第11話 現実世界へ

 僕らは移動し、狭い脇道に入った。



 沙織は鞄からスイッチのついた四角い機器を取り出すと、



「実はね。今CAREがある世界が常識になってるから、拡張現実から抜け出そうとする人なんて滅多にいないんだ。皆CAREありきの生活が当然だと思ってる。



だから案外、CAREのセキュリティーって甘くてね。電波をうまい具合にいじってやると、CAREなんて簡単に無効化できるんだ」



 それを聞いて僕は不意に心配になった。



「それってさ向こうから僕らと認識されなくなっちゃうんじゃ……?」



 拡張現実ではCAREが身分証明書替わりなのだ。



 CAREがなくなると拡張現実には映し出されなくなるから外したらダメだと、恐らく学校の授業で誰もが教えられたはずだ。



「あ~大丈夫。無効化って言っても一部分だけだから。拡張現実を映し出すのを無効化してるだけで他は何も影響がないんだ」



 そう言って沙織はニコッと笑う。



「これがその機械、これで電源を入れる」 



 スイッチのついた機器を見せ、次は自分のCAREを指さし「これが今、修一のCAREに付けてるやつ。これで無効化してる」と言って自分のCAREを指さす。確かにCAREの側面に小さな機器がついていた。



 なんだかあっけないというのが率直な感想だった。



 もちろん嬉しい。嬉しくて堪らない。だからむなしさを誤魔化せている所がある。CAREのセキュリティは堅固なもので拡張現実から逃げ出すのは不可能だと思っていた。こんな小さな機械一つでこうもあっさりと崩れるなんて……。そんな世界に僕は十数年苦しめられていたのか……。



 そのころ僕はようやく気分も落ち着いてきていて、不意に気づいた。



「これは、その……ばれたりしないのか? それにこんな話してても……」



 CAREの管理してるメインコンピューターではCAREのカメラに映った映像や音声を検閲していると噂に聞く。こんな話をしたり、CAREの機能を停止させたら、そこにバレないのか心配になった。



 すると、沙織はポンッと胸を叩いて



「大丈夫! そこら辺はちゃんと上手くしてるよ。それに検閲って言っても甘くてね。相当なこと言わないと大丈夫なんだよ」



 沙織はウインクし、嬉しそうに笑う。そんな沙織の顔を見て僕もついついつられて笑ってしまう。



 そうか……ようやく自分は現実世界に行くことができる方法を手に入れたんだ。今まではその現実世界に感動させられるだけだったが、今になって、その事実に実感が湧いてきた。感慨に近い喜びが体にじんわり染みていく。



 不意に、沙織は道に向かって指をさした。



「見てみて、あの人混み、私ここから人を見るのが好きなんだ」



 そこには様々な表情、態度をした人が行きかっている。



「拡張現実とのギャップが面白くてさ。皆さ、拡張現実では見えないからって感情をそのままダイレクトに表情に出してくれる。拡張現実だったら皆シャキッと背筋を伸ばして、笑顔で歩いていくでしょ。でも、あそこにいる人達が浮かべる表情は十人十色。俯いてたり、見上げてたり、楽しそうに歩いてたり、辛そうに歩いてたり。ほら! あの人見て! あの缶ビール片手にフラフラ歩いている男の人。ちょっとぽっちゃりして、年は50過ぎくらいかな。仕事で嫌なことがあったのかな、怒り心頭って顔してぶつぶつと独り言を言ってる。服もシワシワだし、ボタンも外れちゃってるなぁ」



 目線を向けると、丁度その時、男性は髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、大股で荒々しく歩いていた。



 僕は驚く。遠くから見てるだけなのに表情、態度から伝わってくる感情が僕の心をダイレクトに揺さぶってくる。



「次はあの人! あの角で立っているロングな女の人。少し不機嫌な顔しながらしきりにあたりを見渡して、CAREをいじってる様子を見るに、約束してたのに相手の子が遅れちゃってる感じかな……。あっ! 向こうから焦った顔をして走ってくる男の人がいる。多分、あの人っぽいね」



 男性がぺこぺことした顔しながら女性のもとへ向かう。女性は不機嫌そうな顔をしていたが、男性を見つけたとき一瞬膨らんだ安心したような嬉しそうな笑顔は僕をほっこりと温かい気持ちにさせた。



