第17話 集合体の調査2


「意外ですね。ついてくるんですね」


 そう言って、目を丸くするシーナ。


「さっきのこと言ってよかったものなの?」


 逃げることもせず、気づいたら尋ねてしまっていた。

 僕を集合体に融合させるなんて。あまりにもシーナの行動とは乖離していて、言葉だけが浮いていて。余計に頭が混乱してしまって。

 危ないという実感なく、シーナを追いかけていた。

 

 シーナは振り返って、


「もちろん駄目ですよ。だからこれ以上の情報は言いませんよ」



 訳が分からない。聞けば聞くほど混乱する。

 もとより、この状況の異質さ。

 いつでも集合体に取り込まれそうな環境。周りを見ると至るところに植物が蠢いていて。

 さっきからずっと不気味に鳴り響く巨体が地面を引きずる音。

 そして、その中で明かされた衝撃の事実。なのに、シーナはその中をいつも通りのように歩く。


 少しの逡巡の後、僕はまた後を追ってしまっていた。


「じゃあ、どうして言ったの?」


 無意識的に動いた僕だったが、その行動を鑑みるに、言葉の意味より、その言葉を発した意味を知りたかったのだろう。


 何かを言おうとしたのか歩いたまま、こちらを振り向いたシーナ。でも、その時、すぐ目の前に迫っていた枝に頭をぶつけて、


「…………」


 頭を抑えるシーナ。


 その様子を呆気に取られている僕。シーナがいつもと変わらなくて。

 混乱に次ぐ混乱で、シーナの心配をすることもままならなかった。


 すぐに、シーナは髪を整えて、


「まぁ、私こんな感じで鈍臭いんで、どうせ隠そうとしても無駄だって思って」


 そして、少しの間の後、


「どうせ、失敗するんで」


 あまりにも当然のように言い放って。その表情からまるで自分に期待していないことがひしひしと伝わってくる。


 そんな当然のように話されると何か肩透かしを食らったような気分で。

 なぜか僕らはまた歩き出していた。こんな危険地帯を。大した緊張感もなく。


「……どうしてさ。……トニー博士はシーナに頼むんだ?」


 脳裏にバン博士の姿がよぎる。


「……意外ですね。怖がらないんですね」


 そう言って僕の顔を見つめるシーナ。そうして数秒、僕の顔を見つめ続けると、視線を外してぽつりと言った。


「私がいつでも消えてもいいと思ってるからじゃないですか?」


 そして、また僕の顔を見つめ、


「ルティさんは知ってるでしょ?」


 僕の脳裏に蘇る記憶。


「……そうなんだ」


 シーナからはどんな感情なのか読み取れなかった。


「次はこちらから質問良いですか?」


「どうしたの?」


「逃げようとか考えないんですか?」


 いつの間にかこちらを振り返っていたシーナ。


「簡単に逃げれますよね。逃げようと思っても誰も止めれないし。それに、バン博士さんはあなたが頼めば逃がしてくれそうですけどね」


 言葉が出てこなかった。


「自分で何も決めない、周りの意見に流されてるだけですね。自分の行動が他人に支配されてる」


 そう言うシーナの声はいつもの淡々とした感じじゃなくて、どこか楽しんでいるような。どこか嬉しそうな。何か新鮮味を感じて。


「……自分がどうしたいかも分からないのに決めれるわけない」


 気づくと僕はそう返していた。脳裏に博士との会話が蘇る。

 

「生まれた意味も、生きていく意味もないのに、どう決めればいいんだ。何も分からないのに、何かできるわけがない」


 あぁ……。まただ。

 抜け出せない苦しみが襲ってくる。もがこうともがこうとするほど余計苦しい。


 しかし、今日は違った。


「私たち似てますね」


 シーナがそういって口の端を少し持ち上げた。初めて見るシーナの笑顔。


「そんな表情浮かべるんだ」


 僕はついそう言っていた。

 不思議なことにその一言だけで少し救われた気がして。

 その一瞬だけ、何か全てどうでもいい気がしてきて。


 そんな僕の様子を覗き込むように見つめてくるシーナ。なぜか、すぐに視線を外してしまって。

 すると、シーナは振り返った。シーナはそのまま歩いていく。その先には、新たにこちらに向かっている集合体の一部である木が蠢いている。


「…………?」


「私の好きな実験があるんですよ。楽園実験という実験なんですけど」


 シーナは防護服を脱ぎ捨てた。持ってきていた瓶も落として。そして木に向かって歩いていく。


「…………?」


 シーナの行動が意味が分からなくて、でも、視線だけは外せなかった。


「ネズミを使って行われた実験なんですよ。ネズミにとって生存に最適な環境を用意したんですよ。詳しくは住処、食料、天候、病気、捕食者、その五つの要素を排除した生息環境ですね。生きるのに全て満たされた世界。その実験が数十回行われたみたいですけど、どれもが絶滅した」


