第3話 認めてもらえないお姉ちゃん

 和風の庭がみえる廊下を通り抜けて、個室へと向かう。引き戸を開いた先には誰もいなかった。どうやら私たちの方が先だったらしい。


 胸がドキドキしていた。私は深呼吸をして気分を落ち着けようとする。でも深呼吸をすればするほど、なおさら落ち着かなくなってしまう。


 私の妹になる子はどんな子なんだろう。やっぱりちっさくて可愛い子なのかな。逃げれば追いかけてきてくれて、立ち止まれば抱きしめてくれるような子だったらいいのに。


 やっぱり夢の中に出てきた子は、私の理想なんだろうなと思う。夢で見た記憶は薄らいでしまうけど、それでも毎日みていれば次第に記憶に染み付いてくる。


 でももしも仮に理想と離れた子だったとしても、ないがしろにするつもりはない。助けを求めるのなら助けるし、助けを求めなくても助ける。そんなおせっかいなお姉ちゃんに私はなりたい。


 ひまりからすると、きっと私は凡人で取るに足らない存在なのだろうけど、それでもお姉ちゃんでありたいのだ。もちろん、妹にされてしまうのも悪くはないけどね。


 隣をみるとお母さんはお母さんで緊張しているようにみえた。そういえばお母さんの再婚相手ってどんな人なんだろう。やっぱりハンサムな人なのだろうか。お母さんは美人だし自立してるし、正直、いくらでも相手はいると思うけど……。


 そんなことを考えていると、扉が開いてボーイッシュな感じの美人が入ってきた。


「あ、宮下!」


 さっきまでの緊張の面持ちはどこへやら、お母さんはニコニコしていた。でも私は困惑するばかりで、一体どういうことなのだろうと二人の表情を見比べる。二人は明らかに相思相愛と言った風な表情を浮かべていた。


 もしかして、この美人さんがお母さんの再婚相手!? いや確かに女性同士でも結婚できる法律はつい最近施行されたけど、まさかその実例を目の前でみることになるとは。


「おぉ。佐藤。こうして顔を合わせるのはいつぶりかな。それにしても流石、佐藤の娘だね。美人さんだ」


「えっと……」


 私がついていけずにいると、お母さんは口を開いた。


「もしも女同士でも結婚できるようになったら結婚しようって、学生の頃に約束してたのよ。最近同性同士でも結婚できるようになったでしょ? それで連絡したら、旦那さんと死別したっていうから、それなら私と結婚しない? って」


「そういうことだよ。よろしくね。凛」


 それだけ告げて、お母さんと宮下さんはいちゃいちゃし始めた。お父さんと一緒にいたときは、ずっと喧嘩ばかりだったのに、まさかこんな風になるなんて。もしかするとお母さんは世間体とか気にして、好きでもない人と結婚したのかもしれない。


 喧嘩の心配はいまのところはなさそうでほっと一安心する。


 でもひまりはどうしたのだろう? 姿が見えない。


「……あの、ひまりは?」


 私が問いかけると宮下さんは「もうすぐ来ると思うよ」と笑った。


「あの子、プログラミングにのめり込んでるみたいで、ここに車で来るまでもずっとパソコンと睨めっこしてたんだ。きりのいいところまで進めたいって、車から出ようとしないから」


「迎えに行ってきましょうか?」


「そうしてもらえるとありがたいね」


 私は個室を出て、駐車場に向かった。どの車か聞いていなかったけれど、ひまりだろう人物はすぐに分かった。暗い車内でノートパソコンからの白っぽい光を浴びている人がいた。


 私は近づいて後部座席の窓ガラスをノックした。私をみつめたひまりは驚きの色を浮かべた。


「えっ。お姉ちゃん!?」


 もしかして私のこと、もうお姉ちゃんだと認識してくれているのだろうか?


