第6話 バン博士


『生命の樹』の回収を終えた僕たち。


 その帰り道だった。隣に寄って来た博士が前を向きながら呟くように言った。


「僕は君の考えを否定しようとしていないことだけ分かって欲しい」


「むしろ興味深い。君は嫌かもしれないけどね。僕は、君は新たな人の在り方になるかもしれないと考えているからこそ。……なんていうんだろう。なんとか力になれないかな」


 おそらくユズキから聞いたのだろう。


「そうなんですね」


 その時の僕は博士の優しさすら棘に見えて、それだけ返した。


 僕と博士の間に気まずい空気が流れる。

 僕らの話を小耳にはさんでいたのか、エツィオが心配げな顔を浮かべ話しかけてくる。


「……なんか大丈夫か?」


 それに上手く答えれない僕と、博士。それでエツィオは感じ取ったのだろう。

 もともとエツィオは特に人情味に溢れている。そんなエツィオからしたら放っておけないだろう。


「何かあったら声をかけてくれよ。俺とシーナだったらまだルティの体に近い。出来る相談もあるかもしれない。なぁ? シーナ」


 そう心配そぶりを見せるエツィオ、一方シーナは


「私は特に言えることないですよ」


 といつも通りのそっけなさ。


「はぁ、お前……こういう時くらい。乗れよな」


 そうぼやいたエツィオ。すぐに僕の顔を見て、


「まぁ、俺だけでも相談に乗るから。何かあったら相談してくれよな。な?」


 そう念押しするように言い残すと、エツィオとシーナは回収した『生命の樹』を補完するため別れた。


 なんだか申し訳なかった。


 博士と二人きりになった僕。いまだお互い話せないまましばらく二人で歩いて。


「僕の願いとして君の行く末が見たい」


 博士が唐突に言った。なにやら覚悟めいたものを観じた。


「君が幸せを探し求めたいのなら、もし、それが研究室の中には見つからないのだとしたら、僕は君を外の世界に逃がしてもいい」



「……そんなことしたら博士、どんな罰を与えられるか」



 博士の顔色は変わらない。こんな簡単な話もうすでに十二分に理解しているのだろう。


「僕は今、幸せなんだ。それは君たちがいるからだ。この世界を大きく変えていく。それを隣で見れる。だから……」


 博士の口調にどんどん熱がこもっていく。 

 やはり、いままでの研究員と違う。

 多分本気で僕を研究所から逃がしてくれる。


 それに気づいた途端、心臓の鼓動が早くなる。息が苦しくなって、みるみるうちに喉が渇いてきて。僕は妙な緊張感に支配されていて。


 気づくと言葉が漏れ出ていた。最も博士の痛いところを突くような一言を。


「……それは……トニー博士の考えですか」


 瞬間、さっきまで熱く語っていた博士だったが少し狼狽した。



「……そうだね」



 声が一気に小さくなった。その態度を見てなぜか安堵感を覚えた僕。



「初めはそうだった。でも、今は心の底から思ってる。僕の意志で、この決断も僕の意思だ」


 嬉しい申し出のはずなのに、なぜか僕の出てくる言葉は真逆の言葉が出てくる。


「トニー博士は困るんじゃないですか?」


 また、痛いところをつかれ、博士の声は小さくなって。


「分かってくれる……はずだよ」


 何とか無理やり吐き出したように言った博士。すぐに黙り込んでしまって。

 博士のその態度に安心して僕も無言にいることが出来て。

 

