暮れの波
昨日は疲れていたのもあったのか、
起きた時にはもう昼を越えようとしていた。
朝に少し目覚めたのを覚えている。
眠りが浅かったらしい。
真帆路ちゃんとの約束の時間までは
あと2、3時間ほどしかない。
移動時間も含めると…あれ?
午前は別の予定があるから、と
午後からにしてくれたのだが、
たまたまにしても私にとっては
嬉しい出来事だった。
ほら、こうして寝過ぎてしまうかも
しれないかったから。
飛び起きなきゃいけないくらいの
時間にはなっているのに、
のそりと起き上がっては眼鏡を探す。
そしてずるりずるりとベッドから出て
リビングまで行く。
星李「あ、やっと起きて来た。」
梨菜「おはよぉ…。」
星李「おはよー。昨日とは大違いだね。」
梨菜「昨日は覚醒してたもん。」
星李「あ、寝ぼけてる。昨日夕方に寝てたじゃん?だから寝つき悪かったんでしょ。」
梨菜「そのとおー…り。」
星李「今日出かけるんじゃなかった?」
梨菜「このままもたもたしてると遅れそうなんだよね。」
星李「えっ!?早く準備してって。」
梨菜「ふふ、はーい。」
星李「もう、何で嬉しそうなんだか。」
星李は膨れっ面で私のことを見ていたけれど、
それすら愛おしくて
何でも良くなってしまった。
そりゃ嬉しいに決まっているよね。
だって星李が言うんだもの。
るんるんとスキップしそうになりながら
洗面台に向かって本格的に準備を始める。
今日も素敵な日の始まりだ。
***
真帆路ちゃんと会うために
電車に揺られている間だった。
梨菜「…あ!」
ふと閃いたことがあった。
もうここが別の世界線だとは
流石の私も分かったし、
理解しているつもり。
みんな他人で、知り合いですらない。
でも、やっぱりみんなと会って
話したいと言う気持ちがあった。
どこか捨てきれなかったんだと思う。
誰か1人くらい覚えてるんじゃないかって。
覚えてるも何も
そもそも知らない、起こってないことだと
分かってるはずなのに。
まだ会っていない麗香ちゃんや
愛咲ちゃん、羽澄ちゃん、
花奏ちゃんにこれから会う真帆路ちゃん。
誰か1人でもいいから。
梨菜「…。」
私を知っている人に出会いたかった。
だから、自然のうちに
握りしめていたスマホを開き、
現状Twitterのアカウントが
わかっているみんなにDMを送る。
無論、こちらの世界のみんなに。
『今日の18時に、
高瀬江ノ島駅に来れませんか』
自分が誰なのかも書くのを忘れ
たったその1文だけを送った。
急なことだから集まらないことは
容易に想像できる。
波流ちゃんにもLINEで連絡をしておく。
真帆路ちゃんにも
直接会った時に聞いてみよう。
梨菜「お願い…。」
集まりますように。
誰か1人でも来ますように。
そういえば桜の木の下を通っていた時も
今みたいに指を組んでいたっけ。
お願いします。
私には願うことしかできなかった。
そうしているうちに
だんだんと目的地へと近づいて行った。
真帆路ちゃんに指定されたのは
随分と山奥の方だった。
夏に来るならいいだろうけど、
2月も終わる今日は風も強く
凍えるほど寒かった。
マフラーをして来てよかった。
手袋も必要だったかも何で思いながら
電車からバスに乗り継いで向かう。
梨菜「…。」
星李について来てもらっていたら、
こんなに寂しくはなかったのかな。
自然とスマホを握りしめていた。
集合場所の住所だけ調べて
あとは何を考えずにきたけれど、
到着してみればそこは霊園だった。
何かを売っているのか
建物らしきものが見える。
その前にあるベンチには、
見覚えのある人が座っていた。
暖かそうなコートに身を包み、
ふわふわのマフラーに顔を埋めている
真帆路ちゃんの姿があった。
ちら、ちらと左右を見ては
持っていたスマホに視線を落とす。
私のことも見えていたはずなのに
どうして…
梨菜「…ぁ…そうだった。」
どうしても何も、
他人であることを忘れていた。
そりゃあ気づかないし声もかけないよね。
ぐさ。
あぁ、また何かが刺さった。
真帆路ちゃんに近づいていくと、
流石に人影に気づいたのか
がばっと顔を上げた。
ばっちりと目が合う。
綺麗にお化粧をしていて
まつ毛が上に向かって緩く上がっている。
きらきらとした視線が、
私の知る真帆路ちゃんの
曇った眼差しと交錯する。
本当に大学生なんだ、と
妙に感銘を受けていた。
梨菜「あの、伊勢谷さんですか?」
真帆路「あ、そうです。嶋原さん…ですよね?」
梨菜「そうです!」
嶋原さん、かぁ。
仲良くなったはずなんだけどな。
真帆路ちゃんはベンチから立つと、
何か飲み物を奢ると言って
建物の中に入ってしまった。
建物は大きくなく、
中にはお土産やお線香、仏花が売ってあった。
飲み物の値段はやけに高かったけれど、
躊躇することなく買ってくれた。
お茶を手渡される。
その重みは不思議と
いつもより何倍かあるように感じた。
それから真帆路ちゃんは
お花とお線香を買っていた。
霊園に来たということはそういうことだろう。
誰なんだろう。
親御さんだろうか。
でも、不可解な出来事のない世界線なら
ご家族は亡くなっていないんじゃないかな。
それとも、不可解は関係なく
親御さんは亡くなってしまうとか?
