ノラ

 私とエスランティは再び昇降機に乗って階層を移動していった。

 先ほどと同じ9階に降り、09635号室に向かって廊下を歩いていく。

 今回もガラス壁が映し出す青色の情景が急ぎ気味で歩く私たちを歓迎してきた。


 エスランティは09635と描かれた扉の前で足を止める。


「ここがノラちゃんの家だね」


「ノラちゃんが中に居ればいいのですが」


 無事にノラの家に到着したはいいけど、ここで肝心のノラがいなかったら再び捜査が行き詰ってしまう。

 他人を操ることなんてできないけど、ここに居てと念じてしまった。


 エスランティは扉横に備わっている呼び鈴を指で押していく。


「誰も居なかったら扉を壊して中に入って調べればいいさ!」


「セフティスにお世話になるのが私たちになるのでやめてください!」


 なんて恐ろしいことを言い出すんだこの人は。

 ちょっとした冗談で雰囲気をなごませようとしただけだと信じたい。


 冷ややかな目をエスランティに向けていると、扉がわずかに開けられた。

 中と外とで互いに覗き込めるほどの隙間。

 そして家の中から女性の可愛らしく、若干若さを感じる明るい声が聞こえてきた。


「はい、なにかご用ですか?」


「君がノラちゃんかな!?」


 エスランティは出来上がった扉の隙間に素早く指を入れたら、勢いよく扉を開けていく。

 その行動はまるで危害を加える者のようで見ていて冷や汗が出てしまう。

 しかしそのおかげで中にいた女性が正体を現す。

 猫人間キャヒュマンットの女性だった。

 その姿は先ほど写真で見たものだ。


 十代半ばから後半に見え、写真の通りメリッサと同じような若さをしている。

 赤く染まった髪が首より少し上まで伸びていて、短めに切り揃えられていた。

 目じりが少し吊り上がった目の中に黄色い瞳があり、瞳孔が縦線に刻まれている。

 少し派手な服を着ていて、サフェートレイクに囲まれたフレシュランの落ち着いた雰囲気と反対に明るく目立っていた。

 そしてその胸部には大きすぎない膨らみが出来上がっている。


 ノラと思われる女性は目を見開きながら驚いた。


「ちょっと、いったい何なの!? 勝手に開けないでください!」


「ごめんごめん、ノラちゃんに出会えてつい嬉しくなっちゃって」


 エスランティの言葉はなんだか怪しい人から発せられるものに聞こえてしまう。

 私は彼が何をしようとしてるか分かるから大丈夫だけど、ノラと思われる女性からしたら恐怖でしかない。

 説明を入れてあげなければ。


「驚かせちゃってごめんなさいね。私たち実はメリッサちゃんっていう女性を探してて、そのメリッサちゃんのお母さんから行方が分からなくなった娘を探して欲しいって頼まれてて。それでメリッサちゃんと同級生の子とお話したら、ノラって友達が何か知ってるかもって教えてもらって、今に至るわけなんだけど。えっとその、お姉ちゃんのお名前はノラちゃんで合ってるかな?」


 ノラと思われる女性は警戒するように少し目を細めながらこちらを見つめてくる。

 怪しく見えて申し訳ない。

 特に隣にいるエスランティが。

 でも私たちは本当にメリッサを探しているだけなのだ。


 ノラと思われる女性は尻尾を下げながら呟く。


「……わたしがノラだけど?」


 エスランティは生き生きとした表情で言う。


「ノラちゃん、見つけたよ! 僕たちの未来を照らすのは君だ。僕たちの運命は君にかかっている!」


 ノラは不安そうな表情でエスランティを見つめる。

 あきらかに不審がっていた。

 まだ仲がいいとは言えないけれどそこそこ時間を共にしている私でも彼の言動にはどうしたらいいかわからない。


「私たち、メリッサちゃんが今どこで何をしているかの情報を集めているんだけど、ノラちゃんは何か知っていないかな?」


「僕たちの救世主ノラちゃん、道しるべを示したまえ!」


 ノラは表情を消した顔で呟いた。


「そのメリッサちゃんのことだけど、わたし分からないですよ。メリッサちゃんとは確かに同じ学校だけど、今も仲良くしてるわけじゃないですし。なのでわたしに聞いても意味ないですよ」


 落胆するしかない。

 せっかく解決の糸口が見つかったと思ったのに、再び途切れてしまった。

 今度こそ本当に行き詰ってしまう。


 するとエスランティは意気揚々にノラの横を通って家の中に入ろうとする。


「なるほど、ノラちゃんの説明は理解できた。でもノラちゃん本人が見逃している情報があるかもしれない。それなら僕たちが見つけてあげようじゃないか。というわけでノラちゃん、部屋を調べさせてもらうよ」


