第七話 屈辱の撤退

 フランスが休戦協定を結ぶ少し前、1940年5月28日のこと。


「……もう、無理か」

「残念ながら……」


 フランス外交官としてカンペール臨時首都では、ポール・クローデルがアメリカ外交官として来ていたコーデル・ハルは、会談を開いていた。

 内容は、フランス降伏の時期についてだった。


「これだけの応援を頂いておきながら、降伏することになってしまい……本当に申し訳ない……」


 空気は重く苦しいものであり、敗戦という衝撃を前にした国の状態を表している様だった。


「だからと言って、無責任に降伏などは致しません」


 クローデルは強い意志を感じる瞳でハルに言い放つ。

 あまりの覇気に、ハルは少し身じろいでしまった。


「応援に来てくれた英米軍の撤退が完了するまで、遅滞戦術を実行します、英米が撤退できるだけ出来たら、その時初めて、ドイツに休戦を申し込もうと思います」

「しかしそれでは……」


 フランス軍の損害が、途方もないことになる。

 英米仏の軍で戦線維持が難しくなってきているのに、そこから英米を抜き取ってしまっては、戦線が瓦解する可能性すらある。

 そうすれば、主に最前線を張る部隊の損害は計り知れないものになる。


「分かっています、現在の戦線では不可能でしょう……ですから、この際一斉に大撤退を行い、戦線をブルターニュ半島に限定いたします。幸い、英米軍は北部のみとなりました故、どうにかなるかと」


 もちろんその心配もあったが、ハルが気にしていたのはそれだけではなかった。


「それでは、フランス軍の者達は……」


 防衛を担当するフランス歩兵はどうなってしまうのか、それが一番の気がかりであった。


「おそらく、壊滅を避けられないでしょう」

「ならなぜ、そのようなことを?」


 ハルは首を振り、わけが分からないというような仕草をしながら聞いた。


「ここでフランス人が死ぬことで、きっとあなた方自由主義陣営がドイツを打倒してくれる、ファシストを打倒してくれると信じています。それだけで、我々は死ぬ価値があります」


 再びハルは身じろぎ、クローデルの瞳に吸い込まれているかのように見つめる。

 その眼には、確かな決意と覚悟が見て取れた。


 少なくともハルの目には、平和を求める意思が途方もなく固い者として、映っていた。

 ハルにとって、この目を持つ者と出会うのは二人目であった。


「貴方は、我らの新大統領と同じような目をしますな……」


 大きく息を吐き、ハルは姿勢を正す。


「フランスのご厚意、感謝申し上げる。必ずやアメリカは、フランスの土地を奪還し、ご期待に応えて見せます。必ずや……」




 その約束通り、フランスは北部守備隊に大撤退命令を下令、ドイツ軍の全面攻勢が始まる前に、ブルターニュ半島へと移動を始めた。

 この後退について、ドイツは全くの予想外であり、対応が遅れた結果、包囲網を作ることができず、多くの英米軍を逃すことになってしまう。




1940年6月20日。


 遠く、しかし砲声と炎が見える程度には近いところで戦闘が行われる中、最後まで残っていた第三歩兵師団は、撤退用に用意された輸送船に乗り込んでいた。

 なんとか半島の防衛に成功していたフランスだったが、やはり限界ギリギリであり、10日を過ぎる頃から防衛線が後退、今日に至ってはブレスト港を守るだけで精一杯であった。


