第13話 新たな可能性

「やっぱりすごいよトニーは! 上手く抑え込んだみたいだ」


 感嘆の声を上げる博士。あのクジラの日から一週間後、トニー博士がどういう手を使ったのか、グラシアを疑う声は消えたらしい。

 自慢するように褒めたたえる博士。それを何とも言えない心境で見つめる僕。


 本当にトニー博士から何も聞かされていないんだ。


 博士は僕の方にくるっと姿勢を向け、


「そういえばどうしたんだい? 話があったみたいだけど」


 そう尋ねてきた。


 自分のことですら分からないのに、飲み込めないほど大きくて歪なものを、それでも無理やり飲み込み続けた。少し何かきっかけがあれば、足元からすべて崩れていく。そんな気がしていて。


 そういう時、僕は博士のところに来る。


「なんなんでしょうね……」


 でも、聞きたいことだらけで、でも、どれもどう聞いていいかわからなくて。


「……どうして生きているんですかね?」


 もはや愚痴のように言った僕。


「……それは生きている意味かい? 生きている理由かい?」


「……そうですね。……見つけるんじゃなくて。なんだろう。もっと根本的な部分です。どうして人って生きているんだろうって」


 博士はカップに温めたコーヒーを注ぐ。部屋の中にほろ苦い匂いが漂って。そして一口飲むと、


「意味は虚構だ。そもそもないよ。あるのはその現象が起こった理由するだけだ。君だったら『生命の樹』が変質を起こしあって、人間の体を作り、これまで生きてきた。だから生きている」


 淀みなく出てくる言葉。あまりにも無慈悲な言葉の流れで。


「意味を見つけることを諦めて、どうやって生きればいいんですか?」


 投げやりな言い方になった。


「諦められないよ。僕らはないと分かっていても追い求め続けてしまう。それは、人間の進化の代償だと受け入れるしかない」


「人間の進化の代償……?」


「他の動物が生きる意味を求めると思うかい?」


 僕は首を横に振る。


「そう、その理由は、他と一線を画すほどに進化した脳だ。このおかげで、人間だけが想像、つまり虚構を生み出す力を持ったんだよ。これは大きなメリットだった。だからこそ、複雑な社会を形成できた。複雑な言語体系を作れた。社会秩序や文化という虚構を作り出すことで、どれだけ人間が大勢いたとしても破綻しない。だからこそ、僕らはここまで繁栄することが出来た」

 

 僕は魅入られたように博士の話に聞き入っていた。


「でも、そのせいで生きることに事態に虚構を求めるようになってしまった。進化は常にメリットだけじゃない。デメリットも存在する。だから、生きる意味を求めることは、進化の代償なんだよ。諦めれるわけがない。受け入れるしかない。そう僕は考えるよ」


 進化し、それが回り回って自分自身を苦しめている。僕の脳裏にクジラや、人を殺すために進化した植物、自分の体を犠牲に他種を保存する木の姿が脳裏に浮かび上がって。

 博士の話が嫌というほど納得できた。

 

 僕一人で考えていても、やんわりとあたりを絶望感が取り巻くだけで。でも、博士と話すと、絶望感が実態となって首を絞めつけてくるような。でも。博士の言葉には納得感があった。なぜか、納得感が絶望を紛らわしてくれる。

 だから、僕は博士に話に行く。


 少しすると、また絶望感に晒されるが、今は納得感がごまかしてくれる。僕は、ようやく落ち着いて息を吸うことが出来た。


 そんな僕の様子を察したのか、博士は返事を求めることもせずに、仕事の続きを始める。

 不意に、博士が作っている資料が目に入った。この前の貧困街に治療しに行った時の報告書で。


「あの人たちも虚構を縛られていたんですかね?」


 自ら苦しむと分かっていて、自分の住んでいた場所に戻っていった。


「彼らも虚構に縛られていたんだろうね」


「…………進化って何でしょうね」


 僕はぽつりとつぶやいた。

 どうせこれにも意味はなくて、理由があるんだろうな。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 その裸体の男の背中には白い繊維のような細い糸が無数についており、束になっていた。

 そして、その白い細い糸はその男の周りにいる全ての種類の植物にもくっついていて。


 あたりは森のような場所だ。全ては『暴食の樹』で構成されていて、異常な生え方をしている。通常のように空向かって伸びる木は珍しい。斜めに生えている木や、そもそも他の木の幹に根を生やしている木。

 殆どは普通ではありえない生え方をしていた。


 その隙間などを這いずり回る様々種類の植物。その量は異様だ。

 どこを見ても植物が目に入る、地面に埋め尽くすばかりではなく、何層かになっている。植物の下に蠢く植物が見えて。『暴食の樹』の幹にも様々な種類の植物が蠢いている。


 その中を歩く男。そして、ある『暴食の樹』の根元で止まる。

 その男は背中についている束になった細い糸によってゆっくりと空に向かって持ち上げられ始めて。

 そのままその男は、ある枝に降ろされる。男はゆっくりとまた歩き出す。その先には、人の形をした植物があった。

 枝や葉が花がお互い絡み合って人の形を成している。


 男はその人の形を成す植物を抱きしめて。途端に、男の背中についている束になった細い糸が小刻みに震いだした。


 その時だった。一瞬、男に影が差した。そして、きらりと鋭く乱反射した光。


 ブチブチッ、


 繊維質が一気に断ち切られる音。空降ってきた髪の長い女。その持っていた剣で一気に男の背中についている束になった細い糸を断ち切ろうとしたのだ。しかし、男の背中一面についている糸を全て断ち切れるわけなく。