…それだったら嫌だな。
買い物を済ませた真帆路ちゃんと
一緒に売店を出た後、
あらかじめ受付でもらってくれていたらしい
マップを見せてくれた。
思っている以上に広く、
この土地に何人眠っているのだろうと思うと
ぞっとしてしまう。
真帆路「私が行きたいのはこっちの方なんです。」
そう言って指差したのは、
ぐるぐると赤ペンで
丸印がされているところだった。
梨菜「わ…ほぼ真反対?」
真帆路「そう。しかも坂がめちゃくちゃ多いんです。」
梨菜「う…大変ですね。」
真帆路「バスもあるにはあるんですが…少し、話しながら歩きませんか?」
梨菜「はい!」
私も真帆路ちゃんには
聞きたいことが沢山ある。
今の真帆路ちゃんの生活から
花奏ちゃんのことに、
それからどうして見知らぬ人からの
DMだったはずなのに
すぐに会おうとしてくれたのかということ。
数え始めたらキリがないんじゃないか
と思うほどだった。
真帆路「嶋原さんはおいくつなんですか?」
梨菜「私はまだ高2です。」
真帆路「本当?大人っぽいから年上だと思ってました!」
梨菜「全然そんなことないですよ。だから、全然タメ口でも呼び捨てでもなんでも大丈夫です!」
真帆路「ふふ、じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。」
あ。
真帆路ちゃんが笑っていた。
彼女がこんなに穏やかな笑顔を浮かべるなんて
思いもしなかったな。
本当に別世界なのだと
何度目だろう、思い知った。
それと同時に、やはり違和感を感じた。
それは初対面ではなさそうという
不思議な浮遊感にも似た感覚だった。
梨菜「あの!」
真帆路「どうしたの?」
梨菜「私たち、どこかで会ったことありませんか!」
真帆路「えぇ…?あはは、嶋原さんは面白いことを言うね。」
梨菜「え、でも…。」
真帆路「私たちが会ったのは初めてだよ。」
梨菜「じゃあ何ですぐに会おうとしてくれたんですか。普通怪しいって思うじゃないですか。」
真帆路「あ、やっぱりそうだよね?私もがつがついきすぎたなー…とは思ったんだよね。」
梨菜「…やっぱり会ったことあるんじゃ。」
真帆路「違う違う、本当に会うのは初めてなんだよ。」
梨菜「会うのは?他は?」
真帆路「細かいことは伏せるけど、私が一方的に知ってたんだ。嶋原さんのこと。」
梨菜「え。」
どくん。
一方的に知っていた。
それは一体どういう経路で
知ることになったんだろう。
知りたかった。
知りたくて仕方なかった。
もしかして、並行世界に迷ったのは
私だけじゃなくて真帆路ちゃんも、って。
真帆路「この話はまた今度ね。」
梨菜「今じゃ駄目ですか?」
真帆路「うん。今度にしよう。」
梨菜「…でも」
真帆路「落ち着ける時に話したいの。それと、色々と整理がつくまで待ってほしい。いいかな?」
梨菜「……はい。」
逆に言えば、それまで私はこの世界に
止まっていてもいいという
理由づけにはなるだろう。
それに託けてこの生活を
楽しむことにしようではないか。
そう思うと途端に心に余裕が生まれ、
焦ることなく真帆路ちゃんの隣を
歩けるようになった。
それからは今の真帆路ちゃんのことについて
様々なことを聞かせてもらった。
例えば、今行っているのは
服飾系の大学だってことだったり、
サークルには入ってないけど
日々お裁縫をして楽しんでいることだったり。
2年間でこうも変わるものなのかと
心底恐ろしくなった。
今の真帆路ちゃんは
すこぶる調子が良さそうで、
何をするにも元気が溢れているような
快活な印象を受けた。
ふと横を見ると、
彼女の髪が風で揺れるのが見える。
梨菜「…。」
あ、ピアスしてる。
イヤリングかな?
