第27話

今回の件は生態系に甚大な影響をもたらした。


 後に地上の調査が幾度となく行われた。しかし、その膨大な数を調べ上げることはできず。


 数千種から数万種の生物が絶滅したと推定がでた。


 下手をすると、過去数度あったと言われている大絶滅と引けを取らない

ほどで。

 被害を受けた植物の名が記された資料は膨大な枚数が必要だった。


 そして、その資料には『生命の樹』の名前も記入されていて。


 『生命の樹』に関しては、特に数多くの調査が行われたが、『生命の樹』は現れることはなく。

 地上に繁栄していた『生命の樹』はすべていなくなったと考えられた。

 

 つまり、この世界に存在する『生命の樹』は研究所にストックしていた分、そして、数ヶ月に一度、親木から生み出す『生命の樹』だけになった。


 あまりにも、『生命の樹』が足りない。

 もともと地上から回収していた時にすら足りなかったというのに。


 それによってもっともダメージを受けるのは研究所で。


 今までの『生命の樹』を利用して、資金を集めてきていたのだ。だからこそ、膨大な資金を使うことができた。


 『生命の樹』がなくなったことで資金を集められなくなり、また、お金がなくなったことで、自然と立場も弱くなっていく。


 このままいけば、研究所は閉鎖しなかねない。


 『生命の樹』をもっと多く生み出せる方法を見つけ出すことが急務になった。


 だからこそ、白羽の矢に立ったのはユズキだった。

 ユズキには、『生命の樹』を生み出せる可能性があると。

 しかし、それは、生まれた子供は一層実験材料として見なされることを意味する。


「今はだめ。もうちょっと、博士たちがなんとかしてくれるから」


 部屋から聞こえる声。声はくぐもって、苦しそうで。

 僕はそれを部屋の外から聞いてることしかできなかった。

 どう声をかけていいか分からなくて。


 ユズキは何とか産むまでの時間を遅らせようとした。この状況が変わるまで。


 しかし、現実は残酷だ。

 いつも、来てほしくないと願った途端にやってくる。


 その時は、いつも通りの日常のワンシーンだった。


 僕はまだいろんなものを消化しきれてなくて。ただ、グラシアの想いを無下にできず、生き続けることを選んだ。

 

 でも、選ぶとどう生きるのかを考えないといけない。途端に何もわからなくなる。

 何かが黒いものが心の中を蝕んでくる。

 考え出すとすぐに、心の許容量を結局何もしない日が続いていた。


 その日も部屋でぼんやりとしていて。

 その時、僕とグラシアとユズキは同じ部屋にいた。


 突然のことだった。


「うっ、」 


 ユズキのうめき声が聞こえた。

 僕が振り返ると、そこには、お腹を抑え、その場に座り込むユズキの姿があって。

 遠くからでも見えるほど大粒の汗が額に浮かび上がって。


 すぐにただ事ではないと気づき、慌てて僕は駆け寄った。


「……こ、子供が生まれる」


 そんな僕に、くぐもった声でユズキは訴えた。


 僕はバン博士を呼びに部屋を飛び出した。

 すぐにユズキは施設に運ばれることになった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「大丈夫ですか!」


 話を聞いたのだろうエツィオが血相を変えて部屋に飛び込んできた。その後ろにはシーナが顔を出す。、


 その時の状況は、博士がユズキをなんとかしようとしていて。

 それをただ見つめるしかできない僕がいて。


「……」 


 エツィオはユズキの姿を見た途端、目を見開いて、絶句した。


 そうなるのも仕方ない。


 ユズキの体は崩壊していた。

 体の至る部分にヒビが入って、枯れて茶色く変色して。


 なぜこうなっているのか分からない。

 突然、ユズキの体が壊れだした。

 博士いわく、体のエネルギーをすべて、出産に回そうとしているかもしれないと。

 

 ユズキはもう誰が見ても、衰弱していると分かる。

 それどころか、命すら危ぶまれる……。


 ほんの5分ほどしか経ってないのに、異様に速度で体は崩壊していく。


 それを阻止するために、博士は『生命の樹』を使って直そうとしているが……。博士の表情からうまく行ってないことが読み取れて。

 それどころか、ユズキ自身に止められる。


「……ただでさえ『生命の樹』が……はぁ、少ないのに……私に使わないで。……こ、こ、……子供になにかあったらだめじゃん」


 それを言うのすらしんどそうで、唇の端のヒビが広がる。


 そうしてまた痛みに悶えるユズキ。  皮膚がぼろぼろとめくれ落ちて。それと同時に、どんどんと息が荒くなるユズキ。 


 もう……今にも……。


 心臓がキュウっと縮こまって。まるで、鉛が体中に流れ込んでいるように体が重くなって。

 

 その状況をなにもできず眺めいているだけで、何もできなくてもどかしくて。


 その状態はそこから数十分続いた。

 なんとか、持ち直したのか、ユズキの体調は安定し始めて。


「もう生まれるんですか?」


 エツィオが博士に小声で尋ねた。


「多分まだだと思う」


 そう博士は答えた後、


「いつ来てもおかしくないけど」


 と付け加えた。


 場は緊迫した状況から幾分か落ち着いた。しかし、落ち着いたからこそ、自体の深刻さを把握できてしまって。

 場は一気に沈みかえって。


 この状況で、何を言っても間違えている気がして。


 あまりの静けさに、やけに空調の音が耳につく。

 その静けさを切り裂いたのはユズキだった。


「……みんな、戻って。しんどいでしょ……この空気もしんどいし」


 そうやって笑おうとするも、笑い損ねて、頬がピクリと動くしかできないユズキ。まだこの状況でも周りに気を遣う。


 申し訳無さでたまらなくなって。でも、心配で言葉通りにここを離れることをできない。


「僕が見てるよ。絶対に治す方法を考える」


 そんな僕たちに博士がそう言い切って。

 その言葉で無理やり感情を押し込めた僕らは部屋を後にすることにした。


 すると、部屋を出てすぐ、


「この資料をトニー博士に提出しにいってきます」


 そう言ってシーナはトニー博士の研究室に向かって歩き出す。


 その態度が腹がたって。

 ユズキがあれだけ苦しんでいるのに。

 自分の保身のために、その苦しみを利用する。

 なによりも、それをどこか仕方ないと思っている自分に一番腹がたった。


 その感情を整理が出来ないまま、エツィオと別れ、部屋に戻った僕。


 グラシアはもう寝ていた。周りの植物がまるで布団のように覆いかぶさっていて。


 非日常から日常に戻った感覚。一気に疲れが押し寄せてきた。僕はその場に倒れこんだ。


 最近、矢継ぎ早に状況が変わっていく……。どの状況も自分の中で消化しきれないままで。


 僕らは一体どうなるんだろうな。


 もう明日何が起こるさえ予測がつかない状況になっていて。今の状況が足元から崩れ落ちていてもなんら不思議じゃないと心の底から思う。


 その時、僕達は一体どうなるんだろう。グラシアは……ユズキは。


 その名前が浮かぶと、孤独感が強くなっていく。心臓がズキッと痛む。僕は必死に自分で体を抱き寄せた。

 それで少しでも気分を落ち着かそうとして。


 もし仮に、ユズキがいなくなってしまったら僕はどうなるんだろう。


 ……耐えられない。


 ユズキは頼りがいがあって、数少ない心の拠り所の一つで。

 いなくなれば、僕は耐えれない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 そして、その夜、ドアをノックする音。