 次に無言が破られた時は、もう別れ際だった。


「ルティ、トニーに会わないか?」


 博士が言った。


「トニーであれば、僕よりずっと正しい答えを君に与えてくれるし、正しい道を君に提示してくれる」


 そういう博士の声は今まで聞いたことがないほど自信に満ち溢れていた。


 あいつはトニー博士の傀儡。時折聞く博士の噂。


「僕なんて比べ物にならないほどに天才なんだよ」


 まるで先ほどとは別人のようだ。


「だから、一度話してみてほしい。だから、それまでは……」


 そう伺うように博士は言った。  


「考えておきます」


 僕はそう答えた。それに頷くしかなかった博士は僕に気を遣わせないためか、いそいそとその場を離れる。


 一人になった瞬間、疑問に思った。

 どうして、博士の提案がうやむやになった時、僕は安堵してしまったんだろう。

 どうして、博士が提案してくれた時、恐怖を感じてしまったのだろう。


 このまま研究所で生きても、苦しいだけなのは分かっているのに。

 なんだか後ろめたい気分になって。

 なんだか一気に疲れが押し寄せてきて。急にその場に立つのも苦しいほど体中の力が入らなくなって。


 何を考えているんだ……。そもそも僕はグラシアのために生きればいいだけだろ。

 そう無理やり頭の端の方に押しのけて。 


 僕はおぼつかない足取りでグラシアの待つ部屋へ向かった。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 会議室で僕、バン博士、エツィオは話し合っていた。話題はもちろんクジラをどう対処するのか。


「まだ時期的に第3世代は誕生してない。おそらく、第二世代までだね」


 そう言ってバン博士は古い書物を閉じた。


 人の命を奪うため、攻撃的方向へ進化した植物。それは皮肉なことにもっとも多様多種な植物が現れ、最も多種多様な進化をしたと言われている。


 その中でもさらに三つの区間に分けられる。それは期間だ。どんどんと進化を重ねることによって、能力が増してきた。より短時間で大量の人を殺せるようになった。


 第二世代は、最も多様だった。純粋な攻撃力と攻撃範囲もそうだが、罠のような特性を持ったもの、一度命令すると自動で攻撃するもの。


 実際、第2世代が現れたことにより、人口は激減し、20%にまで人口が落ち込んだという記述もあると言えば、どれほどの危険性が分かるだろうか。


 しかし、不幸中の幸いで、第二世代が生命維持に必要なエネルギー量が莫大だ。だからこそ、ガベト族が絶滅し、百数年経った今地上では第二世代は殆どが死滅していた。


 それがまさか、クジラの背中で生き残っており、向かってきているとは。


 もし、この作戦が失敗すれば、今度こそ人は絶滅するだろう。

 そもそもクジラが『暴食の樹』の近くで暴れるだけでも、甚大な被害をもたらすことだろう。


 正直、僕にはどうでもいい。いっそ全部壊れてしまえばせいせいするかもしれないとまでも思っていて。


 エツィオは資料をバン博士と僕に渡してくる。


「この通り、グラシアを囮にクジラを遠くへ離し、安全な場所までクジラを運びます。その上で、クジラの背中に『翅の木』を使って、飛び乗り、被害がない場所でのクジラの撃退が、最も、被害が少なく安全な方法と思われます」