どっちなんだろう。
そっか。
大学生だもんね。
感慨に耽っていると、
真帆路ちゃんははっとしてこちらを見た。
私も真帆路ちゃんのことを
ぼんやりも見ていたものだから、
何だか気恥ずかしくなる。
真帆路「あ、そうだった。嶋原さんは花奏のことを聞きたいって言ってたよね。」
梨菜「はい。」
真帆路「友達なの?」
梨菜「え?あ、はい。そんな感じです。」
真帆路「そっか。いつの頃くらいの?」
梨菜「え?」
真帆路「小学?中学?高校?」
梨菜「中学です。」
真帆路「そうだったんだ。」
何故か、咄嗟に嘘をついていた。
高校からしか関わっていないのに。
でも真帆路ちゃんは
安心したような笑みを浮かべていたっけ。
真帆路「じゃあ、高校生の時に大阪の方に引っ越したっていうのは知ってる?」
梨菜「確か…1年生の夏くらいでしたっけ?」
真帆路「うん、それくらい。」
梨菜「それで、2年前くらいに神奈川に戻ってきたって…。」
真帆路「戻ってきた…まぁ、そうかもしれないけど。」
梨菜「…?」
真帆路「もしかして知らない…?今花奏がどこにいるかって。」
梨菜「え?神奈川じゃないんですか?…木造の平屋のお家に…。」
真帆路「…やっぱり知らないんだね。」
梨菜「どういうことですか…?」
それから言葉は少なく、
程なくして目的地に辿り着く。
それは、とあるお墓だった。
私にはこの文字がちゃんと
読むことができなかった。
…したくなかったのかもしれない。
真帆路「花奏、2年前に亡くなったの。」
真帆路ちゃんは、どんな感情で
その言葉を言ったんだろう。
もう顔を見ることはできなかった。
真帆路「引っ越した先で酷いいじめにあってたみたい。」
梨菜「いじめ…。」
真帆路「私にもお別れの手紙が残されてて、それを見た時に漸く実感が湧いちゃって。」
梨菜「…。」
真帆路「沢山お世話になった人だからこそ相談できなかったんだって。」
梨菜「その…自殺ってこと…ですか。」
真帆路「…。」
真帆路ちゃんは花を添え終わると、
こちらを見て少しばかり
目を細めるだけだった。
自殺したとも、しなかったとも言わなかった。
真帆路「亡くなる前の3年間くらいはあまり密に連絡できてなくって、すごく後悔した。」
梨菜「…。」
真帆路「でも、少しずつ前に進めてると思うんだ、私。」
梨菜「…前に?」
真帆路「うん。今になって思うんだけどね、やっぱり閉じこもってるだけじゃどうにもならないんだよ。」
梨菜「…。」
真帆路「だんだんと冷たくなる場所より、冷たい世の中で少しでも暖かい場所を探す方がいいのかもって思って。」
線香を立て、火をつける。
そしてそっと手を合わせていた。
つられるようにして
私も音を立てずに手を合わせる。
ふと顔を上げてもなお
真帆路ちゃんは手を合わせていた。
少しして彼女が顔を上げる。
真帆路ちゃんは何かを取り出して
そっと台の上に置いていた。
梨菜「…それは?」
真帆路「プレゼント。」
梨菜「プレゼント?」
真帆路「そう。ある意味、成果報告会…みたいな?」
あはは、おかしいよね。
そういって笑っていたけれど、
私は笑うことができなかった。
これは割り切ることができた、
前に進むことができた人だからこそ
できる行動なのかもしれない。
真帆路ちゃんはすたすたと
お墓を後にして、
花が入っていたバケツ等々を
片付けるために1度離れていった。
ついていけばよかったのに、
足は何故か動かないまま。
台座の方へと振り返る。
そこには、青いイルカのあみぐるみが
ちょこんと乗せられていた。
飛ばないようにと石で
一部固定されながらも、
そのイルカは空を飛んでいるみたいだった。
真帆路「嶋原さん、そろそろ行こうかー。」
遠くから声が聞こえる。
はっとして声のする方へと向くと、
道で真帆路ちゃんが手を上げて待っている。
ここから足を離すのが
随分と心苦しかったけれど、
1歩、そしてまた1歩と
一瞬にして根の張りそうな
2本の足を動かし続けた。
***
元より遅めの集合だったので、
家が近くなる頃には
もう日が落ちてじしまいそうだった。
電車内では真帆路ちゃんから
花奏ちゃんの親御さんはどうなっているかと
