星見の軍師

 これは私がミルシュトア軍の部隊長だった頃の話だ。私が軍にいた頃、“シュトレア”、という軍師がいた。彼は天下に比する者無し、と言われるほどの軍師であったが、肺病を患い、三十路を数えると同時にこの世を去った。

 いまでこそミルシュトアは大国だが、その功の大半は、シュトレアによる軍略のお陰であった。彼がいなければ、ミルシュトアが大陸に覇を唱えるのにもう半世紀の時を要していたであろう。いや、ややもすると、隣国のグリテュスやモルダブルに飲まれていたやもしれん。そんな危うい綱渡りのような情勢を、たった十五年で解決したのは、ひとえにシュトレアの功績よ。

 彼の軍師の功績は、今や『星賢せいけん軍略記』に著されて久しいが、ここで語るのは、彼の軍師が何故、“星見の軍師”と呼ばれるようになったかの元の由来についてだ。

 かの書物は、当時軍師シュトレア殿と行動を共にした兵士や指揮官の話から、後世にその戦の作法を伝えるため、識者たちが編んだものだ。内容を読めば、星を見ることがその思案を助け、論理的思考に基づいて策謀を巡らした、という書き方がされているだろう。

 だが、それは真実ではない。本当のことは、識者たちが隠蔽している。

 だからこそ、ここで私は、シュトレア殿がどのようにしてその軍略を編み出していたか、その真実を語ることにしよう。


 当時部隊長であった私は、グリテュスを制圧した後、モルダブルとの国境争いに出兵していた。その国境であった山中で野営してい時のこと。翌日の早朝からの行軍のために、兵たちは士気の向上のために少量の酒を飲んで、早々に眠りについていた。しかし、軍師シュトレア殿は、酒も飲まず、ただ一人、野営地から離れていった。

 私は軍師殿が野営地を抜けたのが気になって、そのあとをついていったのだ。

 軍師殿は一、二分ほど歩き、やや小高くなった場所で止まった。私も軍師殿から離れた場所に控えていたが、軍師殿は、木々の生えていない見晴らしのいい場所まで行っていた。

 軍師殿がそこで何をするのかと見ていると、腕組みをして真上を見上げ、夜空を眺めはじめた。卜占ぼくせんの類かと思っていたが、軍師殿は見上げるやいなや微動だにしなくなった。

 元来、軍師が思案にふける折には常人には理解できない動作をすることもあると他の部隊長や、指揮官から聞いてはいたが、実際に目の当たりにするとぎょっとするものだ。その軍師殿の微動だにしなさが、立ったまま死んでいるのではないかと思うほどの硬直具合で、不気味に思ってつい声を掛けてしまった。

「星見でございますか。」とな。

 すると、軍師殿は驚くでもなく、それまでの様子が嘘であったかのように滑らかに振り返り、「そうであり、そうではございません。」と答えられた。

 その言葉の意味が解らなかった私は、「どういう事でございますか?」と重ねて問うた。

 思案の邪魔をしているであろう私に、軍師殿は怒るでもなく、空を見上げたまま答えてくださった。

「星を長く見ていると、その隙間に夜闇が目に入ります。夜闇を認識し、星の光をぼやけさせると、徐々に視点が星の更に先をとおすようになるのです。星の先まで視点が征けば、意識せず、我が視点は肉体を離れ、星の視座からこの地上を鳥瞰ちょうかんするようになるのです。」

 私は尚の事、軍師殿の仰ることが分からなくなった。星を見ていてその隙間の夜闇が視界に入る。そこまでは私もわかる。しかし、その先の御業みわざとなると、どうにも理解できない。まして、己が視界が、死することなく肉体を離れるようなことなど、全く以てあり得ない。当時の私はそう思っていたし、今でも、軍師殿を除いてそんな離れわざを為せる者はいないと思っている。

