第2話 日常


 広々とした部屋。天井は高く、白い壁が明るく、部屋をさらに広く感じさせる。床には土が敷き詰められており、そこに根付く様々な種の植物。



 床はすべて何かしらの植物で覆いつくされており、後はどれだけ相手から場所を奪えるか。この部屋という狭い環境の中でも生存戦争は行われている。




 僕はぼんやりと天井を眺め、レコードから流れる音に意識を集中させていた。『歓喜の歌」、ベートーヴェンの交響曲第9番の第4章。一番好きな曲だった。

 その理由は、この曲は最も脳に直接響く感じがする。だからこそ、僕の思考を邪魔をしてくれて。


 部屋のドアが開いた。ドアの隙間から姿が見える白衣を着た二人。外見からでも元気を与えそうな雰囲気をしている若者エツィオとその後ろで対象的に陰鬱な雰囲気を漂わせるシーナ。


 どうやら仕事の時間のようだ。

 グラシアに一言言ってから行くか……。


 僕は『眠りの樹』の方を振り返る。


 この部屋に生えている植物の中でも、ひと際大きな植物。その見た目はまるでハンモックだ。


 その大きな葉は人一人が横になれるほど大きく、肉厚なおかげで人が乗っても破れることはない。

 その葉を数本の枝が支えているような形。



 グラシアはその植物『眠りの樹』の葉の中ですぅすぅと寝息を立てていた。


 その長く白い髪は顔にかかっていて、その隙間から安らかな寝顔が見える。

 

 まるで普通の少女だ。

 

 そう思った瞬間、心のなかで笑う。何を馬鹿なこと考えてるんだ。


 まぁ、でも、この場だけを切り取った時、誰がこの安らかな姿を見て彼女が唯一生き残ったガベト族だと思うだろうな。

 そう自分を正当化して。


 ここから声をかけてもよかったが、僕はグラシアのもとへと歩き出した。


『睡眠の樹』はガベト族に睡眠時の快適さと安全性を提供するよう進化した事で、エネルギーを享受し繁栄した。


 葉は人の心拍数などから睡眠を感知できる。そして、睡眠時には枝から粘着質の糸、クモの糸に類似したものを辺りにまき散らし、周りの異変を感知する。


 今『睡眠の樹』の枝からは糸は出てない。つまり、グラシアは寝ているふりをしている。実際、どんどん近づいていくにつれ口元が緩んでいく。


「グラシア、起きて」


 そう声をかけると同時に、


「わっ!」


 グラシアはガバっと起き上がって、僕の腕をガシっと掴む。


「うわっ!」


 そう大げさにリアクションをとる。


 その間にも、グラシアの手が触れている部分からじんとした快感、つまりエネルギーが体に流れ込んでくる。


 そんな僕の声を聴き、様子を大地や植物を通して感じ取ったのだろう。

 グラシアはケラケラと笑う。


「驚いたっ?」


「驚いたよ~」


 満足そうな表情をするグラシア。


 ぴょんと飛び跳ねるように、『眠りの樹』から降りる。

 足が着くと同時に、グラシアの足を中心に放射状に花が咲き広がっていく。

 すぐに、あたりは花で満たされ、木々達はグラシアのもとへとその枝を伸ばす。


 あぁ、どこが普通の少女だ……。


 グラシアは植物に愛されている。

 その光景は神々しさすら感じさせる。


 どの植物もグラシアの近くにいたい。グラシアに気に入られたいと、遺伝子レベルからそのように出来ている。植物達に生きる目的を与えている。

 

 それほどまでにグラシアは絶対的な存在だから。

 