 女は面倒臭そうに顔を歪めると、手で一気に引きちぎられながら、口の中に頬張っていた小さな瓶を噛み割った。


 そして、瓶の中にあった『暴食の樹』の苗木を、割れた瓶の欠片ごと枝に吹き付けた。


 エネルギーを受け、爆発的に成長する苗木、女は男の体を抱え、その幹を掴む。


 ドゴォォ


 すぐ下で鈍い音が鳴った。

 さっきまでいた二人がいた場所で鈍い音が鳴る。と同時に、成長する『暴食の樹』が揺れ、幹を掴んでいる女は思わず手を離してしまいそうなほど振られる。女が視線を落とすと、あたりを蠢いていた植物が二人を襲おうとしているのか、幹の根元にタックルしたり、幹を登ってこようとするものもいて。


 辺りにも目を向けると、様々な場所で植物が蠢いているのが見える、どれもがこちらを追ってきていて。

 しかし、どんどんと植物達と距離が離れていく。


「……はぁ、……上手くいった」


 そう言って女はぽつりとつぶやいた。


 『暴食の樹』の成長は早く、もうすでに体当たりされても揺れないほどの太さを持ち、また高さもほかの木が追ってこれないほど伸びが早い。すぐに、あたりに動く木々の影はなくなった。


 女は成長速度が落ち着き始めた『暴食の樹』から、もともと群生していた『暴食の樹』の枝に乗り移った。そして、男を雑に降ろすと、


「生きてますか? トニー博士」


 抑揚のない声、だが面倒くささだけは濃く滲み出ている声でそう尋ねた。


「…………」


「死にましたか?」


「……っはぁ!」


 一気に息を吸い込んで、弾け起きるトニー博士。そのぎろりと開いた目であたりを見渡し、


「あっ、シーナ君。ありがとう助かったよ」


 そう言った。めんどくさそうな顔を隠さないシーナ。無言でトニー博士に服を掛ける。

 しかし、そんな服なんて気にも留めず勢いよく立ち上がるトニー博士。その勢いで飛んでいく服。シーナはため息を吐いて目を背ける。


 トニー博士はそのまま枝の端に向かい、下にいる植物たちを見下ろした。


「素晴らしいね! やっぱり『生命の樹』の体は最高だ! この体にしてよかった!」


 そう腕を広げ、満たされたような恍惚とした表情を浮かべるトニー博士。その隣にシーナは歩いていき、


「とりあえず言われた通りの時間たってから助けましたけど、あれなんですか?」


 眼下にある植物はすべて白い繊維のような糸で繋がっている。


「集合体だよ。今も一つになろうとしてる」


 そう言うトニー博士の目は輝いていて。意味が理解できないのかシーナは不思議そうな表情を浮かべ、


「多種多様な植物が一つの生命体へとなろうとしているんだよ。それも植物の量がすごいよ。数千近くいるんじゃないか」


 トニー博士は背中をまさぐると、背中についていたある小さな小指程度大きさの木を引きちぎった。


「素晴らしいね。『生命の樹』の近縁種かな。この樹を通じて様々な種類関係なく体を繋げている」


 トニー博士は興奮しているのか、シーナの返事も待たずに矢継ぎ早に語る。


「システムも出来上がりつつある。ただ一つになるだけじゃない。一つの生命体に向けて変化が起こりつつある。すごいと思わないか、エネルギーが行き渡るようにシステムが出来ている」


 もうシーナは何を言っても無駄だと分かっているのか、聞き役に徹している。


「……それでも勿論まだまだだけどね。すごく勿体ないよ。


 ぽつりと言うトニー博士。シーナの方へ振り向くと、


「この前の僕が作った『生命の樹』覚えている? 『軍隊草』を操った」


 頷くシーナ。


「詳しくは説明できないけど、簡単に言うとねあれね、人の脳の一部を埋め込んでるんだよね」


 つかつかとその場を歩き回るトニー博士。


「それに、ルティ君の体を構成する『生命の樹』は変質出来た。つまり、ルティ君の『生命の樹』は脳の一部にすら変化できる」


 そう言うトニー博士の目はまるで狂気に魅入られていて。


「人間の最大の武器である知能をさ、あの一つの生命体になろうとしている集合体に取り入れたらどう思う。それはすごいインパクトを与えると思うんだけど」


 その目には狂気と、純粋に楽しむ感情が入り混じっていて。口調にもそれは現れていた。


「そうしたら博士の目標を達成できるんですか?」


 それと真反対に落ち着いた口調で、シーナは尋ねた。


「可能性の一つになりうるだろうね」


 トニー博士はそう答えた。


「了解しました。あの集合体にルティさんを取りこませればいいんですね」


 シーナはそう言った。


「頼んだよ。シーナ」

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