第25話

 高揚感に浸っていた。もう、体が完璧に調和している。二本足で歩き、足がもつれることもない。


 そんなとき、記憶が流れ込んできて。

 目の前に僕がいた。その僕に向かってみ聞き覚えのある声で語っている記憶。


 ほかにも、見覚えのある人、見覚えのある場所。


「酷いものだね」


 声発していない。でも、まるで自分が思い浮かべたかのように言葉が湧き上がってくる。


「バン博士……」


 確証はないが、多分向こう側も僕と同じような感じなのだろうと分かって。


「やぁ」


 そんな概念すらないのは分かっている。

 ……でも、バン博士はすぐそばにいると確信できた。

 振り向けもしない。そもそも何も見えないというのに。


「来たんですね」


 意外なような当然のような。


「うん」


 その瞬間、博士の記憶を垣間見えた。まるで思い出たかのようで。


「酷いものだね」


 また博士の声が内から浮かんできた。

 主語がない。でも流れ込んでくる残酷な記憶のことを指しているのは分かる。


「進化ってなんですかね?」


 そう訪ねていた。

 進化して、その先ではより大きな苦しみが待っている。


 進化すればするほど大勢殺せるよう変化した植物。その分、普段の生活すらままならない。種類によっては自分の子孫をを残せないように進化した植物すらいて。

 

 『保存の樹』に関しては、他人のために自分のすべてを投げ売っていて

 

 そして、人は進化した結果、抜け出せない虚構に苦しめられ続けることになって。

 

「あぁ、そもそも君は根底が間違えてるよ」


 そんな声が湧き上がってきて。


「進化はそんな夢に溢れたものじゃない。ただ変化した結果、その時の生息環境の要素が絡み合って、増えていった。それだけだよ」 


 博士の声は内から湧き出て、そして、体に染み渡っていく。


「幸せだから繁栄したんじゃない。全体として増えていったから繁栄しただけだよ。毎秒1億人死んでも、1億一人生まれるんだったらその種は繁栄する」


 驚くほどに博士の言葉は僕に納得感を芽生えさせて。

 しかし、それと引き換えにおそらくずっと拭えないほどの絶望感に襲われた。


 世界の根幹、そのものが不幸に要因なんじゃないか。そう思った。


「そのとおりだと思うよ。もともとこの世界は幸せに生きれるようにできてない」


 頭ではわかっていたのに。心がそれを否定する。

 博士の感情も伝わってきて。まるで僕と同じで。そんな世界だとわかっていても、多分ずっと諦めきれないんだと思う。


「じゃあ、進むしかないですね」


 集合体で全ての生物が一つになれば、もう、根底からひっくり返る。


 繁殖も進化もない、生物ごとの変化すらも消えてなくなる。


「だから、グラシアを吸収しようとしてるのかい?」


「…………………僕が決めたわけじゃないですよ」


「そうか、そうだね」


 博士の言葉が内から湧き上がる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 エツィオは瓶から『翅の樹』の苗木を取り出し、背中に押し付けた。


 根が皮膚を破って中に侵入とすると、背中全体に根を伸ばしていく。

 

 そして、幹が成長し、成長を終えると、真っ二つに枝は別れ、トンボの羽のように細かい枝が網情に広がり、透明の膜が覆いかぶさる。


「気をつけてね」


 隣に立っていたユズキは心配そうに言った。


「ごめん、私もいければ」


「いいよ。ユズキはグラシアの様子を見ていてくれ」


 エツィオはそう答えて、『終わりの森』の方を睨み付けた。

 エツィオの眼下ではちょうど軍の最後の一人が枝から飛び降りたところで。


 『終わりの森』向かって滑空する軍人。その数は百近くいるだろうか。


 集合体が動き出したことで、ほとんど準備する時間がない中、よくここまで『翅の樹』を集めたと非常事態にも拘らず感心してしまって。


 不幸中の幸いというべきか、集合体が動き出したことによって、グラシアを犠牲にする作戦は飛び、集合体のエネルギーとなっているガベト族の討伐だけになった。

 

 集合体はもう随分と『終わりの森』から離れたが、ガベト族は『終わりの森』にいるという状況で。


 まるで繭のように、白い糸、『終わりの森』の『生命の樹』が覆っていて、そのまま集合体の背中にエネルギーチューブのように伸びている。


 ガベト族を守るためか、未だ植物は集合体の一部とならず、『終わりの森』にいる。でも、随分と数が減っていて。


 ガベト族を殺し、エネルギー源を断つ。集合体として体を維持できなくなり分裂し始める。


 おそらく、今までの観測の結果間違いない。

 植物に大きく劣る人間ではこれしか方法がない。


 懸念事項は博士たちだ。さっき研究所を見ても誰もいない。もぬけの殻だった。


「じゃあ行ってくる」


 エツィオはそう言った。博士たちの動きは気になるものの。もう時間がない。最優先事項は集合体の件だ。


 エツィオは飛び降りた。背中全体が上に引っ張られる。


 前方向にぎゅんと一気に加速する。目の前がぼやけて、俯かないと息が出来ないほど風圧を体に受けて


 そのまま、『終わりの森』向かって滑空していく。


 視界の端では、頂上では人が営んでいる『暴食の樹』のもう根本あたりまでたどり着いている集合体に視線をやる。


 

 集合体も気づいたのだろう。その背中から鳥が飛び立つ。しかし、スピードはこちらの方が上だ。近づくどころかどんどんと距離を離して。


 そうして、どんどんと降りていき、もうすぐ目の前まで『終わりの森』が迫ってくる。

 

ここだっ、


 エツィオは幹をナイフで切った。


 フッ

 

