大切な人

今日もいい天気。

カーテンをしているけれど、

相変わらず窓の隙間から

朝日が漏れていた。


近くにあるはずの眼鏡を探し、

重たい体を起こしてリビングに行く。

すると、星李は既にせかせかと

朝ごはんの準備をしてくれていた。


星李「おはよーお姉ちゃん。」


梨菜「おはよぉ。」


星李「ご飯もうすぐできるから待ってて。」


梨菜「はぁい。」


そうして私の1日は始まる。

星李の作ってくれたほかほかのご飯を

口いっぱいに頬張って、

時々喉に詰まらせる。


今日も早起きできたというのに、

だからこそ余裕をもちすぎたのか

迎えにきてくれた波流ちゃんからは

また「遅いよ」と言われた。

波流ちゃんは昨日のことなんて

忘れてしまったかのように

いつものように嫌そうな顔をして、

それから仕方ない、と少し笑って

玄関で待ってくれた。


梨菜「いってきまーす。」


星李「待って待って、お弁当!」


梨菜「あ、忘れてた。」


星李「もー、しっかりしてよー。」


星李からお弁当を受け取って、

それで漸く学校へと向かう。


登校中は波流ちゃんと

何気ない会話をする。

昨日のあの曲、よかったでしょ。

今度海行くのは夏にしよう。

昨日は寒かったし。


本当にどうでもいいことに

時間を使っているなと思う。

けど、それがよかった。

そうしてきたからこそ

今の波流ちゃんとの関係があるのだから。


波流「梨菜?」


梨菜「んー?」


波流「うわ、変な顔。」


梨菜「うわ、酷い!」


波流「あっははー、ごめんごめんー。」


梨菜「しかも絶対そう思ってないやつじゃん!」


波流「いやいや、思ってるって。少しくらいはね。」


梨菜「少しも思ってないくせにー。」


波流「そんな不貞腐れないで、飲み物1本奢ってあげる。何がいい?」


梨菜「えーっと…って、ものでつらないで!犬じゃないんだから。」


波流「あははっ。」


梨菜「うーん…じゃあカフェオレで。」


波流「あれ?コーヒー飲めたっけ?」


梨菜「飲めない。」


波流「背伸びしちゃってー。」


波流ちゃんはやいやいと

肘で突いてくるけれど、

全然痛くもなかったし

いらっと来ることもなかった。

あー、こんな感じだったなぁとぼんやり思う。


学校ではずっと波流ちゃんと過ごした。

移動教室の時も、

昼休みの時間だって

ずっと一緒に行動していた。

よくこんなにもずっと一緒にいて

飽きなかったのかなとすら感じる。


放課後になると、波流ちゃんは部活に行く。

ペアではない美月ちゃんとは

そんなに話し込むこともなく

練習を始めることになるはずだ。


波流「じゃあまた明日。」


梨菜「またねー。」


また明日。

不思議な言葉だな。


梨菜「あ、波流ちゃーん。」


波流「ん?」


梨菜「カフェオレ、やっぱりなしで!」


波流「ふふ。はーい、2本ねー。」


梨菜「意地悪!」


波流ちゃんは教室を出て

その背中を小さくしていく。

私はその後ろ姿を

見守ることしかできなかった。


今日は、ふと思い立って

ケーキ屋さんへと向かうことにした。

色とりどりのケーキがあって

どれも目を引かれた。

端から順に見ていると、

ふとお目当てのものがあり、

それを2つ注文した。


星李は節約しろって怒るかもしれないけれど、

これにはちゃんと理由があるから大丈夫。

けど、星李にはあまり

実感もなければ関係もない

理由になってしまうだろうな。

注文したものを箱に入れてもらい、

保存期間の説明を聞き流す。

どうせ今日食べるから

何だっていいんだもの。


そうする間に日は落ちかかる。

今日だってあっという間に終わる。

8時間だって24時間だって

その時その時では

長いと思っていたとしても、

気づけば何かにのめり込んで、

はたまたぼうっとしていて1日を終える。


今日、私はいつものように学校に行って

いつものように帰るだけの生活だった。

その中でひとつ、ケーキ屋さんで

お菓子を買うという普段とは

ちょっと違う贅沢が混ざっている。


さて。

あなたはどんな1日だっただろう。


みんなは、どんな1日を

過ごしたのだろう。


梨菜「ただいまー。」


星李「おかえりー。」


星李は既に帰ってきているようで、

リビングまで向かうと

のんびりテレビを見ている

彼女の姿があった。


この世界線に来てすぐの頃、

自分とみんなのツイートを

