別世界 case:α

暖房の風が緩やかに私の頬をなぞる。

妙に優しすぎてむしろ

気持ち悪いまであった。

のそり、と上半身を起こす。

休日だというのに

あまりよく眠れなかったのか

時計はまだ5時台を指していた。


目を擦ってみると、

汚れが溜まっているのか

余計ぼんやりして見えづらくなる。


梨菜「ふぁー…ぁ…。」


欠伸をひとつ。

それから今日は迷子になっていなかった

眼鏡を手に取って、

その次にスマホを手にした。

現代っ子だなぁ、と我ながら思う。

起きて早々触れるのはスマホだった。


薄暗い中、画面が眩しすぎるせいで

目がじんわりと痛くなる。


梨菜「いてて…。」


あ、涙まで出てきた。

何となく星李と再開できた日のことを

思い出していた。


そういえば昨日は何をしていたっけ。

思えば映画を一緒に見て、

一緒にスーパーのプリンを食べて

ずっとわいわい話していたっけ。

2人で過ごす金曜日も随分と

久しぶりなものだったから、

うきうきとして夜中まで起きてたはず。

それでもこんな時間に起きてしまうなんて

何だかついてないなぁ、と思う。


それから昨日は楽しさあまりに

殆ど忘れていたTwitterを確認すると、

何やらいくつか通知が来ていた。


梨菜「…?」


それは、私に「戻ってきてほしい」

という内容のものがいくつか。

私から元のみんなのツイートはおろか

アカウントすら見つけることはできなかった。

けれど、これまで私たちのことを

見ていたネットの方々は

今私がいる世界も、私が元いた世界も

両方を見ることができるらしい。


言伝をしてくださったことには

もちろん感謝しかない。

その言葉たちを眺める私の目は

どんな色を持っていただろう。


梨菜「…元の世界…かぁ。」


麗香ちゃんや真帆路ちゃんが

いろいろと言ってくれているのは

実のところ少し嬉しいし

ありがたいことだとは思う。


…それは、波流ちゃんだって同じ。

波流ちゃんも「戻ってきて」と

言ってくれていることには

正直びっくりした。


梨菜「…だって、私のこと避けてたじゃん。」


意地を張っているのかもしれない。

けれど、それを抜きにしても

私には帰るメリットがあまりない。

だって、この世界線は上位互換と言っても

差し支えないほどに

私の欲しかった未来で溢れているのだから。

それに、真帆路ちゃんだって

普通に大学生活を送れている。

あの忌々しい2年間がないって、

ものすごく嬉しいことなんじゃないかな。

それに、ご家族もきっと…。

きっと生きているはず。


ただ少しだけ。

元の世界の波流ちゃんのことと、

今いる世界のみんなとは

全く知り合っていないこと。

そして、この世界線の

花奏ちゃんのことが気がかりだった。


梨菜「まずは花奏ちゃんのことから調べよう。」


この世界線のみんなとは

まだ仲良くはないけれど、

今後仲良くなることはできるはずだ。

だって、元いた世界線では

仲良くなったんだから。

だから、大丈夫。


ベッドから飛び起きて準備をする。

この時間なら美月ちゃんは絶対起きてる。

急にTwitterで声をかけても

いいかもしれないけれど、

せっかくなら面と向かって

話をしたかった。

昨日のこともあって気まずいまま

終わりたくはない。


梨菜「よいしょっ。」


床に落ちていたノートを飛び越えて

部屋から飛び出す。

そういえばあのノート、

どこかで見たことあるような。

…まあ、いいか。


花奏ちゃんのことを調べつつも、

本当に宝探しのなかった世界線なのかも

調べながら動きたい。

そこで、私が考えたのはこうだ。


まず美月ちゃんのところに行き、

歩ちゃんの住所を教えてもらう。

美月ちゃんの住所は波流ちゃんから

何となく聞いたことがあるし大丈夫だろう。

それにお家がお寺だってわかってるから

尚更自信はあった。

美月ちゃんと歩ちゃんが

仲直りしていなかったら

少し苦い顔をするような気がする。

どうやって教えてもらうかは

考えていないけれど、

その…気合いで何とかする。

そして、歩ちゃんの家に行って

花奏ちゃんのことについて聞く。

そこで世界線については明白にわかるはず。

あれだけ仲のいい2人だから、

歩ちゃんが花奏ちゃんのことを

知らないなんて言ったら確定だろう。

もし知っているんだったら

花奏ちゃんのいる場所について聞く!