 部屋を出ると博士とエツィオがいて、


「ユズキが君に話したいことがあるって」


 嫌な気がした。博士の疲れ切った顔と声。悪い未来はいくらでも思いつくが、良い未来は一つも思いつかなくて。


 僕と博士は足早にユズキの元へ向かった。

 部屋に入ると、もうボロボロのユズキが横になっていて。


「この子を任すよ」


 一言目に言われた。ユズキは自分のお腹を撫でながら、言葉の内容とは裏腹に声は落ち着いていて。


「やっぱり頼めるのは博士とルティ、エツィオだけだよ」


 にこりと笑ったユズキ。その顔にはもうすでに受け入れているのが見て取れて。

 まだこちらは受け止め切る準備すらできていないのに……。


「この子の親代わりになってあげてほしい」


 すぐに博士が口をはさむ。


「君が親だ」


「もう自分で自分の体は分かってる」


 滞りなくユズキの口から出てきた言葉。その言葉は、僕の胸の奥に重みに更にのしかかってくる。


「いやだ」


 気づくとそう答えていた。


「頼むよ。生きていてくれ」


 見当違いな回答だと分かっていた。でも、言わずにはいられなかった。


「ごめん。でも、それでも……お願い。頼れる人がいない」


 そう頭を下げるユズキ。


「動いたら駄目だ」


 慌てて止める博士と僕、エツィオ。


「……実はさ、ここに来て怖くなってるんだよ」


 ぽつりと言うユズキの声。声は小さいのに、やけにクリアに聞き取れて。


「本当にさこの世界に産んでさ、この状況で。で、私も多分死んでる」


 誰でもうっすらと予想はしていた。でも、はっきりとユズキの声から聞くと、嫌なほど質感が増して。


 ユズキは、体をわなわなと震えさせ。震える手で何度もお腹を撫でる。


「でも、愛してる。愛おしいんだよ。この子には、幸せになって欲しい。他に何もいらない」


 そう言ってユズキは真っすぐ僕らを見つめると、


「お願いします」


 そう言って頭を下げる。


「私は生きてない。多分。もう、体が自由に動かない。でも、自分のことは怖くない。ただ、無事に子供生まれるかそれで頭がいっぱい」


 博士とエツィオの表情に色濃く絶望の色が現れて。その数秒後、エツィオは覚悟を決めたような表情をした。


 待ってくれ。ユズキがいなくなった後の世界がどんどん現実味が増してきて。


 無理だ。耐えられない。


「死んでほしくない」


 その気持ち悪さを吐き出すかのように僕は言った。言っていた。


「死んでほしくない。死んでほしくない。一人になるのなんて。……そんなの、そんなの」


「ごめん」


 ユズキがただそれだけ言った。

 胸が張り裂けそうになって。


 喉の奥まで来ていた「子供が生まれなくてもいいから生きていてほしい」その言葉を無理やり飲み込んで。


 あれほど思いを聞いてこれは言えない。


 なにか解決できないかと思って。

 でも、『生命の樹』が今のユズキに意味がないのは知っていた。博士がすでにユズキの反対を押し切って試していた。でも、すぐに枯れてしまって意味がなくて。


 二コリと笑うだけのユズキ。


 そんな顔しないでよ……。


 でも、次に掛ける声が出てこなくて。


 お腹の子供に話しかけるユズキを、ただ見つめるしかなかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 本当に現実は残酷だ。


 いろんなものが消化しきれていないのに、時間を与えてくれない。


 それは、ユズキに懇願された次の日の昼だった。


「ルティ!」


 エツィオが部屋に飛び込んでくる。その声で全て察する。続きも聞かずに僕はグラシアを抱き上げ、走り出した。


「どうしたの? ルティ」


 不思議そうな表情のグラシア。いつもの態度と違う僕に違和感を覚えているようで。でも、そんなことを気にする余裕なんてなくて。


 そのまま部屋に飛び込んだ。


 部屋にはバン博士と、シーナとトニー博士がいた。


 ベッドにはもう体の殆どが枯れていて、茶色く変色しているユズキ。


「うっ」


 声が詰まった。

 ユズキは殆ど人間の姿をしていない。それでも、呻く声は人間のもので。


 僕は言葉を飲み込んだ。

 諦めたような博士。首を横にふる。

 力が抜け落ちた。なんとか、グラシアを地面にゆっくり下ろして。そのまま膝をおった。


 グラシアは何かを感じ取ったのか静かに近づいて、ユズキの手を掴む。

 ユズキは苦しそうに呻くのが和らいで。


「………皆……ありがとうね…」


 その声とともに、ヒューヒューと空気が抜ける音が聞こえる。

 もう、ユズキいろんな場所から空気が漏れ出て。


「絶対に君の子供は守りぬく。辛い目にも合わせない」


 博士はユズキの手を掴む。嗚咽でまみれた声で、でもその決意が色濃く現れていた。

 エツィオも同じようにユズキの手を掴む。

 安心した表情を浮かべるユズキ。


 そんな中、僕はまだ受け入れれてない。

 辞めてくれ。一人にしないで。

 ユズキがいないと……。

 僕はユズキのことが……。

 

 目の前がぼやけていく。頬に涙が伝うのを感じる。

 思いを打ち明けようとした。しかし、次の瞬間。

 

「ぁぁぁあぁ」


 ユズキの体がビクンと震えて、痛みに悶える。  

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 もうどれくらいの時間がたったかわからない。短いような、長いような。


