本屋の幽霊【KAC20231:本屋】

冬野ゆな

本屋の幽霊

 それは、夜中に古い商店街を歩いている時のことだった。

 この商店街は年々閉める店が増え、ここ数年はほとんどシャッター街と化してきた。それでも近道にいいので、私はここを通っていたのだ。

 最近はだんだんと気概のある若い者が、商店街を蘇らせようとコーヒー店を開いたり、古着の店を開いたりとそれなりに入り口付近は賑わってきたように思う。

 だからその本屋を発見した時も、そうした再生店か、昔ながらの店のどちらかだと思った。


 なにしろその本屋は、いかにも昔からある町の本屋ですといった外観の、なんの変哲もない本屋だったからである。こんな夜中までやっているとは珍しい。

 そういえば最近は本を買っていなかった。

 営業時間に余裕があるなら、まだ見てみてもいいだろう。


「……と思っていたんだけど」


 これは一体どうしたことだ。

 少なくとも本屋を見つけて入ってみるまではそう思っていた。

 ところがだ。

 この本屋ときたら意外に中が広いのである。雰囲気だけはバツグンで、大正レトロもかくやの趣のある作りなのであるが、先がひどく暗くて見えないのだ。主人の趣味によって積み上げられたとおぼしき本があるのに、電気でも消しているかのように暗い。

 低めの天井の近くまである巨大な棚が壁となり、まるで迷路のようでもある。

 そのあちこちに、手作りの紙で「海外小説」とか「辞書」とか「雑誌」とか書かれているので、たぶん本屋で間違いはない。POPもあり、地元の作家の小さなコーナーがある。ところがそのPOPは、書いた人がまったく違うらしい。字体も雰囲気も、イラストが描かれているものもあれば字が詰まっているものもある。まるでひとりひとり別人が書いたかのようである。地域密着型本屋であることには間違いなさそうだ。

 ただ、それだけならまだいい。

 問題は、ところどころ透けているのである。

 

 あまりにデザインの古い表紙の本は、完全に触ることができなかった。小学校の図書館でボロボロになっていたような、懐かしささえ感じる児童向け小説は、完全に透けて本棚に触れることもできる。本だけならともかく、本棚がまるごとひとつ、まるで映写機か何かでその場に顕現した偽物のように通り抜けることができた。


「おお……」


 変な感覚だ。

 ついでにもう一度戻ってみたが、同じだった。


 さて、こんな変な本屋なのだが、一番おかしいのは、ごく普通の買い物客が悠長に本を選んでいることだ。これは買い物客がおかしいのか。それとも店がおかしいのか。

 右往左往していると、買い物客とおぼしき男に声をかけられた。


「もしかして、はじめてここに来る方ですか?」

「えっ。はい。ここ、どうなってるんですか」


 男はスーツ姿で、いかにも会社帰りといった風体だった。

 彼もまた説明に困ったように頭を掻いた。


「それがねえ。いつこうなったのかわからないんですよね」

「わからないって、どういうことですか」

「ここ、本屋だったんですけど、その前も本屋だったらしいんですよ。その前も本屋で、更にその前も本屋だったらしくて」


 ますます意味がわからない。


「要は、本屋の幽霊なんですよ。ここ」

「本屋の幽霊」

「そう。だってそこの本棚とか透けてるし」


 あまりに荒唐無稽だと思ったが、それではこの透けている本棚の説明がつかない。


「あっちの本棚の本とかさ、もう絶版になった本ばかりなんだよ。それもここ数年じゃなくて、もう数十年も前の本。理論が変わっちゃった本とか、いまはもう言われてないような事の本まである。ひょっとして奥の方までいったら、江戸時代の本とかありそうだよね」


 この人、本が好きなのか。

 抑え気味ではあるけど、言うたびに目が輝いているのが見てとれる。


「だけど、ちゃんと存在している本もあるじゃないですか」

「ああ、それね。せっかく本屋の幽霊なんだから、地元の作家や話を聞いてきた人が置いていってるんだ。ちゃんと収入にもなってるらしいよ。あんまり変なのだったり、古本だったり、幽霊の趣味に合わないと返品されちゃうらしいけど。実は、元店主もこっそり来て趣味で接客してるみたいだし」


 男は少しだけ笑った。


「最近はこうした町の本屋も減っているからね。……だけど、こうして幽霊として残ってくれるのなら、ありがたいものだね」

「そういうものですか」

「そうだよ。実は僕はここの本屋の常連みたいなものだったんだ。一週間に一度くらいの頻度だったけど。べつに本屋なんて、いまは電子書籍もあるし、ネットでも届けてくれるだろ。だけどある日、突然閉店が決まって……、なんか、よくわからないけど、ショックだったんだ」


 男はぎゅうっと抱えた本を握りしめる。


「なんでだろうね。本なんかどこでも買えるし、こんな古い本屋じゃなくたっていいのにさ。会社の近くには、ビルごと本屋になってるようなところもあるのに……」

「……」


 私はかけるべき言葉が見つからず、代わりに話題を変えるように問いかけた。


「……他にも幽霊の本屋がいるんですか」

「いるらしいよ。地下鉄のT駅ってあるだろう。あそこにはミステリーとかファンタジー専門の本屋の幽霊が出るらしい。中もアンティーク風で、ちょっと雰囲気がいいみたいだ」


 それはちょっと、行ってみたいかもしれない。


「僕が言うのもなんだけど、せっかくだから買っていくといいよ。もしかしたら本を買うことで、幽霊じゃなくて本当の本屋が増えるかもしれないし……。もし、いい本が無いのなら、あっちにレジがあるからさ。そこで聞いてみるといいよ。何か面白い本は無いですかって」


 男はそう言うと、手を振ってまた歩いていった。

 手に持った本を大事そうに抱えていった。やはりあの人は、本が好きらしい。


 私は言われた通りレジに行くことにした。誰もいないカウンターに向かってたずねる。


「なにか面白い本は無いですか?」


 反応がないのであたりを見ていると、いつの間にかカウンターの上に一冊の本が置かれていた。聞いた事の無い作家の短編集のようだった。私は手にとってまじまじと見たあと、一旦本を置いて、レジに表示された値段分のお札を置いた。やっぱりいつの間にかおつりがおかれていたし、いつの間にか本は紙袋に入っていた。この本屋の名前が入った紙袋だった。

 外に出ると、夜風が吹き抜けた。

 後ろを見ると、本屋の幽霊はまだそこにあった。「本」と書かれた看板は透けている。

 またお越し下さい、と聞こえた気がした。


 本屋の幽霊か。

 本屋も幽霊にならなければならないほど減っているのか。

 幽霊になるほど本屋があったとは思わなかったし、減っているとは思わなかった。

 それとも、ああした本好きたちのために本屋も頑張っているのか。


 家に帰って、買った本を開く。

 聞いたこともない作家だったが、内容も読みやすくて、すぐに一作読み終えられた。これならふだん本を読まない私でも少しずつ読めそうだった。コーヒー片手に、久々に夜を楽しむとしよう。


 ――また行こうかな。


 いつか本屋の幽霊が出なくなるその時まで。

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