もし知らなかったら…またその時考える。


不可解な出来事がなかった

世界線だと私もほぼほぼ

そう思ってはいるけれど、

確証がどうしても欲しかった。

だから、どうしても動かなきゃ。


今頼れるのは自分しかいない気がして。

…妹も波流ちゃんだって近くにいるのに、

どうしてか私はひとりぼっちだから。


梨菜「星李は…まだ寝てるのかな。」


裸足でリビングに向かうと、

暗くてがらんとした空間がそこにはあった。

この感覚、2日前までは

毎日のように味わっていたっけ。

それがこの2日間は

大きく変わっていた。

変わってしまった、の方が正しいのかな。


梨菜「よし。」


まだ早朝もいいところ、

日が上りきっていないけれど、

ぱぱっと身だしなみを整えて

家を出る準備をする。

朝ごはんは…帰ってきてからでいいか。


靴を履き、家を出ようとした時だった。

後ろで近くの扉が開く音がしたのだ。

ばっ、と振り返ると、

そこにはさっきの私みたいに

眠たげに目を擦っている

星李の姿があった。


星李「お姉ちゃん…ふぁーぁ…どこ行くのー…。」


梨菜「ちょっと人に会いに行ってくる。」


星李「…えぇ?まだ6時だよ…。」


梨菜「朝早くに起きてる友達だから大丈夫!」


友達。

今のこの世界線ではそう言えるのかな。

…きっといえないだろうな。

そう思うと、ぐさっと棘のようなものが

刺さったような感覚がした。


星李「ぇー…波流ちゃんとこぉ…?」


梨菜「誰だっていいでしょー。」


星李「わか……った、彼氏だ…。」


梨菜「冗談はいいから、はい、おやすみ。」


星李「んー…いってらっしゃー…。」


星李は口の中で言葉をごちゃ混ぜにして

最後の方はなんて言っているのか

あまり聞き取れなかった。

それでも可愛いなんて思ってしまうのは

本当に溺愛しすぎているかなと

自分でも思う。


でも、仕方ない。

大切なたった1人の家族だから。


星李には軽く手を振って

戸締まりをお願いした。

私が外に出て数秒後、

かちりとしっかり音が鳴ったのを

確認してからマンションを出る。


それから少しだけ電車に乗って

美月ちゃんの家へと向かうのだった。





***





朝早すぎることもあって、

また、休みの日だということもあって

電車内はがらがらだった。

小さな愉悦に浸りながら

端の席に座ってスマホを見ると

黒い画面にうっすらと

覇気のない顔をした私が

ぼんやり映るだけだったっけ。


梨菜「…。」


そんな車内のことを思い出しながら

美月ちゃんの家の最寄駅から

家まで歩いて向かう。


とぼとぼと歩いてあると

何だか見覚えのある道が出てくる。


梨菜「…?ここ、何で知ってるんだろう。」


いつ通ったんだっけ。

小さい頃?