 僕は資料の全体を軽く見渡す。

 明記されていないが、誰でも分かる。結局、グラシアだよりだ。 


 会議は基本的に博士とエツィオの二人で進む。僕はそれを聞いているだけだ。


 博士が資料を見ながらうんうんと頷く。


「さすが、エツィオだね。準備も大丈夫?」


「大丈夫です。メインの『翅の樹』、『暴食の樹』の苗木はすでに準備は出来ています。後は、残りの苗木を見繕えば充分、可能だと思います。これが今ある苗木のリストです」


 博士がリストを確認して大きくうなずく。


「これなら上も通してくれるはずだ。短い時間だったのに素晴らしい出来だね」


 エツィオはほっとした様子で軽く笑みを作る。その瞬間に目の下に出来たクマがくっきりと浮き上がる。よく見ると博士にも昨日はなかったクマが出来ている。

 部屋に微かコーヒーのほろ苦い匂いが漂っていて。


 エツィオは褒められた途端、安心したのか、エツィオは少しわざとらしく、肩を上げ、頭を傾げる。


「まぁ、これもト二―博士がいれば簡単だったんですけどね。まだ連絡取れないんですか?」


「うん、まだ取れないね」


 そう言いながら、バン博士は資料をまとめる。

 トニー博士はこの研究所の責任者を務めており、だからこそ、この作戦を考えるにあたって、まず意見を仰ごうとしたが連絡が取れなかったのだ。


「あの人、こんな重大な時でも変わらないですね」


 エツィオはため息交じりに言った。


「まぁ、トニーの行っている研究は重要なんだよ。仕方ないよ」


「この人間が絶滅するかもしれないような事件よりもですかね。それにトニー博士の研究、何をしてるか分からないじゃないですか」


 そうぼやくエツィオ。博士はそんなエツィオにこりと微笑みかけ。


「安心して。トニーは僕なんて到底及ばないほどの天才なんだ。彼の行動には必ず意味があるよ」


「……博士もすごいですよ」


 エツィオは少し躊躇った後そう言ったが、博士は軽く笑みを浮かべ続けるだけで。


「最後にトニーから連絡がないかの確認と、この作戦の報告をしてくるよ」


 それだけ言い残して部屋を後にした。


 バタン、



「……はぁ」


 博士が部屋を出たと同時に、エツィオはため息をついた。


「もっと自信を持てばいいのに。……なぁ、ルティ」


 資料を読むのに集中していたこともあり、急に話を振られて驚いた。


「えっ」


「だってそうだろ。確かにトニー博士の発見は数も多いし、正直どれも素人目でもすごいって分かるけどさ。……二番手は間違いなくあの人だ。なのに、博士はどうしてあんなに自信ないかね。トニー博士と同期で距離が近かったからか?」


 そうつらつらと愚痴のようなものをこぼした後、エツィオは意見を求めるように僕の顔を見つめる。


「……別にいいと思うけど」


 僕は思ったことをそのまま言った。自分より優れているものがいるなら、優先しても何らおかしくない。

 エツィオは困ったように頭を掻き、


「まぁ、それはそうなんだけどさ。……何かな」


 エツィオは答えを求めるように視線を宙に舞わせる。


「時々、怖いときがあるんだよな……」


 そうぽつりとつぶやくエツィオ。


 その意味が分からなくて聞き返そうとした時だった。バン博士が部屋に戻ってきて、会話が中断される。


「トニーから連絡もなかったし。この作戦で行こう」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ドアがノックされる。その時は会議も終わり、僕たちは、より詳細に作戦の深堀を行っており、あと十分もすれば博士が外部機関への連絡しに行こうとしていた時だった。


「失礼します。作戦もう連絡しました?」


 シーナが姿を現す。


「いや、まだだけどどうしたの?」


 そう答える博士。


「よかったです。この作戦に差し替えてください」


 シーナがそう言って、手紙を机に置く。その場にいる誰もが怪訝な表情を浮かべる。


「トニー博士からの手紙です。今回の作戦が書いてあります」


 トニー博士。その単語が出た瞬間、場には奇妙な雰囲気が流れた。


 さんざん連絡しても応答しなかったトニー博士が突然、作戦を考案して送ってきたのだ。当たり前だ。

 さらに、そもそも


「シーナってトニー博士と面識があったのか?」


 どこか戸惑い気味にエツィオが尋ねる。

 シーナは研究員と所属してからまだ数カ月しか経っていない。研究所の最高責任者であるトニー博士とあったこともないはずなのに。


「はい」


 当然とだと言わんばかりに答えるシーナ。


「えっと……シーナありがとう。僕、トニーからの連絡見逃してたかな」


 戸惑い気味に訪ねる博士。


「いえ、バン博士には連絡していないって言ってましたよ。私が渡せるので」


 シーナは机に置いた手紙を広げる。


「えっ、あっ、そうなんだ……」


 くぐもった声でバン博士は答えた。

 場の持つ奇妙な重さなど意に関せず、シーナは淡々と話し続ける。


「一応、苗木のリストも用意していて、作戦の実行は可能です」


 そう言って、シーナは資料を机に置いた。


 いざ手紙を読み始めた僕と博士とエツィオ。パッと見た印象は直接的な表現が多いことだ。

 エツィオの作成した書類には優しさがあった。僕が見ることを考えて、直接的な表現は入れていなかった。

 トニー博士の手紙は直接的で、でも簡潔にまとめられている。


 僕がグラシアの代わりである生贄だと。  


 1番の痛手はグラシアを失うことだ。しかし、グラシアが前線に立つ以外に今回の件は解決できない。


 そのために、グラシアが傷ついても、すぐに回復させる要因がいる。


 それが全身が『生命の樹』で出来ているから僕だ。皆、分かっていてい明言を避けていた部分で。


 そのまま読み進めていく僕、その中で強い違和感を覚えた。


 同時に、エツィオの体が小刻みに震えだし、


「何を考えているんですか! この作戦だと関係のない人にも負傷者が出ますよ!」


 エツィオはそう言って手を机に叩きつけた。


 手紙に書かれていた内容で、最も重要視しているのは、そのクジラの生死は問わないが、クジラの体を押収する方法だった。


 そのためには、人が住む『暴食の樹』からクジラを捕らえるなければ。そうすれば、もちろん、その頂上に住む人たちに被害が起こる可能性はエツィオの作戦よりもぐっと上がる。