 部屋の中を動き回る。エツィオ、シーナ、バン博士、トニー博士。

 その中でじっと動けない僕。自分の体なのに、自分の体じゃないように動けない。


「オギャャャァァァ」


 その声で我に返った。


 だからクリアな意識でユズキの体は崩れ落ちていく瞬間を見た。

 あまりにも呆気なく崩れ落ちていった。


「ぁぁぁぁぁぁ」


 抜けるような声が喉から漏れた。ぞわりとする恐怖が足元から頭の先まで伝播して。


 場はしんと静まり返った。


「おぎゃぉぁぁぁ」


 赤ん坊の泣き声がやけに響き渡る。それ以外音は一切でなかった。


 場の異変を感じたグラシアがタジタジと動くのが視界の端で感じる。

 グラシアに声を掛けようとも思えなかった。 


 トニー博士は嬉しそうな顔でバン博士が抱き上げた赤ん坊を見つめて。


 目から入る情報が処理されず、そのままどこかに流れていく感覚。どんな外界の情報も、僕の感情を刺激しない。


 そんな時間が続いた。しかし、次の瞬間、状況は一変した。


「……っうわぁっ」


 突然、情けなく驚く声が上がった。


 それは、バン博士が発したもので、見ると、バン博士の体を十数本の『生命の樹』が登っていて。


 そして、手までたどり着いた『生命の樹』は博士が抱いていた赤ん坊の肌に張り付き、そして、赤ん坊の中へと入ろうとして。


「おいっ」


 バン博士は慌てて跳ねのけようとするが、体のいたるところから赤ん坊に『生命の樹』が入り込んでいく。


 突然のことで全員対応できなくて。


 赤ん坊の皮膚の盛り上がりから、すべての『生命の樹』は頭に向かって進んでいることが見て取れる。


 なにが起こってるんだ? みんな困惑した表情。


 始めてのことで、何も分からない。

 泣き叫ぶ赤ん坊に集まる視線。


 そして、その数秒後だった。唐突に、赤ん坊が急に泣き止んだ。


 そして、不思議そうにあたりを見渡す。その次は自分の体をじっくり見渡して。

 その様子は赤ん坊にはふさわしくない。 


 何かおかしい。赤ん坊に何か異変が起こったことは分かる。

 託されたのに……。そんな自責の念が芽生えた瞬間だった。


 ポツリと言ったグラシア。


「お姉ちゃん、小ちゃくなったね」


「…………………」


 その言葉の意味を理解するのに全員時間がかかった。

 誰よりも先に動いたのはトニー博士だった。


「ユズキくん」


 そう赤ん坊に声をかけた。


 すると赤ん坊はトニー博士の方を振り向いた。

 訳が分からない様子の赤ん坊。口をパクパクとして。


「まじかよ……」


 そうトニー博士は珍しく驚いた様子で、その声には嬉しさが滲んでいた。


 まさか……。


 一連の流れで思いついた可能性。でも、あまりにも荒唐無稽で。


 周りの表情を見るに僕と同じことを考えていることがわかって。


 まさか……。

 僕は赤ん坊を見つめる。


「ユズキ?」


 そう訪ねていた。

 目があった。まっすぐ向き合う僕ら。


 赤ん坊のその純真無垢な表情は残ってなかった。それどころかユズキの面影が色濃くあった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 後の研究によって、判明した。


 赤ん坊はユズキだった。


 詳しく言うと、その赤ん坊はユズキと同じ遺伝子を持っていて、ユズキの人格、記憶を有していた。 

 

 おそらく、ユズキの脳に変質していた『生命の樹』が赤ん坊の脳に変質したからだと見られている。


「ひっくり返るぞ」


 トニー博士がそう呟いたのがやけに記憶に残っている。


 ユズキの体に起こったことは、当初誰もが予想していた『生命の樹』の培養を大きく逸脱したものだった。

 

 記憶をそのままに若返ることができる。


 『生命の樹』によってほとんどの死は回避できる。しかし、寿命だけは回避できなくて。


 しかし、これで永遠の命を手にした。


 その記憶の継承のメカニズムに『生命の樹』が絡んでいるのは間違いない。

 もしそれがどの人間、動物にも適応することができれば。


……どんな影響を与えるかも分からない。

 だって、この世のすべての生物はより多くの子供を生むために変化してきた。

 それが覆る。

 

 生物のあり方を根本的に変えてしまうほどの大きな変化。


「『生命の樹』が僕ら人類にありえないほどの速度で変化を促している」


 そうトニー博士が嬉しそうに呟いている。


 これから先、人を狂わせてしまうのは容易に想像できて。 


 すぐにユズキはトニー博士の一存で、隔離された。

 そして、これまたトニー博士の一存で、ユズキがどういう状況なのかさえ知らされなかった。  


 だからこそ当事者であるユズキはどんな思いを抱いているのかすら分からなくて心配だった。


 その一方で喜んでいる僕がいて。ユズキには申し訳ないと思いはあるものの、生きていてくれて。子供なんて生まれなくてもユズキがいるだけでそれで良かった。


 一時は最悪を覚悟したからこそ。今の日々が随分とましなものと感じることができて。


 ユズキとまた話したい。そう楽しみにすることで少しだけ今までより気が楽で過ごせて。


 そして、そんな日々が一カ月経った。

 ユズキはまた子供を宿したという噂が研究所の外から流れてきた。

 

 そして、その噂には決まって、その後にトニー博士が永遠の命を自分の手の内にしようとしているのではないかという噂がついてくる。


 他にも研究所内の、様々な情報、まだ外には発表してない資料まで流出するようになって。


 なにか、世の中の風向きが変わりだしていて。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 そして、数カ月後。