 途端に浮遊感に襲われて、下から風が勢い吹き始める。

 真下に向かって加速していく。もう木肌がはっきりと見えるほど『終わりの森』に近づいて。


 エツィオは持っていた瓶を強く握りしめた。


 そして、もうすぐ地面というところで、地面に瓶を投げつけた。


 ボフンッ。


 そんな音とともに目の前に緑がいっぱいに広がって、体中が柔らかいものにおおわれた。


 視線を上げる。すぐ目の前にある『暴食の樹』。そのある程度の高さから生えている枝には繭があって。


 狙い通りの場所に降りれた。


 ゴグッ


 鈍くへしゃげる音が聞こえた。

 エツィオの視界に空を舞う人が割り込んできた。見るからにあり得ない形に曲がった体。赤い血が吹き出していて。


「気をつけろ!」


 その声とともに、弾けるように立ち上がったエツィオ。


 地面が揺れる。人なんて簡単に潰してしまうほどの質量が蠢く、重い音があたりに響く。


 叫び声が至る場所から上がりだして。


 エツィオは、『暴食の樹』の苗木が入った瓶を地面に叩きつけ、成長する苗木に捕まる。一気に目標の枝まで近づいていく。


 ドォン、すぐ真下から破裂音がした。強い衝撃。


 もう確認する余裕もなかった。すぐに枝に飛び乗り、胸ポケットからナイフを取り出し、そのままガベト族を覆う、白い繊維質を掻き分け腕を中に突っ込んだ。


「はっ?」


 何も手ごたえがなかった。

 慌ててナイフで切り裂く。白い繊維質を剝いでいく。


「……やられた」


 そこにはからっぽだった。

 周りの様子を見るに、どこも同じようで。


 ドゴォン

 もうすぐそこまで植物が迫ってきていて。


 読まれた? 完璧にこちらの動向を掴んでいるかのようで。


 どうして……。


 揺れに耐えきれず足を滑らした。浮遊感に襲われて。


 やばい


 一瞬のことで考える暇もなかった。無我夢中で『風船の樹』の苗木が入った瓶を取り出し、もう方向性も分からないが、エツィオは地面と思われる方向に瓶を投げつけた。


パリンと割れる音。

上手く行け!エツィオはそう願った。


 プシュゥゥ

 膨らむ音。そして右斜め前から柔らかいものに包まれた。

 

 しかし、また数秒の浮遊感を感じて。

 何が起こってるか分からなかった。背中に広がった痛み。地面に激突した。

 

 ピキッ、甲高い音が服のポケットから聞こえて。


 体全体から感じる痛み。あえぐように地面でのたうち回るとふと目に入った『風船の樹』。それは、高さ5メートルほどの高さの木の幹にくっついていて。


 ミスった……。地面に投げたつもりだったのに。


 あまりの痛みに悶絶するエツィオ。

 しかし、痛みが引くのを待つ時間すらない。服の中でなにか蠢く感覚。


「うっ……やばい」


 痛みに悶えながら、服を脱ぎ、投げ捨てる。

 途端に、服を破り様々な種類の植物が一気に成長しはじめる。  

 エツィオはまたその場に倒れた。足を少しでも動かそうとすると、脳にまで突き刺すような痛みが届く。

 近づいてくる植物。体を細かい糸が弄り始めた。


 まずい。でも、もう打つ手が……。体中に力を入れるが指が辛うじて動いた程度で。


 ズドォン


 突然聞こえた轟音。耳の直ぐ側で何かが破裂したような。


 直ぐ側に木の棒が刺さっていた。すぐにグラシアの援護だと気づいて。 

 その槍には付けられた瓶、中で『生命の樹』が蠢いている。


「いっつ」


 痛みで腕が伸ばせない。ぷるぷると震えながらようやく瓶を取り、割った。体の中に入ってくる『生命の樹』。


 みるみるうちに痛みが引いていって。エツィオは飛び起きた。


「まじか」


 飛び起きた早々そうぼやいた。


 おそらく軍人だろう。周りの至る所に白い糸がくっついた人たちが数十人立っていた。

 もうすでに囲まれていて逃げ道はない。


ヒュン、ドガァンッ、

 その衝撃に思わず腕で顔を覆う。

 見ると、左方向から近づいてこようとしていた三人が頭からやりに穿かれていて。

 考えるより先にそちらに向かって走っていた。

 同時に集合体の一部となった軍人たちも

寸分たがわず同じタイミングで走り出した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

走りながらいくつも感じる衝撃。グラシアがなんども援護してくれている。

しかし、それでも状況は悪くなる一方で。


「俺以外全滅かよ」


 瞬く間に増えていく集合体の一部となった軍人。


 まずいな。エツィオは舌打ちをする。更に植物がこちらに向かっているのが、視界の端でとらえる。

このままじゃ……。


 その時、エツィオの走っている先に、カバンがおちてあるのが目に入って。軍人が装備していたカバンだ。

 それを掴もうとする。


 でも、ギリギリで肩を摑まれ、阻まれる。人間ではありえないほどの力で。指が肉に食い込んでくる。   


「うぉぉ!」


 体を無理やり伸ばして、鞄を手繰り寄せた。

 一番初めに掴んだ瓶を取り出し、エツィオの肩をつかむ軍人向け、投げつけた。

 瓶は割れ、軍人を縛るように成長する『檻の樹』。 

 

 手を振りほどき、走り出すエツィオ。


 一旦危機は脱した。しかし、進む先に現れた集合体の一部になってしまった人。

 背中にはいくつもの白い繊維状の糸が張り付いていて。


 やけに見覚えがあった。


 背丈や、立ち姿がまるで博士のように見えて。エツィオはそのまま真っすぐ走る。

 どんどんと顔の輪郭がはっきりとして、気づく。間違いなく博士であるということに


「博士!」


 そう呼びかけるエツィオ。反応する様子はなく。なんなら、襲おうとエツィオ向かって走り出してきて。


「くそ!どういうことだよ!」


 エツィオはすぐにまた鞄を探って瓶を探る。

でも遅かった。


 そのまま飛び掛かってきたバン博士。そのまま勢いに負けて地面に倒される。

 その一瞬の時間にも拘らず、もう、周りは集合体の一部となった人、植物で囲まれた。それぞれから白い繊維質が伸び始めて、それが束になって押し寄せてくる。


「博士!博士!」


 そう呼び掛けて逃れようとするも、全く身動きが取れない。博士の細い体は考えられないほどの強さで押さえつけられていて。


 ばぁんっ


 耳元で爆発音がした。耳元には十個近く『生命の樹』が入った瓶がついた槍が刺さっていた。


 離れた場所に槍が降ってきた。ピキッという甲高い音とともに。

 槍に括り付けられた瓶から、成長する様々な植物。その場で暴れだし始めて。


 ぶぉん


 チッ、と髪がかすった音が聞こえた。同時に博士の姿が消えて、抑えられつけていた力もなくなる。吹き飛ばされている博士。


ゴギャ、ゴグッ


 いたるところで鈍い音がなり始めた。

 グラシアが飛ばしてきた植物達が暴れ出したのだ。それを押さえつけようとする集合体の一部となった軍人、植物。 


 その隙に、走って博士のもとへ向かう。

 ナイフを取り出して、白い繊維質の糸を切り落とす。


 しかし、すぐにもどかしくなっ最後は思いっきり、引きちぎるように体を引っ張って。

 ブチッブチッ

 一気に引きちぎった。勢いを殺せず、その場に倒れるエツィオ。


 その時気づいた。音が鳴り止んでいることに。

 辺りを見ると、暴れていたはずの植物は白い繊維質の糸におおわれていて。


 そして、集合体の一部となった、人と植物はエツィオと博士のまわりを完全に包囲していた。それどころか、白い糸で辺りを囲って、もうアリ一匹、逃げ出せないほどに囲っていて。


 その円がじりじりと狭まっていく。


 それどころか、エツィオに影が差す。見ると、集合体の一部である植物が空を覆いだした。グラシアの援護を阻むために。

 

