第15話 沙織と僕

 初めての学校探索から一か月と数週間、僕らは三日くらいのスパンで授業を抜け出し、屋上でたわいもない話をする日々が続いた。僕もある程度は度胸がつき、廊下を堂々と歩ける程度にはなっていた。



「じゃあ、また明日」



 HRを終え、先生はそう言って教室から出ていった。皆、帰る準備をし始める。



 この後、沙織と現実の東京の街を散歩しようと約束している。だが、前の授業が長引いたせいで待たせてしまっている状況だ。



 急いで向かおうと思い鞄を背負うも、珍しく桃谷が僕の席に来てそれを阻んだ。



「ねぇ、修一。森沙織って子と付き合ってるの?」



 開口一番、桃谷が訪ねてくる。



 よくも、悪くも沙織は有名だ。誰とも碌に話さない。まさに孤高の天才という呼び名で有名な沙織が僕と一緒にいるなんてそれは気になるのだろう。



 だが、いつか聞かれるであろうと事前に心構えをしていた僕はよどみなく答える。



「付き合ってないよ」



「へぇ、でもさ仲いいよね」



「うん、まぁたまたま共通の趣味があってさ、それで知り合って仲良くなったんだ」



 趣味とは少し違いがあるが、あながち間違えているわけでもない。



「へぇ、いつの間に仲良くなったの~。知らなかった~。結構最近だよね?」



 桃谷は明るい調子で更に聞いてくる。桃谷は余計に気になったようで、少し乗り気な様子で。



 沙織を待たせてるのにな……。歯がゆい思いをするも会話を自然に終わらせる技術も持ってない僕はついつい桃谷の質問に解答してしまう。



 そんな時だった。耳元でヴィィンと機械の駆動音が鳴りだし、目の前が歪む。



 目の前が晴れると、廊下から沙織がこちらに向かって手を振っていた。どうやら向こうから来てくれたようだ。



 自然と、そのまま目の前にいた桃谷の顔が目に入る。



 へぇ……。意外だな……。僕は目の前にいるのにも関わらず、すぐには桃谷だとは分からなかった。拡張現実とは全く逆で、おっとりとした瞳をしたやわらかい印象の清楚な感じの女子だった。



 そういえば、現実世界に行ったとき興奮が強すぎて周りを意識してなかったけど、桃谷ってこんな顔していたんだ。



「あれ森沙織だよね。修一のこと待ってるの?」



 僕の視線から沙織に気付いた桃谷が言った。



「あっ、うん! ごめん。待たしちゃってるから先帰るよ」



「そうなんだ。じゃあバイバイ」



 僕は「バイバイ」と言うとすぐさまかばんを背負い沙織のもとに向かった。



「遅いよ~」「ごめんごめん」短い会話を交わし、僕たちは学校を後にした。



 そこから数時間、僕と沙織は街並みを見ながらひたすらブラブラと歩き続けた。前回より落ち着きがあるおかげでよりビル達の細かい箇所に目が行く。やはりこちらの方がいいと何度も思う。そう、現実世界の街を堪能した僕たち。終わる頃には空腹で、夜ご飯を食べてから解散することにし、近くの店に入った。



「修一って物好きだね~、よくそんなに飽きもせず見てられるね」



 一旦、拡張現実に戻りCAREを使い、注文を終え、また現実世界に戻ると、沙織は軽く身を乗り出して尋ねてきた。



「急にどうしたの?」



「いや、ずっと気になってたんだよ。飽きもせずにずっと見てるなって」



 僕は少し考えて、



「そりゃあ楽しいからだよ。上っ面だけ綺麗に凝った建物ものがスイッチ一つでその奥の本当の姿が現れるんだよ。スカッとしない?」



 沙織は首をかしげて、



「う~ん、それはそうなんだけどさ。現実は全然変わらないからさ、見飽きるところない? 拡張現実と違って」



 僕はその沙織の言葉が引っかかる。



「見飽きることなんてあるか? それに拡張現実はずっとうるさくて見てられないよ」



 沙織はもう一度首をかしげて、う~んと唸ると、



「う~ん。見飽きるのは言い過ぎたね。なんだろうな。見慣れてくるだね。流石に少しは見慣れてくるのに、修一異様なほど見てる時あるじゃん。まるで憑りつかれたみたいにさ」