いや、そんな昔じゃないと思う。

どうして見覚えがあるんだろう。


不思議に思いながら歩いていると、

不意にはっとする光景が

目の前に広がっていた。


そこには何の変哲もない

ただの交差点があった。


梨菜「…。」


あ。

思い出した。





°°°°°





梨菜「………何で…こうなってるの。」


歩「…。」


梨菜「ねえ、歩ちゃんっ!」


歩「…見ての通り事故でしょ。」


梨菜「もう戻せないんだよ!」


歩「何言ってるわけ。悪いけどあんたの相手は今出来ない。」


梨菜「花奏ちゃんが死んじゃったら、もう」


歩「死なない。」


梨菜「そんなはずない。」


歩「…何決めつけてんの。」


梨菜「言ったじゃん。花奏ちゃんは自殺するって。」


歩「自殺じゃない。事故でしょうが。」


梨菜「自殺だよ。死ぬの。」





°°°°°





あの日以来歩ちゃんとも

花奏ちゃんとも疎遠になっていたっけ。


梨菜「…いい思い出じゃ…ないかも。」


たった今、私の元にだけ

雨が降ったような錯覚を覚えた。

それからぶんぶんと軽く頭を振る。

そういえばこの交差点に来たってことは…

もしかしてと思いマップを確認すると

案の定真逆の方角へと進んでいた。


梨菜「あはは…危ない危ない。」


元気を出すためかな。

独り言がやけに多かった。


それからまた少し歩くと公園があり、

更に進むとお寺らしい外壁を見つけた。

入り口がわからず、それならぐるりと

1周回ろうかと意気込む。

早朝だからか気分もいいし

まだまだ元気だった。

ずんずんと歩いていくと、

いつしかお寺の外壁はなくなり

やがて森のようなところが見えてきた。

その2つの境界には

微妙に人が通れそうな隙間があった。


梨菜「…流石に怒られるんだろうなぁ。」


流石に。

ふいっとそっぽをむいて

元きた道を戻っていく。

もしかしたら猫が使うような

抜け道なのかもしれない。

そう思った方が、

元々私には可能性がなかったんだって

思うことができて楽だし。


梨菜「…可能性がないほうが。」


…楽、なんだよね。

…。


その後歩いていると、

漸くお寺の正面にたどり着いた。

まだ参拝はできないものの、

なんと運がいいことに

肩を越す艶やかな髪を見つけた。

その小さな背中は境内で

掃除をしているようだった。


梨菜「あ!美月ちゃん!」


美月「え…?」


美月ちゃんは昨日と同じように

ゆったりとした動きで振り返ると、

目を見開いてこちらを見ていた。

学校の時とは状況が違い

朝だしわざわざ家まで来ているわけで。

私は不審者そのものだっただろう。


美月「昨日の方ですよね。」


梨菜「そうだよ!」


美月「えっと…遊留先輩のご友人の…。」


遊留先輩。

その言葉が妙に引っかかった。


そっか。

…そっか。

繋がりがないってこういうことか。

こういう…。


喉の奥に魚の骨が刺さったような

絶妙な息苦しさを覚えた。


梨菜「うん。朝からごめんね。」


美月「いえ、問題はありませんが…どうしてここにいらしたのですか。」


梨菜「美月ちゃんに聞きたいことがあったの。」


美月「…私がここにいると知っていた、ということですか?」


梨菜「うん。」


美月「…私の住所はどこで知ったのでしょうか。」


梨菜「それは…その、美月ちゃんの友達に。」


美月「…そうですか。」


美月ちゃんは何だか

元気なさそうに俯いていた。

あまり都合の良くないことが

あったのだろうか。


美月「して、何の用事でしょうか。」


梨菜「えっと…どうしても会わなきゃ行けない人がいて、それでその人の住んでる場所を教えて欲しいの。」


美月「個人情報になるので、そのようなことは本人に」


梨菜「歩ちゃんの住所を教えてほしいの!」


美月「…!」


このままじゃ流されてしまう。

そうなる前にと考え、

思い切って声を上げた。

すると、美月ちゃんの動きが

ぴたりと止まったように見えた。

刹那、少し嫌そうな顔をする。

…そうしていたように

見えただけかもしれない。


少し背をくすぐられたような

そわそわする時間が流れた後、

美月ちゃんはひとつ深呼吸をしていた。