「はぁはぁはぁ」


 エツィオは片膝をついた。体中の力が抜けていく。

 今まで体に無理をさせてきた疲れが一気に押し寄せてきたのだ。

 もう博士を支えることもできなくて。


 そもそも、作戦が失敗した時点で打つ手がなくて。

 頭ではなにか作戦を考えているのに、根本では諦めが広がっていく。


 そんな時だった。唐突に周りの一切の動きが止まった。

 その数秒後、エツィオと博士の周りを囲んでいた集合体の一部となった軍人や、植物が突然融合し始めた。


 そして、大きな赤ん坊のような姿になると、ハイハイするように進み始めた。


 エツィオたちとは全く逆の方向。

 その先にそびえ立っている『暴食の樹』。グラシアのいる『暴食の樹』で。


 その『暴食の樹』へと『終わりの森』のすべての植物が向かう。


 そして、その『暴食の樹』を順調に登っていく、完全な人の形へと変化した集合体。


 助かったはずのエツィオ。しかし、しばらくその場に呆然と立ち尽くしていた。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 グラシアが普段過ごしている部屋に入るエツィオ。

 部屋にはグラシアとユズキがいて。


「博士は?」


 慌てた様子でユズキが尋ねる。


「動けないみたいだ。今、奥の部屋で横になってる」


 そう答えるエツィオ。グラシアが植物を操り、集合体よりも随分早く頂上に戻ってこれた。

 しかし、状況は変わるわけもない。もうすでに集合体はあと一日でここまでたどり着くかといったところで。


 そんなエツィオの腕の袖を引いたグラシア。


「ねぇ、エツィオ。ルティがこっち来てる。なのにユズキが行かないでって」


 不服そうな表情を浮かべるグラシア。


「ごめん。それに関してはもうちょっと待ってくれない? ユズキと話さないといけないことがあるんだ」


「分かった……」


 そう言って部屋の端っこに行くグラシア。申し訳無さが込み上げてきたが、いまはそれどころじゃない。


「今の状況は?」


 エツィオが尋ねると、ユズキは街の様子に関して話しだした。


 まだ街の住人には、集合体の情報は知らされていない。しかし、異変に気付いている人は現れ始めているらしい。

 

 上は諦めて逃げ出すものもいる状況。一方で軍の方向性としては住民を全員、逃がそうと尽力しているらしい。


 それはそうだろう。もう、それしか方法はない。そうは分かっていたが、


「どこに逃げるんだよ」


 そう毒づくエツィオ。

 この世界にここ以上に安全な場所はない。ここが陥落した時点で終わりだ。


 そんなエツィオにユズキは、


「……逃げるには『翅の樹』と『風船の樹』が必要になる」


「……分かった探すよ」


 今はやれることをやるしかない。そう自分に言い聞かすエツィオ。


「私はいま研究所にある苗木のリストを集める。それと、なんとか方法がないか、最後まで考えるよ」


 そうは言うものの、ユズキの顔にはどこか諦めているような色があって。


 方法なんて今までは上げれるだけ上げている。それがどれも実行できないレベルだった。

 なのに、今頃思いつく可能性なんて。


「まだ一日ある。なんとかしないと」


 自分に言い聞かすように言い放ったユズキ。でも、あまりにも声に覇気がなくて、逆効果だった。自分が精神的にもう疲労困憊であることが分かっただけだった。


 そんな時だった。


 バンッ


 遠くでドアが乱雑に開く音、大量の足跡がなだれ込んでくる。どんどんと大きくなっていく足跡。ユズキ達のいる部屋のドアがバンと開いた。


 部屋に流れ込んでくる軍人。

 いつもの空間に割り込んできた強烈な違和感。


「グラシアを引き受けに来た」


 ずんと腹の奥まで響く声。


「グラシアの所有権はこちらに移った」


 軍の最高司令官ホーガンはそう言うと、周りにいる軍人が動きだし、エツィオ、ユズキ、グラシアを捉えて。


 初めは何がなんだか分からなかったエツィオだったが、ようやく状況に気づき始め、


「何をする気だ」


 そう噛みつくように怒鳴った。

 そんなエツィオをまるで気にする様子のないホーガン。

 周りに指示を出しながら、


「トニーはどこにいる?」


 そうエツィオ達に訪ねた。

 その間も軍人がいつもの部屋を踏み荒らしていく。

 ちらりと見ると、グラシアはなにか薬を盛られたのか眠っていて、ユズキの体は恐怖なのか震えていて。


「誰がお前らなんかに教えるか」


 そう噛みつくように吠えたエツィオ。

 そんなエツィオの前までつかつかと歩くホーガン。ズイッとエツィオに顔を近づけると、


「これは父親としての最後の言葉だ。今の状況を考えろ。個人の感情に流されてる場合じゃない」


 迫力のある目力にエツィオは思わず押し黙って。


「トニーのやつはどこにいる?」


「……見当たらない。知らない」


エツィオは、顔を背け、ぼそっと言った。


「逃げたか……? バンのやつはどこだ?」


「……向こうの部屋で……」


「よしっ。バンとグラシアを連れてこい。行くぞ!」


 エツィオがすべて言い切る前に、ホーガンは歩き出す。

 そして、殺意を込めた目でグラシアを睨みつけると、


「こいつはどこまで疫病神なんだ」


 そう唸るように言うと、研究所を後にした。その後ろに続いて、グラシアと数人の軍人に体を持ち上げられたバン博士が連れて行かれて。


「……まってくれ」


 そういうエツィオの声は弱々しくて、軍人によって簡単に体を押さえつけられる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

バシャッ、


 顔にかかる大量の水。僕は跳ね起きた。

 頭がくらくらする。日差しがやけに眩しくて。誰か、すぐ目の前にいるようで、薄目で確認する。


「……ホーガンさん?」 


 目の前にはホーガンさんが立っていた。


……どういう状況だ?


