他人の不幸は、苦くて甘い【KAC20233:ぐちゃぐちゃ】

冬野ゆな

他人の不幸は、苦くて甘い

 私の知人の一人に、変わった奴がいる。


「悩んだら、なんでも言ってよ」


 と言ってくれるのだが、たいてい人はこの甘い言葉に騙される。

 奴が悩みを聞くのは、悩みを聞いてあげようという殊勝な心意気でも、解決しようという心遣いでもない。


「頭がぐちゃぐちゃになって、わけがわからなくなって、考えることさえできない。私はそういうのをなんとかしたいんだ。ねえ。わかるでしょう?」


 甘言という言葉はたぶん、奴のためにある。

 そうして奴のところに、一人の哀れな患者がやってくる。


「もう、どうしたらいいのかわからないのよ」

「おう、そうかあ」


 そんな事を言いながら、奴の目線は患者の頭の上に向けられる。

 患者は話など出来る状態ではないし、そもそも話が出来たとしても聞いていない。頭からモヤモヤと出ている黒いモヤへと手を伸ばす。モヤとはいうが、雲のようでも霧のようでもなく、実際はつかみ取るとぐちゃぐちゃとした物体だ。そうして右から左に話を聞き流しながら、モヤを手で摘み取ってはぐちゃぐちゃと乱雑にボウルの中へと入れていく。

 悩んで悩んで、考えがまとまらず、感情が飛び散り、頭がぐちゃぐちゃになった人間の頭からは、黒いモヤのようなものが出る、と奴は言う。それをつかみ取るのが奴の最上の楽しみのひとつなのだ。


 さて、このぐちゃぐちゃの何かだが、このままではただの泥のような何かだ。

 色合いだけは溶かしたチョコレートに似ていると思うが、奴が乱雑にボウルに入れるのでやっぱり泥めいた何かにしか見えない。

 奴はまずそれをソースポットに少しだけとっておく。そして使う方には小麦粉を入れて質量を増す。そうして適当に混ぜていると、ぐちゃぐちゃの何かはあっという間に何かのタネに早変わりする。


 奴はそのままフライパンに落としてパンケーキにするのが手っ取り早くて好きだとのたまう。

 ぷつぷつと気泡が出てくる様は、このぐちゃぐちゃの持ち主の、悩み抜いて沸騰しかけた頭の中を覗いているようで心が躍るのだという。ひっくり返して裏も表も丁寧に焼いてしまうと、ほかほかと温かなパンケーキが姿を現す。

 そこに、冷たいバニラアイスを落とせば大方は完成だ。

 だが奴にとって至上なのは、最初にソースポットにとっておいた原液を、それこそ溶かしたチョコレートよろしくひっかけるのだ。

 これで完成だ。


 さて。

 それで悩みを話した方がどうなるのかというと、別段何か問題が解決するわけではない。

 話すことで多少楽にはなるかもしれないが、こうして奴に搾取されて終わりなのである。まったくもって、意地が悪い。

 しかして、誰かが頭を悩ませた犠牲の上に成り立つ最上のデザートは、奴の舌を唸らせる。


「チョコレートに似た、苦い、甘美な味がするんだ。他人の不幸は蜜の味、とはよく言ったものだね」


 一度だけクッキーにしたものを食べさせてもらった事があるが、確かに苦くて甘い味がした。誰かの悩み抜いたぐちゃぐちゃが口の中から入ってくるようで嫌な気分になりかけた。

 だがこの味が。

 この味こそが。

 奴の求める至上の味なのである。


 それでその日、私は悩んでいた。

 急ぎの仕事として引き受けたコラムの記事が書けずに、頭の中はすっかりこんがらがってしまったのだ。締め切りは明日だというのに、これでは駄目だ。ひとまず気を紛らわせようと思ってコーヒーでも飲むことにしたが、さっぱりネタが挙がってこないのである。

 そうして悩み抜いた末に奴に電話をかけた。

 この悩みのぐちゃぐちゃをどうにかしたいんだが。

 奴はまったく興味が無さそうな態度で、一言だけ言った。


「それは自分でなんとかしろ」


 奴の印象に、ケチが追加された。

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