その他諸々について聞いた。
花奏ちゃんのお母さんは
本人も話していたように
随分と昔に亡くなっている。
それは変わりがなかった。
やはりあくまで不可解な出来事が
なかっただけらしい。
お父さんは別のお家で
つづまやかに暮らしていると聞いた。
おばあちゃんの家だと言っていた
あの木造の平屋のお家は
売り払ってしまったらしい。
少し前に更地になり、
今では新しい一軒家か何かが
作られている途中のようだった。
見に行こうかとも思ったけれど、
気分的に行けそうにはなかった。
いったとしても、理由もなく
途方に暮れるだけだろうから。
段々と横浜が近づく。
私はこのまま片瀬江ノ島駅まで
行こうと思っていたので
真帆路ちゃんとはここで別れることになった。
真帆路「今日はありがとう。」
梨菜「こちらこそ…です。」
真帆路「また何かあったらいつでも連絡してね。」
梨菜「はい。」
真帆路「嶋原さん。」
真帆路ちゃんは咄嗟に
私の手を握ってくれた。
休日の横浜駅なもので
人通りは嫌になるほど多かったけれど、
今だけはその鬱陶しさが
ありんこのように小さいものに見えた。
真帆路「私は嶋原さんの味方だからね。」
梨菜「…え?」
真帆路「言ったでしょ、私は前から嶋原さんを知ってたっけ。」
梨菜「あ…そんなことも言ってましたね。」
真帆路「大丈夫だよ。嶋原さんなら大丈夫。」
そんなに不安な顔をしていたのだろうか。
何回か大丈夫だとくり返し伝えてくれた後、
真帆路ちゃんとは手を振り合いながら
別れていった。
梨菜「…結局、誘えなかったな。」
この後海で、みんなで
集まろうと思ってるんです。
だから来てくれませんか、って。
時間を確認する。
急いで向かって何とか18時に
間に合うくらいだった。
梨菜「…。」
けれど、人をかき分ける気力もなく、
とぼとぼと人の波に呑まれながら
乗り換えをすることしかできなかった。
***
波流「あ、やっと来た。」
結局集合場所には
10分ほど遅れて到着した。
駅では波流ちゃんが
部活着のままラケットを背負って
そこに突っ立っていた。
部活終わりで疲れているはずなのに
わざわざそのままの足で
ここまで来てくれたらしい。
波流ちゃんにはDMで伝えず
LINEで海に行きたいとだけ伝えていた。
もし誰も来なくても
それなら怪しまれないかなって思ったから。
波流「どうしたの、急に海に行こうだなんて。」
梨菜「うーん…何となく?」
波流「星李でも誘えば昼から行けたのに。うぅ…あーさぶ…。」
梨菜「だよねぇ…。」
辺りを見回しても
見覚えのある影ひとつない。
…春には歩ちゃん以外の全員が、
退院パーティーの時には
みんなが集まったのに。
今回は。
波流「海行く?」
梨菜「…後5分待って。」
波流「5分でいいの?」
梨菜「え?」
波流「さっきからきょろきょろしてるし、何か探してるんじゃないの?」
梨菜「…。」
波流「あー、図星だぁー。」
梨菜「だったら何さー。」
波流「いいよ、付き合うよ。」
梨菜「海は?」
波流「疲れてたしちょうど休みたかったとこ。」
梨菜「…そっか。」
波流「最近おかしくない?ツイートちらっと見てて、変なこと言ってるなーって思ったんだけど。」
梨菜「あぁー…。」
自分がどんなツイートをしていたか
全くもって覚えていなかった。
それどころじゃなかった
というのが本音だろう。
波流ちゃんも波流ちゃんで言葉の通り
あまりタイムラインを見ていないようで、
それ以上は言及してこなかった。
波流ちゃんと無言の中過ごす。
それが気まずくなかったのは
喧嘩をしていなかったからなのか、
そもそも波流ちゃんだからなのか
今の私にはわからなかった。
駅で待ち続けて1時間。
誰1人として集まることなく
音もなきままに陽は沈んだ。
梨菜「…。」
波流「…。」
梨菜「…。」
波流「…。」
梨菜「…。」
波流「…そろそろ帰ろうか。」
梨菜「…。」
波流「風邪ひくよ。」
梨菜「…。」
波流「梨菜。」
梨菜「…うん。」
波流「そんなしょげないで。」
とんとん、と肩を数回叩いてくれた。
なんだかそれだけで
泣きそうになっている私がいた。
波流「今1番ハマってる歌がさ、めちゃくちゃいいの。聞いて帰んない?」