 記憶が混濁していて、途切れ途切れにしか思い出せない。でも、どの断片的な記憶でもこの状況に繫がる記憶は見つからない。


 僕は…………。ええっと……。なぜか、ルティと話したような気がして。


「ここどこですか?」


 ゴウっと強い風が吹いた。思わず目を細める。


 もう百人以上の軍人が辺りを動き回っている。

 その軍人の誰の表情も異様なほど強張っていて。その割に異様なほど統率が取れていて、奇妙だった。


 しかし、視界から入ってくる情報はそれだけで、どこにいるかなどは全くわからない。

 だから、立ち上がろうとした。しかし、足が自分のものではないようにフラフラで。

 近くにいた軍人がそんな僕の様子を見かねて肩を貸してくれる。


 その時、一番に僕の目に入ったのは、クジラだった。

 『暴食の樹』によって縛り上げられ、絶命したクジラだった。その背中に小さな人影があって。


「グラシアだ」


 地面が揺れ、思わず体制を崩した。

 ほかの軍人がやけに下を意識してることに気づき、下に視線を向ける。

 

 そこには、木の幹を登っている集合体の姿が。


「我々にはもう時間がない。簡単に作戦を話す」


 作戦と言葉を言った途端、ホーガンは鼻で笑って、


「作戦と呼べないほど、酷い作戦だがな」


 いいか一度だけしか言わないぞと念押し話し始めるホーガン。


「要するに時間稼ぎだ。グラシアを囮にして集合体をクジラの上におびき寄せる。その隙にあのクジラを支える『暴食の樹』を破壊して、この高度から地面に落とす」 


「準備完了しました」


 そう声がかかって、それに身振りだけ答えるホーガン。また僕の方に視線を向けると、


「上手く行けば、殺せるかもしれない。それでなくとも時間は稼げるだろう。その間に少しでも住人を逃がす」


 そう語るホーガン。時間が立つごとに今の危機的状況が飲み込み始めて。


「……どうして僕をここへ?」


 だからこそ分からなくて。混乱してしまっていた。


「言っただろ。自分でも分かるほど禄でもない作戦じゃないってな」


 そう言ってホーガンは僕の方を振り向くと、


「トニーは信用できん。けど、貴様はまだ信用できる。ぎりぎりまでここに居て少しでもマシな作戦を考え続けろ」


「……はっ?」


「そのために貴様を呼んだ」


 そう言って、ホーガンは双眼鏡を投げ渡してくる。

 その双眼鏡を受け取れなかった。そのまま胸に当たって地面に落ちる。


 何も理解をしたくないのに、脳が正常に働き始めるとともに、この状況の整理をし始めて。分かりたくもないのに、大体の状況は把握し始めてしまう。

 薄れていた記憶も明確になっていく。


「待ってください。突然……急に……なんも思いつきません」


かすれた声で答えた。


頭によぎるルティの顔、トニーの顔、ユズキの顔、エツィオの顔、グラシアの顔、シーナの顔。


「まだ自分がどうしたいかも分からないのに……」


 数秒、無言の時間が続いた。ホーガンからの視線が痛くて。


「ここにトニーなんぞこさせない。貴様が一人で決めろ」


 それだけ言って、ホーガンはどこかへ行った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ホーガンに突然連れてこられて数時間たった。


 グラグラと揺れる。

 ギギギとしなる椅子。

 そしてすぐにまたグラグラと揺れる。しなる椅子。耐えられず転ける軍人もいて。


 もうすぐそこだった。集合体はすぐ近くにいて。


 集合体の動きは人間そのものだった。ゆっくりと木々を登ってくる。

 そのすべての行動によって起こる揺れがダイレクトに伝わる。


 そして、視界の端にはクジラの上に縛り付けられたグラシアがいて。

 このままじゃ。グラシアが集合体に取り込まれる。


 でも、ルティが臨んでいるのは……。


 さっきルティと繋がったからこそ分かる。ルティ自身もまだ迷っていて。

 でも、集合体の総意を逸脱しない。それだけはルティの中で決意が固まっていたり

 

 これからの人々の新たな生き方になるルティがそう決意している。


 頭はもう悲鳴を上げているのに、どんどんと熱を帯びていく。


 すべてのエネルギーが脳に向かっているのか、もう体が動かない。


 もう何も考えたくない。


「もう何もかんがえなくてもいいんですよ」


 ルティの声が脳裏に蘇る。集合体に行けば何も考えなくて済む。


 でもどうしてだろう。

 またあの集合体の一部に戻ろうとする気は起きなくて。


 ルティの言う通りだ。集合体であれば根本からひっくり返すことができる。それだけの可能性を秘めている。


 なのに、どうして僕は。


 そもそも、集合体から切り離されたことも、何も思わなかった。苛立ちもしなかった。


 自分は一体何を考えてるんだ。


 もう考えたくないのに頭が勝手に動く。

 何も見ないように俯こうとした。


「駄目だ。見続けろ。最後まで可能性を探れ」


 そうホーガンに無理やり顔を持ち上げられて。

 目に入る集合体。もうすぐ近くまで迫ってきていて。


「どうやって止めれるんですか……」


 そんな声が漏れていた。

 圧倒的な存在。見るだけでわかる。僕らにできることは一切ない。


 あぁ……止めれるわけがない。


 この世界のすべての動物はすべて集合体に飲み込まれる。

 頭ではわかるのに、不思議なことにまだ実感がわかなくて。


「おい。なにか思いついたか」


 ホーガンの声で一気に現実に引き戻される。

 僕の顔をみて、なにもないことを理解したのだろう。


「準備を始めろー!」


 体の芯まで響くような声で命令して。

 

 僕は結局何もできないままで。ただ見つめてるだけ。

 未だ実感がわかない。なのに、心臓は跳ね上がっていて。身体中が震えていて。息苦しい。


 集合体の手がクジラへと伸びる暴食の木にかかった。

 ゆっくりと体を引き上げ、クジラへと伸びる木をわたり始める。


 ミキッミキッミシッ


 異様なほどにしなる木。

 集合体はクジラに向かってゆっくりと近づく。その先にはグラシアが寝ている。


 ちらりとホーガンを見た。すぐさま指示を出せる用意をしていて。


 無駄なのにな。もはや僕は他人事のように感じてしまって。

 でも、集合体とグラシアが融合すれば、間違いなく全ての生物は集合体の一部になるのは時間の問題で。

 

 木の上をゆっくりとぎこちなく、だが着実に進む集合体。

 その腕はゆっくりとグラシアに向かう。


 集合体のみになったこの世界は一体どうなるんだろう。

 視界の端で、ホーガンがスイッチに指を置く。


 そして、その時が来た。

 集合体の指がグラシアに触れた。


 その瞬間、誰もが予測してないことが起こった。


 集合体の体が、まるで風船のように膨らんだ。指から空気を吹き込まれたかのように、指先から体に向かって膨らんでいく。


 その反動で集合体の体があらぬ方向へと反り返り。


 その数秒ですら集合体はどんどんと膨らんでいく。

 そして次の瞬間、集合体の指先が千切れた。


 ちぎれた部分からあふれるようにこぼれ落ちる小さな植物。

 まるで集合体が緑の血を流してるように。


 それに続いて、足、腕、肩、体の至る所がちぎれ落ちていく。


 その衝撃で、集合体の姿勢が大きく崩れた。

 体の至る所がちぎれ落ちた集合体にはその巨体を支えることができず、集合体は落ちていった。


…………何が起こった?

