第2話
「遅くなってごめん、ジェシカ」
バツが悪いのか、エルネストは目をそらしながらそう言った。
「……どういうことなのか説明してもらえるかしら? エルネスト」
大体事情は察せたけれど、一応聞いてみる。
すると、エルネストはマグダレーナのほうをちらりと見ながら答えた。
「僕は、彼女を──マグダレーナを愛してしまったんだ。ああ、わかっているさ。僕には君という婚約者がいる。だから、心移りなんかしてはいけないのに……彼女のことを知れば知るほど、惹かれてしまって。もう、自分ではこの気持ちを抑えることはできなかったんだよ」
恍惚とした表情でそう語るエルネストは、まるで魔法か何かにかけられているようだった。
「ごめんなさい、ジェシカ。私……あなたと同じ人を好きになってしまったの」
マグダレーナはわざとらしく目を伏せると、しおらしい態度でそう言った。
この台詞を聞くのも、もう何度目かわからない。それくらい、私は彼女に好きになった人を奪われてきた。
「……というわけで、ジェシカ。申し訳ないが、君との婚約を破棄させてもらう。僕は、マグダレーナと新しく婚約を結び直したいんだ」
「えーと……ちょっと待って。マグダレーナ、あなた自分の婚約者とはどうするつもりなの?」
「それについては、心配はいらないわ。相手はちゃんと理解した上でお別れしてくれたし。それに、お父様も『お前がそこまで彼を愛しているのなら仕方がない』と言って納得してくれたわ。だから、あとはジェシカ次第なの。……私たちのこと、許してくれないかしら?」
私は唖然とした。前々からマグダレーナの父親は親馬鹿だとは思っていたが、まさかここまでとは。
それに、マグダレーナの元婚約者もなんだか変だ。一方的に婚約を解消されたのにもかかわらず、文句一つ言わないなんて。実は、裏で弱みでも握られて脅されていたりするのかしら?
色々と腑に落ちない点は多いけれど……今、この場で私がしなければいけないことはただ一つ。
それは──いつものようにマグダレーナの横暴な振る舞いを許し、首を縦に振ること。
そうしないと、彼女の父親が権力を行使して最悪クライン家を没落まで追い込むだろうし、家族全員が露頭に迷いかねない。
だから、私はこう返事をしたのだ。
「わかったわ。二人が惹かれ合ってしまったのなら、それはもう仕方がないことだものね。私は、大人しく身を引きます」
そして、最後に「幸せになってね。応援しているわ」と心にもない言葉を付け加えた。
きっと、びっくりするくらい抑揚のない声でそう言っていたと思う。何しろ、虚無感しかなかったから。
(でも、今回の件で確信した。──マグダレーナは、きっと私が苦労して積み上げてきたものを奪って手柄を横取りしたいんだ)
昔は、ただ単に私の真似をしているだけだった。
でも……中等部に上がってからは、どんどんその傾向が強くなってきた気がする。
(そういえば……)
ふと、半年前のある出来事を思い出す。
当時、私はレポートのことで中等部の頃に担任だった男性教師によく相談をしにいっていた。
その先生は日頃から勉強のことで悩んでいると親身になって相談に乗ってくれていたから、強い信頼を寄せていたのだ。
先生のお陰で、レポートの進捗状況は順調だった。そして、完成まであと一息というところまで進んだ頃。
マグダレーナから、突然「レポートが書き上がったから見てほしい」とアドバイスを求められたのだ。
彼女が書いたテーマは、「精霊と魔法の関係について」。それを見た瞬間、嫌な予感がした。
何故なら、私が書いているテーマと全く同じだったから。内容に目を通した瞬間、その予感は的中する。
──テーマだけではなく、内容まで私が書いていることとほぼ同じだった。
もちろん、文章はまるっきり同じというわけではなかったのだけれど。でも、ここまで似ていると後出しした私が彼女のレポートを盗作したようにしか見えない。
だから、私は泣く泣くそのレポートを破棄し、提出することを諦めたのだ。
当然ながら、提出期限には間に合わず……一人だけレポートを提出できず恥をかくわ、教師からは叱られるわで散々な目に遭った。
マグダレーナは、提出したレポートが評価され教師から絶賛されていた。
本来なら私が受けるはずだった称賛を、彼女はさも自分の手柄かのように「そんな……大げさですわ、先生」と謙虚に振る舞いつつも受けていた。
私は腑に落ちなかった。マグダレーナには、自分が書いているレポートを見せたことは一度もない。
それなのに、なぜ彼女は私が書いているレポートのテーマや内容を知っていたのか。
そこまで考えて、ふと頭にある考えがよぎった。
(もしかして、あの先生がマグダレーナに……?)
よく考えてみれば、マグダレーナに私が書いているレポートの内容を教えられるのは彼しかいない。
でも、どうして? 中等部にいた頃から、すごく親身になって相談に乗ってくれていた良い先生だったのに。
にわかには信じ難かった。けれど、その疑惑は数ヶ月後に確信へと変わった。
その先生は横領が発覚し、懲戒免職処分となったのである。もしやと思った私は、思い切って先生に詰め寄ってみた。
すると、彼は逃げられないと思ったのか白状した。「君のレポートのテーマや内容を教える代わりに、報酬としてマグダレーナからまとまった金を受け取った。ギャンブルで借金を抱えてしまい、金に困っていた」と。
そんなことを思い出しながら、私は帰路についた。
婚約者から裏切られた挙句、婚約破棄を切り出されたばかりだというのに──やっぱり、全然涙は出なかった。
***
半年後。
学園を卒業すると同時に、マグダレーナとエルネストは結婚した。
その後すぐに、二人はどういうわけか私を訪ねてきた。
もしかしたら、幸せアピールでもしたかったのかもしれない。厚顔無恥とはまさにこのことだろう。
図々しく邸に上がり込んできた二人は、部屋の壁紙に興味を示していた。
というのも、クライン邸の壁紙は全部屋を鮮やかな緑色で統一してるのだ。
緑色の壁紙は今、王都で大流行している。二人は郊外に住んでいるから、きっと初耳だったのだろう。
「すごく綺麗な壁紙だね。どこで買ったんだい?」
エルネストが興味津々な様子で尋ねてきた。
「ああ、これは──」
そこまで言いかけて、私ははたと止まる。
(そういえば、この壁紙……健康被害があるんじゃないかって、一部では噂になっているのよね)
というのも、この鮮やかな緑色の壁紙にはヒ素が使用されているのだ。
企業側は口に入らない限り安全だと謳っているが、現にヒ素を使用した緑色の壁紙が流行りだしてから王都では原因不明の体調不良に苦しむ人や謎の死を遂げる人が急増している。
そんな怖い噂があるのに、なぜクライン邸では全部屋をこの壁紙で統一しているのかというと。
クライン家の人間は、生まれながらにして毒に対する耐性を持っているからだ。
父が言うには、何代か前の当主が瀕死になっている精霊を助けたことがあるらしく、それ以来この家の人間は精霊の加護を受けているのだとか。
とはいえ、使用人はもちろん耐性を持っていないから、独自ルートで入手した解毒効果もある特別な薬を予防的に飲ませている。
(怖い噂もあるし……毒に耐性があるクライン家の人間ならともかく、全く耐性を持っていない人にこの壁紙を勧めるのは気が引けるわね)
そう思っていると。物珍しげに壁紙に見入っていたマグダレーナが、爛々と目を輝かせながら会話に割って入ってきた。
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