美月「どうして私に聞くのでしょうか。」


梨菜「それは…。」


美月「同級生でも、同じ学校でもない私に。」


梨菜「そこまで知ってるんなら、赤の他人じゃないんじゃないかな。」


美月「…。」


梨菜「…私ね、大切な友達が1人疎遠になっちゃって、その子をどうしても見つけたいの。」


美月「それは嫌味でしょうか。」


その瞳の落ちる先、

何を見ているかは私にはわからなかった。

けれど、嫌味なのかと問う理由も

その背景だって何となく想像はできた。

美月ちゃんと歩ちゃんは

昔は仲良かったと言っていた気がする。

それが、いじめる側と

いじめられる側になって。

大切が欠けていつしかなくなったから。


でもこの世界線の私は

知ることではないから。


梨菜「何のこと…?」


美月「…すみません、忘れてください。」


梨菜「…。」


美月「…先輩の事情はしばしば分かりかねます。」


梨菜「でも…っ!お願いします!」


頭を下げる。

深く、深く下げる。

歩ちゃんの家が分からない以上

こうすることしかできないように思えた。

こちらの世界の歩ちゃんのアカウントは

わかっているけれど、

いきなり住所を教えてほしいなんて言っても

もちろん対応しないだろう

ということは目に見えてる。

それなら、少しでも可能性のある方に

賭けたいじゃんか。


美月「顔をあげてくれませんか。」


梨菜「教えてくれるまでこうしてる。どうしても必要なの。」


美月「それでも…」


梨菜「お願いします。助けてください。」


少しの間があった。

その間、彼女は何を考えていたのだろう。

かさり、と箒が地面に

擦れる音を聞いた。

それが嫌になるほど耳に残り続ける。


かさ、かさ。

耳の奥でこだまする中、

ふう、と息を吐く声が耳に届く。


美月「…少し待っていてください。」


梨菜「…っ!ありがとう!本当にありがとうございます!」


また深く何度も頭を下げたけれど、

美月ちゃんは既に背を向け

お寺の方へと向かっていった。


それから数分して戻ってきた時には、

手には髪が握られていた。

箒はどこかに置いてきたのか

視界に入ることはなかった。


美月「すみません、お待たせしました。」


梨菜「ううん、全然。こちらこそ…その、ごめん。」


美月「謝るくらいなら初めからしないでいただけるとありがたいです。」


梨菜「うぅ…。」


ごもっともだ。

何も言い返せずにいると、

美月ちゃんは持っていた紙を

両手で丁寧に手渡してくれた。


美月「これが三門さんの家の住所です。よければお持ちください。」


梨菜「え…いいの?」


美月「はい。どうぞ。」


まるで押し付けるかのように

紙をぐいっと見せてくる。

写真を撮ればいいかななんて

思っていたけれど、

ここはありがたくもらっておくことにした。


梨菜「本当にありがとう。」


美月「いえ。それではお気をつけて。」


美月ちゃんは私の知っている

彼女じゃないということもあってか、

少し冷たい印象を受けた。

すぐに背を向け、またお寺の方へと

戻っていくのが見える。


…こんな早朝からきているのも

邪険に扱われる原因のひとつだろうけど、

それだけではないことは確かだった。


梨菜「…他人…。」


星李さえいれば。

波流ちゃんと喧嘩していなければ。


それだけ考えていたけれど、

知り合いですらないというのは

思っている以上に心苦しかった。


より一層1人という文字が

染みていくのだった。





***





美月ちゃんからもらった住所を調べると、

なんとすぐそこだったことに気がつく。

それこそ、さっき間違って

進んで見つけた交差点の

更に奥の方だった。


時刻は既に7時を過ぎて

7時半へと差し掛かろうとしている。

美月ちゃんの家を探すのに

のんびり歩いていたから、

そこで時間を思っている以上に

使ってしまったらしい。

けど、案外それで良かったかもしれない。

だからこそ美月ちゃんに

出会えたわけだし、

これからいく歩ちゃんの家にも

…迷惑だろうけど、6時台の時ほど

罪悪感はないというか。


交差点を通り過ぎて少し進むと、

散髪屋らしいポールが見えた。