 

 僕は暫くの間、ついさっきまで集合体がいた空間を見つめ続けていた。

 

 何もしていないのに、集合体の体が分裂し、自ら落ちていったのだ。


グラシアか……? いや、グラシアは今気絶していて何もしているはずがない。


 その理解し難い状況。頭はパンクして真っ白だった。

 

 しばらくすると、まず感情が湧き上がってきた。


 呆気なさ。それに紛れて様々な感情が湧き上がってきて。

 それが混ざり合って妙な虚脱感を生み出していた。

 少しでも気を抜くと、その場に倒れ込んでしまうような。


 そこにいる誰もが同じだっただろう。誰も微動だにしなかった。


 その中ではじめに動いたのは流石というべきか、ホーガンだった。


 双眼鏡を取り出し、いち早く集合体の様子を確認しはじめて。

 同時に、まだ頭がパンクしている僕を無理やり引っ張って、双眼鏡をのぞかせる。


 地上では、様々な部位が分裂した集合体がまた一つになろうと、断面部分の白い糸が絡まり合っていて。


「駄目か……」


 ため息混じりのホーガンの声が聞こえる。


 …………。


 その周りに散っている植物に目が吸い込まれた。


 散らばった植物を見るとどれも同じ見た目をしている。同じ種の植物だ。


「第三世代だ」


 ある事実に気づいた。


 集合体にはなったとはいえ、それぞれの植物が持つ特性まで消えたわけじゃない。



 瞬間、背筋がひんやりと冷える感覚を覚える。まずい。


 視線をずらしてグラシアのいるクジラの方に視線を向ける。見るともうすでにクジラの背中には同じ種類の植物が辺りを覆いつくさんばかりに増殖していっている。


 ここまで繁殖の速度が速いとは……。


 グラシアのエネルギーを受けて爆発的に繁殖している。


「グラシアを空へ!」


 僕は叫んだ。繁殖を止めるためグラシアを地面から離さないといけない。


 もともと、軍も何かあった時のためにグラシアを空に浮かばせる『風船の木』の苗木を詰めた銃を持っている。


 しかし、まだそこにいる軍人たちはなぜ集合体が落ちていったのか、その事実も整理しきれていない。そんな中僕が叫んでも余計に動揺させるだけで。


 さわさわ


 細かいもの同士がかすれる音が聞こえる。成長に伴って植物同士が擦れ合う微かな音だ。その微かな音でも莫大な数が鳴れば増幅して大きな音になる。

 

「撃て!」


 ホーガンが叫んだ。その場にいる軍人は途端に弾かれるように動く。


 プシュ、プシュ、プシュ、


 銃声がいくつも聞こえる。数コンマ後で、グラシアの体に根を生やした『風船の木』が膨れ上がり、グラシアは宙に浮かぶ。


 もうグラシアの直ぐ側までたどり着いていた第3世代。


「なんだこれ」


 慌てる声が直ぐ側で聞こえた。

 みると、こちら側まで第3世代はたどり着いていて、端の方にいた軍人の腰辺りまで達していた。


 ぎりぎりだった。息をふぅっと吐いた。


「大丈夫です。そのまま時間をおいて」


 その後、一分近く待つと、どんどんと花が開き、そして、全てに花が生えた。


 風になびく花。甘い香りが当たりに漂う。目の前いっぱいに広がる花。

 

 今の緊迫した状況にはあまりにも不釣り合いなほど美しくて。


「もう大丈夫です。グラシアも下ろしても大丈夫です」


「これはまさか」


 ホーガンがそう尋ねてくる。その顔には心当たりがあるような表情をしていて。


「『増殖の樹』です」


 そう僕が答えると、やはりという表情をするホーガン。


 『増殖の樹』。

 第三世代の植物のすべての起源にあたる植物だ。


 それは攻撃的な進化を遂げ続けた先ではなく、偶然の産物だった。


 その植物は、当時、繁栄するには必須になっていた「移動できる」という特性を捨て、『生涯で一度だけ繁殖にエネルギーを全振りする』特性を進化によって手に入れた。


 その短期間というのは、もちろんガベト族が近くを通った時、異常なエネルギーを感じ取った瞬間だ。エネルギーのすべてを繁殖に回す。


 その結果、爆発的に増える。そして、エネルギーが減ると、繁殖器官を捨て去り、花を咲かせる。

 

 ある人間がその生態に目を付けた。


 ガベト族の街に放り込めば、たちまち町は『増殖の樹』で埋め尽くされる。一つ一つは小さい植物だが、数が膨大になれば動けなくもなる、耳、鼻、口などから体の体内にも入り込んで、増殖する。


 他にも、他の植物と掛け合わせることで、更に殺傷性を高めた『増殖の樹』が生まれた。増殖のタイミングで爆発するものや、毒を放出するもの。


 その植物はエネルギー源となったガベト属だからこそ、より殺傷能力が高まる。

 自分のエネルギーによって爆発的に増殖し、巻き込まれる。


 『暴食の樹』も『増殖の樹』を元に生み出されたという。


「あっ……」


 僕は思わず声を出してしまった。


 気づいてしまった。ルティを助け出せるかもしれない方法に。

 でもこの方法を選ぶと、集合体は破滅するだろう。


 同時にさぁっと顔が蒼くなる。


「何か思いついたのか?」


 ホーガンが顔を覗き込んできて。

 その時、僕が浮かべた表情はこの状況にはあまりにも似つかわしくない表情をしていたはずだ。


 あまりにも不意に思いついたことで、表情まで気を回す余裕がなかったのだ。


 しかし、それでホーガンは確信を得たのだろう。ホーガンの顔色は変わった。


 その手で僕の両腕を掴む。興奮しているのか、その握る力は強くて思わず顔をしかめる。


「す、すまん。何か思いついたのなら、早くいってくれ」


 急かすホーガン。

 脳裏にルティの言葉が蘇った。


 ルティが臨んでいるのは……。


 自分の中で結論は出ていない。 

 でも、ホーガンの勢いに思わず口を開きそうになって。


 その瞬間、予想外の場所から声を掛けられる。


「すいません。ホーガンさんはいらっしゃいますか?」


 聞き馴染みのある声が耳に飛び込んできた。目の前にいるホーガンの顔がゆがんだ。


 見なくてもそこに誰がいるかわかった。


 振り返るとそこにはトニーとシーナが立っていて。


「ト……」


 トニーの名を呼ぼうとした瞬間、目の前にホーガンがまるでトニーと僕を断つように割り込んできて。


「何をしていた。この非常事態の時に」


「すいません。どうしても調べないといけないことがありまして」


「ふざけてるのか。非常事態よりも先に調べないといけないことなんてあるわけがないだろう。もう少しで住民があの集合体に取り込まれるとこだったんだぞ。今もその危険の中にいるんだぞ」