 一時は運営中断の危機にあったにも関わらず、研究所には資金も人材も増え始めて。


 そんなある日だった。


 ファンファン

 夜に突然、鳴り響いたサイレン。僕は飛び起きた。


 聞こえる大勢の足音。


「きゃぁ!」


 聞こえる叫び声。乾いた破裂音が研究所に響き渡った。そして、僕らの部屋の前を通り過ぎていく大勢の足音。


 どんどんと音が遠くなって、僕は慌ててドアから顔をのぞかせて、外の様子を見る。

 その時、大勢の人影が廊下の奥を右に曲がっていくところが見えた。


 その先には、ユズキがいる隔離施設があって。

 ひんやりとしたものを感じる。


「ルティどうしたの?」


 眠そうに目をこするグラシアが僕の裾を引っ張る。


「ユズキたちが危ない。助けないと」


 そう伝え、グラシアを持ち上げた。そして、走り出そうとした僕。その僕を引き止めたグラシア。


「こっちのほうが早いよ」


 服のポケットから瓶を取り出し地面に投げつける。

 パリンと割れる音。中に入っていた苗木は一気に成長して。

 数メートルほどの大きさまで成長した木。

 僕たちはその枝の根元に腰を下ろす。


「これは?」


「トニー博士からもらったの」


 そう答えるグラシア。

 トニー博士は予期してたのか……。この状況を。

 いまはそんなことを考えている余裕はない。


「分かった。行こう」


 グラシアは一気に木を加速させる。狭くかつ、入り込んでいる研究所を縫うように駆ける木。


 廊下には銃で打たれたであろう研究員の死体がいくつも転がっている。

 いつもの風景に割り込んでくる圧倒的な違和感。今までとはまた違った恐怖を感じた。


 次の瞬間、突然、木の動きを止めたグラシア。目の前に人が倒れていて。

 グラシアが動きを止めた理由がわかった。


「エツィオ!」


 飛び降りて、僕の『生命の樹』を使ってエツィオのすぐさま傷を治す。

 幸いまだ息はあって。


「クソッ……」


 目を覚ましたエツィオ。僕の顔を見るなり、


「気をつけろ。少なくとも2グループいる」


 そう言った途端だった。


「動くな」


 こめかみに押し付けられる固いひんやりとした感覚。

 ちらりと視線だけ向けると、そこには白衣をきた男3人がいて。

 僕、グラシア、エツィオのこめかみに銃を押し付けている。


「やめてよ」


 グラシアがそう言った。木の体が動き始めて。


「お嬢ちゃん何もしちゃだめだよ。このお兄ちゃんたち傷つけちゃうよ」


 おそらく研究所に研究員として潜入していたのだろう。だから、知ってるはずだ。もう研究所にろくに『生命の樹』がないことに。


 でも、そんなことグラシアが知ってるわけもなく。


 グキャァ


 鈍い音ともにグラシアの近くにいた男を吹き飛ばした。飛び散る血しぶき。


 そして、こちらに振り向くグラシア。


「動くな! こうなるぞ!」


 予想外の反応に、エツィオに銃を向けていた男は明らかに焦りを覚えたようだ。

 エツィオの頭に銃の先端を向け、腕に力が入るのが目に入る。


 やばい。


 しかし、男のトリガーにかかっている指先は動かなくて。


「はっ?」


 何度も腕に力は入る様子はあるのに、指先はピクリと動かない。それどころか、


 ガシャンッ


 僕に向けて銃口を構えていた男は銃を手放した。


 どういうことだ?


 その疑問抱いた数秒後、僕に銃を向けていた男は野太い叫び声を上げて。


 見ると、男の指はすべて捻れていた。


 まさか……。思い出した。クジラの背中での出来事を。グラシアの思いどおりに操れる『生命の樹』をトニー博士が作り出したことに。


 僕はすぐに振り返った。

 ちょうどその時、エツィオの直ぐ側に銃が落下する。


 エツィオを狙っていた男の指はどんどんと逆方向に折れ曲がっていき、叫び声を上げる。


 その男の方に開いた手を向けるグラシア。


 間違い無い。

 『生命の樹』が指に埋め込められていた。それも、グラシアが操れる『生命の樹』を。


 トニー博士はこうなる可能性を考慮していたんだ。


 じゃあ、どうしてもっと対策を取っていない。疑問がどんどんと湧き上がってくる。

 

 とにかく、いまはユズキの元へ向かわないと。

 男二人はエツィオが持っていた『檻の樹』で縛りあげ、僕らは急いでユズキがいる隔離施設へ向かった。


 隔離施設は数十人によって囲まれていた。重装備を装着していて。


 隔離施設の壁を壊そうとなにか打ち付けている。

  

 しかし、その数秒後、全く同じタイミングで、全員が叫び声を上げる。全員の指だけがまるでプレスされたように潰れていて。


 そして、グラシアは僕らが乗っていた木で全員を攻撃する。

 勝負は一瞬で決まった。数秒後には全員が地面に瀕死状態で横たわっていて。


 それと同時にドアが開き出てくるトニー博士。


「やぁ、助かったよ。ありがとう。君たちなら来てくれると信じていたよ」


 そう言って、地面に倒れる人たちに向かって歩いていく。


 僕はトニー博士に聞きたいことだらけで、

 

「今はこっちのほうが先だよ」


 しかし、聞く前にトニー博士にそうピシャリと切られてしまった。


「誰の命令でこんなことをしたのか聞かないと」


 一番近くに倒れた人のもとに向かうと、


「君の出番だよ。この人でいいや。急いで治療しよう」


 ニコリと笑ったトニー博士。

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 どんな方法を使ったかわからないが、情報はすぐに本人の口から述べられたらしい。


 やはり目的は、ユズキの奪取だった。


 トニー博士が永遠の命を独占しようと危ぶんだ者たちが命令したという。


 おそらく他にもまだ潜伏している研究員はいるんだろう。

 研究所内も安心できないと、僕らはユズキと一緒に隔離施設で過ごすことになった。


 これは、僕にとって何よりも嬉しい出来事だった。


 久しぶりに見るユズキは随分と成長していて。見た目でいうと、10歳位だろうか。

その幼い見た目からは似つかわないほど、醸し出す雰囲気は暗く、底が見えなくて。


 しかし、それはずっとではない。昔のように話すときもあって。

 でも、話せば話すほどにどんどんと浅く、言葉が薄っぺらくなっていく。

 

 その理由は後に分かっていた。深く入り込めなかった。


 僕は生きる決意をしたからこそ、生き方を考え、なにかが心を蝕んでくる。

 どんなときでも、一杯一杯で。少しの刺激があるだけで溢れてしまいそうになる。


 多分踏み込めば、何かが崩れ落ちそう。と僕は感覚的にわかっていたんだろう。


 どう声をかけていいかもわからない。踏み込めるほどの余裕が僕にはない。


 さらに、僕と違って、ユズキは永遠に生きるのだ。この苦しい世界を。

 