まだ動いていないから

開店はしていないのだろう。


朝からは失礼だと承知で

とんとん、とノックをしてみる。


梨菜「あのー…朝早くにすみません。」


声をかけてみる。

けれど、すぐには反応がなかった。


しばらく待ってから

もう1度ノックをしてみる。


すると、刹那どたどたと

足音がすると思えば、

扉の奥には人影が見えた。

何だか深夜の幽霊特集の番組を

見ているような気持ちになり

少しばかりぎょっとする。

そして、その人影はこちらに近づき

扉をぱっと開いてくれた。


そこには、髪の毛も服装も整っている

中年の女性が立っていた。


「お客様、申し訳ございません。開店は10時からでして…」


梨菜「あの、三門さんのお宅でしょうか。」


「え?はい、そうですけれど…。」


梨菜「歩ちゃ…歩さんはいますか?」


「あら…それが、歩は既に家を出ておりまして。」


梨菜「そうですか…どこに行ったかわかりますか?」


「あぁ、出かけたのではなくって、1人暮らしをしているんですよ。」


梨菜「え。」


「私、歩の母です。どうも。」


梨菜「あ、え、こんにちは。」


私も私でだいぶ焦っていた。

朝なのにこんにちはと

咄嗟に口にしていたと

気づいた時にはもう遅かった。


歩ちゃん、1人暮らししてたんだ。

それすら知らなかった。

1年間なんだかんだ関わってきて、

まだまだ知らないことばっかりだ。


「歩の学校のお友達?」


梨菜「…はい、そうです。」


私からすれば、という

注釈が付いていることは

あえて言わないでおいた。


梨菜「それで、歩さんに学校の忘れ物を届けたくって。」


「そうなの、わざわざありがとう。」


梨菜「いえ、そんな…。」


「今持ってきているんだったら、こちらから郵便で送っておきますよ。」


梨菜「あ…今持ってないので、私の方から届けます。」


「そう?じゃあお言葉に甘えて。住所…あら、どこだったかしら。」


そんな不安になるような独り言を言いながら

また家の中へと消えていった。

美月ちゃんの時とは違い

思っている以上にすんなりいってしまう。

不審に思わなかったのかな。

歩ちゃんの友達って言って、

ああ嘘だなって思わなかったのかな。


不思議に思いながら待っていると、

歩ちゃんのお母さんは

葉書を1枚持って出てきた。


「これ、持っていっていいですよ。」


梨菜「え、葉書…?」


「そうなんです。年末年始に届いたの。」


梨菜「その、写真撮るので大丈夫です。」


「そう?」


歩ちゃんのお母さんは

少しばかりほっとしたような笑みを

浮かべているように見えた。

写真だけを撮り、葉書を返す。

すると、またいつかの時のように

春風が吹いていた。


「歩によろしくお願いします。」


梨菜「はい。…朝からすみませんでした。ありがとうございました。」


「いいえ。また遊びにきてちょうだいね。」


快くそう送り出してくれると、

私もこの先何があっても

頑張れるような気がしてきてしまう。


少し、足が軽い気がする。

やっと歩ちゃんの元へ

辿り着くことができる。

やっと。

…。


…でも、ほぼ確定しているんだろうな。

不可解な出来事がなかった世界線だと

認めざるを得ないのではないか。

美月ちゃんの反応、

波流ちゃんの言動。

星李の存在までも全て。

それらはこの世界線だから

存在しているんだって。


梨菜「…。」


もう1度歩ちゃんの住む場所を確認する。

随分と離れたところに

住んでいることがわかった。

1度横浜まで出て、

そこから更に乗り換えなくちゃ。


梨菜「…あ。」


そういえば、花奏ちゃんの家は

ここから2駅だったはず。

それでも何となく先に

歩ちゃんの家へと向かうことにした。





***





1時間ほど電車に揺られて、

そこから少しばかり歩いて漸く着いた。

もう午前もいい時間になってきている。

人通りも車の通りも多くなってきていた。


歩ちゃんの住むマンションの

エントランスでオートロックが

あることを知る。


梨菜「…あれ。」


そもそも会える会えない以前に、

どうやってここを通ればいいんだろう?

