第3話 日常2

「きゃははは」


 グラシアは木々を操り、部屋の中を縦横無尽に舞っている。それを追いかけている僕。

 そんな時、エツィオとシーナが顔を覗かせた。目が合ったとたん、二人は目配せし、部屋を後にした。



 今日もこの時間が来たのか……。


 どんどん喉の奥の方にある倦怠感が強くなる。

 気は乗らなかったがグラシアに声をかけた。



「……時間だよ。グラシア」


 途端に木々は動きを止め、グラシアを地面に降ろす。不機嫌そうに頬を膨らませながら降りてくるグラシア。



「え~。あれ好きじゃない」



 その表情を見ると一層心に苦いものが広がる。


「…… 困っている人もいるんだ……助けてあげてほしい」


 少しのためらいの後、僕は吐き捨てるように言った。

 他の人なんてどうでもいい。ただただ、耳障りのいいだけの薄っぺらくて、軽い言葉を言う自分に嫌気がさして。


 しかしそれでもグラシアの心には響いたようで、


「…… うん。分かったよ」


 そう渋々と頷くグラシア。純粋だからこそ、胸の中に滴る罪悪感がより一層強くなる。いっそ反抗してほしい。

 

 グラシアは扉に向かって歩いていくが、名残惜しそうに少し歩いてはこちらを振り向く。最後には「も~う」と声を漏らして部屋を後にした。


 そのいじらしい様子が余計に僕の心に苦痛を募らせてくる。


 自分自身が嫌になって、そしてグラシアに対する申し訳でいっぱいになって。

 自分の取った行動の矛盾が余計にそれに重みをもたせる。


 それから逃れようと、本に縋ろうとしたが、視線が滑る。言葉がばらばらに入ってきて、文をなさない。

 僕はすぐに本を投げ捨てて、音楽をかけた。音量をマックスにする。少しでも思考の邪魔をするために。なんなら思考をかき消したい。


 そうして、逃げていた時だった。


「また、音楽かけてる」

 

 すぐ傍からから声を掛けられた。振り返ると、バン博士とユズキがいて。


 ユズキは細く長いまつ毛と、はっきりとした輪郭のある目を細め、無邪気に笑っていた。

 その笑顔を見ると、胸一杯に広がる苦しさが幾分かましになった気がした。


 音楽を止める。


「おはよう」


 そう言って、ユズキは大きくなったお腹を片手で支え、ゆっくりと僕の隣に座った。


 博士はそれを確認した後、


「じゃあ、終わったらまた来るよ。ルティ、ユズキのことは任せた」



 そう言い残し、博士は部屋を後にした。部屋には僕とユズキの二人きりになった。


「…… 元気?」


 僕はぎこちなく尋ねた。



「うん。元気だよ」


 ユズキはそう答え、愛おしそうな目でお腹を見つめる。



「この子ももう随分と大きくなって、もう少しで生まれるって」



 細く長い指でとんとんとお腹を優しくたたくユズキ。「ねぇ」「おはよう」「まだ寝てるかな」透き通った声でお腹の中にいる我が子に言葉をかける。


 その時、耳にかかっている長い髪がするりと落ち、それをまた掻き上げた。

 自然とその横顔に目が行く。その横顔は他人である僕ですら幸せと勘違いさせるほどに幸せに満ちていた。


 でも、その子供は……。


 僕は不意に思ってしまった。緩みかけた頬が強張るのが分かる。


 僕はおそらく性格がどこかねじ曲がってるんだろう。

 そのまま幸せと思い込めばいいのに、余計なことを考えてしまう。その考えのせいで、ユズキが幸せそうであればあるほど、ユズキをどこか憐れんでしまう自分がいて。


 ユズキも僕と同じ生まれ方をした。しかし、大きく違うところは生まれた瞬間、その身は子を宿していたということだ。

 前例もあるわけもなく。何が生まれるか分からない。何が起こるかも分からない。生まれたとしても、その子供は永遠と研究対象とされる。

 

 どこを見ていいかわからなくなり、視線を外す。


 そんな僕の様子をユズキは見逃すわけもなく、僕の内を見透かすようにユズキは意味ありげな笑みを浮かべる。



「わかるよ……何も言わなくても分かる。……けど、今幸せなんだよ」



 さっきまでの笑顔は消え去っていて、ユズキは脱力した表情で天井を向いた。



「時がこのままずっと止まればいいのにね……」


 ユズキはぽつりとつぶやき、脱力した表情で天井を向く。


 申し訳無さが込み上げてきて。


 しまった……。何か声をかけないと。


 慌てて視線をユズキに向けた。

 アンニュイな雰囲気を醸し出している横顔が目に入る。

……綺麗だ。頭に浮かんできた言葉はそれだった。

 幻想的な美しさすら感じさせるほどで。

 