全て遡り何があったかを確認した。

多くの人のツイートは

見覚えがないものだったけれど、

もしかしたら初めの方は特に

不可解な出来事が起こる前に

ツイートしていたものと

全く一緒だったのかもしれない。

現に、波流ちゃんのツイートのうち

初期の方にされたものは

それとなく見覚えがあった。


完全に宝探しが

分岐点だったんだと

何度目かの再確認を済ませた。


そして、自分のツイートを遡る中で、

星李は高校受験に合格している

というツイートを見つけていた。

どこの高校かまでは書いていなかったし

まだ聞いていない。

けれど、聞くタイミングがある時で

いいやと思っていた。

星李は、生きていたら高校に合格していて

無事進学できたらしい。

これ以上嬉しいことはない。


部活もとっくに引退しているようで、

学校が終わったらすぐに

帰ってくるのが日課になっているらしい。

だらけている妹を見るのは

少しだけレアに感じる。


よっこらせといいながら

ソファから起き上がると、

真っ先に私が持っていた

ケーキ屋さんの箱に視線を移していた。


星李「あれ、お姉ちゃんそれって。」


梨菜「むふふー、買ってきちゃった!」


星李「何々、ケーキ!?」


梨菜「ケーキ…屋さんのプリン!」


星李「えー、またプリンー?」


梨菜「えっへん。」


星李「この前食べたばかりじゃーん。」


梨菜「でもケーキ屋さんのだから、おいしさは段違いのはず。」


星李「どこのお店?」


梨菜「最近できたって噂のあの商店街のさ。」


星李「あー、あそこ!…って、そこ出来たのは半年前!最近じゃないよー。」


梨菜「あれ、そんなに前だっけ?」


星李「そうだよ。」


梨菜「時間の流れって早いねー。」


星李「お姉ちゃん…認知症にならないでね…ただでさえ忘れっぽいんだから…。」


梨菜「まかせなさーい。」


星李「これは任せられないやつだ。」


星李は数日前には

節約してだなんて言ってたのに、

実際プリンを前にしたら

そんな文句を言わずに

ただわくわくと箱の中身を覗いていた。

カップにプリンが入っていて、

その上には生クリームやキャラメルが

程よく乗っていて、

果物のトッピングが少しだけされている。


星李「うんわ、おいしそう。」


梨菜「夜ご飯の後食べようよ。」


星李「うわ、今がよかったなぁ。」


梨菜「夜に食べるのは格別でしょ?」


星李「ぐぅ…間違いない。」


星李はぱたぱたと箱をたたむと

プリンを冷蔵庫へと仕舞った。

夜ご飯が楽しみだねなんて言い合いながら

一緒にソファに座ってテレビを見る。

けれど、途中で飽きてしまって

録画していた映画を見ることになった。

それならお菓子もたんまりと

買ってこればよかった。


お菓子がなくて物足りなかったけれど、

妹はココアを作ってくれて、

それを時々口にしながら

映画を見ることにした。


星李「あ、そろそろごはんつーくろ。」


映画の中盤で、星李は飽きたのか

ひょいひょいとソファから抜け出しては

キッチンの方へと向かった。

そっか、そんな時間か。

映画を途中で止めることなく

時計を見やると、

既に18時を回っていた。

テレビをそのままにカーテンを閉める。


あ。

いつの間に少しだけ日が伸びていた。


梨菜「星李ー、手伝うー。」


星李「え、どうしたのお姉ちゃん。何か悪いものでも食べた?」


梨菜「酷いなー。プリンを美味しく食べるためにお腹空かせようと思って。」


星李「それなら寝てた方がお腹空くよ。」


梨菜「うわ、確かに。寝てようかな。」


星李「プリンのお礼ね。」


梨菜「あーあ、私は3食作ってもらってるのにほぼお礼なしでここまできてるよ…このままじゃだめなお姉ちゃんになっちゃうよー。」


星李「既になってるから心配いらないよ。」


梨菜「あー!もう、ぶーぶー!」


星李「でも真面目な話、それ以上に色々してもらってるからご飯作るくらい楽勝だよ。」


梨菜「色々?寝てたりテレビ見てたり?」


星李「聞くと聞くほど駄目なお姉ちゃんに聞こえてくる…。」


梨菜「でしょー。」


星李「じゃなくて、2人暮らしの提案とか、小さい頃のこととか。」


お鍋を取り出した星李は、

ふと手を止めてこちらを見た。

あぁ。

映画、続きはどうなってるんだろう。


星李「あんまり小さい頃のことは覚えてないけど、多分たくさん助けてくれたんじゃないかなーって。」


梨菜「もー、そんなできるお姉ちゃんに見えたー?」