「よし俺たちで最後だ」

「そうか……この輸送船、まだ人乗せられるんじゃないか?」


 撤退用の輸送船に乗り込んだハリーとマイクは、辺りを見渡して、そうぼやく。


「はい、第三歩兵師団、死者を除いてこれで全員です」


 師団長が報告している所に、ハリーは駆け寄っていく。


「師団長、フランスの兵も撤退させる分には十分な空きがこの船にはあると思います、一緒に撤退しないのですか?」


 一瞬、師団長は顔を曇らせたが、首を振った。


「彼らは今夜、暗夜に紛れて撤退する予定だ、現在引いてしまっては輸送船を攻撃されてしまう。だから、ドイツの攻撃がやむであろう夜に、潜水艦で退く予定だ」

「そう……何ですか?」


 ハリーは、師団長の顔が一瞬曇ったことに疑問を持ったが、気のせいだと片付け、マイクの元へと戻っていった。


「今日の夜、潜水艦で脱出するんだと」


 ハリーはさっき聞いたことをマイクに伝えるのと同時に、出航の合図である汽笛が鳴らされた。


「なあハリー、潜水艦って言ったけど、どこ潜水艦なんだ?」

「え? そりゃ英仏のどっちかじゃないのか?」


 錨が巻き上げられ、縄梯子がたたまれ、ゆっくりと海へ向けて輸送船が動き出す。


「でも、フランス海軍はもう本当に壊滅しちゃったんだろ? それに、イギリスの潜水艦はアフリカ周辺と北海で通商破壊をやってるって聞いたぜ? こんなところに来る余裕あるのか?」


 二人はうーんと首を捻るが、答えは出なかった。


「まあ潜水艦の動きが分かってたらそれこそ大問題だし、数隻用意してるんじゃないか?」

「そうだよ―――なあああ!」


 二人の会話が終わる寸前、港の方で大きな爆発音が響いた。


「なんだ!?」

「空襲か!?」


 他の兵も、響き渡った爆音に驚いて弦縁へ寄っていく。


「でも航空機が見えないぞ?」


 そんな会話の最中、今度は確実に飛翔音が聞こえた後、もともと輸送船が止まっていた場所に、特大の水柱を上げた。


「違う! 砲撃だ!」

「早く船を動かせ! 巻き込まれるぞ!」

「待てよ……これじゃあフランスの守備軍はどうなるんだ……?」


 誰かのその問に、答えられる者はいなかった。




「さすがに移動目標に当てるには、まだ訓練が必要か」


 『Fi 156 シュトルヒ』偵察機に乗って、双眼鏡を構えていたマンシュタインはそう唸った。


「そうですね、艦砲射撃よりは楽かもしれませんが、なんせ80センチの巨砲ですから、まだまだ訓練が必要そうです」


 それに、観測手が答える。


「どうしますか? 輸送船への砲撃を続行しますか?」

「……いや、港湾施設に攻撃対象を切り替えろ、今の技量で命中させるのは不可能だろう」

「了解しました……こちらコウノトリ、こちらコウノトリ、ヒナ聞こえるか?」


 観測手が、無線機でそう地面に設置された砲陣地に連絡する。


「目標変更、港湾施設、及びフランス守備隊。座標基準B-3。弾種、榴弾。信管、着発。撃ち方、一斉射。射撃後指示あるまで待機。砲撃用意」

「ヒナ了解、目標変更承諾、目標、港湾施設及びフランス守備隊。座標基準B-3。弾種、榴弾。信管、着発。撃ち方、一斉射。射撃後指示あるまで待機。砲撃用意!」


 その無線がヒナ、正式名称、第一装甲師団追従列車砲分隊の元に届くと、用意された三門の巨砲が再び動き出した。

 数百人にもなる砲兵が慌ただしく動き回り、4,8トンもある80センチ砲弾が、戦艦の主砲よりも巨大な砲身に装填されていく。


 装填が完了した三本の砲身はゆっくりと体を起こし、ところどころ雲が見える空を睨む。


「ヒナよりコウノトリ、射撃準備よろしい、指示を乞う」

Feuer!撃て!


