目的も、亜細亜のためなどではない。日本の資源のためだ」

 

 海軍の多くの人間は対米反対論を唱えてこそいるが、それ以外の軍人は、いつかは必ずぶつかるのだから、今のうちに叩いて置いた方がよいと言い続けている。そのためには、東南アジアのゴムや油が必要なのだと。

 そのためには、アメリカがおとなしくしてくれている今のうちに、東南アジアを一挙に落としてしまおうと言っているのだ。


「山本殿の話を聞いてもなお、一部の馬鹿どもは、アメリカは日本を恐れて妥協してくれたのだと本気で思っている」


 アメリカが日中戦争で妥協してくれたことで、調子に乗った上層部は、「アメリカは腰抜けで、露に勝ち、中にも勝ちそうな我々に恐れをなしたのだ」と言いながら、「アメリカ恐れるに足らず」と自信を持ってしまった。


「どこかでなんとかしなければ……」


 田中中将は、旭日会のことは知っていたし、そこの面々とは仲良くしていたものの、所属はしていなかったため、民主化計画が動いていることは知らなかった。


「中将! 大本営より連絡です! 『本日八時十分、大日本帝国ハ、フィリピンヘ宣戦布告セリ。演習ヲ即刻中断、海軍ト連携シフィリピンヲ攻撃、速ヤカニマニラヲ攻略セヨ』以上です!」


 その報を聞いた田中中将はカッと目を見開き、席を立ちあがる。


「揚陸演習中の部隊をそのまま陸へ向かわせよ、海軍は護衛を頼む」

「は!」



 当たり前であるが、宣戦布告とほぼ同時に上陸した日本軍は、まだ防衛の準備が整っていないフィリピン軍をことごとく粉砕しながら進撃していった。

 しかし、その進撃速度もやがて低下していった。


 ジャングルである。これまで荒れ地や市街地での戦闘は行ってきた日本軍だったが、本格的な湿地帯、戦車が進めないほどの沼地、地図を見ても現在地が分からない深い密林に加わり、立地を理解していたフィリピン防衛軍のゲリラ的攻撃によって、進撃速度は停滞していったのだった……。


 


 同日、アメリカ。


 日本がフィリピンに宣戦布告し、独立保障のためアメリカは日本に宣戦布告したという衝撃的な報告は、即座にブランド元へと届けられた。


「日本が、攻撃を始めただと?」


 ブランドは、あまりに衝撃的過ぎる事態にめまいを覚えた。


「はい、現在フィリピンに強襲上陸を実行、成功させ、ジャングルを進んでいるとことです。マッカーサー元帥から指示と海軍の要請が来ています」


 深呼吸し、気持ちを落ち着かせたブランドは、いつもの凛々しい顔に戻り、すぐに指示を出した。


「今から話している暇はない。これは私の独断専行だ、それでも構わないか、ハル?」


 連絡をしに来てくれたのは、国務長官であるハルだった。

 その表情には、怒り、驚きなどが混じり合い、とても複雑な表情をしていた。


「ええ、非常時です。この際致し方ありません」


 その返答に、ブランドは頷く。


「移動中の王鷲艦隊に移動命令、予備艦隊も連れてフィリピンへ移動せよ。マッカーサー元帥には、現地軍とジャングルを利用して遅滞戦術を実行、援軍が来るまでマニラを明け渡すな」

「すぐに伝えます」


 ブランドは、この時最大の懸念は海軍であった。予定通り動いていれば、今頃パナマ運河を越えている頃、海峡の移動にはそれなりの時間を要するのだ。


 しかし、この時運命のいたずらか、海軍は予定よりも行動が遅れていた。

 

 そう、伝達ミスによって艦隊の動き出しが遅れ、未だにパナマ運河へはたどり着いていなかったのだ。

 この出来事は後に、『神が引き起こしたミス』として、語られていくことになる。


「大西洋艦隊には、一先ず今本土近海を守っている駆逐艦、巡洋艦、潜水艦たちと、新たな艦隊として編制中だった空母『ワスプ』を送り、その場を凌いで貰おう。それまで、本土周辺海域の制海権は航空機のみで取ってもらうほかないな」

「厳しい戦いになりそうですね」


 ハルの言葉を、ブランドは軽く笑った。


「何、近海までドイツ艦隊が来るようなら、それはもうイギリスが落ちている時だよ、その時は潔く、本土に防衛用の要塞を築くさ」




日本時間、12月28日、フィリピンマニラ。


「足りない……」


 いつものパイプ煙草をふかしながら、ダグラス・マッカーサー元帥は地図の上に乗る駒を見ていた。


「現在フィリピン本島にいる部隊は一個師団、離島にいる部隊をかき集めても二個師団にしかならん。たいして日本は八個師団か……」


 そのぼやきに、補佐官が付け足す。


「その日本の八個師団の中には、野砲、榴弾砲、歩兵単位でも重擲弾筒など、火力がそろっていますが、我らは軽歩兵に過ぎず、火力が圧倒的に足りません」


 フィリピンで太平洋の島々の指揮を執っていたマッカーサーは大いに悩んでいた。と言うのも、とにかく守備に当てられる米軍が少ないのだ。

 現在は現地軍七個師団が防衛に当たるも、練度の差は歴然であり、地の利を生かして戦うのにも限界がある。


「他の島にいる米軍を呼びたいところですが、制海権が取れておらず、しかも護衛の一隻もなしに動かすのはいささか……」


 他の士官たちも、そう口々に嘆く。


 現在、太平洋に展開しているのは索敵と情報収集のための旧式潜水艦のみで、海軍戦力はほぼ0に等しい。


「いかがなさいますか、元帥」


 苦い顔で沈黙を保っていたマッカーサーへ、補佐官は決断は仰ぐ。

 皆一同、黙って元帥の返答を待った。


「このまま黙ってみていれば、援軍が来る前にマニラは陥落する……。他の島にいる兵には申し訳ないが、輸送船のみで、フィリピンへと来てもらおう」


 その言葉に、会議の場は重い空気に包まれる。


「やるんですね、元帥」

「ああ、それしかない」



 『神が引き起こしたミス』と『元帥の決断』、この二つでフィリピンの戦いは幕を開けることになった。

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