第9話 クジラ討伐2

 まるでこの世のものと思えない。戦いが目の前で広げられている。

 圧倒的すぎて。

 しかし、


 チッ


 目の前を何かが横切った。同時に頬に走る鋭い痛み。

 『軍隊草』だった。僕はそれを踏み潰す。


 見るとすり抜けてこちらに向かってくる『軍隊草』が。

 いくら馬力が強くても、数で圧倒的に負けている。


 徐々にすり抜けた『軍隊草』が一瞬の隙に僕やグラシアの体をえぐり始める。

 右側に意識を向けると、いつの間にか左側に痛みを感じて。


ガリガリッ


 辺りから聞こえてくる音。それは、僕の体の中からだ。


「ぐぅぅぅ」


 膝辺りから皮膚を食い破って飛び出た『軍隊草』を僕は殴り潰す。

 『軍隊草』もそうだが、そもそもグラシアの体の一部になるために、自我を持ちだした僕の細胞が引き起こす痛み。

 体の至る所が力が入らない、僕はそのまま体制を崩して倒れる。


 必死に首だけを動かしてあたりを見る。飛びかかってくる『軍隊草』が数十体。様々な種類の木が割り込んできて僕らを守る。しかし、すでにいくつも穴が開いて。

防戦一方になっている。

 それどころか徐々に押し込まれている。


 グラシアの体は血と木くずで汚れて、そして足元から這い上がろうとする『生命の樹』。


 そんな時、目の前を横切った『軍隊草』


 それを殴り潰そうとした。腕は地面にぶつかった時、ひじから先の腕が一気に崩れ落ちて、腕だった『生命の樹』がグラシアのもとへ向かう。


 体の至る所の感覚がなくなって……。視界の端が狭まっていく


 ごぶっ


 喉の奥から液体がこみ上げてきた、それはそのまま吐き出した。口の中に広がる死の味。

 