 エツィオはシーナの方に振り返り、


「本当に本人か?」


「間違いなく本人です。手渡しでもらいましたし。それに文体とかで分かると思います」


 シーナは淡々と答える。


 エツィオは博士の方を見る。


「間違いないよ」


 博士が頷いた。


「こんなの認められるか!」


 エツィオは声を荒げた。その声色にはどこか困惑しているところもあって。


 その時の僕はどこか他人事で。なんだか面倒なことになってきたな、なんてその状況をぼんやりを眺めていて。

 僕がグラシアの生贄になる。その事実を確認できたことで、この会議に参加した目的は達成されていたから。


 エツィオの怒りに誰も対応しない。

 しばらく無言が続いた。

 その間に怒りも幾分か落ち着いたのか、エツィオは分かってくれと言わんばかりの表情であたりを見渡す。

 

「どうしてみんな何も言わないんだよ。おかしいだろ」


 そう困惑気味に言う。エツィオはすぐにバン博士の方を振り返って。


「バン博士」


 そう救いを求めるように呼び掛けた。


「安心してエツィオ。トニーの意見だよ」


 バン博士はそう言って、「これでいこう」とあっさりと頷いた。


「……えっ」


 エツィオが困惑した顔でバン博士を見て、


「被害が大きくなるかもしれないんですよ。どうしてそんな当然のような反応なんですか?」


 ただただエツィオは困惑している様子で、目が左右に泳いでいて。


 バン博士はそれに当然というような表情で微笑むと、


「大丈夫だよ。トニーが言っていることだ。何か意味があるはずだ。それより、エツィオがせっかく考えてくれたのにごめんね」


 そう言って先ほど外部機関に持っていこうとしたエツィオが立てた作戦の資料を直そうとし始めて、


「そ、それでも。それによって傷つく人が……」


 慌てた様子でエツィオが声をかける。


「何かトニーが対策しているはずだよ」


 当然とばかりに答えるバン博士。


「この手紙にはそれが書かれていないです。一度トニー博士に話を聞きたいです」


 そう強い口調でエツィオは言う。しかし、それはシーナの一言に一蹴される。


「無理だと思います。今はトニー博士は大事な用があるみたいで忙しいらしいです」


「じゃあこんなの認めれない」


 そう毅然とした態度をとるエツィオ。再度、エツィオは分かってくれと言わんばかりの表情であたりを見渡す。でも、誰も味方がいないことに気づいたのだろう。


「俺は認めない」


 そう強く言い放った。しかし、


「先輩。聖人君子のふりしないでください」


 シーナはそう言って、視線をずらす。その先には大きなガラスがあり、向こう側には絵本を読むグラシアとユズキの姿が見える。


 エツィオは思い出したような表情をした後、ばつの悪そうな顔をして、俯いた。


 しばらく場をしんと静まり返って、


「……僕はこの作戦を上に伝えに行くよ」


 博士がまとめるように言ったあと、少しの間を開ける。エツィオが何も言わないということを確認すると、全員を振り返って、


「もちろん、軍もついてくるだろう。みんな気を張っていこう」


 そう言って博士は部屋を後にした。


 シーナも歩き出したが、エツィオはまだ自分の気持ちに整理をつけきれてないのか、俯いたまま立ち尽くしていた。


「先行ってますよ」


 シーナはそう言い残して、部屋を後に……。


 ガンッ、後にしようとしたシーナだが、振り向いた際、いつの間にか閉まっていたドアに額をぶつける。 


「すいません。驚かしてしまって」


 抑揚のない声でそう答えると、シーナは部屋を後にした。僕もそれについて部屋を後にした。


 何か話した方が気がしたが、自分にかける言葉も思いつくわけもない。


 それよりも、今は近づいてきた僕の最後に、いろんな感情が渦巻き始めて、周りのことが全て軽く見えてしまう。


 これで、僕という存在がなくなり、絶対的なグラシアの体の一部に変わることができる。

 


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