第4話 ルティの願い


グラシアの顔色は生気を感じないほどに白く冴えていた。うっすらと開いた瞼からは、暗闇が広がっていて。



 ブフッ、



 口の端から飛び散る赤い飛沫、咳き込む度、泡を含んだ血がどくどくと溢れ出てくる。


 真っ赤に汚れた地面にグラシアは横たわっていた。

 その腹にはぽっかりと穴が開いていて。その穴からは、血で真っ赤に塗れた木肌が見えた。

 

 その体に強い風が吹きつけるが、血でべっとりと塗れた髪は動かない。


「おぇぇぇっ」


 グラシアの隣に立っていた若い男が耐えきれなくなったのか、枝の端まで走っていきそのまま戻した。

 その際、下を見てしまったのだろう、小さい声で「ひっ」と叫び、体を強張らした。



 その理由は簡単だ。

 地面が途方もなく遠くにあったからだ。大地が霞んで見えるほど。山すら小さく見え、はるか遠くの地形も一目でわかる。


 ここから落ちたら確実に死んでしまう。脳に死のイメージが鮮明に焼き付く。


 そこは途方もない大きさの木『暴食の樹』の枝だった。


 雲まであと少しというほどの高さにある枝。木の大きさに比例して、その枝も太く大きい。まるで大地にいるような錯覚を与えてくるほどで。


 若い男はちらりと空を見上げる。『暴食の樹』の頂上部分が遠くの方に見える。頂上部分は枝が複雑に絡み合い、大地と平行に広がっている。


 それは、まるでキノコの傘部分のように。


 だから、上を向く視界のほとんどが頂上部分の広がりで支配されていて。


 そして、その上では人が生活を営む街が広がっているのだと考えても実感が湧かない。ここまで高いところにいたんだ。と若い男は気づき、背筋が凍った。


 

 視線を外し、あたりを見渡す。視界には今いる木より大きくないが、『暴食の樹』が、近いところでは木肌がはっきりと分かる物や、遠いところでは霞んで見えないほどの距離に、合計十数本ほどそびえ立っているのが見える。

 その頂上ではまた同じように人が生活している。


 どこか信じきれない様子の若い男。


 それらすべての『暴食の樹』同士は、頂上で、太い蔦のようなもので連絡網が敷かれていて。


「君今日初めてか?」


 もう一人の四十ほどの男が面倒そうに声をかける。



「……はい」



 口の端を拭いながら答える若い男。



「じゃあ、驚くだろうな。動く木にゃあ」



「動く木のことは知ってますよ。『変異種』のことでしょ」




 初っ端から戻してしまって、情けない姿を見せたことに少し悔しがったのか若い男は口調を少し強めて答える。



「授業で習いました。ガベト族に合わせて、多くの木は根を張ることを辞め、動くように進化したと」



 四十ほどの男はくすくすと笑うと、



「まぁ、『変異種』っつても、もう地上の殆どがその動く『変異種』だけどな。まぁ、その迫力がすごいんだよ。多分、腰抜かすと思うよ」



 若い男はただでさえ顔色が悪かったのに、更に顔が青ざめる。それを見ながら笑う四十ほどの男。そのまま二人は鉄格子に備え付けられた鉄製のドアをくぐる。



「まぁ、人間が大地から逃げた理由が身に沁みて分かるよ。あんなのに敵うわけがない」



 四十ほどの男はそう言って、すぐに鍵を閉めた。



 そこは、大きな鉄格子だった。それが枝に設置されている。男二人とグラシアはその中にいた。


 その鉄格子は十層ほどでできており、内の層になるほど網目は小さくなる。最後の層の網目は手がぎりぎり通らないほどの大きさで。


 その中で、その時を待つ二人。


 どこか落ち着きのない様子の若い男。

 ちらりと血だらけで倒れるグラシアを一目見て、すぐに視線を外す。



「きついか?」


 四十ほどの男はそう尋ねた。


「いや…、可哀そうだと思って。『生命の樹』のために何度も殺されて」


 若い男の声は軽く震えていて。 

 

「俺も最初はそう思ってたよ」


 四十ほどの男が言う。


「今は違うんですか?」


「……何度も死から蘇る感覚ってのは一体どんなもんだろうな?」


 若い男の体が強張るのが服の上からでも見てとれる。それを当たり前だと言わんばかりの顔で見つめる四十ほどの男。


 ゴゴゴゴッ


 そんな二人の体が震えだした。枝から振動に伴って。それはだんだんと強くなっていき、枝に生えている草木を揺らし、シャワシャワと擦れる音が鳴りだす。


「構えろ、揺れるよ」


 四十ほどの男は若い男に向かってそう言い放った。


「うわぁぉぉぉ」


 若い男はそう叫んだ。


 幹を登ってくるおびただしい数の『変異種』の木々。まるで他を蹴落とさんばかりに暴れながら登ってくる。

 

