第7話 クジラ討伐

 僕は部屋に戻る途中だった。


 先に部屋を出たはずのシーナが立っていて。


 特に何の反応も示さずに前を通り過ぎようとした。


「エツィオさんはあぁ言ってましたけど、ルティさんは何もないんですか?」


 前置きもなく突然、尋ねられた。


「ルティさん。生贄って書かれてましたけど」


 会話とするには、あまりにも無駄をそぎ落とした言葉で話すシーナ。


「まぁ、グラシアの一部になれるなら別に僕はいいよ」


「なるほど、では少し聞き方を変えます。腹が立たなかったんですか? 勝手に危険な場所に送られて」


 何かを探り出そうとしているのは分かって。でも、それ以外が何も分からない。違和感を感じながらも応えた。


「……まぁ、それで言うならエツィオだって博士だって危ない場所にいる」


「あの二人は元々そう言う仕事を志望してここにいるんですから。でも、ルティさんは違いますよね」


「……まぁ……そうだね」


 シーナ矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。その淀みなさを見るに想像していたどおりの回答になっているのだろう。

 余計に何がしたいか分からなくて、頭が混乱する。上手く言葉が紡ぎだせなくて。


「日常の生活から、こんなところまで全部他人に決められて、よく従順でいられますね。ルティさんは何も決めてない。ただ流されてるだけじゃないですか」


 シーナはそれだけ言うと、急に興味をなくしたように、顔をそっぽに向けると僕の返事を待たずに歩き出した。

 

 何がしたかったんだ。そう頭が混乱するも、何かに引っかかっている感覚がする。

 ルティさんは何も決めてない。やけに耳に残って。なにか、後味が悪くて。

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 ドアを開けるころには地面を伝って、僕がいることを感じ取っていたのだろうグラシアがこちらに駆け寄ってきた。そのままダイブしてくるグラシア。グラシアと触れた部分から快感が流れ込んでくる。


「あのね、明日頑張るから!」


 グラシアの表情はやる気に満ち溢れていて。

 まさか、僕がグラシアの体の一部になろうと願っているなんて夢にも思っていないだろう。


「すごい、頼もしいっ」


 わざとらしく声を張り上げた僕。


「困ってる人がいるんでしょ! 私助けるから!」

 

 いつも僕がよく使う言葉だ。気持ちのこもってない、薄ぺらっくて、軽い言葉。だったはずなのに、帰ってきた言葉は何故か重く心にのしかかって、ずぶずぶと沈みそうになって。


すぐには言葉が思いつかなかった。期待に満ちた表情だったグラシアは、不思議そうな表情に変わっていって。


「どうしたの?」


「……そうだね。……ありがとう!」


 何とか言葉の端だけ無理に盛り上げた。

 固くなった声を無理に柔らかくしようとして白々しさが際立っている。


 もしグラシアに目があって、僕の表情を見ていれば簡単に嘘とばれていただろう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 すぅすぅと眠るグラシア。その様子を眺めながら隣り合って座っている僕とユズキ。


「私はルティの気持ちも分かるよ」


 ユズキはそう前置きをして話し出した。


「でもさ、私はグラシアちゃんも好きだからさ。……分かるでしょ。グラシアちゃんはルティに褒められるためにあれだけ頑張っているんだよ」


 そこまで言ってユズキは黙り込む。


 その無言がより重々しい雰囲気を醸し出す。

 抱えることしかできない、行先のないもどかしさがどんどんと強くなってきて。

 僕はそのもどかしさに耐えることしかできなくて。


 無言の時間が続いた。


 少しすると、隣から鼻をすする音が聞こえて。 

 僕はユズキの方を見れなかった。


「私も頑張るからさ、そんなこと言わないで」


 うるんだ声でユズキは言う。

 

 湿り気を含んだ優しさ。受け取ることも、むげに扱うことも出来ず。

 そうすると、出来ることといえば、暗闇をひたすらに見つめることだけで。

 