「えっ、ちょっと、勝手に入らないでください!」


 たとえそれが正しくて、解決に向かう方法だったとしても強引すぎる。

 仕方ないので私がその場をなだめた。


「ノラちゃんの説明が本当のことかどうか分からないから、直接調べさせてもらえないかな? べつに疑ってるつもりじゃないんだけど、私たちも手詰まりで、小さなことでも手がかりが欲しくて」


「だからって勝手に人の家に入っていいわけじゃないでしょう!? しかもわたしの部屋にも来るんでしょ!?」


 エスランティは廊下で足を止め、じっとノラを見つめていく。


「見られたらまずいものでもあるのかな? それなら僕たちは今すぐセフティスに連絡しなくてはいけなくなるけど」


「そうじゃなくて、人様に見せる準備が整ってない所に勝手に入ってきてほしくないってこと!」


「それはつまり、やはり僕たちに見られちゃまずいものがあるってことにならないかな?」


 あり得なくはないけど、ノラが悪い事にメリッサを巻き込んでいるかもしれない。

 そうなれば私たちだけでなくセフティスの助けを借りなければ。


「ノラちゃん、ここは彼の言う通り素直に部屋の中を見せてくれないかな? なにも無いって確証が得られれば私たちはすぐに帰るから。セフティスにも連絡しないし」


 ノラは左下に視線を落としながら、尻尾を上下に揺らしていく。


「……ちょっとだけですよ? 情報が無いと分かったらすぐに帰ってくださいよ?」


「もちろん。私たちは遊びに来た友達でもないし、長居しないよ。安心して。というわけだから、エスランティさん許可取りましたよ」


 エスランティは私に向けてビシッと指を向けてきた。


「さすがだシエラ君! 交渉術までも優れているとはね! ではシエラ君の成果を無駄にしない為にも、すぐにでもノラちゃんの部屋を調べようではないか!」


「はい。ノラちゃん、お邪魔するね」


 ズカズカと通路に進んでいくエスランティの後ろをついて行く。

 ノラの部屋の中は汚いという感想は抱かないけど、床にちょこちょこ小物が散らかっていてそれが目立っている。

 部屋の隅に合わせてベッドが置かれていて、近くには長方形の棚が置かれていた。

 そして棚に置かれた写真立てを見ながら、ノラに声をかけていく。


「ノラちゃんのご家族はどうしたの?」


「ん、両親なら仕事に行ってるけど」


「なるほど、今はノラちゃん一人でお留守番していると」


「メリッサちゃんのことが知りたいんでしょ? わたしのこと聞いてどうするのよ」


 エスランティは白い壁をじろじろ見まわす。

 壁には何も無いのになぜ見つめているのか。

 エスランティは口を開く。


「シエラ君、まさかノラちゃんがあまりにも可愛いからお近づきになろうとしているね?」


 ノラが可愛いのは否定できないけど、今は真面目にメリッサの捜索をしている。

 何を言い出すんだ彼は。


「違います! メリッサちゃんについて些細なことでも取りこぼさないようにしているだけです! それで、えーっと、ノラちゃんはメリッサちゃんといつ知り合ったのかな?」


「メリッサちゃんと知り合ったのは二年前かな。でも挨拶する程度で仲良しってわけでは無いよ」


 ノラは左上から右上の天上に視線を巡らせ、尻尾を縦に振りながら答える。


 一方、エスランティが棚の近くで勢いよく床に座っていく。

 ボスンという体重が乗った鈍い音が部屋中に響き渡っていった。

 思わず私もノラも反応してみてしまう。

 また、写真立てが振動で小さく揺れ、カタッと音を立てたので、一瞬彼から写真に視線を移して音の正体を確認していく。

 エスランティは難しい顔をしながら言った。


「それならなんであの子はノラちゃんが知ってるって言ってたんだろう」


「え、あの子って?」


 ノラは右下の床を見ながらたじろぐ。


 エスランティは顎に手を当てながら悩む。


「メリッサちゃんのお母さんと一緒に大玄関通路で情報収集していたんだよ。そしたらメリッサちゃんの友達がノラちゃんが何か知ってるって言ってたんだよ」


「え、彼女がわたしのところに行くように言ったの!?」


「そう。だから僕たちがこうやって情報集めに来たのさ」


 今ノラが大事なことを言った。

 そこを逃してはいけない。


「違和感を感じます!」


 大声を上げると、ノラとエスランティが私に注目してきた。

 そしてエスランティが肩をすくめながらなだめてくる。