正直なところ、歩ちゃんが

私のことをすんなり

通してくれるとは思えない。

だって他人だから。

お母様からお届け物が、なんて言っても

信じてもらえないのがオチだろう。

私だって信じられない。

いつどこでどういう経緯で

親と仲良くなって、娘の荷物を預けて

届けに行かせているの?と思うに違いない。


部屋番号はわかるのに、と

何だか悔しい思いがした。


梨菜「…歩ちゃんは…難しいなぁ…。」


ぱちん、と頬を叩く。

しっかりしなきゃ。

私が、全部何とかしなきゃ。

私しかいないんだから。

事情を知る人がいないんだから。


梨菜「よしっ。」


エントランスから出て

すぐ横で待機をする。

ここの住民の誰かが

出入りするのを待つことにした。


それから1時間弱ほど経ただろうか。

ようやく1人がマンションから出てきた。

そのタイミングを見計らって

何事もなかったかのように

するりとすれ違い

オートロックのところは

通り抜けることができた。

思っている以上に遠回りしているが、

これで漸く歩ちゃんと会える。


教えてもらった部屋番号の前に立ち、

臆せずインターホンを鳴らした。

すると、思っている以上に早く

かちりと扉の開く音がする。


歩「…はい?」


梨菜「あ、あの。すみません、朝早くに。」


歩「あー…いえ。どちら様ですか?」


梨菜「…っ。」


うわ。

…。

思ったよりくるなぁ、これ。


梨菜「嶋原梨菜です。」


歩「嶋原…?」


梨菜「その、お聞きしたいことがあって来たんです。」


歩「…はぁ、そうですか。」


歩ちゃんは怪訝そうな顔をしていた。

それもそのはず。

見知らぬ人から聞きたいことが、

なんて言われたら

すぐに扉を閉めたくなるに決まってる。


梨菜「小津町花奏ちゃんっていう人、知りませんか。」


歩「誰ですか、その人。」


梨菜「え、っと…。」


誰ですか…って。

それはひどくないかって

起こりたくなってしまう自分がいた。


落ち着いて。

だって、歩ちゃんは知らない人。

…。

私の知らない…。


どうしよう。

私、何に対してこんなに

衝撃を受けているんだろう。


梨菜「ほら、2年くらい前に…自殺を止めたって…その」


歩「自殺を止めた?人違いじゃないですか。」


梨菜「えっ。」


歩「そんなことした覚えないですけど。」


梨菜「でも、放課後、背の高い女の子に声かけませんでしたか!?その時は多分、制服じゃなくって」


歩「だから知らないですってば。…もういいですか?」


ぼりぼり、と数回だけ

後頭部を掻いていた。


…そんな。

そもそも1回すらも

花奏ちゃんには出会って

いないことになっている?