 何も選択できないまま、見つめ続けた。

 不意に言葉が脳裏をよぎった。


「ルティさんは何も決めてない。ただ流されてるだけじゃないですか」


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「ふざけてるのか!」


 机をバンと叩き、軍の最高責任者、アイザック、ホーガンが叫んだ。

 作戦の詳細が書かれた紙がその勢いで宙を舞う。


「これでは街に被害が出るだろ! 遠くにおびき寄せて、『翅の樹』を使うべきだ!」


 顔を真っ赤にしてホーガンは怒鳴った。それに対して何の顔色も変えず前を向き続ける。バン博士、僕、シーナ、エツィオ。



「トニー博士が作戦を考えました」



 博士の声は、ホーガンと正反対で静かで落ち着いていた。



「お前は相変わらず、トニー博士の傀儡か」



 バン博士を睨みつけるホーガン、そして、僕たちの顔を見渡すと、



「お前らもこれでいいと思ってるのか」



 視界の端でエツィオが顔を背けるのが見えた。


「すでに上からの許可も得ているので」


 淡々と話を続ける博士。何を言っても無駄だと気づいたのだろう。

 すぐに立ち上がったホーガン。


「もういい。こちらも軍を出す。お前たちだけでは信頼できん」


 そう言ってホーガンはこちらの答えを待つことなく部屋を後にした。後に続く軍人。


 分かっていたことだが、更に、溝が深まるだけの会議になってしまった。

 今、『生命の樹』やグラシアで肯定派と否定派で意見が二つに分かれているのだ。


 それは国の機関までも到達しており、軍はその中でも否定派の中核的存在で、ことあるごとに民意や政治に働きかけ、僕ら肯定派の中核である研究機関の活動停止を求めている。


今回も被害が出れば、それを使って大々的にネガティブキャンペーンを行われることだろう。


「これで被害出たら、軍が黙っていないですね」

 

 エツィオがぽつりと言った。


「トニーが何とかしてくれるさ」 


 バン博士はそう力強くいった。



 もう何を言っても無駄だと分かったのだろう。エツィオは何も言わずに部屋を後にした。


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 ゴウゴウと吹き付けてくる風。眼下には山すら玩具に見えるほど遠くに大地が広がっている。

 その大地からようやく引き上げられた檻が僕らのいる『暴食の樹』の枝に置かれた。その中には蠢く木々。目算、十数本程度。


 グラシア意識を向けたのだろう。一斉に動きを止める。その隙に檻のカギを数人がかりで開けた。


「グラシア開けたよ」

 

 そう僕が隣にいるグラシアに声をかける。

 中にいる植物達は動き出し、自ら檻の扉を開け、こちらへと進んでくる。


 弱者か強者かの決定要因として最たるものは体の大きさだ。相手より体が大きければ大きいほど有利になる。そして、あまりにもかけ離れていると相手として認識すらされない。


 今こちらに向かっている植物の大きさに比べると、人間は虫けらだ。一目見るだけで勝負にすらならない。植物がその気になれば、一方的な虐殺が広がるだけで。

 そして、その植物ですらこちらに向かっているクジラに比べると虫けらでしかなくて。


 僕の側では、博士とグラシア、そして軍服を着た男が二人いた。


 僕らは人の住む『暴食の樹』の枝の上に立っていた。その枝は、『暴食の樹』の全長から考えると八割程度の高さにあって。


 キラリと光を感じて、思わず目を細めた僕。

 あたりを視線を流す。至る所からきらりと光を感じる。枝の隙間や、鬱蒼と生えている葉の中からなど様々な場所から。


 僕はちらりとグラシアを見た。疲れたのかちょこんと地面に座っている。

 反射した光、それらは全てグラシアを狙う銃が反射した光だ。その銃の中には『翅の樹』の苗木が詰まっている銃弾を込められているはずだ。


 これは、もしもの際、グラシアを殺すための対策だ。


 『翅の樹』をグラシアに打ち込み、空に浮かばせる。


 グラシアは大地エネルギーを大地だけでなく、大地に生える植物を介しても得ることが出来る。

 だから、空に飛ばすのだ。空に飛ばせば大地エネルギーを発することはなく、植物もグラシアがいると認識すらできない。

 

 これは、すべて協定で決められた内容だ。

 地面と間接的に接触している場合、地面と離れていれば得られる大地エネルギーは低い。

 だから、一定の高さまでなら脅威とみなされないだが、一定の高さを下回れば、脅威とみなされグラシアを殺す許可が降りる。


 研究所ではあまり現実味は起きないが、一歩外に出ると、グラシアがどれほど危険視されているか肌身で感じる。

 また思う。グラシアはいいように利用されているって。普段は『生命の樹』の回収のために傷づけられて、こんな時には一番危険な前線に駆り出されて、なのに、助けようとしている側から銃口を向けられている。


 グラシアは気づくそぶりもない。


 気づける由もない。グラシアは目が見えない。正しくは目玉がない。

 もともと『生命の樹』は人の目に変質できなかった。しかし、僕とユズキが生まれたことで『生命の樹』が人の目に変質する大きな一歩を踏み出したが、いまだ人に適用できないのだ。

 いまだ、僕らと人間は細かい場所で違っているようで。


 その代わりグラシアは地面から湧き出る大地エネルギーを感じることができ、周りの様子を感知していて。


 不意に思った。

 僕の目が人にも適応できるようになった時、グラシアは目を手に入れられる。

 そうなると、グラシアの目にはこの世界がどう映るのだろうと。

 

 自分に向けられる視線、表情などから、違和感を覚えるだろう。そして、自分の境遇の異常さにも気づくのは遠くないだろう。


 

 同時に疑問思った。グラシアの目には僕はどう映るのだろうか? 