 まだ遠くにいるのに、その圧倒的な存在感。木同士が擦りあって、恐るべき摩擦音が辺りに響き渡る。


 二人はあまりの揺れに立てなくなり、その場に膝をついた。


「あれが、全部お嬢ちゃんを救うために来てるって信じれるか!?」


 40ほどの男はまるで自分を奮い立たせるように、大声で言い放った。


 男たちのいる枝に乗り移ると一気に押し寄せてくる木々。そのどれもがに10メートル以上もあって。圧倒的な存在感と、死の予感を脳に焼き付けてくる。

 

 ぐわぁぁしゃぁん


 耳をつんざく音が鳴り響いた。


 グラシアに近づこうとする木々、しかし檻がそれを阻む。


 木々は檻を壊さんばかりに巻き付いたり、体を叩きつけてくる。頑強に作られた檻は壊れることはないが、その威力によって二人の体は上下左右、縦横無尽に舞う。


 その中で、体が小さな木々は別だった。網目の間をすり抜ける。が、またさらに網目の小さい檻に引っかかる。


ぽとぼと

 しかし、ある木々だけは檻の内側にたどり着く。『生命の樹』だ。

 暴れまわる木々の隙間を縫い、さらに幾層もの檻の隙間を縫って中に侵入してくる『生命の樹』はグラシアの一部になろうと、地面を這う。


 二人はなんとかそれを回収していく。

 それすらも隙間を縫い、グラシアのもとにたどり着いた『生命の樹』はグラシアと同化し始める。



 そして、数十分後、男たちが持っている液体の入った大きな瓶。その中に詰め込めるだけ詰め込まれた『生命の樹』。数十本あるその瓶を男たちは銀のケースの中に直しこんでいた。木々が暴れたことで起こる揺れで落とさないように慎重に。



 そしてすべて直し終わったころ、


「ふわぁぁぁぁ」


 グラシアが意識を戻した。そのお腹は細かな傷一つない。


「お嬢ちゃん……」


 四十ほどの男はそう声をかけようとした。


「分かってる。いつものことをするんだよね」


 グラシアはベットからぴょんと降りる。



 すっかりと大人しくなった木々。



 グラシアが手を伸ばした。


「この子たちは殺さないといけないんだよね。みんなが迷惑してるから」


 途端に、木々達は途端にお互いを襲いあい始めた。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



『生命の樹』も動物の一部に変われど、植物としての根幹は消えない。

 グラシアのエネルギーを享受したい。


 同種同士でも生存戦争は行われるもので、だからこそ、より自己に利益がある方を選ぶのは当たり前だ。


 だからこそグラシアを殺す。


 一度、グラシアの体の一部になれば、グラシアが放ち続ける大地エネルギーを享受し続けることが出来る。

 それは、自分の子孫を残す確率が圧倒的に上がることにつながる。


 要するに、植物にとって絶対的存在であるグラシアが傷つけば、どんな宿主の一部になっていたとしていても、『生命の樹』はグラシアの一部になろうとする。



 もうすでに地上の様々な場所で、様々な生物の一部として広く分布している『生命の樹』。グラシアを殺せば、グラシアを目指して進む。だからこそ、回収することが出来るのだ。


 この日も『生命の樹』の回収のためにグラシアは殺された。

 グラシアにとってはそれを誰かを救うためで、それが正しいと勘違いして受け入れている。

 そしてその勘違いは、心にも思っていない僕の軽い言葉のせいで。


「ぐぅ、……はぁはぁ」



 僕は床に倒れる。顔の皮膚が元の『生命の樹』の姿に戻り、グラシアのもとへ向かおうとする。少しでも他の『生命の樹』よりも先に。



 さっきまで僕の体の一部だった『生命の樹』同士も、いまや敵だ。僕の目の前でお互いを押しのけ進もうとしていて。


 それを見るとおぼろげな意識の中、思う。


 自分とは何なのだろう。


 自分の存在がどれだけ希薄な物なのかが嫌でも分かってしまう。所詮、僕なんて様々な自我を持った生き物が集まって作り上げた仮の姿に過ぎない。その存在にたまたま意識が芽生えてしまったのが僕。