 観測手の号令で、並べられた三門の列車砲が凄まじい爆音を響かせる。

 撃ちあがった砲弾は、高速で弧を描いて港へと着弾し、巨大な火柱を上げる。


「さすがの威力だな……この世に存在するどの戦艦よりも大きい砲なだけある」


 マンシュタインは感嘆の声を開けた。


「着弾確認、誤差修正の必要なし、第二射射撃用意」

「了解、誤差修正なし、第二射射撃用意!」


 砲撃はまだ、終わらない。




1940年6月25日。


「撤退は成功した……か」


 ブランドは、陸軍歩兵の撤退に関する資料を見ていた報告書を読みながらそう呟く。

 しかし、次の一枚の資料を見て、血相を変えて立ち上がった。


「なんだこれは!」


 そこには、燃え上がる駆逐艦や巡洋艦が映されて、その艦に翻っていた旗は、星条旗。

 アメリカの軍艦が撃沈されていた。


 すぐさまブランドは、スワソンを電話で呼びつけた。




「これは……どうゆうことだ?」


 珍しく、ブランドは不機嫌そうな声色で、スワソンに聞いた。

 その態度に、スワソンは冷や汗を流しながら、おどおどと答えた。


「現在、海軍省で確認を取っている所ですが……おそらく、ドイツの『Uボート』に攻撃されたものと――」

「そんなこと見れば分かる。側面に開いたこの穴、これは間違いなくドイツがもつ『G7』53,3センチ魚雷の物だ……私が聞いているのは、なぜこうなったのかだ。私は海軍に攻撃は許可しないと言った、それを海軍は守ったのか? それとも、耐えきれず攻撃した結果がこれか?」


 スワソンの目には、ブランドの瞳が一瞬赤くなったように見えた。

 しかし瞬きする間にもとに戻っており、スワソンは首を振って正気を保ち、答える。


「いえ、護衛していたどの輸送艦に乗っていた者に聞いても、魚雷が命中した後にアメリカ艦が攻撃を開始していた報告を受けています。他にも、偶然近くを飛行していた英国機も同じ報告をしているそうです」


 大きく息を吐き、ブランドは言葉を零す。


「なら……開戦の口実を得られたと考えれば得か……いや、それにしては被害が大きすぎる」


 最初の戦闘でドイツはアメリカが先に攻撃したとして、各地にいるアメリカ軍艦に攻撃を開始した。

 宣戦布告を受けたわけではないが、自国を守る正当な手段として、これ以降アメリカ艦は無差別に攻撃するという発表は受けている。

 これで、イギリスに艦を送るリスクが増大した。


「撃沈艦、死者、その報告は?」

「持ってまいりました」


 スワソンは暗い表情で新たな報告書を手渡した。


「……ほぼ壊滅じゃないか」

「はい、この海戦後、海軍内での連絡が遅れ、ドイツ艦を発見しても自ら攻撃することはなかったため、必ず後手に回る結果となってしまいました……」


船団護衛艦隊  重巡3隻 軽巡 12隻 駆逐艦24隻 総合39隻

重巡洋艦       

『ペンサコーラ級』2隻撃沈  『ニューオリンズ級』1隻撃沈

軽巡洋艦

『チェスター級』3隻撃沈 『ブルックリン級』5隻撃沈 『オマハ級』1隻撃沈

駆逐艦

『ポーター級』8隻撃沈 『シムス級』2隻撃沈 『ファラガット級』8隻撃沈


総撃沈数 33隻


「死者数は現在調査中ですが、救助も難しく、相当数の死者は覚悟しなくてはなりません……」


 スワソンは、顔を伏せながらそう絞り出すような声で言う。


「そうだな……それに、対潜水戦闘が可能な軽巡、駆逐艦がここまでやられるのは、正直想定外だ」

「はい、どうやらイギリスもそこに驚いているらしく、想定以上に小型艦に損害が出ていて、大型艦の護衛が不足しているようです」


 ブランドはその報告を聞いて、何かを言うことはなかった。

 だが、その頭の中では多くの考えが飛び交い、次の一手を考えていた。


「スワン計画は続いているか?」

「はい、もちろん……提案された通り、42年までには完遂が可能です」

「海軍に、大改革をする余裕は?」

「……はい?」


 ブランドは再び、何かを始めるつもりのようだった。

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