 未だ何も決断が出来ない僕を。ただ場の流れに従っているしかしてなくて。

 どこかふわふわとして足取りがしっかりとしない。ここに、ユズキやエツィオがいなくて安堵感を覚えていた。


 なんなら、その目で見て、幻滅してほしい。


「来たよ」


 バン博士の言葉で我に返る僕。


 見ると遠くの方にクジラの姿が見える。小さな点だったものが、どんどんクジラの輪郭を帯びていく。


 風が吹き抜ける。草木がざわめきを起こしていた。あたりに漂う緊張感が一気に増した。


 グラシアは空にいるクジラは感じ取れない。突然強くなった風に不思議そうにしていて。


 ドンドンとクジラの輪郭が濃くなっていって。それに伴って、


 ごぉぉぉおおお、どんどんと大きくなっていく音。

 もうはっきりとその姿が見えるほどまでの距離まで来て。

 

 あまりの大きさに、一週回って現実感がなくなるほどだった。こんな生物が存在するのかって。


 それまで双眼鏡を覗いていたバン博士。


「今だ!」


 そう叫んで、手を挙げた。

 至る所から、かすかに聞こえる瓶が割れる甲高い音。

 僕も、今いる枝に設置された檻。その中に設置されている『暴食の樹』の苗木が入った瓶をたたき割った。

 

 同じものが僕らがいる以外の枝の上や、そもそも木の幹に設置されていて。


 苗木はグラシアの放つ大地エネルギーを吸収し、根が檻の中で猛烈な勢いで広がり始めた。

 栄養を渇望し、根は急速に伸びていき、檻を内側から破壊する勢いで成長を続ける。


『暴食の樹』そう名づけられた所以はその成長速度と、成長した後の木の大きさだ。

 まるで早送りしているかと思うほどの規格外の成長速度と、そして天高くまで成長するその木は、まるで大地エネルギーを全て食らいつくすように見えるのだ。


 メキャメキャ


 木が折れるかのような鈍い音を立て、根の部分が膨らみ、瞬く間に一軒家ほどの大きさの檻の中を埋め尽くした。


 檻一杯に膨らんだ『暴食の樹』、しかし、まだまだ成長はとどまることを知らず。

 すると向かう先は一つ、唯一開き放たれている側、クジラ側に向かって頑強で巨大な幹が辺りの檻から一斉に飛び出した。


 瞬く間に、太くなりながら、一斉にクジラに向かって伸びていく姿は圧巻だった。

 いたる場所から爆発的に成長する数十本の『暴食の樹』。その体はお互い絡み合ったり、別れたりを繰り返し、クジラの体向かって成長する。



 先ほどまでは現実味すら感じさせないほど圧倒的な存在だったはずのクジラ。しかし、『暴食の樹』の爆発的に成長する『暴食の樹』は、その存在はクジラを薄ませるほどに圧倒的な存在になった。

 クジラにぶつかる頃には、まるでそれは巨人の手だった。


 作戦が始まってここまでまだ十数秒。

 僕はただ茫然と立ち尽くすばかりだった。何が起こるか分かっていたはずなのに、あまりにも理解の範疇からかけ離れていて、

 初めて経験だった。目の前に起こっている現象は理解が出来ているのに、それが自分の感情や自分の考えと繋がらないのだ。

 自分の中身だけがなくなって、ただ外界からの刺激を受け取る知覚器官になったような。

 