 当時の私は、そんなことはあり得ないというようなことを言ったように記憶している。どうにも、その後の事の方が鮮烈で、直前までの事となると記憶が曖昧になっていかん。

 ただ、私の言葉に軍師殿は否定もせずただ生返事をして、そのまま夜空を眺め続けていらっしゃった。こと、ここまでくれば軍師特有の思案の仕草であろうと思った。これ以上は何を問うても無駄だと思った当時の私は、「軍略の思案中失礼仕りました。御免。」と言ってきびすを返し、野営地に戻ろうとした。

 しかし、突然軍師殿に呼び止められたのだ。曰く、

「貴殿の部隊を率いて、北の尾根に登って欲しい。投石と火矢を射かけられる準備をしておいてくれ。それと、行軍中は足元が見えづらいだろうが、灯りは持って行かないように。」

 とのことだった。

 いきなりの事に、私もなにがなんだかわからなかった。「何故?」と問えば、「北の谷より敵が上がってくる。」と答えが返ってきた。

 そんなにも明確に敵の動きが判るものなのか。私は軍師殿を疑っていた。それに、部隊の兵たちは皆少量とはいえ、酒が入って眠っている。翌日には山を越えて、その麓に陣をしかねばならないからだ。

「兵たちは既に眠っております。来るかも分からぬ敵に、そのようなことはできませぬ。」

 私は当然の如く抗議した。しかし、軍師殿も引き下がらなかった。

「あなたは私の読みを疑っておられるようだが、もし的中すれば、壊滅するのは我らの軍です。いま起きて早急に指示を出せる指揮官はあなたしかいません。騙されたと思って、兵たちを叩き起こしなさい。」

 もし読みが外れればそのとが如何様いかようにも背負う、と仰って、そのまま星見に戻られた。

「また何か分かれば、他の指揮官にも策を授けます。頼みましたよ。」

 それからはもう取り合うつもりはないと言わんばかりの態度であった。

 軍師殿が咎の責を負うというなら、私もそれ以上は食い下がらなかった。戻って兵たちを叩き起こし、不平を言い、不満を募らせた士気の低い連中を連れて北の尾根に登ったのだ。

 当時はミルシュトアとモルダブルの国境であった山は、モルダブル側が岩肌になっていて、北の尾根に行けば投石用の石の調達には困らなかった。火矢の準備と、一人二、三個の石だけ携行させて北の尾根へと赴いた。

 尾根に到着し、その場で石を拾っていると、谷の方から足音がした。夜目の利く斥候に様子を探らせると、モルダブルの奇襲兵たちが登ってきているという。数は三千。

 山に着陣していた我らミルシュトアの軍勢は、総勢八千ほどだったから、奇襲をされれば数の優位が覆る人数だった。おまけに、野営地は北の尾根よりも低い位置にある。ちょうどその肩となっている開けた平地に幕営していたから、尾根を下って夜襲を掛けられれば容易く壊滅していたであろう。

 そう。軍師殿の読みは当たっていたのだ。

 よもや、軍師殿は本当に星の視座からこの奇襲部隊のことが見えていたのであろうか。

 斥候からの報告を聞いた私は、軍師殿の読みの正しさに感服するよりもむしろ、戦慄していた。

 だが、こうして策を授かって来たからには、それを実行するのが正しい在り方であろう。兵たちも、奇襲部隊の存在を聞いて驚いていたが、敵がいま谷を登っている最中であれば、むしろ地の利はこちらにある。

 不満を顔に浮かべていた兵たちも、心なしか覚悟を決めた雰囲気が伝わってきた。そして、私は号令を発して投石を開始させ、火矢を射かけた。敵は抵抗していたが、上から石や火矢が降ってきてはいかに一騎当千の武者と言えどもそう易々とは上がってこられない。あっという間もなく、敵は撤退していった。

 軍師殿の星見の軍略は他にもある。

 モルダブルの首都を攻めている時の話だ。

 モルダブルの首都は、その周囲を高い石塀が囲み、しかも石塀の中には空洞を作って、その中を兵士が移動できるようにしていた。石塀の中ほどの高さの場所には窓が開いており、そこから矢や石が飛んできていた。塀の天頂に鉤縄を付けても、その窓から切られたり、上る最中に攻撃を仕掛けられたりと、とにかく攻めあぐねていた。