 その後も沙織はまるで探偵のようにその人の内心の気持ちを推理し、何人か推理を終えると、



「次はあの三人組の高校生たち、じっくり見てみて、おかしなところあるから」



 指をさす方を見ると、高校生三人組が一見楽しそうに話している。



 別におかしなところなんてないように見えるけど……。楽しそうに話す三人組、三人ともころころと表情が変わっていく。



 うん? 僕は違和感を覚えた。一度じっくりと三人の表情の移り変わりに意識を向ける。おどけた表情や、真剣な表情、笑った表情や、びっくりした表情…………。



 違和感の正体が分かった。



 三人とも表情が変わるタイミングがバラバラで、それぞれ話しているとは思えないほど、噛み合わない表情を浮かべている。感情が入り乱れているのだ。まるで協調性がない。皆、独自で話しているようにすら見えるほど。



「感情がちぐはぐ……?」



「そうそう。あれもCAREの影響なんだ。CAREってコミュニケーションの円滑のため、具合がいいように修正するじゃん。ほんの小さな所……リアクションとかだね。そういう細かい修正が絶えず行われてるんだけど、偶にそれがどんどん積み重なってあの高校生たちみたいにほとんどがCAREの修正が入るようになっちゃうことが偶にあるんだ」



 違和感の正体はそういうことか……。僕はもう一度高校生たちを見た。



 言われてみれば、さらに違和感は強く感じる。もう僕の目には彼らが話し合っているようには見えなかった。一体、あのグループの子たちは誰と話していて、誰と一緒に笑っているのだろう。そんな疑問すら覚える。急に背筋が冷たくなった。



 そんな僕とは裏腹に沙織の気分は上々で、



「面白いのは人だけじゃなくて、町の雰囲気もすごいよ。見に行こうよ」



 沙織は勢いよく立ち上がり、僕の返事も聞かず沙織はスタスタと歩いていった。僕はその背中を慌てて追いかける。



 そこから四十分近く沙織の後ろを付いていき繁華街を練り歩いた。



 落ち着いて見ると、僕は再度、広告が無くなっただけでこれだけ静けさが増すんだなとしみじみと思った。こんな大都会の真ん中でこれだけ心落ち着かせることができる日が来るなんて考えたこともなかった。



 それほどまでに今まで自分は大量の派手な嘘に晒されていたのだ。



 そう考えると、昨日までの自分が不憫に思えてくる。



 立っている建物を欠片も同じところがない。様々な趣向を凝らし、個々でその存在を見せつけようとしていたビル群は消え、同じようなシンプルで高いだけのビル達だけで埋め尽くされていた。違いと言えばどれだけ古く汚れているかくらいしかない。



 沙織はそんな街並みを見るだけで何も言わない。最近若い世代に流行っているレトログッズのカメラを片手に持って辺りをじっと見渡している。



 撮らないのかと疑問は浮かぶもののそれよりも気になることだらけで、僕はこのタイミングとばかりに疑問を投げかけた。



「どうしてこんなビルって全部が全部同じような形なんだ?」



「建築に携わっている人であれば常識だよ、見た目なんてCAREでどうにでもできるから、外装や内装にお金と手間をかけるなんて一世代前の考え方なんだよ。今は、できるだけ安く、早く、大きく、強度があるビルを作ることが一番なの」



「へぇ…完全にCAREありきで考えられてるんだ」



 なんだかショックだった。



「そういえばいつこの機械を作ったの?」



「高校に入ってすぐくらいかな」



 高校生になりたてでもう作っていたのか……。



「どんな人生歩んだら、そんな年でCAREを無効化する機械なんて作ろうと思うことがあるんだよ……。



「あははっ、すごいでしょ」と沙織は胸を張った。



「そういえばなんだか暗くない? 電灯もぼんやりとしか光ってないし」



「あぁ。CAREが相手の表情を認識できる程度に明るかったら拡張現実で明るくできるしね。何よりも電気代の節約にもなるんだ」



 上手くやってるんだな…。



 そう感心していた時、不意に遠くを走る小型ロボットに目が行った。



 そのロボットは白く丸いボディーに長細い腕を垂らし底についている車輪で動いていた。見たことがないロボットだ。



「あの小さいロボットってなんだ……?」



「あぁ、あれはCAREが作り出した拡張現実を守るために生まれた万能小型警備ロボット『トロン』だね。パトロールから危険人物と思われる人の追跡、ごみ拾いまで何でもできる優れもの」