 だから、ただ毎日をだましだまし過ごしていく。 

 このままうまく、何事もなく過ぎ去って言ってほしかった。

 多分僕らの土台はぐらついていて、不安定で。


 ずっと施設に閉じ込められている日々。何もすることもなく、ただ時が流れるのを待つしかない。

 でも、今まででマシかなと思い出していて。

 何もできないから、なんの刺激もない。少しの刺激ですら溢れそうになるからこれでいい。


 研究の方は、なんとか、人間にユズキの記憶を継承するシステムを適応しようとする研究が行われているようで。でも、うまく行かない様子だった。


 そんな中、ときおり聞こえる発砲音。

 その度に連れて行かれるグラシア。

 研究施設が襲撃を受けているようで。

 誰の表情にも心配があった。先が見えないと。


 そんな日々が続いた。


 ユズキは毎日なにもない天井を見ていた。その横顔にはなんの感情も読み取れない。


 でも、その横顔がきれいで、やはり僕はユズキが好きなんだなって……。


「ルティ」


 そうユズキに呼ばれて、本を読んでいた僕は視線を上げる。  


 もうすでに十分成長して、前と変わらないほどまでになっていたユズキ。


 その時、不意に気づいた。ユズキに名前を呼ばれたのが久しぶりだって。

 前よりも一緒にいたのに。そういえば、ここ最近あまり二人で話していない。グラシアが間に立って話しているばかりで。


「どうしたの?」


 ちらりと僕を見たユズキ。何か言おうとして、けど言わなかった。口びるをギュッと噛み締めて、また宙に視線を向けるとポツリと言った。


「ごめんね」


 ぽつりとこぼれ出たような声。でも、その声にはいくつもの感情の層があることだけは分かった。


 どうしたの? そう、尋ねようとしたが、なぜか留まった。


 踏み込みすぎる気がした。けど、ここで踏み込まないとなにか足元から崩れ落ちそうな予感がして。


 そんな時、バン博士がドアから顔をのぞかせる。


「じゃあ、研究行ってくるね」


 そう言ってユズキはすぐに部屋をあとにした。


 部屋に取り残された僕。なぜか博士の声がよぎる。


「ユズキはすごいショック受けてるんだ。一週間は動けなくて、何を言っても答えてくれない日々もあってさ。一応今は落ち着いてきたけど、あんまり刺激を与えないでほしい」


 僕らが隔離で過ごすことになった日、博士が僕に言ってきた言葉だった。


「僕にはかける言葉が思いつかなくてさ。イメージがつかない。生まれ変わるって」


 そして少し考えた後、


「恥ずかしい限りだ。僕はユズキに何もしてやれてない」


 そうぽつりと呟く博士。言葉の端々に悔しさがにじみ出ていて。

 その時、なぜか悔しさを覚えた。博士のほうがユズキの気持ちを考えられていることに。


 僕は不意に思い出した。隔離施設に入ることになった日、迎えに来てくれたユズキ。


「ごめんね……私のせいで」


 いの一番に頭を下げたユズキ。


「ユズキのせいじゃないよ」


 慌てて否定する僕とエツィオ。


「……ごめんね……ありがとう」


 そう弱々しく笑うユズキ。


 少し話だけだが、何かが変わったのは見て取れた。でも、表面化してない。見ないよう見ないようにしてここまできた。


 ただでさえ一杯の心で。少しの衝撃で溢れ出しそうになってくるのに、やめてくれ。


 もう溢れ出していた。耐えれなくなって。考えるのをやめた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ルティ」


 耳元で呼ばれる。その声で目を覚ます僕。暗闇で薄っすらと見える顔。ここまで間近で見るのは久しぶりだった。


「………博士」


 その表情を見た瞬間、ただごとでないと悟った。

 そして、視線はユズキが寝ている場所に向かって。


 空のベット。


「……やっぱり君は来るべきだ」


 そう言う博士の声は覚悟が決まっているようで。空気が一気に重くなったように感じた。肺を押し付けられる。 


 一気に目が覚めて。

 でも、状況に追いつかない頭はまだ夢の中のように感じて。感じようとしていて。


 そして、僕たちは足早に博士の研究室に向かった。

 博士はゆっくりとドアを開け、小声で、


「ユズキ」


 そう声をかけると、机の下に隠れていたようで、ユズキが机の下から顔を出す。


 その顔には強い決心を感じさせる何かがあって。でも、僕の姿を見てそれは脆く崩れた。それどころか、涙を浮かべだして。


 その瞬間、察してしまった。


 ……そんなの、やめてくれ。


 思わず僕は視線をずらしてしまった。


 もうこれ以上知りたくない。涙なんか流させたくない。ユズキのそんな姿見たくない。


 僕にとってそれは耐えれないほどに刺激が強くて。


「ユズキ、ルティは伝えないと」


「私……私……」


 言葉にならない様子のユズキの形を抱きかかえる博士。

 やめてくれ、その後は何も言わなくてもいい。


「ひとまず行こう。歩きながら話す」

 そう言って、博士はユズキの肩を掴む。ユズキも一切の躊躇なくそれを受け入れている。

 

 


 そのまま僕らは研究所の外に向かって歩いていった。

 研究所の中にはいつもはいる警備員がいなくて。それどころか、増えた研究員すらいない。 


 この時の僕はもう理解していた。でも、愚かなことにそれを認めれなかった。

 それを受け入れるほどの余裕が僕になかった。


 しかし、研究所の外に出たとき、


「私決めたんだよ。死ぬって」


 地面を見つめ続けたままユズキは言った。


 もう心の中で確信に変わっていたのに、実際に言葉にするとそれでも充分、僕に衝撃を与えるもので。


 今の状況から考えると、相当前から準備をしていたのだろう。

 そのことにも驚いたし、それを抱えて僕が気づけなかった、言われなかったことにも驚いて。


 理由は聞かなくても分かる。その理由に僕は納得することも。

 でも、このままいくと本当にユズキが死んでしまう。


 それだけは嫌だ。


 どんどんと進んでいくユズキと博士。


「駄目だよ」


 僕は噛みつくように言った。


「駄目だ。駄目だ。駄目だ」


 荒ぶりそうな声を必死に押し込めて言う僕。


 振り返ったユズキ。僕の態度に少し怯えたのか、ユズキは思わず口をつぐんで俯いてしまう。そして、少しすると肩が小刻みに震えだして。 


「……えっ…、あっ……」


 そんな怖がらせるつもりなんてなかったのに……。心の中を呵責が渦巻く。

 ただでさえ、ユズキの心の中はぐちゃぐちゃで、もう崩壊寸前だろうに。


 でも僕は、ユズキに優しさを見せなかった。それどころか祈っていた。 

 このまま黙っていてくれ。このまま足を止めたままで。そうして、研究室に戻ろう。


 心は痛かったが、僕は黙ってユズキを見つめ続けた。動けないユズキ。

 頼む、このまま何事もなかったように今日は戻ろう。


 もう、その先のことは一切考えれていなかった。戻ったとしても、同じような生活は送れないだろう。

 もうそんな先のことを考える余裕すらなかった。


 だから、黙っていた。


 しかし……。


「ユズキ」


 そう声をかける博士。優しくて、柔らかくて。

 ユズキの引きつった顔が緩むのが分かった。


 僕が奥歯をギリッと噛んだ。


 余計な助け舟だすなよ。

 そもそもなんでそっち側なんだよ。止めろよ。


 この時、博士に初めての感情が芽生えて。体全体に力が入るのを何とか押しとどめる。


 本当に意味がわかってるのか。ユズキが死のうとしてるんだぞ。

 そう博士を睨みつけるが、ユズキを見つめ続けていて。


「ルティ……」


 ユズキは視線を僕に向ける。意を決したように、


「ごめんね……もう無理なんだよ」


 そういうユズキの顔は優しく微笑むように、でも両目から溢れ出る涙。

 思わず僕は口をつぐんだ。体中に入った力がすっと抜けた。


 それだけのものがユズキの表情にあって。ここまで苦しんでいたんだ……。

 分かっていたのに……何も分かっていなかった。


 それを確認したユズキは、また歩き始める。今度はもう博士の肩を借りずに一人で歩き始めて。

 僕は何も言えずにその後を追って。

 そんな僕の隣に博士が寄ってきて。


「ごめん。矛盾してるよね。君を救って、僕は今ユズキを見捨てようとしている」


 博士はユズキの背中を見ながら、


「分からなかった。前は集合体っていう壮大なもので、君をそこから引き離した。僕の理解できる範囲へと君を引き戻した。でも、今度はユズキ自身が僕が理解できない範囲に行ってしまった。僕にはどうすればいいか分からなかった」