どんどんと花奏ちゃんの影を

見失うような思いがした。


歩「じゃあ、これで」


梨菜「待って!」


扉を閉めようとしたところを、

手で咄嗟に押さえてしまった。

どんな考えがあってそうしているのか

その瞬間にはどうしてもわからなかった。

歩ちゃんは当然の如く

扉を閉めようと力を加え出した。


歩「はっ!?ちょっと、離して!」


梨菜「何で覚えてないの!花奏ちゃんのこと!」


歩「は、はぁ?」


梨菜「だって花奏ちゃん、歩ちゃんのためにずっと頑張ってたんだよ!忘れたのっ!?」


歩「何言って…頭狂ってんじゃないの。」


梨菜「狂ってるのはそっちだよ!」


歩「私はそんなやつ知らない。知らないし、どうだっていい!」


違う世界線だってわかってるのに。

花奏ちゃんと歩ちゃんの関係も

そもそも無かったことになってるって

さっき改めてわかったのに。

どうしても歩ちゃんの態度を

受け入れることができなかったんだと思う。





°°°°°





花奏「歩は事情知ってるん?」


歩「…それとなく聞いたけど、信じてはない。」


花奏「そっか。なんて聞いたん?」


歩「……あんたが死のうとしてる…みたいな。嶋原が適当なこと言ってるだけだと思うけど。」


梨菜「適当じゃない。本当に」


花奏「あはは、死なへんて。」


梨菜「…そんなの、信用なんない。」


花奏「まあ…梨菜からしたらそうやろうな。」


歩「どういうこと?」


花奏「強迫観念って言うんやっけ。こうしなきゃ殺される…とかそういう考えに陥ってるだけやねん。」


梨菜「違う。私の言ってる事全部分かってるでしょ。」



---



梨菜「ねえ、今回何でこんな変則的な事をしてるの。」


花奏「何言ってるん?混乱してるんとちゃう?」


梨菜「そりゃするよ。だって、今回の花奏ちゃんは何か変だから。」


花奏「変なのは梨菜やろ。」


梨菜「何言ってるの。」


歩「…なるほどね。」


梨菜「歩ちゃんも何か言ってよ!」


歩「…。」


梨菜「歩ちゃんっ!」


歩「嶋原、一旦落ち着いて。」



---



梨菜「…!花奏ちゃんはおかしかったでしょ。昨日から不可解な事ばかり連ねてたでしょ?」


歩「昨日からずっと小津町といたけど、体調が悪そうなくらいで特に何もなかった。」


梨菜「…!何で信じてくれないの。」


歩「信じてないっていうか…小津町の言ってる事を信じたいだけ。」


梨菜「歩ちゃん、ちゃんと客観的に見て。今止めないと花奏ちゃんが」


歩「小津町はそんなことしない。」


梨菜「…っ!」


花奏「…。」


歩「小津町は死なない。自分でもそう言ってたでしょ。」





°°°°°





あれだけ、信頼してたじゃん。

あんなに花奏ちゃんのいうことしか

信じなかったのに。


歩「これ以上変なこと言うなら、警察呼ぶからっ!」


梨菜「…っ。」


歩ちゃん。

忘れないであげてよ。


彼女自身知らないだけで

忘れたわけではないのに、

何故かその言葉が流れ込んできた。

その気を抜いた瞬間、

一気に扉は閉まろうとした。


刹那、危険を感じて反射で指を引っ込める。

するとガタンと大きな音を立てて、

マンション一帯を震わせていた。

やがてしいんと静まり返ると、

やっと近くを通る車の音が耳に届いた。


梨菜「…なんで…。」


星李だけがいれば。

それだけで良かったはずじゃないの。


何で、みんなが他人同士でいることが

こんなにも辛いんだろう。


…どうして。





***





その後、花奏ちゃんの家に

寄る元気もなくって、

しょんぼりとしながら家に帰った。

家に帰ると何故か星李もいなくて

ものすごく不安になったけれど、

リビングまで行くと置き書きが1枚

残されているのだった。


『お買い物行ってきます!