「へぇ」



 僕はそう答えて『トロン』を見る、歩道を走っていて、人にぶつからないかと思ったがギリギリで上手く躱している。すごいな……。



 そう観察していると、沙織は思い出したように「あっ」と言うと



「あんまり見すぎたらだめだよ。拡張現実では見えないようになってるから。見てたら疑われちゃうよ」



 平然と言う沙織。余りにも平然過ぎて重大なことだと気付かなかった。



 少しして気付いた僕は「えっ」と素っ頓狂な声を出し慌てて視線を外す。



 そんな僕を見て沙織は高らかに笑うと、



「ごめん、ごめん、言い方が悪かった。近くで見ない限りは大丈夫だから安心して」



「よかった……」



 このような、現実世界に対する疑問と返答をしばらく繰り返していた。何よりもここまで自然に人と話したのはいつ頃だったろう。次から次へと話したい内容が浮かんでくる。



 そして、ある程度繁華街の様子を見て回り、元居た脇道に戻ってきた時だった。突然CAREからヴィィィ……と弱弱しい音が鳴り、同時に目の前の景色が変わった。



 薄暗かった辺りは、一瞬にして煌びやかに光りだした。煩わしい広告の音が響き渡り、無骨で無個性なビル達は、一変して激しく自己主張を始めた。



 突然増えた情報量の多さに頭がくらくらする。これは……。



「あー、ごめんごめん。バッテリー切れちゃったみたい」



 拡張現実での姿に戻った沙織はスイッチを取り出した。



「いつもだったらもっと持つんだけどな……多分二人分だったから余計なバッテリー食っちゃったのかな……?」



 機器を鞄に戻すと、「ごめんね」と沙織は手を合わせた。



 ちらりと辺りに目を遣ると統一性のある単色的な笑みを浮かべた人々が歩いていている。僕はすぐにそれから目を逸らした。



「いいよ全然。むしろすごいものを見せてくれてありがとう」



 素直に感謝の意を表す。沙織は笑顔で「どういたしまして」と答え、鞄を背負い直した。



 もう夜も遅い、帰るのだろう。



 そう思った瞬間、僕の中に今までに味わったことのない衝動が現れた。言うなれば、修学旅行が終わった後の余韻に浸っている状態だ。僕はどうしてもこのままいつも通りの現実に戻るのが拒まれた。



 もう少しの間でいい。この非現実を共有したい。



 随分と落ち着いたが、今も心臓がドクドクなっているのが分かる。何もしてないのに、体中、汗をかいていて。



 拡張現実から抜け出すことができるという事実を知ったのだ。こうもなってしまう。もう少し、もう少しの間だけ、この心の余熱を冷ますのを遅らさせたい。この感動を共有したい。



 僕はその勢いで沙織に声をかける。



「途中まで一緒に帰ろうよ」



 自分でも驚いた。この世界の違和感を覚えだしてから今まで一度も人と積極的にかかわってなかった僕が誘ったのだ。今までの僕であれば想像もつかない。



 すると沙織は首を傾げ「元から帰るつもりじゃなかったの?」と言った。



 ということで一緒に帰ることなった僕らだったが、家が反対方面だったので駅まで一緒に帰ることになった。





 駅に着くと、その頃には僕も落ち着いてきていて、不思議な心地すらしていた。



「現実世界はどうだった?」



 改札近くまで来ていた時、沙織が訪ねてきた。



「う~ん。なんだろうな……。なんだかさ、別の世界にいってたみたいな感じするんだよね。時間がたつと不思議な感じになる。なんだか本当にあったことなのかなって」



「はははっ、まぁ、今までずっと拡張現実にいたもんね。私もそうだったよ。初めはテンションが上がってさ、一人で盛り上がってたけど、拡張現実に戻った時に急に実感が湧かなくなったよ」



 沙織は「そのうち慣れてくるよ」と続けて言って、沙織は艶やかな笑顔を浮かべた。



 何故か、僕の胸はキュッと締め付けられて、肌に軽い痺れが走った。



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