 おまけに、かつてのモルダブル首都は天候に恵まれている。塀の中で一定量の食糧の自給自足がかなうため、兵糧攻めにはかなり長い時間が必要になる。そうする間に、攻め手である我らミルシュトア軍は兵糧も尽きるし、冬がやってくれば、野営も出来なくなる。一度でも包囲を解けば、敵の士気も回復するし、本国を離れて出兵してきているこちらの資源や体力の方が削られることになる。

 モルダブルの各都市を落としながら進軍し、本国からの援軍や連合国の兵士も合わせて三万にまで膨らんだ軍団で包囲しても、一向にげんが見られなかった。

 八方ふさがりになったその状況下に、各部隊長や総指揮官は業を煮やしていた。軍師殿は一体何を考えているのだ。有効打となる策も出さずに連日星見をして、という声が出始めた。山中での奇跡のような軍略や道中の布陣に対する意見は見事であったが、それはただのまぐれであったのではないか、とも言われるようになり、挙句には、敵方と内通しているのではないか、という声まで囁かれるようになった。

 兵たちも疲弊してきているし、士気もたない。もう三日粘って何も案が出ないなら、一時撤退するしかない。そんな夜の事であった。

 軍師殿は相も変わらず星見をなさり、指揮官たちも兵たちも、日々苛立っていた。兵の一人が、役にも立たない星見は楽しいか、と怒鳴った。さすがに諫められていたが、それでも、周囲の者たちの顔は、同意見であることを物語っていた。

 しかし、そんなことも意に介さず、軍師殿は空を眺めたままであった。そして、いきなりこちらを向き、部隊長の一人に近くに来るよう手招きした。ちょうど、軍師殿に怒鳴った兵が所属する部隊の隊長であった。

 彼は文句でも言われるのかと、足取り重く近づいていったが、軍師殿から何か言われて、ひどく驚いていた。

 すぐさま部隊を率いて、モルダブル首都から離れるように東へと進んでいった。

 私は軍師殿に近づき、彼に何を言ったのか、と聞こうとすると、他人の事を気にしている場合ではありません、と強い口調で遮られた。

「日の出までに全軍を整えます。東雲しののめが見えたら、門が開きます。それを合図に、首都へと攻め込むのです。私はこれから伝令に伝え、自分でも馬を駆って各隊へと伝えに行きます。あなたはこの区画の皆に伝えてください。」

 そういうや否や、軍師殿は走り出してしまった。何を言われているのかいまいち不得要領だったが、それでも山中での前例がある。軍師殿に言われた通りに行動し、明け方の突入に備えて、皆寝ずに準備を進めた。

 やがて、東の空が徐々に白み始める。橙色はまだ見えなかったが、紺色の空に白が滲んできたころ、突如として門が開いた。

 そう、有名な“石塀せきへい開口かいこう”よ。軍師殿は、当方に二キロ進んだ先に隠し通路があることを看破し、そこから首都の内部へ侵入するように指示を出されておった。


 どうだ?『星賢軍略記』とは、いささか内容が異なるであろう。軍師殿の軍略というのは、全て、こういった星見の結果に見出したものだったのだ。

 軍略記には、こうある。

「我らがミルシュトアの偉大なる軍師、シュトレア=アストゥロは、その多大なる叡智を、星を見ることによって存分に活かしけり。の軍師、その軍略は他の追随を許さぬ無二の俊計しゅんけいにして、星の視座に在るが如く導き出しけり。そのまことは、星を結ぶかの如く地形をり、軍を、兵を動かし、人の機微を知ればこそなり。故に、彼の軍師、“星見の軍師”と称せらる。」

 識者たちも巧いことを考えたものだ。だが、「星の視座に在るが如く」ではない。

 軍師シュトレア殿は、星見ですべてを見通し、真に星の視座に在ったればこそ、“星見の軍師”であったのだ。

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