星李「プリン、楽しみだなあ。」


梨菜「あ、話逸らした。」


星李「1時間くらいかな?少し待っててねー。」


梨菜「あー、もうこっち見てくれなくなった!」


その後星李はわざとらしく

鼻歌を歌い出した。

呆れたように、でも嬉しくて

ほっと胸を撫で下ろしながら

自分の部屋へと向かう。


すると、机の上にはこの前

床に落ちていたはずのノートが

ちょこんと置かれていた。

星李が掃除してくれた時に

上に置いてくれたんだろう。


梨菜「これ、何だっけ。」


そっと手に取ると、

そのノートがいかにぼろぼろなのかを

直で知ることになった。


何を書いているかわからないほどの

ぐにゃぐにゃの線。

これは一体何だったっけ。

多分ずっと本棚にしまったまま

忘れ去ったものなのだろう。


しばらくページを巡り、

黒と赤の魚らしい粒を見て確信する。


梨菜「あ、スイミーか。」


一体どのあたりのシーンなんだろう。

そう思ってまた次へと読み進める。

すると突然、おわり、と1枚に1文字書き

贅沢に締めとられている。

次のページをめくると。


『しまばら りな』


梨菜「…星李に読み聞かせしたくて書いたんだっけ。」


記憶の上ではまだもう何冊か

あったような気がする。

そもそも、このノートの始まりが

途中からだった。


スイミーを模写していたノートを閉じて

また机の上に放る。

もう片付けなくていいや。

そう思ってベッドの上で大の字になった。





***





星李「できたよー。」


その声で目を開く。

すると、途端に香ばしい匂いをキャッチした。

慌てることなくリビングへ向かうと、

そこにはきらきらと光り輝いている

肉じゃがが盛られていた。


梨菜「うわー、美味しそう!」


星李「でしょー。」


すぐに着席して手を合わせる。

もちろん、星李も一緒に。


今日の肉じゃがは何故か

いつも以上に美味しかった。

何が違うのかと言われれば

全くわからないのだけど、

ただただ感動しながら口に含む。

私の豪快な食べっぷりには

星李も苦笑いだったっけ。


肉じゃがを食べ終えて、

星李はうきうきとプリンを取り出しに

キッチンへと向かった。


その後ろ姿を見て、ふと思う。

よくこんなにも逞しく

成長してくれたなって。

2ヶ月弱後には高校生になるなんて

嬉しくって仕方がない。


私、やっぱり星李のこと大好きみたい。

大好きすぎるみたい。


星李「ふふーふーん。わあ、ほんとに美味しそうなプリン!」


梨菜「でしょ、いいでしょ!」


私はそっと席を立つ。

そして、キッチンに向かうことなく

廊下へと通じる扉に近づいた。

ポケットに定期券が入っていることは

既に確認済みだった。


プリンを買ってきたのには

もちろん理由がある。

それも、わざわざケーキ屋さんのところの

いいプリンを買ってきた理由が。


星李「ね、お姉ちゃ…何してんの?」


星李は私を見ると、きょとんとしていた。

それもそのはず。

椅子に座ることもなく

何もない場所で突っ立っているのだから。

奇行にも程があるだろう。


梨菜「ねえ、星李。」


星李「ん?」


梨菜「私、今からちょっと出かけてくる!」


星李「え、プリンは?」


梨菜「私が帰ってくるまで待っててー!」


その言葉をひとつ放って

廊下を走り靴に足を突っ込む。

踵を踏んだまま鍵を開き、

慌てて扉を開けて外の空気を吸う。


星李「あ、え!?ちょっと!?」


奥から星李の言葉が聞こえてくる。

相当焦っているみたい。


梨菜「行ってきまーす!」


私は。

…出来る限り声を明るく、

そして大声で星李に告げた。


踵を踏みながら、

靴が脱げそうな思いをしつつ

エレベーターへと駆け込む。

扉が閉まってもなお、

星李は追い付かなかったのか

その姿を見ることはできなかった。


私がケーキ屋さんのプリンを

買ってきたのには理由がある。

いらない世界線ならめちゃくちゃにして

出ていけばいいってあの子は言ってた。

だから、私にできる最大限の

嫌がらせをしたつもりだ。


初めは元の世界線の波流ちゃんに

悪口をずっと言うつもりだった。

いらない世界線だって思ったから。

でも、心はいつからか揺れ動いて

いつからか固定されていた。


だから、少し高いプリンを買って

家計を若干圧迫した上で、

ちょうどいいタイミングで

星李にお預けさせたのだ!