 それは、植物である僕も同じで。


 だから、僕が何かを考える必要はない。

 それどころか、僕は意思を持つべきじゃない。

 他の植物と一緒でただグラシアの有益な存在を目指し続ける。すべてをかけて。それが僕の生きる目的だ。


 僕は人じゃない、人の体を得た植物だ。


「ルティ、どうしたの?」


 グラシアが不思議そうな表情をして僕の方を向いている。



 また自分の世界に入ってしまっていた。

 考える必要がないってことを、考えてることに夢中になってるって……。

 なにをやってるだ。僕は。


「あっ、ごめん。何もないよ。ちょっと仕事行ってくるから待っててね」


 そう言うと、グラシアは不機嫌そうな顔をして、


「え~。行かないで。遊ぼーよ。昨日の続き!」


 と言うグラシア。

 そういえば、昨日、グラシアが突然始めた遊び、ものすごく気に入っていたことを思いだした。

 ……グラシアが望むことなら。

 しかし、


「ごめんね。ルティは今から忙しいんだよ」


 いつの間にか後ろにいたエツィオ。僕の腕を掴み、


「大丈夫。すぐ帰ってくるから待っててね」


 そう僕の腕を引っ張る。その後ろからグラシアの「早く帰ってきてね」という声が聞こえた。僕はそれに「うん」と答えた。


 そのまま部屋を後にする僕ら。


「お前、また行かないつもりだったろ」


 部屋を出たところでエツィオがそう僕に尋ねてくる。別に怒っている様子もなく、どちらかというと呆れた様子で。


「私はもうそれでよかったですけどね。楽だし」


 そう答えたのは、部屋の外で待っていたシーナだ。その返事を聞いてエツィオははぁっとため息を吐くと、


「もういい。早くいくぞ」


 と呆れた様子で歩き出す。僕とシーナは黙ってその後を追った。


 そのまま研究所の中を歩く僕たち。


 ついたのは、研究所の中にある手術室だった。エツィオがドアを開けると、その中にはバン博士の姿が。服の上から分かるほどの細身で少し頼りない印象を与えるバン博士。



「いやぁ、待ってたよ。早速始めよう」


 そう言って博士は優しく微笑んだ。


 すぐに、エツィオとシーナがすぐに部屋の外に向かい、担架をもって戻ってくる。担架の上で寝かされている人は呻いていて。



「胃に穴が開いているみたいだ。『生命の樹』で治療しよう。頼むよルティ」


 博士がそう言って瓶を渡してくる。受け取る僕。

 その瓶の中では人の小指程度の大きさほどの植物、『生命の樹』がビチッビチと跳ねている。


 僕はその瓶の蓋を開け、腕に瓶の口を押し付けた。


 腕の上に乗る『生命の樹』。初めは腕の上を這いまわるだけだったが、そのうち、ゆっくりと僕の体の中に入り込もうとする。


 すぐに、皮膚を破いて、中に入り込み始め、『生命の樹』はすぐに見えなくなった。見えなくなったからこそ、『生命の樹』が体の中で蠢くのを強く意識してしまう。


 この感覚はどれほど経っても慣れないんだろうなと不意に思った。


 そう考えているうちに、『生命の樹』は体の中でゆっくり僕の細胞と同化していく。植物から徐々に人間の細胞へと変質していく。


 『生命の樹』は進化の中で自身の細胞を変化させる。いわば、万能細胞を得た。他の細胞を読み取り、その細胞へと自分の細胞を変質させ、他の生き物の一部として生きていく。


 元はガベト族の傷を治すように進化した植物が、さらに進化をして獲た特性だ。


だから、治療などによく用いられ、治せない病気やケガはなくなった。ところではない。


 ほとんど瀕死で手のつけようがない状態からでも、完治する。傷跡一つ残らない。


 『生命の樹』があれば、人は寿命以外の要因で死ぬことはなくなっていた。

 

 完全に同化しきった『生命の樹』。それを手に向かって体の中を進ませる。


 僕は大きく息を吸って、患者の傷口へ手を置いた。


 どんどんと指先から手首までの感覚が無くなっていく。そのうち一切の感覚がなくなった。

 すると、僕の手は肌色からどんどんと緑に変色し、肌にいくつもの細かい亀裂が入った。

 どんどんと大きくなる亀裂。しばらくすると、僕の手だったものは、小指ほどの大きさの植物、『生命の樹』が手の形に絡まりあった集合体へと姿を変えていた。



 その集合体の間を掻き分け、手のひらだった部分から、患者の体へ同化した『生命の樹』が入り込んでいく。


 全て入り込むと、すぐに集合体は元の僕の手の姿に戻っていく。


 それは、患者の傷口も同じだった。『生命の樹』はすぐに完全に同化し、どこが傷跡かも判別できなくなった。

 それに伴って、荒かった患者の呼吸も落ち着いてき、様子も落ち着いてくる。


 すると、バン博士はすぐに患者の容態の確認を初めて。しばらくすると、



「拒否反応もなさそうだ。完璧に同化している。これでこの患者はもう大丈夫だ」


 博士はエツィオとシーナの方を向き、


「あとは頼んだよ」


 そう言ったのち、博士は僕に目配せをして、 


「じゃ、行こうか」 


 僕がそれに頷いて答えると、博士は部屋を後にした。それに続く僕。僕たちは研究所の中にある博士の研究室に向かった。

 

 真っ白な廊下を進んでいく僕ら。無機質で、なにも感じるものがない廊下。

 それなのに、歩けば歩くほど、何故か息が苦しくなってくる。足取りがどんどんと鈍くなっていって。


 ギッ、博士がドアを開き、僕を中に促す。


 さっきの部屋とは違い棚には様々な薬品、様々な機材がそこには置いてある。

 カラフルな配線が至る所に張り巡らされ、そして、機材のいろんな場所から小さな光がちかちかと点滅していた。


 それらの機材を数台取り出し、僕の頭から足の先まで所せましと取り付けていく博士。僕は慣れた様子で受け入れる。そして、詳細に測った僕の情報を博士は紙にまとめていく。



 それらが終わると、博士は注射器を取り出し、



「じゃあ、行くよ」



 僕が頷くと、博士は僕の人差し指の付け根辺りに注射器を刺し、薬を注入した。 



 少ししてくると、注射器が刺さった場所が少し痒みを感じた。どんどんとヒリヒリとする軽い痛みに変わっていく。しかし、ある程度を超えた瞬間からどんどんと感覚がなくなっていく。