「そんなに僕見てた?」



「うん、私軽く引いたもん」



 僕は首を傾けた。そこまでだとは自覚がなかった。どうしてだろう…………。




「うん……そうだな……。安心できるからかな」



 一番初めに頭に浮かんだ言葉だった。沙織は分からないようで首を傾げる。



「あれっ、分からない? なんかさ……やっぱり本当の表情を見ると安心しない? 拡張現実の時は周りが嘘だらけでさ……何も信じられなかっただろ? 」



 気持ちを言葉に織り交ぜながら話すので、どうしてモたどたどしくなってしまう。それになんだかこれじゃない気もして。



「なんだろうな。もう生き甲斐なのかな……。だから、少しでも味わいたいから周りをよく見ようとしてるのかもしれない……。本物が周りこれだけあると思うと安心して……その安心をさ……より味わおうとしてるんだと思う。そんな感じかな」



 ちぐはぐだったが、なんとか最後まで言い切った。上手く言葉として纏められなかったが、僕の思いは詰込みはできたと思う。



 しかし、沙織は口元に手を当て、釈然としないような表情をしていた。初めて見る表情。普段の沙織から全く別の表情だった。



「何か変なこと言った?」



 すると、沙織は瞬く間に笑みを浮かべ、



「なんだか詩的で難しいな~ってそんなこと思っただけ」



 僕は意外だった。沙織だったら僕の意見にすぐ同調してくれるし、理解してくれると思っていた。



「沙織もそうは思わないの?」



「う~んどうだろう……」



 なんだかはっきりとしない言い方で沙織は答えた。その後、すぐには開いた左手に丸めた右手をポンと置くと、



「そうだ。そういえば修一はいつからそんなCAREに対抗心を持つようになったの?」



 思い出したように尋ねた。その声はいつもと違って微かな揺らぎがあるように感じる。



 急に話を変えられて違和感を覚えたが、特に気にも留めずに素直に答える。



「う~ん、いつからって言う詳しい時期があんまりなくて……。いつからか笑顔に違和感を覚えていて……どんどん違和感が強くなっていってて感じかな」



「へぇ~。自分でCAREに違和感覚えだしたんだ……」



 沙織は力なく言った。まるで意識せずに言葉を発したように。



「あれっ?沙織は違うの?」



 そういうと、沙織は何故か他人事のように軽い笑みを浮かべる。



 あれっ? さっきから思っていた反応ではなかったことで、僕は肩すかしを食らったような心地がして。



 伝わっていなかったのか? もう一度聞き直そうとしたが、運悪くそのタイミングで頼んでいたメニューが届く。



「いただきま~す」



 沙織はすぐにそう言って、口いっぱいにドリアを頬張る。その満面な笑みを見たら、わざわざ聞き直す気力がそがれた。



 まぁ、いいか。そう思い直して僕も口に運ぶ。そして、丁度一口目に齧り付いた時だった。



 不意に斜め頭上から声が降ってきた。



「あれっ、修一じゃん」



 振り返ると、すぐ横の通路で四人組の一番前にいた男が僕に向かって手を振っていた。



 …………見たことのない男だ。突然名前を呼ばれたが、一体誰だ……?



 その後ろからおっとりとした瞳の女の子がひょっこり顔出す。ものすごくニタニタした笑顔で。



 桃谷だ。その時に僕はハッとした。一瞬、現実世界であるということを忘れていた。



「邪魔しちゃ悪いし、ほかのところ行こうよ」



 桃谷が笑みを強めそう提案した。僕はようやくこの四人組は三浦達だと気付く。



 僕を抜いたメンバーがまさかここに来るなんて……。マジか……。しかも、それだけでなかった。僕の運はとことん悪く、店に四人座れる席がほとんど空いていなかった。結局、三浦たちは僕らのすぐ隣の四人席に座ることになってしまった。