 

 逃げ出したくなって僕は振り返った。遠くの方にある研究所。前に視線を戻すと、端が近づいてきている。その先は、なにもない。遥か下に地面があって。


「多分なにを選んでも間違ってると思う。だから、僕はその責任に向き合うしかないんだ」


 もうすでに博士は考え尽くして、答えが出なくて、でもその中でなにかしら決意したのだろう。


 でも、僕はできてない。また激情を覚えて、ようやく声が出せる。


 博士から離れた僕。そのままユズキの前に立ち、両腕を広げて。


「駄目だ」


 ユズキの中にも呵責がないわけではない、僕から視線を離さないが、痛みに耐えるように顔をゆがませる。


「……ごめん」


 そうぽつりと言う。


 その顔を見ると、僕にも呵責が芽生えて。


「あ……ぼ、僕のときだって止めたじゃないか」 


 このままじゃ本当にユズキが死んでしまう。

 まだどこか、迷ってる様子が見え隠れしている。何とかして止めたくて。


「分かってくれルティ。状況が違うんだ」


 僕はユズキと話していたはずなのに、博士が割り込んできて。


 なんで、そっち側なんだよ。 


「じょ……そんな状況が違うって!」


 もう苛立ちを隠せなくなって。どうして、そんな態度なんだよ。

 博士の、そのユズキの心情を誰よりも理解してるような立ち位置にも腹が立って。


 僕だって分かってる。でも……。


 僕は言葉を荒らげた。


「助けておいてそれはないだろ!」


 ユズキはどこか諦めたような表情をしていて。そして、僕の顔をまっすぐ見て、


「……何を言っても言い訳にすぎないけど、それでもいい?」


 止めるはずなのに、どんどんユズキの覚悟が決まっていく。

 まずい流れだとはすぐに気づいた。何とか話を逸らさないと……。

 しかし、真っ直ぐな目で見つめられると思わず頷いてしまって。


 ありがとう、そうユズキは前置きをして話し出した。


「……もう私みたいな人を作らないためだよ」


 そう言うユズキの声には一切の感情が入っていない無機質なもので。

 背筋がゾクリとした。


「……こんな思いを他の人に味わってほしくない」


 ユズキは言葉は短く、ずしっと腹の奥にのしかかった。首を横に振って、


「他にも私のせいでもう何人も死んでる。私のせいで」


「ユズキのせいじゃ……」


「私が死ねば解決するでしょ」


 返す言葉が思いつかなかった。


「私は生きる理由はないけどさ、死ななきゃいけない理由があるんだよ」


 そう言うユズキ。絶望がありありと顔に現れていた。


「僕は見てられなかった」


 そう隣に立つ博士。

 なぜか、僕がわがままを言っている気分になった。


 僕だって肯定したい。なんなら一緒に死にたいとすら一瞬考えてしまった。


 でも、グラシアの思いを知っている。グラシアを残して死ねない。


 止めてくれ。

 それでも首をふる僕。ユズキの答えに否定しうる言葉は思いつかない。


 でも、いなくなってほしくない。生きていてほしい。好きなんだ。


 だから、ひたすらに頭を振って。


 哀れに思われるかもしれない。けど、それで良かった。そう思ってもらえれれば、優しいユズキは良心の呵責にさいなまれるはずだ


 予想通り呵責にさいなまれているようで、動けないユズキ。

 ここで次の策を考えるのもしんどくて。このまま永遠に時間が止まって欲しい。


 異様なほど長い時間僕らは立ち尽くしていた。その間にもユズキの体は小刻みに動く。何度も何かをしようとしてすぐ辞めて。


 博士も何も言わなかった。ユズキ本人に決めさせようとしている。


 その時不意に頭に浮かんだ。


「みんなで逃げようよ」


 博士の言葉を思い出した。ひとりになるよりましで。それにグラシアがいれば。


「それだったら、研究されることもない。グラシアも絶対に来てくれる」


 僕は水を得た魚のように饒舌に話す。熱を持つ声。


 ユズキも笑顔を浮かべ、一瞬受け入れたかのように見えた。でも次の瞬間、一気に真顔になって。


 そして、端に向かって歩いていって。端寸前で立ち止まった。


「えっ?……ちょっと……」


 慌てて追いかけて声をかける僕。

 ユズキはゆっくりと膨らんだお腹を撫でる。


「やっぱり頭では分かっていてもさ、この子が愛おしいんだよ。でもさ、この子の生まれる意味ってさ、私の代替なんだよ」


 ユズキの声は潤んでいた。

 僕の顔を見つめると、申し訳無さそうな表情をして。


「ごめん。やっぱりさっき話した理由、全部後付だ。今分かっちゃった。私はどうでもいいんだよ。ただこの子が可哀想なだけ」


 そういって泣き出す。その場にうずくまって。地面に顔をこすりつけて泣いてる。

 その様子はあまりにも弱々しくて。


 記憶にあるどのユズキも頼もしくて、僕の先にいた。心が強くて。


 頭ではユズキと分かっているのに、心がそれを拒んだ。これは、ユズキじゃないって。


「頑張ろうって……」


 思わず口に出した。壊れてほしくなかった。抱いているユズキのイメージが。


「もう無理だって」


 小さな声で言ったユズキ。


「もう無理だって、もう無理だって、もう無理なんだって!」


 ユズキはヒステリックに叫んだ。息を荒げ、僕に睨みつけたユズキ。

 その豹変ぶりに僕は思わず仰け反った。


「私は子供の人格を奪い取るの! 私は生きたくもないのに、私の代替としてこの子は生まれる!」


 頭を振り回しながら泣き叫ぶユヅキ。


「そんなの耐えられない!もう無理!」


 そして、疲れ切ったのか体をだらんとその場に座り込んで、喘ぎながら空を見つめる。

 そして、数秒して。


「ごめん。ごめん。ごめん。ごめんなさい」


 そう言って泣きじゃくる。

 本当にユズキか? これは、本当にユズキか? 