 僕は消えれるんだ。今までどこかふわふわとした感覚だったものが、いま形を持ち、重さを持った。

 それは恐怖だった。

 体の中で原初的な衝動が暴れている。消えてしまいたいのに。消えることに恐れを抱いている。


 これだけちっぽけなのに……。

 僕はあたりで暴れる植物、周りのことを放って僕の心配をするグラシアに視線を向ける。


 僕のことなんて放っておいてくれ。早く。恐怖と心配が混ざり合って。

 でも、今の僕は何も伝えるすべがなかった。声も、腕も足も何も動かない。それどころか頭までも。

 僕がいなくなれば、僕に気を裂く必要もない。それで僕はグラシアの一部に慣れて。……ユズキは……博……士はどう思うだ…ろうな。結局……このために生きて……。……。


「やめてよ」


 薄れ行く意識の中、突然クリアに聞こえたグラシアの声。

 どこに力が入って、どこに力が入ってないのか分からない。未だ、しぶとく内で暴れる恐怖にひたすら耐えることしかできなくて。


 視界には僕の体からグラシアのもとへ向かう『生命の樹』が群れを成している。見える範囲だけで僕の体の四分一くらいの量があるんじゃないか。


 恐怖がさらに増幅する。冷えきった恐怖が湧き上がって。

 それを押さえつける。

……もう少しで……グラシアの一部……になれるんだ。…………はやく。


「だからやめてよ」


 ゾクゾク

 それまで体を支配していた痛みと恐怖を押しのけて割り込んでくる痺れるような快感。その痺れがどんどんと強くなっていき恐怖と痛みを押しのける。


 ……グラシア。


 グラシアから発せられる大地エネルギーが強くなっていく。

 次の瞬間、地面がうねった。目の前や様々な地面の至る所がどんどん競りあがっていて、


 ぐしゃぁ


 赤い液体で目の前が埋め尽くされた。一気に辺りには芳醇な鉄の香りで満たされる。 

 その大量の血は地面の至る所から噴き出した。その赤い液体から姿を現したのは枝。血で塗れた枝はその太さを増していく。

 『暴食の樹』だ。数秒して気づいた。成長を止めた『暴食の樹』がまたグラシアのエネルギーを受け取って成長した。そして、クジラの体を貫いた。


 僕やグラシアの周りを数十の枝が地面からクジラの体を貫いて現れる。僕らの周りに盾のように囲う。


 どがぁぁぁん


 至る所から爆発音が聞こえてきて、隙間から届く強い光と熱。


 この辺りから意識がかすれ始めて、 


 目の前が時折ノイズが走ったように黒くなる。そしていつしか取れない黒いしみがついて、そのシミが大きくなっていく。

 悟った。あと数秒で僕は消えるんだって。

 脳天から足先までもはや痛みに近い恐怖が支配した。どこにこれだけの力が残っているだと思うほど、強烈で鮮烈な恐怖が僕の体の中を暴れる。


 しかし、目の前も真っ暗になって、次の瞬間、体の力が一気に抜け落ちた。一切の力が入らなくなった。

 安らいだ。

あぁ、消えるんだ。どんどんと縛られていたものから解き放たれていく。どんどんと軽くなっていく心と体。

 全能感すら感じ始めていた。


「……ィ、ル……、……ティ!」


 すぐ近くでグラシアの声が聞こえる。なのに、まるで遠くのように聞こえなくなって。

 痛いような、気持ちいような、何もなかったような。

 そして何も感じなくなった。何もなかった。


 かすかに残った意識の中で、願ったことは自分のことだけだった。

 ……もう目を覚まさないでくれ、このまま消え去ってくれ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「ルティ!」


 体中に広がる強い快感。僕は目を覚ます。同時に胸の内に逃げ場のない絶望感が渦巻いた。


「ルティ」


 そうして両側から感じる温かい感触。


「グラシア……ユズキ……」


 僕はぽつりと言った。僕は生き残ってしまった。


 博士の表情を見る。唇はキュッと結んで、でも口角を上げて、笑い損ねている。

 生き残った事実がより現実味を帯びて、僕の心に重くのしかかる。


 僕の側では、傷一つないグラシアと、両腕がないユズキ。


「大丈夫だ。研究室に戻ればまだ『生命の樹』が大量にある」


 博士はそう言った。


 僕はまた生きていかないといけない。今までと同じような日々を。


 僕は逃げ場を求めるように辺りを見た。


 まだクジラの背中にいた。辺りは凄惨な状況だった。


 あたりの木々は吹き飛び、粉々に砕け、根元から折れている木も。その木肌は焦げていたり、何か木の残骸のようなものが突き刺さっていた李、木肌がめくれて中身が見えていたり。

 微かに痙攣するものはあるだけで、動くものは確認できなかった。


 僕もあっち側でよかったのに……。

 

 死に限りなく近づいたからこそ、その恐怖が頭に刻み込まれてしまった。

 

 生きたくも、死にたくもない。一体僕はどうすればいいんだろうか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「死者、重軽傷者、合わせて千人か……」


 エツィオが資料をめくる。


「意外と被害が少なかったですね」


 シーナがぽつりと言う。


「あのなぁ……」


 エツィオがそう不服そうに口を開いたが、言葉を止め、更に不服そうに口を閉じる。

 分かっていたことだが最も被害が出たのは軍隊でもなく、研究機関でもなく一般人だった。取り逃した『軍隊草』が居住区に向かい、大きな被害をもたらした。

 

 エツィオは空を見た、枝が絡まりあい、まるでキノコの傘のような形をしている『暴食の樹』の頂上。


 エツィオとシーナは人の住む『暴食の樹』の枝に立っていた。その眼下にいるクジラ。そのクジラに向かって多くの研究員が行きかっている。

 採取作業だ。ほとんどの種は絶滅していると言われている植物ばかりだ。


 研究価値はどれほどのものか。


「トニー博士の供述を見たか? クジラの死体が地面に落ちることで、どれほどの生態系への影響があるか分からないから捕獲したって」


 納得はいく説明だが……。エツィオは首をひねった。

 エツィオは口を開こうとしたが、一度躊躇した。しかし意を決して、また口を開いた。


「他にも方法があっただろ。海に落とすとかさ……」


 紙を持つ手に力が入る。くしゃと音を立てる紙。


「俺にはさ目的は別だったんじゃないかって気がしてんだよ。この作戦での一番のメリットは、簡単にクジラの背中に生えている植物を研究できるようになったことだ。……トニー博士お前に作戦を伝えるときに……何か言ってたか?」


 ところどころ躊躇うところがあったが、エツィオは頭に浮かんだことをありのまま尋ねた。


 二人の間に無言の時間が流れる。

 強い風が二人を襲う。シーナの長い髪をはためかせる。


「……何か言ってたと思います」


 シーナはぽつりと言った。


「なんだよそれ」


 エツィオは声を荒げかけたが、シ―ナの表情があまりに当然のようで興味がなさそうな様子を見て、何を言っても無駄だとすぐに悟った。

 向かう先のない感情を押し込めるために唇を強く噛みしめた。


「隠さないのか隠したいのかどっちだよ」


 そうぼやいた。


「どうせ、私に隠し事なんてできるわけないですし」


 シーナはまるで他人事のように自分を語った。


「トニー博士は一体何を考えてるんだよ。大勢の人を犠牲にするような作戦を考えて」


 エツィオはぽつりとつぶやいた。

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