 もう料理が届いていて、店を変えることも出来ない。僕は自分で十分前の自分を恨む。なんてもってないんだ。



 しかし、ここまで来ると仕方がない。早く平らげて店を早く出よう。そうするしかないと思いなおし、僕は一気にかき込む。



「俺たちのこと気にせずに話してくれよ」



 そんな僕にかけられる気遣いの言葉。しかし、僕はその声の質感に違和感に覚え、持っていたお椀を置いて声のした方を見る。



 そこには三浦が座っていた。僕は頭を傾げた。 



 さっき聞いた三浦の声とは違っていた気がした。というか人間の声ではない気が、まるで機械が出したような抑揚のない声で……。



 僕の視線は不意に気づいた三浦のCAREの側面についている見慣れない機械に吸い込まれる。



「えー、三浦やっぱり二人って付き合ってるの?」とやけに興味を持っている桃谷が三浦に尋ねて、



「いや、そう言う意味で言ったんじゃないよ」



 そう返事したのは恐らくその側面についている機械からだ。



 ちらりと沙織の顔を見る。沙織は気付いているようだが、そこまで気にしていない様子。桃谷達に関しては何も気づいている様子はない。拡張現実では見えないのか。



「付き合ってないよ~」



 沙織は答えた。



「え~ほんとに~?」と勝手に三浦たちは盛り上がっていつも通りに話し始めた。仕方ないので僕は出来るだけ急いでご飯を食べる事だけに注力する。



 しかし、三浦たちはそんな僕たちに頻繁にとは言わないが、ちょくちょく話しかけてくる。



 内容はどういう流れで仲良くなったのかが三割、どうやってそこまで勉強ができるのかが七割ということで、わかると思うが、ほとんどが沙織に対する質問だ。



 僕はいつも通り蚊帳の外で時々振られる話に胸を縮ませその度に一言二言答えるだけだった。



 その中で気付いたのだが、三浦はほとんど話しているのが機械で、三浦は時々、指示のようなものを呟くのだ。



 例えば、ここで○○の話しや、○○に話を振るなど。それに従って機械が喋っていて……。これだけで分かる。おそらくそういう風な機械なんだろう。なんだか違和感がすごい。というか、見てはいけないものを見てる気がして、さっきから三浦の方を見れなかった。なんだかむず痒い気分だった。



 そう思う間も黙々とご飯を食べ進め、二人とも食べ終わった。



「もう行こうか」



 僕の気持ちに気づいている沙織が空気を読んで提案してくれた。



「うん」



 ようやく出れる。そう思い、張っていた気を緩めた。そんな時、三浦がポツリと囁いた。



「修一のことを心配していた体で、修一を褒めろ」



………………はっ?



 余りにも予想外の一言に少しの間僕の思考は滞った。ただ、三浦がそう言った時、背中をむずかゆいものだけでなく、心をざらっとしたものが撫でた。



「良かったよ。修一に友達ができて」



 すぐに機械発せられる僕のことを考えて労うような優しい言葉。そこから少し何か温かい言葉を話したが、全く抑揚がなく、感情のこもってない棒読みの機械音。



 僕は戸惑うしかなかった。三浦が何がしたいか分からなかった。突然、温かい言葉を機械音で聞かされるのだ。少なくともいい気はしない。さらに、三浦は今の今までずっと笑っていたのに、急に顔から生気が抜けたように表情が消えた。



 僕と沙織と三浦の空気は冷えたが、桃谷たちは盛り上がったままという、対極な空気感が入り混じっている。そんな空気感の中、機械は尚も僕を褒めるセリフを吐き続ける。



「根はいいやつだけど、性格が控えめだから俺たち以外に友達ができるか心配してたんだよ」



 まるで僕のことを一番気にかけ、心配していたようなセリフ。それを無感情な機械音で流される。なんだか胸の中に苦いものが広がる。言いようのない寒気を感じて……。



 それに何も優しさの微塵も感じさせない表情の三浦。それどころか、どんどんと顔を歪ませて……。表情からこんなこと言いたくないというのが如実に感じられる。CAREが修正してくれると思い、表情を取り繕っていないのだろう。



 コイツは何がしたいんだ……? なんだか、今までに感じたことのないまた別の角度の居心地の悪さ。湧き上がってくる感じの、生理的な気持ち悪さ。どうしてわざわざ言わせてるくせに……。



「優しい奴だから、これからも修一と仲良くやってほしいな」



 機械はなおも続ける。辛そうに顔を歪ませていく三浦。



 なんだよ……。辛そうにするのは僕の方だ。訳の分からないまま褒めさせるように指示され、訳の分からないままに僕のことなんて気遣ってない癖に、まるで親友の如く身を案じるセリフを言われている……。



 何よりも三浦はまるでお前にはもったいない言葉だと言わんばかりの表情で……。



 屈辱感に限りなく近いものを感じた。



「あっ、でも俺たちに構ってくれる時間が無くなるのは寂しいな」



 その言葉は言われて、なまじうれしい言葉であるから胸にグッと痛むものがあった。



 三浦の表情はもう明らかに嫌悪感が露わになっている。もう一体お前は何がしたいんだよ。



 何が何だか分からない。どう対応していいかもわからない。分からないことだらけで、ただ、よく分からない角度から気分が悪くなって。



 その時だった。沙織が唐突に口を開いた。



「店に居すぎると迷惑だからもう私たち行くよ」



 僕はその声に少し驚いた。沙織の声には今までにはなかった突き刺すような棘があって。言葉の端には怒りがにじみ出ていた。沙織は勢いよくその場に立ち上がる。僕も慌てて立ち上がった。