梨菜「………聞く…。」
波流「やった。」
本当に嬉しそうな声が耳に届く。
きっと元気づけようとしている
だけだとは思うけれど、
今は波流ちゃんのその言動が
少しだけ嬉しかった。
波流ちゃんはいつまで経っても
私のことを気にしていたのかもしれない。
梨菜「…。」
海のある方へ振り返ることなく
片瀬江ノ島駅を後にした。
***
家に帰って早々
星李の作ってくれたご飯を食べて、
お風呂に溶けるように浸かり、
ぱぱっと上がってベッドで
ひれ伏せていた。
いつもよりも急いだ自信はあったのに、
いつも以上に時間がかかっていて驚く。
一体どこでこんなに時間を
浪費していたのだろう。
思いつくのは星李との会話かな。
やっぱりどうでもいい話を
するだけでも楽しくて仕方がなかった。
話すだけで、辛いことの全てが
霧散していくかのように思った。
でも、核は延々と残り続けて、
また根を張っては枝を伸ばした。
梨菜「…。」
ベッドの上で大の字になる。
電球を掴もうとしてみようか。
…やっぱいいや。
梨菜「…あ。」
そういえば床に落ちてたノートって
どうしたんだっけ。
家に帰ってきてから
見当たらない気がする。
探す気力はもちろん起き上がる気力もない。
確認しようがなくて
ため息を吐いた。
この世界の何が不満なんだろう。
星李もいる。波流ちゃんもいる。
喧嘩もしてない。
みんなも存在はしてる。
真帆路ちゃんは大学生になってる。
テレビ番組だって変わらないし
コロナや世界情勢諸々
日々のニュースだって変わらない。
強いていうなら花奏ちゃんがいないだけ。
でも、花奏ちゃんと
深く関係を築いていたかと言われると
そうでもないはずなのだ。
むしろ、きっと嫌われている。
梨菜「…だって、死にたかったのを止めちゃったんだし。」
花奏ちゃんに対しての引っ掛かりは
脆く崩れていき、
今ではそのようなものとして
半ば受け入れつつあった。
人が死んでいるというのに、
どうしてこんなにもすんなりと
受け入れられてしまったんだろう。
逆にどうして。
梨菜「…星李…。」
…どうして星李のことは
何ヶ月経っても受け入れられないんだろう。
否、星李がいないことは受け入れた。
けど、そこから動くことができなかった。
受け入れた。
だからもう私はあの家で…
…ここと全く同じ家で
星李とは暮らしていない。
1人で暮らすようになった。
それでもダイニングテーブルに
星李のお気に入りだった
ウサギのぬいぐるみを置いていたり、
お仏壇を置いていなかったりしている。
それは、まだ受け入れられて
いないのかもしれない。
そうしたつもりに
なっているだけなのかもしれない。
「嶋原梨菜。」
梨菜「…えっ。」
突如として知らない声が聞こえてきて
がばっと上半身を起こす。
音どころか前触れが一切なく、
急すぎることだったもので
どくんどくんと心臓が
張り裂けそうになっていた。
私の勉強机に腰をかけている人影が
そこにはぽつりとあった。
椅子に座らないあたり
行儀が悪いとは思ったけど
それどころではない。
梨菜「あ…。」
「こんばんは。」
そこには、大阪の田舎で
少しだけ話したことのある
女の子がいたのだ。
あの時は真っ暗な空間だったから
顔もあまり見えてなかったけれど、
よくよく見てみれば肌が
異常なほどに白くて、
まるで雪の精霊みたいだった。
ふわふわとしたボブの髪が
エアコンの風に吹かれている。
梨菜「えっと…。」
「桜の下、通れたんだ。」
梨菜「…うん。」
「よかったね。」
梨菜「…。」
うん、とか、はい、とか
咄嗟に言っておけば。
思っていなくてもいいから
口先だけでもいいから
言っておけばよかった。
口に出さないことで
…口に出せなかったことで、
私がよかったとは完全に
思いきれていないことが
自分でわかってしまった。
「どう。」
梨菜「…楽しいよ、星李はいるし、波流ちゃんとも喧嘩してないし。」
「そう。」
梨菜「…。」
「明日。」
梨菜「へ?」
「明日が終わるまでで、どちらにいるか決めて。」
淡々というものだから、
思わず聞き逃すところだった。
全てが唐突すぎる。
何が?
