第3話 君が夢だと言うなら 終編

それから半年。

僕と彼女、そして彼女のはお母さんと僕の両親。そんな顔ぶれで病院を訪れていた。


「それでは本当によろしいのですか?」

「はい」


担当医の質問に答えたのは隣に座る彼女だった。

後ろに立っている親たちからは息を飲むような音が聞こえてきた。


親に対する罪悪感を、僕と彼女も正しく胸に抱きながら頷く。

彼女はいま、どんな表情をしているのだろうか。


その病院の帰り、僕と彼女を乗せた車はとある田舎へと進んでいく。

揺られながら思い出せば、フラワーパーク、富士山くらい。

彼女とのデートで思い出せる場所と言ったら、そんなものだ。

僕が彼女との思い出を探すと、彼女の笑顔と花を見つめるときの彼女ばかりで。


だから今向かっている場所も、準備してくれた親達は知っているけれど僕と彼女は初めての場所で、少しドキドキしている。

どんな理由であれ、今日からは新しい日々が始まるから。


林道を進んで向かった先は、山を切り崩して整地された場所。その中央にプレハブが一つ。

プレハブと言ってもチンケなやつではなく、人が暮らしても問題がないように準備してもらっているはずだ。


親と彼女に手伝ってもらい、プレハブの中に荷物を運んでもらう。

荷物と言ってもさほど量がある訳ではなく、簡単な携帯食と大量の飲み物くらいなものだ。

あとは僕と彼女自身。


僕達を送ってくれた親達は無理矢理作った笑みを僕達に向けると、車で去っていった。

それを見送ったであろう彼女が僕の手を強く握りしめ、その手は徐々に熱を帯びていく。


「───最後まで、我儘しか言えなかった親不孝者でごめんなさい」

「……ご、ごめんさいっ」


彼女と一緒に、親が走り去ったであろう道に体を向け、深く、深く頭を下げた。


どんな言葉で謝るのが正解なのかなんて分からなかった。多分どんな言葉を並べても重ねても、誰にも理解されない考え方なのだと気付いていたから。

だから親達も何も言わずに動いてくれたのだ。

だから彼女がふと言った花を見ながら死にたいと、その言葉のためだけに僕達の親は力を貸してくれたのだ。


「花でも見て少し落ち着こうか。その目に見えた花を教えてくれると嬉しいな」


だからと言って、ここに泣き来たわけではない。

二人で最後まで笑みを浮かべている為に来たのだ。


プレハブの中は冷蔵庫が一つ。部屋の中央にはソファーが一つ。そのソファーの前には大きくくる抜かれた場所に嵌め込まれた窓ガラスがあった。それ以外は何も置いていない簡素な室内。

そのソファーへと彼女の案内で向かい腰を落とすと、彼女の視線はすぐに窓ガラスへと移った。


「ねぇ…、もしかして月下美人も植えてもらったの?」

「あ、それだけは僕がお願いした花だね。───よかった」


ここのプレハブの周りの土地は山野ん中腹ということもあって捨値で見つかった場所だと聞いている。その土地の契約、中古のプレハブ、他の生活周りの細々な契約やらを親にお願いしたのだ。


そしてもう一つ。

それが目の前の窓ガラスから覗く景色───つまりプレハブ前に植えられた花達だった。

ただ僕は彼女に比べれば花の種類なんて知らないから、その中央に月下美人がくるようにとお願いしただけで、それ以外の花たちは彼女の母親の知人にお願いしたらしい。

そしてだからこそ、僕の心臓は珍しくドキドキと痛いくらいに動いている。だって僕はそれらの景色を見ることは叶わず、ただ口頭で聞いた話を頭の中で膨らませて……。

彼女が今どんな気持ちでそれらを見ているのか、それだけが頭の中を駆け巡る。


「……ありがとう」


隣からそう聞こえてくると、すぐに僕の肩に温かい重さを感じた。


「そう言ってもらえてよかったよ」


僕達はそれからしばらく花を眺めていた。

心なしか、彼女の口から出てくる言葉たちは普段よりも優しく滑らかに宙を踊り、繋ぐ手も柔らかく感じられた。


彼女に喜んでもらえているのだろう。

僕達が住んでいた部屋を悪くは思わないし、彼女と長い時間暮らしてきた部屋だ。懐かしくもあるけれど、そこに彼女の好きな物はあまりに少なかったのかもしれない。


花を眺め、それらの情景を彼女の言葉で聞く日々。

ただそれだけの日々なのに、彼女の声も僕の心もずっと踊っている。


そしてそんな時間が長く続かないことは、僕達2人が1番理解している。

だって、僕と彼女にとってここは墓場になる予定の場所だ。


───癌と言われた彼女が何もせずにながらえることはない。


最初は、彼女に花を見てもらい、しばらく気分転換をしてもらう計画だった。彼女に花を見る時間を作り、まだこの世界には見たことない花があるよ、死んだら見れないんだよ? と彼女に思わせ、治療をしてもらう為の作戦だった。