「うん。お姉ちゃんだよ」


 私が笑顔で言葉を返すと、ひまりは、かあっと顔を赤くしている。


「す、すみません。間違えました」


 ひまりは慌ててノートパソコンを閉じて、車のドアを開けて外へと出てくる。


「お姉ちゃんでいいのに」


 私が肩を落としていると、ひまりは気まずそうにした。


「いえ、その私の知り合いに似てたので、つい」


「むっ。知り合いにお姉ちゃん呼びしてる人がいるの?」


「……はい。良いお姉ちゃんです。本当に。あのお姉ちゃんがいてくれたから、私は今日までやってこれたんです」


 私たちは暗がりで話す。相手の顔もまともにみえないから表情も分からない。でもその声色は心からその「お姉ちゃん」を敬愛しているように聞こえた。


 なんて羨ましいんだ。私のことをお姉ちゃん、なんて呼んでくれる人は一人もいないのに。この間、友達の紗月に「お姉ちゃんって呼んでほしい」って頼んでみたらドン引きされてしまうし。


 あぁ。本当に。


 でも今日からは私がひまりのお姉ちゃんになるのだ。


「お姉ちゃん」の座を奪い取るためにも頑張らないと。


「こんなところで会話するのもあれだし、そろそろ行こう」


「はい。……えっと」


「凜だよ。凜お姉ちゃんって呼んでほしいな」


「え」


 割と本気でドン引きしてるタイプの「え」が聞こえてきて、悲しくなった。


「嘘だよ。凜って呼んで」


「はい。凜さん」


「凜さんじゃなくて、凜だよ」


「えっと……」


 店の軒先が近づいてくる。ひまりは困った表情を浮かべていた。


 もしかして、私、嫌われてる?


 そんなことを思いながら私はひまりを店の中に案内する。


 明るいところでみると、ひまりは長髪で、肌の色が白くて、目が大きくて、唇が小さくて、私よりも背が低くて。まるで夢の中に出てきた女の子みたいな姿をしている。というか、あの子そのまんまの姿だった。


 自分のほっぺをつねってみるけど、痛いだけで目覚めない。ひまりに奇妙なものをみるみたいな目線を向けられながら、これが現実であることを実感する。


 唯一夢の中と違う点があるとすれば、少し暗い雰囲気を身に纏っている所だろうか。夢の中で出会った女の子は、純粋で無垢な感じの雰囲気だった。だから印象が違ってみえる。それでもひまりはやっぱり私の理想の妹の姿をしていた。


 私は驚きと高揚感を感じながらも変な人だと思われないように、落ち着いた態度で「こっちだよ。ひまり」と手招きをした。するとひまりは不安そうに私の後をついてくる。まだ何もしてないはずなのに、どうしてなのだろう。呼び捨てにしたのが悪かったのかな。私は不安に思いながら、二人の所へとひまりを案内した。


 個室に入る。宮下さんの肩に寄りかかっている私のお母さんをみると、ひまりは不機嫌そうな顔になった。でもテーブルを挟んだ反対側の隣に座ると、すぐにパソコンを開いて、かたかたと無表情でキーボードをたたき始めた。


 私はひまりの隣に座って、横顔を盗み見た。綺麗だと思った。本当に、夢の中でみたのと同じだ。でもこんな無機物みたいな表情はみたことがない。


「ごめんね。ひまりは再婚に反対なんだ」


「そうなのね……」


 もしかするとそのせいで、私に対しても冷たい態度を取っているのかもしれない。でもどうして再婚に反対しているのだろう。気になった私は聞いてみることにした。


「どうして反対してるの?」


「それは……」


 ひまりは宮下さん達の方をみて、気まずそうにしている。


「私だけでいいから教えてくれないかな? ほら。耳打ちで」


「……分かりました。凜さんだけになら、まぁいいです」


「ありがとう。ひまり」


 私が笑いかけると、ひまりはじっと私の顔をみつめた。


「本当に似てますね」


「えっ?」


「いえ、こっちの話です。耳打ちするので、正面を向いてもらっていいですか?」


「了解」


 私が横を向くと、ひまりは私の耳の前に手を当てた。そしてこそこそと告げる。


「私、お父さんがいたんです。でもお父さん、プログラミングのせいで、長時間姿勢を変えなかったせいで病気になって、死んでしまって。お父さんはいいお父さんでした。なのに許せないんです。お母さん、他の人と再婚してお父さんのことを忘れようとするし、あなたのお母さんもですよ。死別したってことを知ってるくせに、受け入れて」