 だからただ呆然と立ち尽くしていて。視界の端で相変わらず疲れているのかちょこんと座っているグラシア。


 グラシアが何か別のものに見えた気がした。 


 まるで、巨人の手にすら見える『暴食の樹』達は、爪をたて、クジラを握りつぶすかのように、クジラに襲いかかった。


 ブワォォォワァァァァァ


 クジラは巨大な口を開けた。

 髭、口の中には、無数の柔らかい突起物があり、まるで巨大な風呂敷を敷き詰めたようだった。


 その数秒後、クジラの叫び声が辺りに響く。


 びりびりと体の芯から震え、内臓の位置が分かるほど。体の内から叫ばれていると錯覚すら抱くほどの激音が辺りに鳴り響いた。


 我に戻った僕は慌てて耳を抑えた。でも、意味はまるでなくて。


 もはや声じゃなくて、衝撃波だ。


 しかし、その間も成長を続ける『暴食の樹』。木は瞬く間にさらに巨大な姿へと変貌し。

 まるで時間の進みがズレているように感じさせるほど。 


 この衝撃波に近いクジラの叫び声がなければ、僕はまたこの現実を現実として捉えれなくなっていただろう。


 クジラの体に突き刺さるように成長するが、クジラの皮膚は厚く、体表をえぐりながら巻き付く『暴食の樹』。

 クジラの至る所から血が滝のように噴き出した。


 まとわりつく『暴食の樹』を振り払おうと、クジラはその体躯をくねらせる。

 それだけで、風はゴゥッと鳴り響き、振動がこちらまで伝わってくる。


 僕はよろめき、その場にひざまずく。膝まづく、しかし僕はそのまま立ち上がろうともしなかった。立ち上がろうとする考えすら思い浮かばないほどに、目の前の光景に必死だった。 


 メキャメキャッ、

 鈍い音が響く。クジラに巻き付く『暴食の樹』はクジラが暴れることで、へし折れて。


 しかし、その折れたところからまた成長を始める。

 幹も異常な速度で太くなる。折られてもまた直ぐにクジラに向かって成長する。


 徐々にクジラの体表を根を張るように覆い尽くしていく『暴食の樹』。

 徐々にクジラを縛り付け、動きを押さえつける。更に幹が太くなることに比例して巻き付く力は強くなる。


 もともとクジラも弱っていたのだろう。暴れようと体をくねらせようとするも、その分ぎりぎりと縛り付けられる。

 クジラの体表は殆ど『暴食の樹』で覆いつくされていて。


 誰の目でも明らかだったクジラの脅威を抑えることが出来たと。その事実を理解としても、いまだそれが体に染みわたっていかない。

 ほかの人も一緒だったのだろう。誰も反応できなかった。


「これでよかったんだよね?」


 不思議そうな顔をしてグラシアが僕の袖を引っ張る。


「……う、………うん」


 何とかそう答える僕。これだけを答えるのに時間を要して。

 丁度言い切った時だったくらい。


「おぉぉ!」


 歓声の声が響いた。その声が聞こえた途端、クジラの脅威を抑えた事実が体に染みわたっていく感覚、それに伴って様々な感情が生み出されて行って。


 歓声はどんどんと大きくなっていく。

 わぁぁぁぁぁ!


 あれほど圧倒的な存在だったクジラの捕獲に成功したのだ。その分、体の中から湧き上がるものも大きい。


 その歓声のわずかに隙間に聞こえた。


「なにこれ?」


 グラシアの声だった。

 その瞬間、強い刺激が押し寄せ来てくる。


 グラシアの放つエネルギーがいつもより数段強くなっている。


 僕は数秒経って、クジラの体に蓄えられていた大地エネルギーが『暴食の樹』を介してグラシアのもとにたどり着いたことに気づいた。


 更に増えたエネルギー、それを享受するのは僕だけじゃない。もちろんクジラを縛り付ける『暴食の樹』もそのエネルギーを享受して。また爆発的な成長をもたらす。


 ギギギッ


 檻からきしむ音がして、


 メキャメキャ

 そんな鈍い音をたて、『暴食の樹』はさらに成長した。


 一層、クジラの体を締め付ける。


 グシュッ、


 ある枝は、一気にクジラの体の中侵入する。そのまま、さっきまでが嘘のようにスルスルと地面に潜るかのように体の中に侵入していく枝。


 さっきの数倍以上の血が、その穴から血が噴き出した。


 それを皮切りに、十数本の枝がズルズルとクジラの体の中に侵入して、血を溢れ出させる。

 同時によりクジラの体を強く縛る『暴食の樹』。クジラの体がみるみる小さくなっていく。

 その時は一瞬だった。


 クジラの目が陶器に変わったように見えた。身体中から一切の力が抜けたことが外からでも分かった。

 生物から物は言葉に出来ない領域だが、はっきりと違いがあって。

 大きさに比べて拍子抜けするほどあまりにもあっさりと絶命した。


 上がっていた歓声はいっせいに止んだ。代わりにその場は異様な雰囲気に満たされていて。


 あたりにいる軍人は皆同じ表情をしている。まるで悪夢を見ているかのような表情で。


 恐怖と絶望に飲み込まれていた。見なくてもみんなのグラシアに向かう視線の色が分かった。


 圧倒的な存在であったクジラでさえ、グラシアの前では格下だった。そもそも相手にすらなっていなかった。


「ルティ、これでいい?」


 そう尋ねるグラシアの声は期待が込められていて。グラシアの態度はいつもの部屋にいるときと何ら変わらなくて。

 

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