「どうしたんだいシエラ君。無理やり家の中に入ったのがそんなに気に入らなかったかな?」


 ノラも硬い笑みを作りながら言う。


「そのことはすぐに帰ることを条件にわたしが許したよ」


 違う、関心を向けるところはそこじゃない。


「ノラちゃん、まだエスランティはその友達が女性だって言ってないよ。なんで現場に居なかったノラちゃんが分かるの?」


「それは、その、女の子の友達と言えば女性に決まってるでしょ! わたしだって女の子と友達になりたいもん!」


「メリッサちゃんの行方不明と関係ある友達と何か繋がりがあるから、さっき勘違いが起きたんじゃないかな?」


「はぁ、あのさ、お姉さんのほうこそ疑いすぎでしょ。普段女性の友達と触れ合ってたら自然と女性って思っちゃうでしょ」


「その普段から触れ合ってるお友達の中には、本当にメリッサちゃんは含まれていない?」


 ノラは右下を見ながらうつむく。


「さっきも言ったとおり、最近は付き合いないよ」


「それならあの写真はどういうことなの? あそこに映っているのは、メリッサちゃん、もう一人は知らない女性、そしてノラちゃんだよね。とても仲良しに見えるけど」


「あれは、知り合った時に撮った写真だって! 最近のじゃない!」


「それじゃ、写真を調べてもいいかな? 撮影日がきっとあるはずだから、それでもし最近の日時だったら――」


「だいじょうぶだいじょうぶ! 撮影日なんて書かれてないから!」


 ノラは慌てふためきながら私の進路を遮ってくる。

 なんでそんなに必死なんだろうか。

 それではまるで何かを隠そうとしてるようにしか見えない。


 エスランティは肩をすくめながらため息をついた。


「ノラちゃん、諦めた方がいいんじゃないかな? もし写真に撮影日があったら、僕たちはますますノラちゃんを疑わなければいけない。さらにセフティスの援助も必要になるかもしれないよ」


 ノラは尻尾を上下に揺らしながら、右下の床を見つめながら沈黙を続ける。

 そしてしばらくしたあと、笑顔が消えた顔で呟く。


「……ビビアンが何か知ってるんじゃないかな」


「ふむ、ビビアンとは?」


「わたしたちの友達。写真に写ってる子」


 エスランティと私は写真立てに写ってる女性三人に視線を固定させた。


「もっと詳しい情報は無いのかな? どこに住んでいるとか、どんな性格だとか」


「……09781号室に住んでるよ。それ以上は言わない。わたしが色々言ったって分かったら、わたしたちの関係が壊れるから。あとはお兄さんたちが勝手に調べてよ」


 エスランティが額に人差し指を当てながら悩んだ。


「ノラちゃん、これはとても大事なことなんだよ。メリッサちゃんのお母さんがとても心配しててね。セフティスにも捜索をお願いしているんだ。だから情報を出し渋っていると――」


 たとえエスランティの考えが正論だとしても、これ以上はノラのこれからの私生活に影響が出てしまう。

 良心があればここで引いた方がいい。


「エスランティさん、もう十分ですよ! 彼女は重要な情報を提供してくれました。それだけでいいです。次の目的地が見つかったから彼女のことはもう許してあげましょう。ほら、約束通り調べ終わったらすぐに帰るって言ってたでしょう。だからさっそく向かいましょう」


 エスランティは一瞬驚き戸惑うけど、すぐにニヤリと笑みを浮かべて部屋から出て行こうとする。


「彼女の身の心配をして優しそうだと思ってしまったよ。だけど真実は、メリッサ捜索に燃えているんだね? シエラ君、口に出さないけど事件解決が好きなんだから。しかたないなぁ、それじゃあ僕たちはすぐにここから引き上げるとしようか。それじゃノラちゃん、ありがとう!」


 ノラは腕を組んで、ムスッと不機嫌そうに右下の床を眺めた。


「……お疲れさま。お気をつけて」


 ノラの態度が悪くなっても仕方ない。

 しかしそれで得た成果もあった。

 大事に使っていきたい。


「ノラちゃん、騒がしくしちゃってごめんなさいね。でもノラちゃんのおかげでメリッサちゃん捜索が続けられそうだよ。本当にありがとうね。お友達とはこれからも仲良くしてね」


「分かりましたから、早く帰ってください。早く部屋から出てって!」


「はは……」


 彼女が怒って暴れ出す前にさっさと退散しよう。

 私は玄関から退出しようとしているエスランティの背中を追っていった。

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