第13話 CAREの影響力
ニスがテカる木目のはっきりとした木材の床、真っ白な壁と天井の姿はない。日がたち劣化して木目も見えないほど薄汚くなった木材の床に、ところどころ剥げて鼠色の石材が見えている壁と天井、さらにさっきまでは無かった武骨な横長のライトが天井に一定間隔で取り付けられている。そこはまるで犯罪者の収容所みたい場所だった。
もう一度現実世界に帰ってこれたという実感が体の底からふつふつと興奮を生み出す
「久しぶりっ」
沙織は目の前で机の上で両腕を組み、その上に顔を置いてこちらを見ていた。多色的な笑みを浮かべ、上目遣いで。
「えっ?」
心臓が高鳴ると同時に僕は先ほどまではいなかった沙織が急に目の前に現れたことに驚いた。
「え、えっと……久しぶりだけど……一体どうしたの? いきなり現れて……」
一瞬、沙織は怪訝な顔をしたが、すぐに納得したように手をポンと叩くと、
「あぁ~、まだ言ってなかったね。忘れてた。ただ私の姿が見えなくなってただけだよ」
沙織はあっけらかんと当たり前のように言う。しかし、僕の頭の中はクエスチョンマークで満たされた。
見えなくなってた? 言葉の意味は分かるが……意味が分からない。その感情が表情に現れていたようで、沙織はくすっと笑うと、「見てて」と言って……。
「なっ……」
次の瞬間、沙織のとった奇行に僕は面食らって声を上げることしかできなかった。
なんと沙織は突然、僕の机にふわりと飛び乗ったのだ。
僕の心臓は高くバウンドした。
僕の机の上にまるで仁王像のように堂々と佇む沙織。
「どう? 誰か私のこと見てる?」
底抜けに明るい声で尋ねてくる。何言ってんだよ。そんなの当たり前……。
「…………あれ……?」
慌てて周りの様子を見た僕、そこでは周りはみんないつも通り真っすぐに黒板を見ていた。僕の後ろなんてほぼ見えないはずなのに、当然のようにノートに書き込み続けて……。
沙織が当然とばかりに口を開く。
「考えてみてよ。授業中に違うクラスの生徒が教室に入ってくるなんて授業の邪魔でしょ。それに授業を抜け出してる人がいるなんて知ったら教育に悪影響を与えるかもしれないじゃん。特にこんな机に上る人なんて真似しようとする人がいたら大変だよ。そんなものはみんな隠すのがこの世界。CAREが見せないように修正してるの」
沙織はバレエのようにその場をくるくると回転する。
「ねっ、だれも見てないでしょ? 面白くない? これだけ目立つことしてるのに誰も私の方なんて見ない。私なんていないみたいにさ!」
そう屈託のない笑みを浮かべる沙織。
ようやく今までに何度かあった謎が解決した。CAREが修正して見えなくしていたのか。同時に妙に納得していた。よく考えたら当たり前なことだ。外でもポイ捨てなど悪影響を与えることは見えなくなっていると聞いたことがある。
「すごいよね~」
なおも机の上に立ち続ける沙織が言う。その堂々とした様子。全く欠片すら何も感じてない様子。もう当然とばかりに立ち続けている。
沙織のその姿に納得はできたが、僕には理解できなかった。確かに見えないとはいえ、さすがにこんなシンと静まり返っているところで、一体どんな神経の図太さを持っていればこんな堂々と立ち続けれるのだろうか?