 迷わず歩いていくシーナ。すぐ目の前まで集合体の一部である木に近づいた。後ろで手を組んで僕を見つめるシーナ。その表情は彩に満ち溢れていて。


「群れの中の格差が原因見たいです。まるで人間みたい。仕方ないどれだけ集まろうとも結局は個と個、完璧に相いれない」


その体は白い繊維質の糸、『終わりの森』の『生命の樹』に包まれていく。 


「………………あぶな……」


 この時、ようやく意味が分かって、慌てて僕はシーナに向かって手を伸ばす。助けようと一歩踏み出して。そんな僕を見てシーナは含みのある笑みを浮かべた。


「トニー博士が言ったんですが、集合体は今この瞬間も完璧に調和しつつあるらしいですよ」


 シーナがそう言った次の瞬間、


 ドゴォン


 まるで雷が落ちたような激音が辺りに走った。吹き飛ばされんばかりの風が襲ってくる。目の前一杯に煙が広がって。


 煙が止むと、さっきまでシーナの近くにいた木の体に『槍の樹』が深く突き刺さっていた。


 僕は空を見上げた。グラシアだ。

 危険時の対策として、グラシアが僕らを感知している。そして、危ない目を感じると、空から『槍の樹』で援護してくれる。


「相変わらず化け物ですね」


 体にまとった『生命の樹』をはがしながら立ち上がるシーナ。まるで今自分が一体化しそうになっていたなんてまるで嘘のように、落ち着いた表情で。


 僕はまだ今の状況に頭がついていなくて口を動かそうとするも言葉が出てこない。


 そんな僕につかつかと近づいてくるシーナ。目の前まで来て、


「本気で止めようとしないんですね」


 そう伺うように放った一言。僕に考えさせる暇なくシーナは続けて、


「私に流されそうになってました?」


 その時一瞬浮かべたシーナの表情。初めて見る表情だった。今までとは違って様々な感情を含んだ表情。初めてシーナの本当の姿を見たような気がした。


「どさくさに紛れて自分も巻き込まれようと思いました?」


「…………」


 シーナの言葉を聞いた瞬間、気づいた。

 今、僕も消えようとしていたことに、一緒に巻き込まれようとしていたことに。


 その僕の態度にシーナは何も言わなかった。でも、どこか嬉しそうに見えた。  

 その瞬間、僕も言葉にはできない領域で確信を覚えた。自分とシーナは似た者同士だと。


 その瞬間、自分の顔つきが変わったのが自分で分かったし、シーナが満足そうな表情を浮かべたことで視覚からも分かった。


「うん」


 僕はそれだけ返した。


 シーナは枝の端までつかつかと歩いていき、地面を見る。そこには、一体化した植物が蠢いていて。


「一緒に落ちませんか?」


 相変わらずシーナは笑みを浮かべながら言った。普通だったら何の冗談だろうと思うだろう。でも、僕はなぜだろうか。本気で言っていると確信できた。

 間違いなくシーナは本気で言っている。


 その瞬間、無性に消えてしまいたくなった。


 ドゴォォォン、ドゴン、ドガァアァン


 近くの数か所でまた轟音が響いて。見ると、近くに来ていた三体、木が近づいていたようで、その三体ほど槍が軽々と体を貫いていて。


「ここはうるさいですね。少し移動しますか」


 そう言って瓶を地面に叩きつけようとするシーナ。その腕を僕は掴んで止める。


 訳が分からない切迫感が生まれていて。煩わしくて。少しでも早く話したかった。

 そんな僕の表情を見てシーナは少し驚いたような表情をして、また笑って、


「……強すぎですよ」


 僕は慌てて力を弱める。シーナは次の僕の言葉を待つように見つめてくる。


「……どうして?」


 僕は理由が知りたかった。自分と同じという確信を覚えた僕はそこで初めてシーナに強い興味を持ったのかもしれない。


 シーナは僕から視線を少しも離さずに僕を見ていた。


「大した理由はないからですよ。……死ぬ理由も……生きる理由も」


 シーナは視線を地面を這う集合体に目を向け、


「自分で何も決めれない。他人に流され続けるしかない。それは分かっているのに、結局それだけじゃ、苦しい。ずっと虚無感があって。余計に何もやりたくなくなる。でも、集合体ならそもそも自分っていう単位がないじゃないですか?」