 実は生まれ変わったとき、性格が変わっているんじゃないか。

  

 どんな言葉をかけていいのか分からなくて、その場に呆然と立ち尽くす僕。


「私って最低だよね。最低だ。私は最低だ」


 自分の顔に両手を押し付け、泣きじゃくる。


「でも無理なんだよ。もう耐えられない。ごめん。私のことばっかりで。ルティにもあんな偉そうに言って。でももうだめだ」


 皮膚に爪をたてるユズキ。どんどんと肌に食い込ませていって。


 僕は慌ててその腕を離そうとした。 


「ごめん。そんなつもりじゃないんだ」


 でも、力が強くて引き離せなくて。すぐに来た博士と二人でようやく引き離す。

 涙を留めなく流れるユズキ。そんなユズキに博士はポツリと言った。


「君は自身を責めないでほしい。君は最低なんかじゃないよ」


 首をふるユズキ。


「私……私」


 その憂いた顔を間近で見た。

 その時、いつの間にかユズキを追い詰めてしまっていたことに気づいて、胸が掻きむしられる気分になる。

 そんなつもりもないのに。ユズキが好きだからこそ一層。


「お願いだから止めてくれ……。お願いだから……自分のことを責めないで」


 それでユズキの腕の力が緩んで。

 少し落ち着いた様子のユズキ。涙でうるんだ声でポツリと言った。


「……どうして、こんな私を……。優しくしてくれるの?」


 ポツリと呟いたのにはっきりと聞こえて。

 そこで気づいた。ユズキの顔がすぐ近くにあって。


 ドキンッ、こんな状況なのに胸が高鳴る。


「……どうして……?」


 そういうユズキは弱々しくて。

 いまここで気持ちを打ち明けないといけい気がした。


 バクバクバク


 途端に鼓動が早まる。息苦しくなって、頬がかぁっと熱くなる。


 僕は意を決して口を開いた。


「君のことが好きだから」


 


 僕は喉まででかかってた言葉を飲み込んだ。

 ユズキは驚いたように博士を見つめる。

 隣を見ると、博士は優しく微笑んでいて。


 ……はっ? 


 状況を理解するのに時間がかかって。どういうことだ。はっ、えっ?


 ユズキも僕と同じような状態で


「……ど、どうしたの急に」


 戸惑った様子のユズキ。


「君のことが好きなんだよ」


 しばらく二人は見つめ合っていた。お互い、色んな感情を整理している様子で。そこに、僕の存在なんてなくて。


 ふたりきりの世界。


 ユズキはまだ整理がついてない様子で、


「だって、私……、私、人間でもないんだよ」


「どうでもいいよそんなこと。君が好きなんだ。……好きなんだよ」


 そう言い切った博士の口調はどこかテンパっていて。


 でも、それよりもいつも大人びているユズキが幼く見えた方が印象的だった。 


 またユズキの目には涙が溜まって。


「ごめん……ごめん……」


 そう言って、博士に抱きしめられる。 


「もういいんだ……充分頑張ったよ」


 二人きりの世界で。僕は一気に外野に押し込まれた。


 僕は一体何をしてるんだろう?


 何を見せられてるんだ? 


……待ってくれ。勝手に話を進めないでくれ。まって、僕も………。


 気は焦っていて。動かないといけないのに。ここで言わないといけないのに。

 それなのに体が動かない。


 完全に二人きりで。割り込めない。

 二人の表情を見たときに、分かってしまった。


 僕は外野でしかない。

 色んな感情が渦巻いて胸が痛い。止めないといけないのに、もう帰りたくなった。


 一つ言えるのが、もう一緒に逃げようとは言えなかった。


 そんな僕をよそに、ユズキと博士は二人きりの世界で話す。


「……ごめん。でも私もう……」


「いいよ。そのために言ったわけじゃない」


 博士は微笑んで、安心したのか頬が緩むユズキ。

 お互い一瞬アクションを取りかけたが、違うと思ったのか、目線を外して。


 それが僕の神経を逆なでする。


 そして、ようやくユズキは僕の方に視線を向ける。なぜかスッキリとした様子で。


「ごめん、迷惑かけて。ルティ。謝っても謝りきれない」


 さっきあった躊躇はそこにはなくて。


 待ってよ。僕だって君のことが……。


 喉から言葉が出てこない。


 本当に死ぬのか。ねぇ、待ってよ。本当に?


 頭の中がパニックで。


 立ち上がるユズキ。


 ユズキと博士は抱きしめあった。


「ありがとう。こんな私好きになってくれて。人間ですらないのに」


 この声は幸せに満たされていて。


「あぁ」


 博士はポツリと言った。


「……本当にごめんね」 


「こっちこそごめん……。君を救えなかった。それどころか、傷つく君を見てられなくて……」


 顔をゆがめる博士。


「充分頑張ってくれたよ。ごめん、博士の優しさに甘えちゃって。辛かったよね」


 なんで、認めてるんだよ。止めてくれよ博士。


 更に一歩足を踏み出したユズキ。その先はなにもない。

 本当に本当に……。


 日差しが指し始める。際に立つユズキ。風で長い髪がサラリとたなびいた。


 綺麗だった。


「ま…」


 言う暇なく。ユズキは姿を消した。フッと、身を投げた。


 異様な喪失感。悲しいとかじゃなくて、訳がわからない。感情がぐちゃぐちゃだった。どこかスッとしたような。


 僕はそのままユズキがいた場所を見つめていて。


 そんな僕の肩にぽんと置かれる手。博士だった。俯いて感情は分からない。


「ごめん」


 そんな短い言葉だったのに、色んな感情が見え隠れして。


「僕が一番最低だ」


 それだけ言って博士は研究所に戻る。


 どうすればいいかわからなくて。気づくと博士の後を追い、研究所に戻り始めていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 バンッ