明日まで?
どっちにいるか?
梨菜「それって…どっちの世界にいるかってこと…?」
「勿論。」
梨菜「そんな、明日までって時間がな」
「帰りたいなら、明日が終わるまでに来た場所と同じ桜並木の下で願えばいい。」
梨菜「…帰りたい…って?」
「帰りたいなら、ね。」
梨菜「…。」
「どっちの方が居心地よかった?」
梨菜「…。」
どっちの方が。
それは、果たして
比べられるものなのだろうか。
どっちにもいいところがあって、
どっちにも嫌なところがある。
一概にこちらとはいえなかった。
梨菜「…どっちも、あんま変わりないかな。」
「なら、いらない方の世界線ぐちゃぐちゃにしようよ。」
梨菜「え…?」
「こっちは絶対行かないって方を、物でも人間関係でも何でもいい、壊したらいいと思う。」
梨菜「…それはだめだよ。」
「どうして?」
梨菜「だって…」
「明日が終わるまでに決めるんだよ。どっちも、と、その間は存在しないよ。」
梨菜「…っ。」
「どっちかだよ。」
梨菜「あれだね、れいちゃんみたいな喋り方するね。」
「れいのことは知ってるからね。」
梨菜「…そうだよね。結局会えたのは星李だったよ。」
「それならよかったね。嬉しい誤算だね。」
梨菜「…。」
「ボクはこれで。」
梨菜「…。」
声に強弱はほぼなく、
ひょいと机から降りた。
とん、て、と靴がなる。
土足のようだったけれど、
靴裏は汚れていないのか
砂ひとつすら落ちていない。
私が何かを言い返すこともなく
…言い返せる言葉がないままに、
少しばかり静かな時間が過ぎ去る。
…扉を開く音はしなかったけれど、
私の視界から消えたあの子は
既にもういないのだろうなと
想像がついてしまった。
梨菜「はぁ…。あの子が不可解な出来事の原因かぁ…。」
適当に声を出してみる。
これで大間違いだったら
いい笑い話になるかな。
…いや、ならないか。
スマホをだらりと手に取る。
それからまた仰向けで寝転がる。
振動でスマホが
手から滑り落ちそうになるけれど、
何とか力を入れて踏みとどまった。
梨菜「……いらない世界線。」
どちらか片方の世界線を消すなら。
それなら、どっちを消す?