 同時に見た目も変わりはじめて。

 さっきと同じように、肌色が緑色に変わり、皮膚に亀裂が走る。



 すぐに人差し指は元の原型を失い、数センチほどの蔦のような植物、『生命の樹』が絡まり合い、指の形を保っている集合体へと変わった。


ボタッボタ


集合体の先の方から『生命の樹』絡まりが解け、まるで氷が溶けるように地面に垂れ落ちていく。


「ごめんよ」



 博士はそう慌てた様子で、僕の人差し指部分に別の『生命の樹』を押し付ける。

 

 どんどんと『生命の樹』が絡まりあい、人差し指の形を戻していく。

 人差し指の形に戻ると、感触がどんどんと戻っていく。


 元通りに完璧に戻った人差し指。いつものことだが、何度か握りしめ感覚を確かめる。

 大丈夫そうだというのを確認すると、博士は僕の人差し指だった『生命の樹』を瓶に詰めはじめた。


 その僕の一部だった『生命の樹』は様々な機関に流されたり、詳細なデータを取って上に報告されることになる。

 博士はすぐに、その準備に移った。


 安心して無言になることが出来る。僕は博士から視線をずらした。気づくと視線は鏡を向いていて。鏡を見ると、その事実が視覚を通して認識させられる。


 僕の体には様々機材が取り付けられていて。 

 分かりやすいほどの研究体がそこに映っていた。

 人と見られず研究対象として見られ、毎日、変わらない様々な計測装置をつけ、そして体の一部を採取される。それで一日が過ぎ去って、次の日も同じで。

 このまま死ぬまでずっと研究体として生きていくのだろう。

 

 だからこそ、僕は満たされている。

 研究体であるからこそ、丁重に扱われる。ストレスを極限まで削るために設計された施設、栄養も充分すぎるほどに与えられている。

 自分でも分かる。間違いなく満たされすぎていて、息苦しい。


 僕の『生命の樹』は突然変異によって、通常の『生命の樹』より変質しやすい。通常『生命の樹』に拒否反応を示す人がいるが、僕の『生命の樹』であればない。

 貴重な存在だ。


 さらに、僕の体はそもそも謎だらけだ。  

 

 生まれた瞬間から、15歳程度の見た目であったこと。そして、寿命がどれほどなのか。寿命があるのは分かっているが、具体的な年齢がわかっていない。など上げればきりがない。

 ……やめておこう。考えれば考えるほど自分の輪郭がぼやけていく感じがする。


 そんな僕の目の前に本や、レコードが突然差し出された。


「ルティの興味のありそうなものを集めたよ」


 そう言って博士は笑みを浮かべる。我に返る僕。

 少しの間、その本やレコードを見つめた後、


「……いいんですか? こういう文化的なものが学べるものを僕に渡すことは禁じられてるんですよね」

 

 直前に考えていた内容でどこか自虐的な気分が強くなっていたのだろう。僕はそう訪ねていた。


 理由は僕が研究対象のままにいるためだ。僕に文化的なものは不要だと、、何か変な考えが芽生えないように。


「いいんだよ。それは上が君を恐れて決めた間違えたルールだ。自分の保身しか考えていない」


 そう言って本を差し出す博士。


 少し躊躇した後、僕は体の角度をやんわりと変えることで、受け取らないという意思を表す。


「いらないのかい?」


「……僕は植物ですから」


「植物でもあり、人でもある、僕はそういう認識なんだけどね」


 そう言ったあと、博士は「僕はだけどね」と前置きを置くと、


「なんなら、君が人の新たな生き方の指標になるとまで思っているよ」


 そう期待の視線を向けてきて。


「……期待しすぎですよ」


 バン博士は僕たちに過剰に期待しすぎている。

 今までのただ奇妙なものを見る目、または研究体として見なかった研究者との差が激しすぎて戸惑ってしまう。

 何よりも、答えれるわけがない期待は重りにすら感じるときがあって。



「そうかもしれないね。まぁ、僕にとっては君がそんな考えを持っていることすらすごく興味深い」


 博士はそう言ってずれた眼鏡を直すと、


「ただ、最近は少し君の体で研究するタイミングが多かったからさ、それが君にストレスを与えているかもしれないと思ってさ……。少し期間を取ろうか?」



 博士は心配げに顔を覗き込んでくる。やっぱり博士は分け隔てなく、なんなら僕たちに贔屓して接してくれる。


 でも、その心配は的外れで。

 もっと根本的ところだ。


「そういうのじゃないんで大丈夫です」


 そう顔を背けながら答えた。

 申し訳無くなってしまった。

 優しさを向けられると、どうしても申し訳無さが感謝より先行してしまう。


 お互いの間に気まずい空間が生まれる。時が経てば経つほど空気が強張っていく。話すことがなくなっていく。


「失礼します」


 気づくと僕は立ち上がり部屋を後にしていた。

 博士は気を使っているんだろう、後を追ってこない。それすらも申し訳なさがこみ上げてきて、体は疲れていないのに、自分の部屋へと向かう足取りはおぼつかなく、重々しかった。


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