「まぁ、だから早く切り上げて戻ってきたんですよ。間に合ってよかった」


 真っすぐとした目で見つめるトニー。その目には嘘や誤魔化しの色は全く感じさせない。


「……一体お前は何をしようとしているんだ」


 唸るように言うホーガン。トニーはそれに笑顔を向けるだけで、姿勢を崩し、ホーガンの体から覗き込むように僕を見るトニー。


「新たな発見があったんだよ。君にも共有したい」


 その顔は満たされていた。ずっと一緒にいたからこそ分かる。

 その表情はトニーの予想を上回るほど衝撃の事実を見つけた時で。


 僕の胸が高鳴る。

 一瞬、腹の底に渦巻いた疑惑、今の危機的状況。そんなものを吹き飛ばしてしまう。


 ……あぁ、ついていきたい。


 トニーは僕に、誰も見たことのない、予測もつかない世界を見せてくれるのだろう。


 ドクンドクン


 心臓の鼓動が早まってくる。


「待て、こいつは助ける方法を思いついたんだ。その作戦を聞かないといけない」


「そうなの? バン」


 優しく尋ねるトニー。

 その瞬間、確信に変わった。この方法は上手く行くのだろう。

 トニーが気づいていないはずがない。


 その上でトニーは気づいてないふりをしている。


「お前の選択肢が人間全体のこれからがかかっているんだぞ」


 傾きかけていた意見。

 でも、ホーガンの一言で止まってしまう。喉の奥が酸っぱいものが走る。


「ここにいる全員は守りたい家族や友達、人がいる。だから、守ろうとこんな危険な場所に来ている」


 ホーガンが促す。視線は思わず辺りを見渡してしまう。


 見られている。そこにいる軍人が全員僕のこと。全員が懇願するようにこちらを見つめていて。


 気づきたくないのに、気づいてしまう。そこには震えている人もいて、傷を負っている人も。


 ……どっちを選べばいいんだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 どちらを選べばいいんだろう……。

 どちらもちゃんとした理由があって。


 動けなくなった。どちらにも行けない。


 どちらにも選ぶ正当な理由があって。


 息遣いが聞こえる。怯える息遣い。

 やめろやめてくれ。


 なんで僕が選ばないといけないんだ。僕は選びたくない。


 選ぶにもそれ相応の理由がいる。

 でも、どちらともに相当の理由があって。


 無意識に視線はトニーの。


 ガシッ


 頭を掴まれた。


「お前が決めろ。トニーの顔色を伺うな」


 目の前にズイッと近づいたホーガンの顔。その目からホーガンの感情がありありと感じ取れて。


 どいてくれよ。トニーの顔を見れない。


「お前の行動に掛かっているものを考えろ。いつもの癖で決めるような馬鹿なことはするな」


 腰辺りにじんわりとした痛みが広がる。気づくと僕はその場に尻もちをついていて。


 どうやって決めればいいんだろう。

 何も思いつかない。


「お前は何がしたいんだい?」


 ホーガンの声が聞こえる。


 僕は何をしたいんだ? 

 

 やめてくれよ。僕は決めたくない。

 そもそも僕は何がしたいんだ?


 分からない。いや、何かが引っかかっているのに。

 でも、いま頭に湧き上がってくる言葉で邪魔されて見えない。


 だから考えるしかない。どっちがちゃんとした理由だ。

 どっちが正しいんだ。明確な理由を。


 そんな時だった。


 視界の端に暴れながら連れてこられる二人の姿。


「エツィオ、シーナ」


 二人は何か分かっていない様子で、しかし、僕らの様子を見た途端ただ事ではない状況というのが理解できたのだろう。


 目頭が熱くなった。極度の状態から、懐かしさによって、心が安らいだことで、一気に眼の前がぼやけた。


「どうして二人はルティを助けようとするの?」


 気づくとそう尋ねていた。すがろうとしていたのかもしれない。二人は顔を見あって、少し考えると、


「今まで通り過ごしたいです」


 そうエツィオが言った。


「そうか……」


 今までに出た中で最も大したことのない。自分のことばかりで、しかも明確な理由もない。


 でも、その言葉が一番心に刺さった。


 そして気づいた。迷っていた理由に。


 どちらの理由が選べないんじゃない。その壮大さに受け止めきれなかっただけか。


 体中の力みが取れた。


 そうだ……。いつの間に勘違いしてたんだろう。自分が馬鹿らしくなった。


 僕なんて大したことがないのに。そんな壮大なこと分かるわけがない。

 頭では分かっていたのに、いつの間にか心で勘違いしていた。


「ははっ」


 笑いがこみあげてきた。自分で勝手に自分を縛って。こんな単純なのにこんなややこしくして。理解しようとして。理解なんてする必要もないのに。

 

「僕は大したことがなかった」


 気づくと僕の口からそう言葉が出ていた。


「ルティ君を助けたいのかい?」


 そうトニーに優しく尋ねられて、


「僕はいままでの生活で満足してたんだ」


 そうぽつりと言った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~’

 何が起こった?


 体が急に膨らみだしたと思ったら、耐えきれず体が分裂した。今もどんどんと体からあふれ出て行く。


 あたりを見渡すと、そこではさっきまでは同じ集合体だったもの同士が争いあっていて。


 やめろ。慌てて体を一体化させようとするが、集合体の動きが鈍い。

 みんなの意見が統一しない。様々な意見が錯綜して。


 辞めろ辞めろ。必死で意思を流し続ける。すると、徐々に動き出した集合体。白い糸、『終わりの森』の『生命の樹』を辺りに這わせ、暴れる植物につける。

 しばらくしてようやく体を一体化させることが出来た。


 しかし、体の至る所で感じる。エネルギーが足りず、また自我を持とうとする植物達に。

 無理やり押さえつける。


 バァン


 そんなとき、破裂音が聞こえた。その数秒後、

 

 ゴォォォッ


 なにか重いものが空気を押しのける音が聞こえて。


 空を見ると、クジラが落ちてきていた。


 すぐに目の前はクジラに覆われて。


 ドガァァァァ


 落下の勢いを殺せるわけもなく、地面に押し付けられ、めり込む体。

 体全体に走る衝撃。体中がブチブチと千切れていく感覚。


 突然の攻撃に様々な思考が矢継ぎ早に錯綜する。

 思考が纏まるわけもなく。思考が一気に流れ込んでくるせいで、頭が裂けそうに痛い。


 それが収まるまでにしばらくかかった。

 

 ……くそっ、一体何をする気だ。わざわざクジラを落としてきて。


 その時ちらりと見えたいくつもの小さな影。人だ。どこかの枝から数人の人がつるされている。そして、その一人がどんどんとこちらに降りてきて。。


 グラシア……?


 そして、グラシアは地面に足を置いた。


 えあっ、、、


 体中に優しい心地よさが広がっていく。

 どんどんと快感が強くなって。エネルギーが流れ込んでくる。


 わけが分からなかった。 

 でも、そんな思考が吹き飛ぶほどの、心地よさに体を任せた。


…………あれっ?


