成人の儀(4)

 少年と別れた後、老人は“誓いの滝”へと来ていた。少年の言葉は、荒唐無稽なものであるとは思っていたが、それでも、少年ほどの剛の者が滝へと飛べなかったこと、そして自分の手を振り払い、迷いなき目で夜の荒野を駆けて行ったことに違和感を覚えていたのだ。

 これまで長い年月をこのムラで過ごしてきた老人は、自身も“誓いの滝”に飛び込んで成人となり、ムラで生活し、その働きと人望の暑さ評価され、十年前からムラおさの座に就いていた。

 老人は、成人の儀に苦い思い出がある。

 老人には、物心ついたころから行動を共にしていた幼馴染がいた。その幼馴染は、成人の儀で滝壺に呑まれていた。

 当時、先に飛び込んだ老人は、幼馴染が滝壺から上がってくるのを今立っている岸で待っていた。しかし、いくら待てども、水面に浮かんでくることはなかった。他の者たちが次々に飛び込んでは上がってきても、だ。

 老人は、せめてその亡骸だけでも迎えに行ってやりたいと当時のムラ長に請うたが、願いは聞き届けられなかった。しきたりで、成人の儀以外で“誓いの滝”に入ることは許されない、とのことだった。

 もう四十余年も前の話だ。それを知らずに、自分の幼馴染を含む滝から帰ってこなかった者たちに「飛ぶなと言われた」とのたまい、挙句の果てに魔性が巣食っていると話した少年に、老人は怒りを覚えずにはいられなかった。

 だが、少年のまっすぐな瞳と、己が手を抜けてひたすらに駆けてゆく後ろ姿を見て、老人は冷静さを取り戻していた。

(虚偽ではないのかもしれん。)

 そう考えていた。

 もし、少年の言うことが真実であるなら、自分の幼馴染は滝壺に巣食うという魔性に喰われたということになる。そうなってしまっては、亡骸は永遠にあがることはないだろう。

 老人は歯噛みした。しきたりを守り、これまで成人の儀の時を除いて“誓いの滝”に来たことはなかった。ムラ長となってからも、だ。

(我ながら、莫迦なことをしている。)

 老人は自嘲的な笑みを浮かべる。少年の言葉と、その態度への違和感だけで、四十余年、一度も破ってこなかったしきたりを、ムラ長である己自ら破っているのだから。

 老人は滝壺へ目を凝らす。少年の言う通り、本当に滝壺に魔性が巣食っているのだろうか。そう思いながら、何か動くものはないかと目を凝らす。しかし、そこにはただ注ぎ込む滝の飛沫と波紋、そして、黎明の僅かに明るくなってきた空に照らされた自分の顔しか映っていない。

(やはり妄言であったか。)

 そう思い、俄かに踵を返すと、森の暗がりの中から一人の人間が歩いてくる影が見えた。

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