また星李を消すのか、
それともみんなとの記憶を、
思い出を消すのか。
こっちの世界に残ったって、
星李は明日死ぬかもしれない。
明後日死ぬかもしれない。
それに、この世界線のみんなとも
仲良くできるんじゃないかって
信じて疑っていなかった。
けれど、それは無理なのかもしれない。
1人1人仲良くなることは
決して不可能ではないけれど、
元のような関係に戻る
というのは不可能に近い。
みんなで夏祭りに行ったり、
花火をしたりなんてもうできない。
だって、今日の海での惨状をみたら
そんなことくらい簡単に分かる。
波流ちゃんだけが隣にいてくれて、
星李が家にいてくれる。
それがどれほど嬉しいか。
それは、みんなとの関係を捨ててまで
得たい物なのだろうか。
波流ちゃんとの関係はどうだ。
元の世界線との波流ちゃんとは
もう2度とこれまでのように
話せないのだろうか。
もう私のことは存在していないとすら
思っているんじゃないだろうか。
それなら私はこの世界に
引きこもっていたい。
梨菜「…っ。」
引きこもっていたい…か。
それは…何だか寂しいな。
このままじゃ嫌なことくらい
私が1番わかっているのに。
梨菜「…いらない世界線…。」
…どう考えても、私が欲しい世界線は
今いる方の世界線なのだ。
世界一愛する妹が、
たった1人の家族がいる。
1人の親友がいる。
…でも、親友なら向こうの世界にだっている。
…いいや、いた、っていう表現の方が
適切ではあるかもしれないけれど。
いらない世界線、と考えるのであれば
元いた方だということは
何故か簡単に答えが出せた。
梨菜「あーもう!」
大声を出してみる。
すると、遠くから「うるさーい!」と
声が飛んできた。
星李の方がうるさいと思うけれど、
くすりと笑うこともなく
スマホに向き合う。
梨菜「じゃあ、いっか。」
何を言っても。
そう思ってTwitterを開くと、
何やら多くのツイートがされていた。
その多くは「戻ってきて欲しい」という
ありきたりな言葉の羅列だった。
その中でひとつ、
あり得ないほどの長文が目に止まった。
『正直なところ今自分が
何を思ってるかわからない。
でも明日までにって言うのをみて
焦ってるのは事実で、
でも何で焦るのかわからなくて。
私も梨菜もこの先関わらない方が
いいかもしれないって時々思う。
妹はもういないんだよって言ったのも、
学校での居場所を奪ったのも私だし。
それに、前々から変だなとは
思うことあった。
小さい頃の話だけど
アサガオ引き抜いたり、
その理由が可哀想だからとか
よくわからなくて。
家庭環境の問題が大きいって
後にわかったから
変なこと言えなかったけど、
そのまま放置しておくこともできなかった。
このまま成長したら
どれだけ今後の梨菜が
大変なのかって簡単に想像できたし。
そりゃ守らなきゃっていう認識にもなるよ。
だから妹の話の時だって
前向かなきゃって、
前向かせなきゃと思って
「妹はもう死んでる」って言った。
梨菜がどれだけ妹思いなのかも
知ってるつもり。
このままじゃ梨菜の方が
もたなくなることくらいわかるよ。
だけど、受け入れることも
辛いだろうともわかってた。
私だって言うのは辛かったよ、
心なしに言えたら
どれだけ楽かなって思ったよ。
どれだけ考えて決意して
言ったかわかってないんじゃないの。
親代わりになれたとか、
正しい道に戻してあげたとかなんて
これっぽっちも思ってはないけど、
こっちの気も知らないで
ほんとにむかつく。
前も今も夢ばっか見て何してんの。
いつまで甘えてんの。』
梨菜「…。」
読んでいるうちに、
いらいらが募っていっているのは明白だった。
何を知ったような口きいて。
本人でもないのに悲しさを
波流ちゃんの勝手な尺度で憶測して
本当に腹が立った。
それから、自分はしてあげていると
思っているだろう言葉が嫌だった。
私が全部悪いみたいじゃん。
けど、それ以上に
こんなにつらつらと
本音を綴る波流ちゃんのことを
初めて見たものだから、
心の中で黒い渦が
とぐろを巻きだして怖かった。
私、波流ちゃんのことを
何も知らずに今日まで
生きてきたのかもしれない。
思えば大きな喧嘩なんて
してこなかったな。
『面倒見てたみたいに言ってるけど
そんなの頼んでない!