 しかし、どこか頭が重く、すぐに異変を感じるようになった。


 ふと、体が熱を持ち始めたように感じた。グラシアから発せられるエネルギーは心地よかったはずなのに、どんどんと体中の神経を刺激しているよう……。


 あまりにも強すぎる快感。


 はっ?


 まだまだ快感が強くなって。それどころかそれは加速していく。


 待って待って、痛い痛い、ぁぁぁぁ


 それはもはや痛みだった。脳天を貫いてくるほどの痛みで。


 ぁぁぁぁぁああああああああああ。


 僕は悶えた。逃れられない痛み。


 その時だった。体全体が膨らみだして。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「意外ですね。てっきり無理にでもバン博士を止めるものと思っていました」


 シーナがトニー博士の隣によって、そっと呟いた。


「まぁ、友達だからね。彼が決めたことは応援するよ」


 前を向いたまま答えるトニー博士。


「……それだけですか?」


 すると、トニー博士はくすっと笑って、


「まぁ、あれを見つけた後だから気分が高揚してるってこともあるよ」


 そう言ってトニー博士は『終わりの森』の方に視線を向けた。


「でも、それだけじゃない。グラシアちゃんが地面と接触した時、どれほどエネルギーを発するのか。それがどう影響が出るのか」


 少し考えた後、


「これから先のために知っておきたいんだよね。正直、予測がつかない」


 そう呟いて、グラシアの方に視線を向ける。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~”~~~~


「グラシアを下ろしている時間はどれくらいだ?」

 

 ホーガンはつかつかと歩いてきてそう尋ねた。


「予測もつかないです。様子を見てすぐさま行動するとしか」


「頼むぞ。お前にすべてがかかっている。失敗できない」


 そう言った後、ホーガンはすぐさま、指示を出しに場を離れる。

 ホーガンが放った言葉の背景は簡単に読み取れる。


 下手に読み違えばこの辺り十数キロの植物全て押し寄せてくるだろう。


 そうすると、作戦自体上手くいっても、もうそこは住める場所ではなくなる。


 だからこそ、しっかりとタイミングを見極めないと……。過去に同じデータなどない。完全な感覚だ。 


 しかし、それ以外はうまくいっている。


 軍も手伝ってくれることで人では十分。更に、普通ではありえないグラシアを地面に降ろす許可も出してくれるようかけあってくれた。


 グラシアを集合体近くの地面に接触させるそれが僕が思いついた解決策だ。

 グラシアは爆発的なエネルギーを放つだろう。

 それは、いま集合体がエネルギー源としているガベト属なんて比にならないほどに。


 集合体に瞬時に莫大なエネルギーを吸収させる。

 そうすると、集合体の一部になっている『増殖の樹』が爆発的に増えるはずだ。


 集合体で体が一つになっても、元の特性が消えるわけじゃない。


 さっきグラシアのエネルギーを受け、爆発的に増殖それに耐えきれなくなって分裂した。


 だから、さっきよりもっと勢いよくエネルギーを与えれば、体を保てなくなる。


 そして、その先は……。おそらく僕は見ているだけでいいだろう。


 あまりにも単純で簡単な作戦だ。

 改良する余地すらないほど。

 だからこそ、あとできるのは実行してからになる。


 気は焦っているのに、手持ちぶたさな状態。


 塩梅だ。それを周りの様子を見て瞬時に見極めないといけない。


 ちらりとホーガンの方を見た。意外だったのは、ホーガンのリアクションだった。

 作戦を話したとき、内容が内容だけに一波乱あるかと考えていた。

 が、始めにその作戦を認めたのはホーガンだった。


「迷ってる時間が勿体ない」


 そう言って、立ち上がって、周りに指揮し始めた。


「やるしかないんだ。この案しか思いつかないんだ」


 そう言う声にはこんな状況にもかかわらずに落ち着いていて、頼もしくて。


 未だ作戦に納得しきれていない人、そもそも恐怖に打ちひしがれている人たちに、その声は動く力を与える。


 こんな状況だからこそ余計に浮き彫りになる。ホーガンはトニーとは違うカリスマ性がある。


 そして、その時がやってきた。


 蔦で結ばれたグラシアが端に立つ。  

 グラシアに『風船の樹』を打ち込む軍人の用意も終わって。


 作戦の始まりはど派手だった。


 ホーガンが腕を上げた。と同時にクジラへとつながる『暴食の樹』に設置されていた爆弾が爆発した。


 グラグラ


 軽い揺れを感じる。支えを失ったクジラはどんどんと地面に向かって加速していく。


 その先は狙い通りだった。


 グォォン


 巨体と巨体がぶつかり合う音。

 落下するクジラの巨体をそのまま受け止めた集合体。勢いを殺せずそのまま地面にめり込む。

 集合体の動きが止まった。 


「ここからが本番だ」


 ホーガンが叫んだ。


 その隙に、一気にグラシアを下ろす。

 グラシアはぎりぎりまで地面に近づいた。


 ここから一気に状況変わる。おそらく瞬きする暇もないほどに。


 ハァハァハァッ

 呼吸が苦しくなってきた。一瞬で喉の奥までカラカラに乾いて。心臓がぺしゃんこに潰されたように痛い。


「よしっ降ろせ」


 躊躇いのないホーガンの言葉とともにグラシアが地面に下ろされた。


 数秒間、変化はなかった。


 しかし、次の瞬間、広大な平原、地面の至る場所に亀裂が入った。

 その亀裂の隙間から砂煙が立ち上る。

 ゴリゴリ、亀裂が広がり穴が生まれる。その穴から地上に飛び出してくる植物。


 その植物は普段地面の中で地上に出てくることのない植物で。


 その植物は空中に跳躍したかと思うと、そのまま地上に落下した。そのどの植物もが痙攣を起こしているか、悶えているかという様子。もはや、それは苦しんでいるようで、


 それは連鎖していく。

 どんどんグラシアを中心に円状に広がっていく。

 それは、とどまることを知らない。


 目に入るすべてで。

 木に留まっている鳥の大群がバサバサッと飛びして。

 草原を走る動物の群れが進路を突然グラシアの方に向く。


 まだ下ろして数秒しか経っていない。


 嫌な予感が頭によぎった。僕はグラシアが与える影響を全く読み違えているんじゃないかって。


 次の瞬間、集合体の体が数倍に膨れ上がって。風船のように一気に膨らんだ。


 さっきの膨れ方なんて比にならないほど。まだその膨らみは止まらない。


 それだけじゃなかった。


「えっ」


 隣でエツィオで声を出した。まるで気の抜けた声で。


 見ると、そこにいたのは、体の至る所が緑に変わったエツィオ、シーナ、トニーだった。


 次の瞬間、体から『生命の樹』が剥がれ落ちていく。


 そのコンマ数秒、エツィオ達は倒れて痙攣し始める。


 その傍に散乱している『生命の樹』も痙攣しているかのようでピクピクと小刻みに震えていて。


 はっ……。

 まずい。目を離してしまった。


 慌てて視線を地面に戻す。もうグラシアが影響を与えている範囲がわからなかった。 


 目に入る全ての範囲にいる植物が地面の上で痙攣している。 

 目に入るすべての範囲にいる動物がグラシアの元へと向かっている。


 まずい。本能的に察知した。


「グラシアを上げてください!」


「上げろ!」


 ホーガンも本能的に察していたのだろう。ほとんど同じタイミングで命令するホーガン。


 その数秒後にグラシアの体から『風船の木』が生え、グラシアの体を上げる。


 それと同時だった。


 耐えきれなくなった集合体の体にいくつも裂け目が入って、

 

