旅芸人の娘
遡ること半年。
公爵令嬢のステファニーとその婚約者であるジェームズ王太子は、王宮に呼ばれた旅芸人の興行を楽しんでいた。
王都のオペラやバレエに飽きた国王が、大衆向けの芝居を見たいと言ったのが発端だった。
芝居の演目は、二百年近く前の実話を基にした、貴族の娘と騎士の悲恋の物語だった。
招かれた王侯貴族たちにも好評で、終演後は俳優たちにも酒が振る舞われ、仮設の舞台が設置された大広間は役者と貴族が入り乱れての大賑わいとなった。
男主人公の周りにはご婦人方が集まり、女主人公の周りには、鼻の下を伸ばした諸侯が列を成している。この国では、役者は男の職業とされており、女主人公も若い男性が演じているのは、皆が承知している。
「ステフ、舞台のセットでも見に行かないか?今日は、舞台裏も見放題だ。」
ステファニーの大親友でもあるジェームズは、目を輝かせて、誘った。
「コルセットがキツいんだ。もう、女の服は限界。靴だって横幅が合わなくて、毎回特注だし。」
ステファニーは、扇子で口元を隠してジェームズに答える。
「10mぐらい歩けよ。裏でのんびり座って、時間を潰そう。」
二人は、大人たちの間をかいくぐり、舞台裏に忍びこむ。
正面から見ると、華やかな貴族の屋敷であったり、森の小径であったものが、裏側は安っぽい木材や布の繋ぎ合わせで風情も何もない。
足元には、先ほどまで騎士が持っていた剣が転がり、貴族の娘が着ていた舞台衣装が脱ぎ捨てられている。
それらをジェームズは傍に寄せ、ステファニーが座る場所を作る。
「葉巻、くすねてきた。やるか?」
ジェームズは、懐から葉巻とオイルライターを取り出す。
「いや、やめた。匂いでバレて、主治医に説教された。成長が止まるって聞いたから、我慢して吸ってただけだし。」
ステファニーは、スカートの中であぐらをかき、腰を落ち着かせる。
「背が伸びないなら、時間稼ぎに吸っておけよ。」
「それだけじゃない。女なら月のモノが来ない、とか、男なら将来、機能不全になるって。」
ジェームズが目を丸くする。
「マズいな、それ。」
その時、二人の近くで、物音がする。
「誰だ?」
ジェームズが問いかける。
「ここは、私の仕事場よ。あなたたちこそ、誰よ?」
大道具の陰から少女が現れた。手に脱ぎ散らかされた役者の衣装を持っている。やや日焼けし、そばかす顔の見るからに一座の一人といった様子だ。
綿のシャツとスカートは着古されてはいるが、よくアイロン掛けされており、王宮に来るにあたり精一杯の礼儀を尽くしているようだ。
「今日の観客だよ。大人たちから離れて寛いでるだけ。」
ジェームズが答える。
ステファニーは、先ほどの会話をこの少女が立ち聞きしていないか心配になる。
「ふうん。」
「君は、この劇団の人?」
「そうよ。劇団のみんなと一緒に旅してるの。アニーよ。」
「僕は、ジェームズ。こっちは、婚約者のステファニー。」
ジェームズが答える。
「ふうん。あなたたちも女装して遊んでるの?」
アニーは、ジェームズの隣に腰掛け、ポケットからスキットルを出す。
「失礼だな。ステファニーが男に見えるか?」
ジェームズがアニーに食ってかかる。
「私の目を誤魔化そうってのは無理な話よ。赤ん坊のときから、女装した男を見てきてるんだから。」
ジェームズとステファニーは顔を見合わせる。十三年間、ジェームズ以外の誰も気づいていない事実を、出会って一分で見抜かれるとは、思いも寄らなかった。
「… 遊びじゃなくて、本気の女装なわけ?」
アニーは、スキットルに口を付けて話を続けた。
「何で、女装だと思う?」
口を開けばボロが出そうで、ステファニーは話せない。ジェームズもそれを察して、代わりにアニーに質問する。
「まず、腰、貴族のくせにコルセットしてその太さはヤバいわ。しかも、贅肉で太いのとは種類が違う太さじゃない。手首も指の節も、女にしては…じゃない?今、いくつよ?喉仏が出てきたら、完璧に男よ。」
アニーは、一つずつ確かめるようにステファニーの身体を指差しながら答えた。
「わかった…内緒にしてくれない?これ。」
観念したステファニーが答える。日に日に身体つきが女性らしくなくなって来ていると、本気で悩んでいるのだ。こうも指摘されては、否定する気力も湧かない。
「いいけど、見る人が見たら、わかるわよ。」
「そのさ…見る人が見てもわからないようにする助言をくれないか?プロだろ?」
ジェームズは、アニーの手からスキットルをひったくる。
「君のコレ、黙っておいてやるからさ。」
アニーは、ジェームズからスキットルを取り返そうとするが、空振りに終わる。
「はいはい。でも、その前に、何でこんな茶番やってるのか教えてくれない?」
舞台裏で知り合った少女に、二人は事情を話すことにした。どうせ、旅芸人の娘だ。秘密を他で吹聴して回ったとしても、誰も相手にするまい。
「え? それ、本気でやってんの?」
黙って聞いていたアニーの最初の台詞はこれだった。
「あのさ、あんたの父さん、阿呆なの?」
スキットルの酒で饒舌になったアニーは、二人が公爵令嬢と王太子であることは忘れた様子だ。
「阿呆…というか、心身喪失、ってヤツだ。僕が生まれてから、寝込んでいるし、冷静な判断はできない。だから、父の弟である叔父が代わりに取り仕切ってる。」
面倒くさそうにステファニーが答える。
「叔父さん夫婦は、わかっててあんたに妹を演じさせてるの?」
「そう。」
「そいつら、阿呆ね。」
アニーがため息を吐く。
「身の回りのこと、どうしてるわけ?」
「3歳までは乳母がいた。それ以降は、侍女一人だけが秘密を知ってる。」
着替えなどは、侍女のサラ…と言っても五十歳を過ぎた女性で、しかも読み書きのできない聴唖の侍女だ。
「…劇作家的に考えると、あんたの妹は殺されたか、どこかで生きてて、叔父夫婦が公爵家の実権を握るために、画策したみたいに見えるわね。」
アニーが、笑いながらスキットルを口に運ぶ。
「「え?」」
「まずは、妹がどうやって死んだのか調べるとこからじゃない?不自然すぎるでしょ?」
アニーの一言に、ステファニーとジェームズは顔を見合わせる。
「だいたいね、あんたの女装、まだ見れるわよ。胡座なんかかいてるから、貴族のお嬢ちゃんじゃない、って思ってからかっただけよ… もうちょっとしっかりしなさいよ、特権階級のお坊ちゃんたち!」
アニーは、カラカラと笑ったが、少年二人には、全然笑えなかった。
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