対等でいたかった』
梨菜「…あ。」
波流ちゃんに触発されて、
気づけばそのように伝えて欲しいと
ツイートしている自分がいた。
どうしてそんなことを
ぽろっと言ってしまったのだろう。
でも、対等でいたかったとは
トンネルから出た時も伝えたし。
…いや。
梨菜「…あの時は…それは対等じゃないって言っただけだったっけ。」
…思えば、ちゃんと伝えたことは
なかったのかもしれない。
…。
逆に、対等じゃないように
扱われていると
勝手に私が勘違いしていたのかもしれない。
…いや、でも守らなきゃとも
思うでしょって書いてあるから、
やっぱり庇護の対象として見てたんだ、
頭の中で考えていると、
遂には扉の奥から
「おやすみー」と聞こえてきた。
気づけば時間は0時を回ろうとしていた。
梨菜「おやすみなさーい。」
適当に返事をする。
そこではっとした。
この日常に慣れ始めていること。
そして、星李以上に
今は波流ちゃんのことで
良くも悪くも頭がいっぱいだったこと。
ほんと、嫌になる。
これだから今いる世界線のほうが
大切にしたいんだ。
『梨菜が何を持ってして
対等って言ってるのか知らないけど、
私は対等だと思ってたよ。
冗談言い合って駄目なことしたら
お互い良くないねって話したじゃん。
確かに口出す回数は
私の方が多かったと思うよ。
でも私も言われた。
朝ごはんパクるなとか色々。
言われ続けても直さなかった私も悪いけど。
笑い合って注意しあって
お互いのことを考えたって言うのは
対等じゃないの。』
°°°°°
梨菜「あ、私のご飯取らないでよ?」
波流「流石に今日は取らないよ。」
梨菜「ダウト。去年何回も取ってったじゃん。」
波流「それはさ、小腹が空いたからで。」
梨菜「ほらー。」
ぶーぶーと言わんばかりの顔をしてやる。
私は寝坊癖が酷いけど
波流ちゃんはというと
常識人のふりして人の食べ物を取る癖が酷い。
しかも私限定だ。
他の人にはしてないって本人が言ってるし
私も見たことがない。
「それ少しちょーだい」って言ってくる。
私達は距離の近過ぎる幼馴染が故
遠慮があるんだかないんだかっていう
行動ばかりお互いしている。
親しき仲にも礼儀あり、とは
一体誰が言い始めたんだろうか。
けれどお互い悩みがあれば1番に相談した。
そのあたり信頼しあってるんだろう。
私にとって波流ちゃんは命の恩人と言っても
過言じゃないしね。
いや、流石に過言かな。
梨菜「因みに今日は薄皮あんぱん。」
波流「ちょーだい。」
梨菜「今日は流石に取らないっていうのは?」
波流「前言撤回。一口だけ。」
梨菜「仕方ないなあ。」
°°°°°
4月にそんな会話をしたっけ、
なんて思い出す。
けど、追憶するも束の間、
さっきは守らなきゃと
思ってたと言っていたのに、
今度は対等だと思ってたなんて
ぐちゃぐちゃなことを言っている。
矛盾ばっかりで文章もはちゃめちゃ。
読みづらくてたまったもんじゃない。
『これまでも対等だったじゃん、
だから帰ってこいってこと?
星李のことを捨ててまで
波流ちゃんの元に戻ってこいって言うの?
たった1人の家族を差し置いて
戻るほどの理由がないじゃん。』
何言ったっていいや。
半ば諦めの気持ちを持って返信をお願いする。
何に対しての諦めなのかは、
私は既にわかっていたのかもしれない。
いつの間にかスマホを握りしめていた手から
じとじとと汗がふき出ている。
暖房が効きすぎているのだろうか、
体が熱を持って気持ち悪かった。
それから数分後。
今度の返信はこれまでよりも
比較的早かった。
『メリットもくそもないよ。
梨菜が星李のこと
信じられないくらい好きなの知ってる。
ここまで来たら私の自己満。
梨菜をそっちに放置したことで
この先何年間ももやもやしたくない。
もういいや。
こんなくだらない言い合いやめて
さっさと帰って来なよ。』
梨菜「はーあ。」
スマホを放り投げて
ベッドで大の字になる。
なにそれ。
そのひと言で全てを
片付けられる気がした。
信じられない。
くだらない言い合いとか言ってて、
本当に呆れた。
こんなに大喧嘩したのは初めてじゃん。
数日どころか月単位で
話さなかったのだって初めてじゃん。
それを全てひっくるめて
くだらないっていいたいの?
梨菜「…あー………もう…。」
さっきと同じ言葉であるはずなのに、
今はこんなにも覇気がなかった。
あーあ。
やっぱり今いるの世界線のほうが好きだな。
波流ちゃんは優しいし
勿論星李はいる。
梨菜「はぁ。」
やっぱり、私の心は少し前から
決まってしまっていたみたいだった。
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