 冷蔵庫に朝ごはんあるよ』


たったの2文。

それだけが無性に嬉しかった。


冷蔵庫から朝ごはんを取り出して

電子レンジで温める。

そして、星李が炊いてくれたご飯を

お茶碗によそう。

12時頃、遅めの朝ごはんだった。


梨菜「いただきます。」


1人の食事でも、

そこに星李がいるように感じて

嬉しくて、どうしようにも安心が滲んだ。


ご飯を食べながら、

この世界線で花奏ちゃんと

繋がりのある人がいるのか

ぼんやり考えた。


歩ちゃんはなし。

美月ちゃんは花奏ちゃんと同い年だけど、

同じ中学とは聞いたことがない。

…から、多分関係は持っていない。

波流ちゃんももちろんない。

麗香ちゃんはどうだろう。

同じ高校の愛咲ちゃんや

羽澄ちゃんあたりなら、

もしかしたら見たことあるかも。

そこまで考えたけれど、

どうやってコンタクトを取ろう。

流石にTwitterに頼るしかできなさそう。


梨菜「…?」


あれ。

真帆路ちゃんは?

真帆路ちゃんって確か

花奏ちゃんと幼い頃から

関わりがあるんじゃ無かったっけ…?


梨菜「…そうだ。」


だってみんなで花奏ちゃんの家に行って

昔のことを聞いた時、

真帆路ちゃんのお葬式に

行ったって言ってた。

間違いない。


梨菜「真帆路ちゃんなら知ってる。」


最初からこうしていれば

良かったとは思ったけれど、

午前の間に私たちが完全に

他人であることはわかったから、

それはそれで良しと言うことにしておこう。

ご飯を食べるのを中断して

慌ててスマホを手に取る。

それから、真帆路ちゃんだと思われる

アカウントへとメッセージを飛ばす。


『初めまして、嶋原梨菜です。

 小津町花奏さんのことについて

 お聞きしたいことがあります。

 今、花奏ちゃんは

 どこにいるんでしょうか。』


ここまで思いつくがままに打ち

送信してしまったけれど、

真帆路ちゃんからして

私と花奏ちゃんの関係は

不思議で仕方ないだろう。

絶対に2人が幼少期である中で

私の名前なんて出たことないだろうし。


梨菜「…でも、中学時代の友人…とか…適当いえば何とかなるかな…。」


…きっと、何とかするしかないんだろうな。

ぱくり。

ほかほかのご飯をひと口頬張った。


ご飯も食べ終わってからは

星李が帰ってくるまで

何をしようかと思いながら

ソファに寝転がっていた。

もう外に出るにも気力がない。

力が湧いてこない。

…動きたくない。

少しだけショックを受けた。

たったそれだけのことで

こんなにも自分が凹むだなんて

思ってもいなかった。


ごろごろとしていると、

突然Twitterでは通知がきた。


何かと思ってだらだらと

溶けたカエルのように確認すると、

そこには真帆路ちゃんからの返信があった。


梨菜「…えっ…?」


そこには、今日の経験上

信じられない言葉が存在していた。



『初めまして。私は伊勢谷真帆路です。

 もしよろしければ明日

 会って話しませんか。』



私は真帆路ちゃんだと知って

自分の本名を打ち込んだけれど、

真帆路ちゃんからすると私は

知らない人のはず。

なのに、わざわざこのネットのやりとりで

本名を打ち込んで、

あろうことか会って話そうなんて

言うのだろうか?


ひとつは、あまり考えたくないけれど

真帆路ちゃんではないという可能性。

そしてもうひとつ。

ふと浮かんだものがあった。


梨菜「…私のことを知ってる可能性…?」


だからそこまで警戒することがない…?

でも、初めましてとは言っているじゃないか。

知り合いならこう、もっと他の挨拶がある。

久しぶり、でも覚えてないの?でも

何でも他にあるじゃんか。


梨菜「…。」


少し不気味だけれど、

この世界線の真帆路ちゃんと会えるのは

私にとっても嬉しいことではある。

単なる好奇心として

会いたい気持ちもあったし、

あとは花奏ちゃんのことも聞きたかった。


すぐに返信をするため、

ソファからがばっと飛び起きる。


このチャンスを逃してはいけない気がする。

何故だろう。

命を削がれているような

息苦しさと共に酸素を吸った。

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