新しい名前と出発


 ジェームズの遣いが戻ってくるまでの間、ステファニーは、ひっそりと身辺整理をしていた。


 当面着る予定のないドレスや鞄などは売り払い現金化した。想像以上の額になった。見栄を張った叔母に買い与えられたものがほとんどだが、その資金は元々は公爵家の資産であったり、王室からの支度金であったものだ。


 また、暫く留守にしても、期待を裏切らないよう、継続的に支援していた修道院や孤児院へドレス類を売り払って得た現金のほとんどを寄付をした。もし、王都から離れるのなら、現金は重く、宝石に比べて持ち運びにくいからだ。



 待ちくたびれた頃、遣いは戻ってきた。


 レノミア領内で左右の瞳の色が違うと評判になるような女性は見当たらなかった。しかし、レノミア伯爵家には、13歳の娘がいて、だとしても違和感のない風貌である、と報告された。






 明け方近く、食糧庫に三人で集まっている。


 ステファニーは、ジェームズが用意した麻のシャツに綿のズボンを履き、毎日きれいに結い上げていた髪はその年頃の他の少年らと同じように無造作に束ねている。



「本当に… 本当に、行くの?」

 ジェームズがステファニーに問いかける。


「行くよ。明日から、試験休暇だし丁度いい。アニーが、うまく誤魔化してくれたら、五日間は誰も気づかない。」

 ステファニーは鞄に棚のビスケットやパンを詰め込む。



「劇団も出発の準備はできてるよ。」

 アニーは、干し肉とチーズを袋に詰めて渡す。


「ありがとう。」


「な、帰ってくるよな?」

 ジェームズが心配そうに、ステファニーの腕を掴む。


「そのつもり。でも、わからない… 僕の新しい人生が見つかったら、帰らないかもしれないし。見つけて帰って来るかもしれない。」


 ステファニーにとって、ここは帰ってくるべき場所なのだろうか。


 学園に入学するまでは、毎日王宮でジェームズと共に家庭教師について勉強した。王宮へは、監視するかのように叔父か叔母がついてきた。息を抜けるのは、ジェームズが休憩だと言って強引に連れ出してくれたときだけだった。


 学園に入学して、叔父や叔母の目から離れたことは、ステファニーにとって幸いだった。その代わり、他の学生や教師が王太子の婚約者である公爵令嬢としてステファニーが相応しい人物であるかの監視役をしているように思えた。


 ステファニーは男だ、と言うタイミングはとうの昔に過ぎ去っていた。


 もう、誰かの役を演じる人生は嫌だった。



「ステフ… 」

 ジェームズは、ステファニーを抱きしめ、ステファニーも抱きしめ返した。


「あ、名前。新しい名前がいるよ、もうステファニーじゃない。」

 アニーが言う。


「ステファン?」

 呼び慣れたステフにこだわるジェームズらしい意見だ。


「もう、ステフである必要はないよな。預言者のアニー先生のアイデアは?」

 ステファニーは、アニーを見つめる。



 アニーはしばらく考える。


「そうね… アーチー?」


「古くない?」

「でも、意味は勇者よ。名前に加護がある。」

 アニーが言うと、不思議と守られている感じがする。


「じゃあ、アーチーにする。」

 ステファニーは、新しい男の名前を手に入れ、満足そうに笑う。


「気をつけて行ってきて。アーチー。」

「どんな顛末になろうとも、僕が面倒を見るから、戻ってきて。アーチーは、僕の親友なんだから。」



 ジェームズとアーチーは、もう一度、固く抱きしめ合う。


「じゃあ、行く。」

 アーチーが外に繋がる勝手口を開けると、まだ暗い外のひんやりした空気が食糧庫に入ってくる。


「元気で。」

「留守は任せて。」


 アーチーは、二人に手を挙げると、軽やかに出発した。






▽△▽△▽△



 アーチーは、タウンハウスに寄り、公爵令嬢時代に叔父夫妻から与えられた宝石を持ち出した。


 辺りは次第に明るくなってきた。敷地の外から、公爵邸を振り返る。未練があるとしたら、父だ。

 いつか具合が良くなってくれるだろう、と度々訪ねた部屋の窓を見上げる。



 この屋敷にはもう戻らないかもしれない。

 楽しい思い出はないが、ここが自分の家だった。



 アーチーは、そこを自分の家だとは、もう呼べなくなったことに気づく。


 涙を拭うと、アーチーはジェームズが餞別に用意してくれた馬を、劇団の仮宿に向かって走らせた。

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