 その切れ目からまるで滝のようにあふれ出す植物。その勢いによってより大きくなる切れ目、その体を裂いていく。


 そこからあふれ出してきた植物はみな痙攣するように震え動かない。


 僕は呆然と立ち尽くすしかなかった。まさかグラシアがここまでとは……。


 ただ受け止めきれない衝撃に晒されるしかない。


 その異様な光景はグラシアが地面から離れた後も数分続いた。


 数分続くと、どんどん悶えも収まり始め、かろうじて動き始める植物が増え始めた。

 それは『生命の樹』も同じで、どんどんと元の宿主に戻っていく。人の形を成していく。


「はぁはぁ」


 元の宿主へと戻ると、エツィオ達はあえぎ始める。


「大丈夫!?」


 うなずくエツィオ。それすらも必死な様子で。しかし、時間が経てばどんどんと落ち着いてきて、それは他の人も同じだった。


 そこから一分ほど経って、体は小刻みに震えているが、ようやく座れるようになって。


「……ははっ、はぁ…はぁ……。まさか、ここまでだったとはね」


 トニーがぽつりと言う。その声は疲れがにじみ出ているが、同時に高揚感にあふれていて。


 無事そうだったことにほっとしつつ、そこでようやく本来の目的を思い出した。慌てて地面に視線を向ける。


「醜いものだな」


 誰よりも早く地面を確認していたホーガンが隣でそう呟いた。


 僕が見た時には、それはもうすでに本格化していた。


 作戦成功だ。


 ドガァッ、ドグァ、ボゴグ


 さっきまで集合体だった植物たちがお互いを襲いあっていた。


 それぞれが自己の利益のため、ガベト族のエネルギーを独り占めしようとしている。


 当たり前だ。グラシアのエネルギーを吸収し、爆発的に増えた『増殖の樹』。

 しかし、もうグラシアは宙に浮かんでいることで、エネルギーはない。


 いま地上では圧倒的にエネルギーが足りなくて。


 だから奪い合っている。


 その中で、また集合体に戻ろうと試みているのか、宙を漂う白い繊維質上の糸。


 しかし、一度本格的に暴れだした植物にとりつくのは難しいようで。


 どんどんと激化する争い。分裂した集合体の一部の中でもさらに分裂が始まり、ガベト族の争奪戦に参加する。


 木が根元からへし折られ、傷つく。傷だらけの体で争いの中心部に飛び込んでいく。ぼろぼろの体ですぐにへし折られて。


 他にも、子供だろうか大きくない植物だったり、もともと生まれつき力が弱い植物だったり、攻撃的特性が強く発現していない植物が、何もできずただ攻撃を受け続けていて。


 それだけじゃなった。こちらに向かって進んできていた動物が巻き込まれて簡単に死んで。


 目の前に広がっている光景はごく当たり前の光景で。

 自分の繁栄のために多くのエネルギーを得るため、争う。

 力が強いものが勝って、力が弱いものが負ける。

 あまりにも理不尽な世界が広がっていた。


 いくら植物だといえど、何か脳の奥底の部分で忌避感を覚えて。


 そこには、集合体が生み出していた完璧な調和とは全く対極の地獄絵図のような世界が広がっていた。


 ここまでの完璧な集合体が出来上がる可能性は一体どれほどなんだろう。

 天文学的な確率なのは間違いないだろう。


 それを、僕の一存で、崩壊させた。

 

 正しいか分からない。確固たる理由がない状態で。


 プシュッ

 


その音とともに、ガベト族に生える『風船の樹』。

 植物は相手を蹴落とすことで必死で、ガベト族はろくに守られていない。簡単に当てることが出来る。


 空に浮かび始めるガベト族。そうすると、一人分のエネルギー量が減る分けで。


 すると、また少なくなったエネルギーを奪い合おうと戦闘が激化する。


 思わず体がのけ反るほどの吐き気がこみあげてきて、口元を抑えた。


 みんな理由がある。友達、家族を救うため。ほかにも、そもそも集合体に拒否感を示していたり。


 でも、僕は違う。


 この地獄を生み出した責任。

 でも、僕はその責任に対抗できるはずのない理由でこの地獄を生み出した。


 プシュッ


 最後のガベト族が浮かびあがる。

 

 もうエネルギーを放出するものはなくなった。

 豊富なエネルギーがあるからこそ集合体は成り立っていた。もう、体を維持できるわけもなく、みるみる分裂を繰り返し、小さくなっていく。


 そして、さらに激化した争い。

 もう奪い合うエネルギーもないというのに……。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~”~~~~~

「やめろ……やめろ。やめてくれ」


 収まらない戦い。そこに広がっていたのは地獄絵図だった。


 強いものが勝って弱いものが負ける。理不尽が横行していて。


 求めていた世界とはまるで対極で。

 どうして……。必死に糸が繋がろうとするも、すぐに引きちぎられたり、そもそも暴れているから繋がれない。


 その間にも、激化していく争い。地面に横たわる死を迎えた植物。どれも原型をとどめないほどぼろぼろで。


 もうやめてく…ブチッ、


 突然だった。目の前が真っ白になった。何も見えなくなった。何も感じなくなった。


初めは何が何か分からなくて。ただただ真っ白な世界。


「はぁはぁ」


 何もない世界に音が聞こえだして。

 今までの遠い感覚ではなくて、直接脳に届いてくる感覚。


 懐かしい感覚。その瞬間、僕は察した。

 徐々に真っ白が、どんどんと色を帯びだして。


 ……………。


 目の前でエツィオの横顔があった。息を荒く吐いていて。

 僕らは蔦で引き上げられていた。


 体の感覚も徐々に戻り始めているのだろう。体に吹き付ける風を感じ始めて。


 そして、枝に着くと、体を下ろされる。集まってきたのは、ユズキ、バン博士。


「……博士」


 僕はぽつりとつぶやいた。


「どうしてですか?」


「大した理由じゃなくて、ごめん」 


 そう博士は苦しそうに呟いて。顔色も表情からも疲れ切っている様子だというのがありありと伝わってきて。


 それは僕も同じで疲れ切っていて、もう何も考えたくなかった。

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