 心臓の鼓動が高鳴っていく。

 頭が真っ白になってユズキにかける声も考えれず、かと言って、そのまま視線を外すこともできず、見とれ続けた。


 何をしてるんだ、僕は……。迷惑をかけたくせに、ただ見惚れるだけで気の利いた言葉一つ言えない。

 そうは頭で分かっているのに。


 ユズキそのまま視線だけを僕に向け、


「ルティはどう? 目の調子は」


その声で我に返った。


「あぁ……博士はもう人の目にも適用できるようになるって」



「……そうなんだ。よかったじゃん」


 ユズキは弱弱しく笑顔を浮かべたまま天井を見つめなおした。


「……そうだね」


 どう答えていいか分からず、思わず頷いてしまった。表情を見られないように視線を天井に逃がした。


 しばらくそのまま時が止まったようにお互い動かなかった。


 しんとした空間。ある程度落ち着いた心臓の鼓動を感じれて。


 ぼんやりと天井を眺め続けて。


「あっ、蹴った」


 唐突だった。

 ユズキがぽつりと言った。


 僕が視線を向けた時には、ユズキの顔はまた笑顔で埋め尽くされていて、お腹を愛おしそうに撫でていた。


 その様子を見て、ホッとする僕。


「ほらっ、触ってみなよ」


 ユズキは僕の腕を掴み、そのまま僕の手を自分のお腹に持ってくる。

 必然的に距離が近づく僕たち。吐息がかかりそうなほど。

 そして、思いのほか温かいユズキのお腹。


 頬が熱くなるのが感じた。甘酸っぱい感情が内に芽生える。

 すぐ目の前にあるユズキの横顔に吸い込まれる視線。


 手に微かな力を感じる。


「ほらっ、また蹴った」


 にこりと笑うユズキ。僕の心の中にじんわりと甘さが広がっていく。

 心の奥底に巣くう黒い塊、この時だけは忘れられて。

 ユズキはそんな存在で。


「う、うん。そう……ガハッ」


 しかし、そんな時間は一瞬で終わりを迎えた。


 ゾクリッ、


 いつも通り唐突だった。


 ゾクッゾクゾクッ


「ガァッハァァ」


 言葉にならない声を上げ、僕とユズキはその場に倒れこんだ。


 体の芯から震えた。体中にびっしりと汗がにじみ出て、次の瞬間、体のすべてが鮮烈な痛みを訴え始める。

 その場でのたうち回る。少しでも気を許せば意識が吹き飛んでいく。



 僕と、ユズキの体のすべての細胞が自我を持って動き出そうとしていた。

  

 


 ボトボトッボトボトッ


 体の至る所が剥がれ落ちていく音だった。


 地面に落ちていく『生命の樹』。その短いひも状の植物は魚のようにビチビチと地面を跳ねる。


 ボトボトッ


 塊がずれ落ちいくのが視界の端に映った。その視界もどんどんと真っ白にぼやけてきて。


 「がっ……だ、大丈、夫?」


 僕は自由の利かない体で何とか視線をユズキに向ける。


 ユズキは自分のお腹を守るように抱えて倒れている。


 その体は至る所が緑色に変色していて、皮膚が剥がれ落ち、そこから中の肉が剥き出しになっているのが分かる。


 その隙間から垣間見える肉も、一部はひも状に戻った『生命の樹』が蠢いていて。


 自分の姿も変わらないのだろうと薄れゆく意識の中で僕は思った。


 もう、視界も霞んできて、ユズキのうめき声もどんどん遠くなっていく。




 ……しかし、その衝動はぴたりと止まった。


 おそらくその時の、僕らの体の半分以上は原型を留めていなかっただろう。


 どんどんと『生命の樹』が体の一部に戻っていくのが分かる。

 引っ付いて、絡まり合い形を整え、そして最後はゆっくりと肌色に変色し、傷跡一つすら残らない。


 ハァハァ、僕とユズキはしばらく息を荒く吐くだけで、話すことが出来なかった。


 落ち着いてくると、ユズキが瞳から涙がポツポツと零れ落ちて


「今日もグラシアちゃん……死んじゃったんだね」


 ユズキが涙声が混じった声でそうポツリと呟いた。




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