「お~。もし修一のことで何かあったら気軽に相談乗るよ~」



 それは三浦が言った。もう感情が一切乗っていなく、ごみ箱に雑に放り投げるように言った言葉。



「大丈夫。君に聞くことはないと思うから」



 沙織の声は低く、かすかに震えていた。沙織が俯いているから表情は分からないが、頬がぴくぴく動いているのが見える。



 そのまま沙織は三浦の返事を待たず、僕を連れ店の外に出て、そのまましばらく歩いた。そして、公園を見つけるとそのベンチに座った。



「修一……大丈夫…?」



 さっきとは違って、下から伺うような声で。沙織は哀し気な顔をしながら尋ねてくる。



 すると、不意にさっきの機械の言葉が脳内再生され、なんだか俄然腹が立つような、悔しいような。自分でも理由が分からない虚しさを感じる怒りだった。



「なんだよあれ?」



 つい荒んだ感情が語気を強くする。



「自動音声出力装置の類だと思う」



「自動音声出力装置?」



「あの機械はさ地域ごととか年齢ごととかで人同士の会話を全てスキャンして勉強してるの。それで全ての中から最もその場にふさわしい言葉を選ぶ機械」



 そんな機械の存在初めて聞いた。そう言えば三浦はやけに色んなものが詳しい。それもあの機械があるからか……。



「普段はタレント業のアドリブの上手くない人たちに使われてたり、会社だと大事な顧客に失礼のないように使われてたりするんだけどね……」



「…………そこすらも嘘で覆うことが出来るのかよ」



 気付くとぼやいていた。ここまでくれば三浦の魂胆も分かる。



「それを使ってクラスの人気者になりたかったとかそういうこと?」



「そうだろうね」



 沙織は頷きながらそう言った。少し口元を歪めて……。



 また三浦の表情が脳裏に蘇り、燻ぶりかけた怒りがまたパチッパチッと音を立て始めた。



 同時に、芋づる式で色んな事に気が付いていって……。



「さっき僕を褒めたくもないのに褒めたのも沙織に好感度を上げようとしてってことだな」



 沙織は依然渋い顔をして宙に視線を泳がせている。どうやら上手い言葉を探そうとするも見つからないようだ。



 その間にも一つ気付いたことがあって……。心に巣くっている毒々しい感情がどんどんと肥大化していく。僕は少しでもその毒々しいものを吐き出そうと、口を開いた。



「ずっと三浦が絡んでくるか分からなかった。態度からさ分かるんだよ、僕に興味がないことくらい。まぁ、あそこまで嫌悪感を示しているとは思ってなかったけど。それも分かったよ。僕を出汁にクラスの人気を取ろうとしてたのか」



 あぁ、なんだそんな単純なことか。一度口に出すと僕はすんなりと納得できた。だから僕みたいな誰とも話そうとしない寂しいやつは丁度いい引き立て役になると思って話しかけてきたのか……。



 そこまで気づくと随分と怒りの炎はましになった。というか何に腹を立てているか分からないという気持ち悪さが無くなって気分がまだ落ち着いたことに伴っただけだが。



 考えてみると至極単純なことだ。当事者でなければもっと前に気付いていただろう。だから、沙織は腹が立ったのだろう。



「……ひどいね」



 おずおずと言う沙織の声には小さな怒りが含まれていた。



「……まぁ、そうだね」



 その沙織の声を聴いて更に怒りの炎が弱まる。そうか……。よく考えたら沙織は僕のために怒ってくれてるんだ。



 沙織が僕のことで親身になって不機嫌になってくれている嬉しさが抱えている怒りを越えたのだ。



 沙織が心配げに顔を覗き込んでくれる。そう思うとなんだか底抜けに嬉しくなってきて……。



「大丈夫?」



「う、うん。大丈夫」



 余りにもこの今の状況に場違いな感情が強くなり出したので、慌てて顔を取り繕って……。



「まぁ、拡張現実だから仕方ないよ」



 その時の心に思っていたことをそのまま言った。



「相手のことを何にも分からない。簡単にごまかせる」



 思わず口からこぼれる。



「やっぱり現実世界じゃないとな」



 この世界ではすべてが嘘に覆われる。



 沙織の方を見る。沙織は心配そうに僕の顔を見ていた。



 沙織は本当に僕の身を案じてくれる。



 もう沙織だけ居てくれればいいじゃないか。沙織だけは分かってくれるし、僕も本当の沙織を知っている。現実世界だから本当のお互い分かり合っている。


 

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