その為に彼女に隠れて両親と連絡を取り、ここまでの準備をしてもらったのだ。


けれど計画が変わったのは早かった。

両親に連絡を済ませ準備を始めたばかりの頃、家族のその準備が無駄にならないように、彼女を説得するのが僕の役目だった。

そして間を見て彼女に提案した僕を、彼女は僕の両肩を強く握りしめながらこう言った。


「いやよっ!!」


単純で力強い言葉。


「ねえ! なんで私だけがっ! 私だけの願いがいつも叶わないのっ!? なんであなたの隣にずっといたいっていう願いを、あなた自身に否定されちゃうの!? ねえ!! なんでよ!!!」


僕は、彼女のその言葉に返す言葉が見つからなかった。

僕だって側にいたい、ずっと、一緒にいたい。

だけどそれは、彼女の思う「ずっと一緒にいたい」と、何が違うのだろうか。


未だ力の入る拳。その先からしぼい出すような彼女の声。

聞けば、彼女も自分の状況について色々と調べての言葉だった。


今でもなお、彼女と同じようながん患者の死亡率は約25%らしい。

治る確率の方が多いとはいえ、未だにギャンブルなところはあるみたいだった。

そして、何よりも彼女のお父さんは歳若く癌で亡くなっていたらしい。

結婚した時も、それ以前も、彼女にお父さんがいなくなった理由を聞けずにいた僕の落ち度でもあったかもしれない。


だから彼女にとって、癌とは治るか治らないか分からない病気ではなく、自分から大切なものを奪ってしまった病気で、母に苦労をかけてしまった病気でもあるのだ。

自分だけが治るなどと楽観的な考えに結びつけることが難しかったのだろう。


ああ、しばらく一緒に暮らしていてもなお、僕は自分から聞くのを躊躇い、そしてまた彼女を傷つけてしまった。

彼女を幸せにするのだと息巻くばかりで、いつも大事なことばかり置き去りにしていく。


そんな僕に、彼女の願いに意見することなどできるはずもない。


「ごめん。いつも足りなくて。───だから今度はちゃんと話しをして君の願いが叶うようにしよう」


そうして、僕達がたどり着いた答えがこれだった。

ただし、この場所で僕と彼女が死ぬことを、僕も彼女も親には言えずにいた。

人生の中でたった一回。最初で最後の、最悪のわがままだ。


僕達は絶え間なく話を続けた、


「気付いた?」

「……ん? おはよう」

「その感じは気付いてないかな? それなら大丈夫」


花やもしもの話をしていると、僕は寝てしまっていたらしい。

そして起きたばかりの僕を見て、彼女の声はずいぶん機嫌が良さそうだった。


「その言い方は流石に気になるな……」

「ん〜…、普段なら言えないことを寝てるうちに聞いてもらっちゃおうかなって。君が寝てる間にだいぶいろんなこと言ったから、なんかスッキリしちゃった」

「それは……気になるね」

「教えてあげないよ?」

「教えてくれないんだ?」


今度は私の番、そう言うかのように、今度は彼女が僕の肩に頭を預けた。

そのうちに、すやすやと寝息をたてた。


さて、僕は彼女に何を言ってやろうか?

寝てるときだからこそ、彼女に言える言葉………。

そうなると、僕が彼女に言いたいことなんてあまりに少なかったことに気づく。


「いつもありがとう。愛してる。ずっと一緒にいたい。いつか君が開くはずだった花屋で、僕と君と……、子供と。一緒に花を売って花に囲まれて……。君の子供だからすごく花が似合うんだろうな。それで大きくなって、いつか僕達の子供が結婚して…ってそう考えると男の子の方がいいなぁ。女の子だと僕の精神が持たないような気がしてきたよ……」


