第11-2話 真綾②

 テーブルの上に置かれたマグカップ。その中に注がれたコーヒーからは芳醇な豆の香りが立ち上がる。それを口に運ぶとコクの深い苦味が口の中に広がった。そしてそれをソーサーの上に戻すときに真綾の視線に気づく。


「どうかした?」


 尋ねると真綾は苦笑いをして呟く。


「ルナってさ、不思議だよね。そんなギャルみたいな見た目のくせに妙に品があるっていうか……。今もそう、夏だからって冷たい飲み物頼まないし、カップ置くときも音立てないように置いてたでしょ」


 私は驚いた。真綾がそこまで他人の動きを見ているとは思わなかった。少なくとも、記憶の中の彼女はあまりそういうことを気にしないタイプだったはずだ。それは単に今まで言葉にしていなかっただけか、或いはルナという存在が彼女の中で特異な立ち位置にあるために目に留まったのか、それとも。


「え? あー……そんな意識してたわけじゃないけど、良く見てるね」


 すると今度は諦めたような顔をして言う。


「そういうとこ、ほんと翠みたい」


 その言葉に皮肉や嫌味は感じられなかった。ただ純粋にそう思って言ったのだろう。真綾は一呼吸すると、続けて話を切り出した。


「この間の祭でさ、ナンパされそうになったときにあたしの手引っ張って逃げてくれたじゃん。あのとき、完全にこのコに負けたって思ったの。あたしも今まで変な男に散々ウザい絡み方されてきたけど、あたしが勘づくより早く、しかも自然にああやって逃げれるんだから、『ああ、このコはあたしなんかよりずっとモテてて、ずっと面倒くさい目にもあってきたんだ』って」


 真綾のいうニュアンスとは違うかもしれないが、“面倒くさい目”にそれなりに遭ってきたのは事実だ。それは勝ち負けで考えるべきものなのか疑問はあるが。

 真綾はさらに続ける。


「ルナのこと翠に雰囲気が似てるって言ったのも、今にして思えば当たり前だよね。カップルって雰囲気似てくるっていうし、逆に言えば波長が合うから付き合ってるのかもしれないけど……そりゃあ翠だってこんなコから言い寄られたら断る要素ないよねって思っちゃった」


 ルナと翠が同一人物であることに由来する意識外の所作の共通性を、雰囲気が似ていると感じているのかもしれない。それに、ルナは私の理想像を詰め込んだ人格のため、必然的に私が好きになりそうな人物像に合致する。真綾のそれは、幼馴染故になまじ私のことを知っているだけに偶然発生した解釈だと思った。


「だからさ……あたしが言うのも変な話だけど、翠のことよろしくね。ルナと一緒ならあいつも絶対幸せだから……!」


 そう言って真綾は口を固く結ぶ。こんなにも私を想ってくれていた人に私は嘘をつき続けているのだ。彼女の気持ちを踏みにじっていることはわかっているが、この嘘はつき通さなければならない。さもなくば、彼女の心にもっと大きな傷をつけてしまうだろうから。


 真綾はテーブルの端に視線を落として顔を背ける。それは幼い頃に何度か目にした、彼女が自身の感情を悟られたくないときや弱みを見せたくないと思ったときに出る仕草だ。そして少しの沈黙が流れた後、天を仰いで大きく息を吸うと、彼女は再び話し始める。


「でね、これは完全にあたしの気持ちの問題なんだけど、ルナが翠と付き合っててよかったとも感じてるの。そりゃ祭の日に初めて聞いたときはびっくりしたし、気持ちも整理できてなかったからあんな風に言っちゃったけど……今はそう思ってる」


「それは……どうして?」


私は恐る恐る尋ねる。


「中学のときにあたしが原因で翠の居場所失くしちゃったって言ったじゃん。やっぱりそのことがあたしの胸にはいつもつっかえてて……だけど今、翠が幸せになれてるならあたしの罪悪感も少しはマシになる。あたしが失恋したのはきっとあたしへの罰なんだよ」


「そんなこと……!」


 私の言葉を手で制して真綾は続ける。


「いいの、そう思わせてよ。やっとあたしも前を向けるところなんだから。中学時代の呪いからやっと抜け出せるんだ」


 そう言った真綾は安堵の表情とも決死の表情ともつかない顔をしていた。


「今の気持ちは、“翠と付き合ってたのがルナでよかった”って、ただそれだけ。だって、嫉妬する気も起きないくらいお洒落で綺麗でカッコよくて……あたしの憧れの女の子だから……!」

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