「……そうだったんだ。ありがとう。ひまり。私にだけ教えてくれて」


 私が微笑むと、ひまりは気まずそうに視線をそらした。


 理由は分かったけれど、私にはひまりの抱える悩みを解決できそうにない。なにを言えばいいのかもわからない。あまりにデリケートな悩みだからだ。


 個室の中はすっかり静かになってしまう。ひまりがキーボードを打つ音だけが響いていた。


 その空気を嫌だと思ったのか、宮下さんは口を開く。


「ひまりはプログラミングの技術を学ぶために来年の九月、カナダへ留学にいくのよ」


「へぇ。すごいのね。ひまりちゃん」


 お母さんがひまりに微笑む。だけどひまりはすぐに否定した。


「私は人付き合いも苦手ですし、プログラミングとかしかできないですから。そんな、凄いわけじゃないですよ」


「でも『二人の少女と聖夜の奇跡』ってゲーム。ひまりが作ったんだよね? すごく面白かったよ」


 私がそう告げると、ひまりはキーボードを打つ手を止めて、私をみつめた。その表情はニコニコとまでは言わずとも、ニヤニヤくらいには達していた。

 

 そのとき、突然、夢の記憶がよみがえった。ひまりみたいな女の子は確かこんなことを言っていたはずだ。


「私ね、お父さんがいてね、とても大好きだったんだ。優しくて頼りになって。プログラミングとかも教えてくれたんだ。でも死んじゃった。お母さんは最初、もう結婚する気はないって言ってたから、私、安心してたんだよ」


 今にも泣きだしてしまいそうな表情で、告げていた。夢の中で出会ったあの女の子は、あまりにも現実のひまりと似通っている。プログラミングの話も、お父さんと死別したという話も。


 確証があるわけではない。でもあの夢で会った女の子はひまり本人なのではないか? そんな疑念がわいていた。


 そのとき、料理が運ばれてきた。ひまりはパソコンを閉じて、私にぼそりとつげる。


「褒めてくれて、ありがとうございます。でもごめんなさい。凜さんのこと、お姉ちゃんだとは認められないんです」


 そしてさらに、辛うじて聞き取れるくらいの声でささやく。 


「……いくら夢に出てきたお姉ちゃんとそっくりだからって、認められないんです」 


 私は思わず食い気味に告げた。


「もしかしてひまりも、夢、みてたの!?」


 ひまりは目を見開いて、私をみつめる。驚きを隠せない様子だった。私たちは同じ夢をみていたのだ。あんなにも切望していた理想の妹その人も、私の夢をみていたのだ。これを運命と言わずして何というのか。


 私はとても嬉しい気持ちになって、ひまりを抱きしめた。


 するとひまりは、複雑そうな表情をしていた。だけどすぐに何かを決意したみたいに、私をきっ、と睨みつけてくる。かと思えば、すぐに私の肩を突き放して静かに告げた。


「私は、凜さんのこと、お姉ちゃんだなんて認めません」


 頑なに拒絶するひまりを相手に、私はどんな言葉をかければいいのか分からなかった。お母さんも分からないようで、黙り込んでしまっている。宮下さんは「そんなこと言ったらだめでしょ」と怒っていたけど、ひまりはなんの反応も示さずうつむいていた。


 それから私たちは豪華な料理を食べた。美味しいと思う。でも笑顔のひまりとならもっと美味しいのだと思うと、複雑な気持ちだった。


 私たちは食事を終えた後、暗い空気のまま別れることになった。


 私は夜の街を行く車の中でお母さんと言葉を交わす。


「いつから同居することになるの?」


「来週の月曜日からよ」


「明後日からかぁ」


 あの空気感で明後日からひとつ屋根の下で過ごすことになるのは、かなり気まずそうだ。それでも私はお姉ちゃんでありたいと思う。まだどうすればひまりのお姉ちゃんになれるのかは分からないけど、頑張らないと。

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