 眼の前にいる軍人は、手を机に勢いよく叩きつけた。


「手引したのか?」


 そして、唸るような声でそう言った。


 僕の手首や足首は皮膚に食い込むほど椅子に縛り付けられていて、ほんの少しも動けない。


 この状態でもう数日経っていて。


 しかし、扱いは不当というわけではなかった。


 人が滅亡するかもしれない大問題だ。

 前回の集合体の件でみんな危機感を覚えていた。


 脳まで『生命の樹』で出来ている僕ら、他の動物に取り込まれれば、人間と同じ知能を持った生命体ができてしまう。


 研究室に閉じ込めておくべきだ。


 しかし、ユズキが自殺した。しかも、永遠に記憶を次代に残し続けるという特性を獲得したユズキが。


 もう研究所の存続は難しいだろう。


 どうにしろ、事件の全貌を解明しないといけない。


 だから、今は尋問中だった。


 僕が、ユズキを逃したことに関わっていたという容疑をかけられていて。


「何も知らないです」


 ただそれだけしか言わなかった。

 言い訳も、手引したとも言いたくなかった。


 もちろん余計に怪しまれるに決まっていて。軍人は僕を責め立てる。


「じゃあ、夜何をしていた」


「寝てました」


 これの一辺倒だ。


「防犯カメラが何者かによって壊されていた」


「何も知りません」


 よどみなく答える僕。軍人も頭をガシガシとかいて、面倒くさそうに表情を歪める。しかし、そこまで焦っている様子はない。


 長期戦になってもいいくらいの様子で。軍人はかりかりと調書を書き込んでいる。


 うんと背筋を伸ばして、話そうとする素振りもなく。ひたすら調書に今まで話した内容を詳細に書き込んでいる。


 筆が紙を擦る音がやけに大きく聞こえるほど静かな部屋。


 そうすると、今までのことが夢だったように感じてくる。どこか心地よさすら覚え始めていて。


トントンッ


 そんなことを思った矢先の出来事だった。

 部屋に入ってくる別の軍人。


 僕の調書を取っていた軍人に向かって耳打ちする。そして、資料を渡すと、慌ただしく部屋をあとにして。


 しばらくその渡されていた資料を読んでいた軍人。最後まで読み終えると、


「本当に関与してなかったんだな」


 ぽつりと軍人が言った。

 そして、僕の体の拘束器具を外し始める。


「えっ……」


 唐突なことで狼狽する僕。


「バン博士が自供したってよ。自分が手引して自殺を幇助したって」


 そう言うと同時に僕の拘束器具は全て外れた。

 でも、体を縛りつける苦しみはとれるどころか強く縛り付けてくる。


 繋がった。あの時、博士が最後浮かべた表情。

 そして、申し訳無さそうにするユズキの様子。


 ユズキを逃したことを認めれば、無事には済まない。


 ……そこまでして、ユズキの想いを。


 強い敗北感が押し寄せてきて。


「一人で戻れるな?」


 そう言って部屋をあとにしようとする軍人。


 僕は荒々しく立ち上がった。


「あっ……」


「おわっ、なんだよ?」


 驚いた様子で振り返る軍人。


「あっ……ぼっ……ぼっ……」


 僕も手伝った。

 その言葉を伝えようとした。


 あまりにも負けている気がした。僕だってユズキのことが好きで……。

 だからこそ、ユズキのために……。覚悟が。


 ……なのに、喉の奥に引っかかって言葉が出てこない。


 ずっと自分にしか聞こえないくらいの大きさの唸り声を出し続けて。


 それは最後まで続いた。


 僕の様子に違和感を覚えつつも、ショックによるものだろうと思ったのだろう軍人は部屋をあとにして。


 一人残った部屋。僕は椅子に倒れ込むように腰掛けた。


 そして、天井を見つめ、唇を噛みしめた。


 ひたすらに襲いかかってくる敗北感。根本から折られたような感覚。


 僕はしばらく動けなかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

 いつもグラシアと過ごしている部屋の前に立った僕。


 結局あのまま、半日過ぎ、部屋の片づけにやってきた軍人が入ってくるまで放心状態だった僕。


 とにかく一人でいたかった。


 だから、軍人が入ってくると同時に部屋を後にして。


 でも、結局行くところが思いつかず、気づくといつもの部屋の目の前に立っていた。

 しかし、入る気も起きず、その場に立ち尽くしていて。


バンッ、


 ドアが勢いよく開いた。


 満面の笑みを浮かべるグラシアが顔をのぞかせて。そのまま僕の足にグラシアは飛びつく。


「やっと帰ってきた!」


 そう嬉しそうに体を押し付けてくるグラシア。グラシアと接した部分から優しい快感が押し寄せてくる。


 なんだか、涙が溢れてきて。


 グラシアの体を抱きしめる。 


「うぐっ」


 嗚咽が喉から漏れる。いろんな感情がぶつかり合って、矛先がなかった激情。それが噴き出した。


 もう、グラシアだけでいい。もう何もいらない。グラシアだけが幸せであればいい。


 もう………。それ以外はなにもいらない。


 グラシアの幸せ以外を考える余裕がない。


 そのまま僕はグラシアを抱きしめ続けた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「生きるってなんだろうな」


 グラシアを寝ていることを確認して部屋に入ってきたエツィオ。

 一言目にそう言って。


 エツィオの声は弱々しくて。それはいつもとはかけ離れていた。

 そんなエツィオを見るのは久しぶりだった。


「珍しいね……」


 珍しいが、そうなった理由はいくつでも思い浮かんでくる。

 そう言うとエツィオはしばらく黙り込んでいて。


「……そうだな」


 ようやく返せたような声で。


「もうわけがさ……分からなくてさ…ユズキもいなくなって、バン博士も今どうなってるか情報は回ってこない」


 博士は軍に捕まって、どんな裁かれ方をするのか話し合いが始まったところから、一切の情報が遮断されている。

 僕にはどう答えていいかわかるわけもなく。


 そこからしばらく無言が続いた。

 すぅすぅとグラシアの寝息が聞こえてくる。


 ゴロンと寝返ったグラシア。植物たちが起こさないようゆっくりと動き、まるで布団のようにかぶさって。


 そんな様子をぼんやりと見つめていた僕ら。


 エツィオが口を開いた。


「俺はさ、母親が死んだことが原因でこっち側についたんだよ。『生命の樹』があれば母親を救えたのに、父親はしなかった。軍という立場を優先した。だから、そこから、俺みたいな境遇の人たちを救いたいって思った。俺の生きる意味だと思った。だから、色んな物を諦めて……見て見ぬふりして……」


 そこから、十分に時間を取ったあと、


「……本当に正しかったのかな」


 エツィオが言った声は、風が吹けば飛んでいきそうなほどか弱くて。


「……」


「分からなくなってさ。人間って何かわからなくなって、生きるってなんだ? 『生命の樹』のせいでわけが分からなくなった」


 エツィオは皮肉交じりに笑うと、


「今までは辛いことがあっても向き合えたんだよ。でも、向き合えなくなった。どうしてこんなに辛いんだろうって被害者面している自分がいてさ。苦しさに向き合えなくなった。俺は今全部投げ出して逃げたい」


 そこでエツィオは唇を噛みしめ、そして、俯いて、


「……父親が……正しいのかもしれない……って思っ……た…」


 そう言う声は悔しさが滲み出ていて。


「……そうなんだ」


 それなのに、いやに今の僕に親和性があっている気がしていた。エツィオが苦しんでいるのが言葉から分かる。聞いててもしんどいはずなのに、どこか心落ち着く感じがして。


「……僕も何がなんだかわからない。分かろうともしてない。自分の意志で動く気力が湧かない」


 グラシアだけを救うと決めた。でも、いまだ何もアクションを取ってない僕。

 どう動けばいいかも分からなくて。


 そうぼやいた。多分、向こうも同じなんだろうな。


「そうか」 


 エツィオもどこか安らいだ様子で。


「もうもとには戻れない」


 ポツリとエツィオは言った。


「俺たちはどうなるんだろうな?」


 そして、グラシアの方を向いて、


「グラシアはどうなるんだろう」


 そう呟いた。


 僕の脳裏に記憶が蘇った。人の一部になった『生命の樹』を操るグラシア。

 もともとグラシアを危険とみなされていた理由は攻撃的な植物が地上に繁栄していたことによるものだった。


 でも、今は、『生命の樹』によって生命の枠組み自体が不明瞭になっていっていて。 


 グラシアは生き物のあり方を根本から変えてしまいかねないほどの存在になってしまった。 


 他人を自由に操れることができる。それは体の自由だけじゃない。構造までもだ。

 その気になれば人間以外の動物へと変化できる。

  

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生命の樹 プラ @Novelpura

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