 僕の考えも、感情もすべては希薄なもので。なにかを、考えることすら馬鹿らしくなる。


 だから、僕は存在として脆い。


 そう考えると、みぞおちにひんやりとしたものを感じる。

 奇妙な浮遊感だ。永遠に終わらず落ち続けてるような感覚。自分の輪郭が分からなくなる。


 僕は絶え間なく襲ってくる痛みに意識を向けた。頭に駆け抜ける稲妻のような痛みが自分の存在を知覚させてくれる。



 しばらく時間が経って、その衝動は収まった。

 散らばった『生命の樹』は律儀なことにゆっくりと僕と、ユズキのもとへと戻っていく。


 このまま、死んでもいいのに。



 ようやく息が落ち着いてくると、ユズキが僕の方を向いて、恐る恐る聞くように尋ねてきた。



「ルティ。今怖い顔してる」



「……えっ」



 僕は言葉に詰まった。その様子を見てより一層心配げな顔を浮かべるユズキ。



「……博士から話聞いたよ。大丈夫?」



 ユズキはそう言って真っすぐに僕を見つめる。



「……」


 なぜか、その目に見つめられると、上手く物事が考えられなくなる。適当な嘘を言ってもすぐに見透かされそうな気がして、嘘で本心を包み込めない。


 今回もいつも通り、本心を話すしかなかった。僕は観念して口を開く。



「博士は僕が研究対象でいることにストレスを感じていると考えていたけど、そうじゃないんだよ」



 ユズキは少しも身を動かさずこちらを見つめ続けたままで、全て受け止めてくれる気がして。



「僕って満たされてる」



 初めは躊躇いがちに話し始めたが、どんどんと僕は気持ちを吐露していく。



「……この体のおかげで研究されて、だから日々の生活が満たされている」



 本で読んだことがある。どれだけ日々の生活で理不尽な目に合う人がいるのか。生まれた場所だけで衣食住すらまともにとれず、犯罪に巻き込まれ、政治的要因で苦しめられ。



 この目で見たことはない。でも、考えるだけで、それに比べるとできる限りストレスが排除されるよう設計されている研究室、そこに住む僕は満たされてすぎている。


 僕は大きくて深いため息を吐く。


「僕って幸せなんだなって」


 ユズキはしばらくの間、僕の顔を見続けた後、



「その割に幸せそうな顔してないね」


 ぽつりと言う。



「……そうだね」



 僕はそのまま仰向けに倒れる。背に感じる草の感触、耳たぶの裏を草の先がくすぐる。



「幸せのはずなのに、苦しい」



 上から降り注ぐ明かりがまぶしくて煩わしい。僕は手で影を作る。

 

 ……あぁ、今日何度目だろう。

 体中をシルクの布で優しく引っ張られ、ゆっくりと沈められるような気分。気づかないまま、不意に深みまで達していたことに気づく。



「僕はこの苦しみの理由について考えたんだ」



 幸せとか全部希薄に感じるのに。苦しみだけは希薄にならず、濃くなっていく。



「その結論はどうなったの?」



「生まれてきた意味も、生きていく意味もないからだって」


「……」


 ユズキは何も言わない。


「思うんだよ。人間じゃなく違う動物に生まれたかったって。それはなぜかって思ったら、人間じゃなかったらこんな悩まなくていいって。何も考えなくて済む」


 生きる意味も生きる目的も曖昧なもので、でも、その曖昧さは明確な苦しみを与えてくる。


「だから、植物がいい」


 ユズキは全てを理解しているようだ。でも、止まらなくなった僕の口は聞かれてもないのに、語り続ける。



「植物であれば、グラシアっていう絶対的な存在がいる。この世界の植物は全てグラシアのために生きている。グラシアは生きる意味を作り出してる」


 それだけは曖昧だらけの世界で唯一の絶対だった。

 それだけはすべて一致している。僕の体を作る『生命の樹』単位で見ても。



 ユズキは一瞬だけ俯いた、その長い髪で目が隠れる。それをすぐに掻き分けて、真っすぐに僕を見つめる。



「気持ち分からなくはないよ。私もこの子がいなければどんな感じになってたのかイメージつかないもん。……大変だね」


 そう言って、ユズキは僕の頭をなでる。心地よいしびれが体に広がっていく。そして、それは冷たく固まった心に少しの温かさをもたらす。


 本当にユズキは心が強いと思う。


 自分だって苦しいはずなのに……。


 どう自分を納得させてるんだろう。

 殆どの研究者は、ユズキを『生命の樹』の培養体としてしか見ているない。生まれた子供だって幸せになる未来が見えない。そもそも何が生まれるか分からない。  


 なのに、ユズキはいつも頼りがいがあって。



 どういった心境なんだろう。どうして僕に優しくしてくれるんだろう。自分のことでも一杯じゃないんだろうか?


 そんなことを考えている僕の心も見透かしているんだろう。ユズキはぽつりと呟いた。


「今は幸せなんだよ」


 そして、数秒の間の後、


「……明日なんて来なければいいのにね。このまま進まなければいいのに」



 そう言ってユズキは弱弱しく微笑んで、天井を見る。それにつられて僕も天井を見る。しばらくの間、僕らは天井を眺め続けていた。


 ガチャリとドアが開いて、博士が顔を覗かせる。 


「もうそろそろ時間だから行くよ。クジラが見えるころだ」


 そう言って僕は立ち上がる。その僕の腕をユズキが掴む。  


「考え直さない? 考え直してよ」


 ユズキは心配そうに僕を見つめていて。


「どの道だよ」


 僕はそう答えて、腕を優しく外す。


 ようやく来たチャンスだ……。


 僕は足早にその場を去った。


 僕は植物で、だからグラシアのために生きる。

 そして、何よりもグラシアの一部になる。僕の存在なんて必要ない

 



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