梨菜「…あははー…。」


この仕打ちは我ながら流石に酷いと思う。

大好きな妹に何やってるんだろう。


大好きだからこそ辛かった。

少しの意地悪でさえ、ほら。

こんなにも心が痛む。


梨菜「ぁー…ぁ………星李…せり、大好きだよ…。」


ごめんねも、ありがとうも言えなかった。

言わなかった。


言うべきは、元の世界線で

生きていた星李に言うべきだ。


梨菜「ぅ…うぅっ………っ。」


プリンは、帰ってきた私と食べてね。

それまでお預けだ!

へっへーん、ざまーみろ!


…。

ああ。

辛いな。





***





終電までも、今日が終わるまでも

まだ余裕があるうちに

桜並木の場所までたどり着くことができた。

これなら、元の世界線に戻ってから

家に帰るまでの終電もあるだろう。


電車の中ではきっと

変な風に見られただろうな。

サラリーマンや仕事帰りの人が多い中、

席に座ってずっと嗚咽を漏らす

女の人がいたのだから。

電車を出て、あたりが暗くて

ようやく何にも我慢することなく

服に涙を染み込ませた。


思うことは何もない。

桜が綺麗だなともあまり思わない。

涙でぼろぼろになった顔のまま

ひたすらに指を組む。


梨菜「お願いします…お願い、しま…ぅ…ぐずっ…。」


できるならお願いしたくない。

できるならまだ星李といたい。


でも。

でも、前を向かなきゃ。


前に進まなきゃ。


星李は高校生になるんだ。

前に進むんだ。

花奏ちゃんを亡くした真帆路ちゃんだって

前を向いて生きていたんだ。


元の世界のみんなだってそう。

歩ちゃんや愛咲ちゃん、羽澄ちゃんは

来年度から大学生になるんだ。

真帆路ちゃんだって高校卒業の資格を

取るんだって言って前を向いてる。

美月ちゃんも辛い体質を保ちながら

前を向いて生きてる。

花奏ちゃんだって辛い過去背負って生きてる。

波流ちゃんだって、毎日毎日

私への言動に悔いながら生きてる。


毎日前を向こうとしてる。


梨菜「元、の…世界にか、帰し、てぇっ…。」


前を向いて、せめて生きなきゃ。


梨菜「ぅぁっ…帰し…て、くださいっ…!」


生きなきゃ。

頑張らなきゃね。


私は星李がいなくても

生きていかなきゃいけないね。





***





それから瞼の奥に光を感じ、

数歩歩いて目を開くと

同じ桜並木だった。

すぐさま電車に乗り込んで

また嗚咽を漏らしながら帰路に着く。


何故か家の鍵は開いていて、

けれど家の中は真っ暗だった。

帰ってすぐにベッドに飛び込む。

それも、星李の部屋のベッドに飛び込んだ。


帰ってくる間もずっと泣いていたから

流石に涙は枯れただろうと思ったけれど、

星李の部屋にいると

またいろいろな思い出が蘇ってくる。


わんわんと泣き腫らしながら、

最後のご飯の時のことを思い出す。


星李、ピンク色のマグカップを

使ってなかったな。

きっと私は星李へのプレゼントに

マグカップを買わなかったんだと思う。

だってあれは、愛咲ちゃんと出かけた時に

買ったものだったのだから。


この先のこと考えなきゃ。

まずは、星李の部屋を片付けよう。

このまま残しておくと、

また私、星李のことを選んじゃいそう。

でも、特に大切なものは残しておこう。


それから、お仏壇をおこう。

星李のお仏壇。

ずっと目を背けてたから、

未だ家にはなかった。

星李の部屋におこうか。

いや、それだと1人の時間が長くて

寂しくなっちゃうよね。

じゃあ、リビングかな。


今更になってようやく

この家には本当に

1人だってことに気がついた。


梨菜「この家、1人だと広すぎるなぁ。」


笑いそうになるくらい

その声は震えていた。

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