 ちらりと僕の顔を見るシーナ。首を傾げて、


「ルティさん。それはどういう表情ですか?」


 一体、どういう表情か自分でも分からなくなっていた。


 いろんな感情が渦巻いて、それを処理するのがすでに煩わしくて堪らなくて。ただシーナの考えが胸の奥に染みわたっていく。


 自分の生き方が分からなくなって、満たされてるから絶望しきれないで、ただグダグダと生きる気力もわかず、少しずつ擦り切れていく。いつの間にかすべてが面倒に感じるようになってしまって。同時にどんどんと孤独感、疎外感が強くなって。


 そんな中、時々その孤独感が強くなっていく。まるで周りの人が全て人に見えなくて、人形に見える時がある。世界が極端に狭くなっていく様に感じて息苦しくなる。


 その時初めて孤独感から解消された気がした。世界が僕一人でも息苦しいほど狭く感じたのに、シーナがそこに入り込んできて、その分、息苦しさがましになった気がして。


 気づくと、僕らは手を握り合っていた。


「いこう」


 その時の僕の頭には楽になりたいとの願望と、シーナが隣でいる心強さで満たされていて、興奮状態にあった。


 枝の端に向かって一歩進んで。


 その時、シーナと握り合っていないもう片方の手、右手が異様に強く握りしめ初めた。僕の意志とは無関係に。


 頻繁に辺りに轟く音。僕たちが同じ場所に留まり続けたことで集合体の一部である木が集まってきている。それを受け入れようとする僕らを必死にグラシアが『槍の樹』を使って救おうとしているのだ。


 あたりにいる数十の集合体の一部である木が空から降り注ぐ『槍の樹』によって撃ち抜かれている。一瞬聞こえる、葉をかする音、そのコンマ数秒で響き渡る轟音。飛び掛かってくる木。一瞬でその姿を消し、空から落ちてくる『槍の樹』の勢いのまま地面に叩きつけられる。


 グラシアが頑張って僕を守ろうとしている。


 僕の歩みは止まった。足が固まって、体が固まって、体全体がわなわなと震える。


「ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん」


 でも、もう駄目なんだ。


 そう願うも体は依然として動かなくて。


 あたりは騒然としていた。百近くの木が辺りを這いまわっていて、暴れまわっていて、もう僕らの目と鼻の先まで襲ってきては、槍に打ち抜かれて、木の破片が僕の皮膚を裂く。


 そんな中で異様なほどクリアに聞こえたシーナの声。


「もういいじゃないですか? あの中にいればそんな悩みも抱えなくていいんですよ」


 その声を聞いた瞬間、一気に頭の中が晴れて、残ったのは諦めだけだった。


 ……もうどうでもいいや。


 ゆっくりと前に体重を移動させていって。どんどんと力がかかる足の爪先、そして、ある一定まで倒れた時、足の爪先からも力を感じなくなった。


 ふっ、


 一気に感じる浮遊感。一気に世界が進みが遅く感じた。


 ゆっくりと広がっていくシーナの髪。シーナは目を閉じていた。顔が強張っていて。恐怖を感じている表情。僕は落ちていく先に目を向けた。地面で蠢く集合体。それはとてつもない大きさで。自分ってちっぽけなんだな。この中では、僕なんていないに等しい。


 頭上に影を感じた。


 見た時には、シーナの腕を掴もうとする手が見えた。その瞬間すらゆっくりと見えた。その掌の皺、浮かび上がっている血管、そしてシーナの腕をゆっくりと握りしめる手。同時にシーナの体は浮かび上がって。どんどんと伸びる僕らの腕。


 もともと強く握りあっていなかった僕らの手は僕の体の向きを変えるほどの力しか耐えることが出来ず。結果、地面を背にしただけだった。


 僕の目に、シーナの腕を掴むエツィオが映る。その光景がどんどんと遠ざかっていって。シーナの顔が悲痛に歪んでいく。エツィオの表情が絶望していく。


 そして、二人とも完全に絶望しきった表情を浮かべたとき、僕の記憶はなくなった、

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