言い終えた僕は、小さくため息を吐き出した。

そんな未来が来ることはなく、その原因を作ったのが僕なんだから。

それでも彼女はこうして僕といることを望んでくれて、これ以上のことを望むのはあまりに我儘だ。それはもう、親に言えなかったことよりも遥かに、我儘だ。


だから僕は口を閉ざし、肩の上で寝ている彼女の頭をひっそりと撫で続けた。彼女が起きるまで。


───会話は徐々に減っていく。

彼女の体調が悪くなってきて、歩くのも大変になってきたから。それにずっと好きな時に好きな話をしていたからだろう、今は静かに窓から外を眺めている。もちろん僕の視界には何も映らないけれど。

それでも彼女の体温と息遣いを感じているだけで、不思議と他のことなどどうでも良く思えてくるのだ。


ただ少しだけ、たまに乱れる彼女の呼吸と、日に日に僕の肩に乗る彼女の重みが増していく。それに意識を向けた時、言われようのない不安が僕を責め立てる。


そしてその感覚は間違っていないことを、僕は彼女自身の言葉から聞くハメになった。


「───聞いてくれる?」


唐突に口を開いた彼女の声は、どうにも掠れていて覇気もない。


「何??」

「ちょっとおかしいこと言っちゃうけれど、私と君はやっぱり会うべくして会ったんだと思うんだ」

「そう言われると嬉しいけれど、急にどうしたの?」

「ふふふ…、だってさ、私たちの両親が私たちを産んだ日、それが一年もずれたらあの学校であの時、私は君と出会えなかったじゃない?」

「あぁ…、確かにそうかもしれないね」


確かに職場体験で出会った彼女だから、一年も違えば彼女に目を向けることはなかったかもしれない。そう思えば、どこか運命じみたもの感じてしまう。ただ僕としては、たった一年くらいで彼女と出会えなくなるのはもの凄く遺憾なので、気持ち的にはどんな時代に生まれても君を見つけ出したいと思ってしまう。そんなロマンチックな事を思いながらも、実際にどうなるかと考えると……少し不安ではある。


「でしょ? それであの時は私も君も出会ってなかったから、運命を感じちゃうんだよ」

「君も運命って感じたんだ。僕も少しだけそんなこと思ったよ」


すると、小さく笑う彼女の声のようなものが聞こえてきて、彼女が頭を僕の肩に押し付けるようにした。


「だからさ、次の人生では私も君も、どんな人か知ってるから。だから絶対に会えるよね? 例え産まれた年代や時代が違っても、今度は私も君を探しにいく。だから君も私を探してくれる?」


この言葉の意味を、たぶん僕はあまり真剣に考えていなかった。ただ彼女の存在を知ってしまっているなら、僕は彼女を求めずにはいられないだろう。そんな思いから、僕は彼女の問いに答えた。


「絶対に探すよ。君がどんな場所にいたって絶対に君を探すよ。そして絶対に君を見つける。絶対にまた君の手を離さないから」


彼女の手を握りしめて、僕は彼女の体の奥底に届くように、刻み込むように、一言一言に思いを込めて口にした。これは誓いのようなものだ。どれだけ僕が彼女を愛していたか、愛しているかを彼女に理解してもらおうと、僕の小さな、本気の願い。


「………ありがとう。じゃあ私は先に夢から覚めるね? だから先に現実で待ってるから」


目が見えないにも関わらず、僕は彼女へと体を向ける。

───と、肩に乗っていた彼女の頭が滑り落ち、僕の膝に落ちた。

今までとは比べ物にならない重さが、僕の膝に。


「………えっ?」


崩れ落ちた彼女の頬に手を当て、軽く叩いてみても彼女は動く気配はなかった。

すぐに首元に手を当てても、僕の手に彼女が生きている証は響いてこない。


そう、彼女は今、命を手放したのだ。未練を未来に向けて。

そして、そうなることは分かっていたはずなのに。

それでも僕の頭は時を止めたかのように、その現実を認められずにいた。

まるで自分が二つに分かれたような、そんな不思議な感覚。

1人の自分は、僕の中で『じゃあ僕も逝こうか?』と呟く。

もう1人の自分は、涙を流したまま、その場に崩れ落ちている。


ただ一つ、2人の僕には共通点があって、それが僕の中で一つの答えに重なっていくのが分かった。


「………じゃあ、絶対に見つけるから。僕も夢から覚めたら、必ず君を探しにいくから」


彼女と離れたくない自分、引き離されたような悲しみ。それらがさっきの彼女の言葉を利用するかのように、僕は目を閉じた。


夢から覚めようと。

次起きた時、彼女を探すように。今度は絶対に離れないように。そう願いながら。

寝ている彼女の体に覆い被さるようにして、僕は強く、強く目を閉じた。





〜完〜





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君が夢だというなら Rn-Dr @Diva2486

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