まるで沙織が受け持つべきはずの緊張までもが僕に降りかかっているように、僕の心臓はバクバク鳴り続けている。
「もう、降りたほうが……」
僕はできるだけ声を押し殺して沙織に話しかける。
「声も気兼ねなく出しても大丈夫だよ。授業中のしゃべり声なんて周り迷惑だからCAREが聞こえないようにしてくれるし」
「いやぁ……それでも……」
「まさか余り派手に動きすぎるとCAREの検閲で気付かれるかもしれないって思ってる? それも安心して! 学校だとさ、CAREの検閲が滅多なことがないと入らないんだ。学校なんて安全な場所だしね。校則破る程度だったら多少好き勝手に動いても絶対にばれないよ! ほらっ見てみて!」
沙織はぴょんと隣の人の机に乗り移る。その瞬間、僕の心臓がキュッと縮まり顔が強張る。それを見て沙織は高らかに笑う。
なにが多少だ。がっつり派手に動いてるじゃないか…。
僕は首をすぼめながら、視界の端で周りの様子を伺う。確かに誰も本当に気づいていない……。皆は顔色一つ変わっていない。
だけど、それでもよくできるな……。僕は再度思った。本当にたいした度胸だ。
ここまで沙織が好き勝手してばれないとなると、流石に僕にも少しは落ち着きが生まれてくる。
「そういえば一週間なにしてたの?」
未だ小声のままだが、僕はまたバレリーナのように踊りだした沙織に尋ねる。沙織はピタッと回転を止め、机から降りると、
「この前言ってたバッテリーの容量を増やすのに時間が掛かっちゃってさ~、でもそのお陰で、ほらっ!」
沙織はそう言ってスイッチのついた機械をポケットから取り出すと見せつけてくる。
「一日まるまる使えるくらいにはバッテリーを持つようにしたよ」
誇らしげに笑顔を咲かせる沙織、ついついつられて笑ってしまう。
「ありがとう」
そして、僕はようやくここで違和感に気づいて、あたりを見渡した。
「えっ」思わず声が漏れ、目を見開いた。
そこに広がっていた光景に悪寒を覚えた。というのも、一瞬、拡張現実にいるかというような錯覚に陥ったのだ。
「……どうして、皆、笑顔を浮かべているんだ?」
僕はそう沙織に訪ねた。
さっきまでは意識半分に見ていたこともあり、気づかなかったが、クラスの皆は背筋をシャンと伸ばし、笑みを浮かべ、黒板に目を向けている。それも張り付けたようなぎこちない笑顔を。
それはまるでCAREが作り出したかと思うほど。しかし、周りの無骨な景色と生徒の目と耳を覆うCARE、制服とは違い野暮ったいラフな服、整っていない髪が僕に現実だと知らしめてくれる。
だからこそ余計に違和感が強い。現実に拡張現実が紛れ込んだみたいで。
「修一にとっては意外なのかな」
いつの間にか隣にいた沙織がそう口にする。
「これで分かったでしょ。私が修一に目を付けた理由。皆笑顔で受けてるのに、一人だけふくれっ面しながら授業受けてたらそりゃ目に着くよ」
ははっと笑う沙織。そう言ってポケットからカメラを取り出し、写真を見せてくる。
「見てよ。面白いよ」
そこには一人不機嫌そうに外を見ている僕の姿が映っていた。他の人すべてが薄ら笑いで黒板を見ているから一層目を引く。
「そういえば、不思議だよね。皆、見てる景色は本当とは違うって頭では分かってるはずなのに、その嘘に合わせて自分の表情を変えるって……。まぁ、心の奥のどこかでは見えてる世界が本当の世界だって錯覚してる所があるんだろうね。
だから、皆何も言われてないけど、揃ってCAREが作る拡張現実の人に合わしてる。あぁやって、周りが背筋を伸ばして笑顔だから自分も背筋を伸ばして笑顔を作る。まぁ、無理に笑顔を作ってるからぎこちないけどね」
沙織は最後の方を冗談めかして言った。沙織の説明は分かりやすく、すんなりと理解はできた。でも、その根本の部分は到底理解ができない。
どうして嘘なものだと分かっているのに、わざわざ寄せて行くのか。少しでも考えたら分かるだろ? 誰が授業中楽しくて笑うんだよ……。
少し色が増えただけような笑顔を浮かべる生徒たちを見ながら思う。
と同時になにか人間自体に失望するものを感じる。
CAREの作る拡張現実は根付くだけでなく、現実世界を飲み込んでいっている……。
そんな気がしてせっかく現実世界に来たのに、心がむかむかとして……。
そんな中、突然沙織に腕をつかまれた。
「どうしてそんな暗い顔してるの? いこうよ! 授業中の学校って楽しいよ!」
屈託のない明るい笑顔を向けられると、冷え始めていた心に快い温かさが広がっていく。
胸が高鳴り、心臓が鼓動する度、心地よい痛みが体全体に広がっていく。
僕はしばらくの間、沙織の色鮮やかな笑顔から目が離せなかった。
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