第11-1話 真綾①

 日差しは一段と強くなり、気温は真夏の様相を呈している。中間考査が終わり夏休みに突入したことで、世の高校生たちは解放感に溢れている。二ツ谷高校では例によって、夏休みの間も何日か補習が行われることになってはいたが、それでもやはり長期休暇を前にどこか浮き足立った雰囲気が漂っている。


 私はこのタイミングで、改めて真綾に会って先日の祭でのこと、これまでのことを謝ろうと考えていた。

 どうやって約束を取り付けようか、その文面を書いては消してを繰り返しているうちに一通のメッセージが届いた。差出人は真綾だった。


『ルナとちょっと話したい 今日の夕方空いてる?』


 シンプルな必要最小限の文面。私はそれに「大丈夫 何時?」とだけ返す。すぐさま時間と場所を提案するメッセージが返ってくる。



 放課後、掃除の割り当てのなかった私は荷物をまとめて教室を出る。教室を出て階段へ向かうまでの間、ちょうど掃除に向かう途中だった聡子に声をかけられる。


「あ、柊野くんお疲れー……ってなんか急いでる?」


 私は少し歩くスピードを緩めて返答する。


「うん、ちょっと用事があって…………幼馴染と、ね」


 そう言うと聡子はなにかを察したような顔をして立ち止まり、俯きがちに私の背中をぽんと軽く押す。


「そっか、頑張って…………ルナにもよろしく」


 そのやりとりはほんの数秒だったが、数分に感じられるほどゆっくりに思えた。それほどまでに今の聡子の言動は想定外だった。ルナであればいざ知らず、柊野翠に対して、それも学校内においてあのようなトーンで接されるのは初めてだった。


「……ありがとう」


 私は振り向きざまにそう言って階段を駆け下りた。



 カフェ『駅舎』。駅ビル『tocoro』2階の一角に位置し、線路を見下ろす景色と昭和初期の純喫茶を思わせるレトロな内装が特徴的なカフェである。朝の時間帯はその立地もあって、名前のとおり電車を待つ出張中のサラリーマンや旅行客で賑わうこともあるが、それ以外の時間帯は終始落ち着いた雰囲気の店構えであり、その空気感から込み入った話をするのに利用するにはちょうど良かった。


 店に入ると真綾が既に窓際のソファ席に座っていた。こちらに気づいた真綾は手を振ってみせる。私は店員が案内しに来るのを目で制してそちらへ向かう。


「ごめん待ったでしょ」


「ううん、あたしの方こそ急に誘っちゃって」


 間もなくして店員が水を置きに来る。


「あ、あたしもう注文したから」


「ほんと?‎ なに頼んだ?」


「んっとね、キャラメルラテ」


 真綾はメニューを指差して言う。


「うーん……じゃあ私はこれにしようかな、すみませーん!」


 まだすぐ近くにいた店員に声をかけ、グアテマラブレンドのホットコーヒーを頼む。店員は注文をさっと書き終えてバックヤードへ戻ってゆく。私はそれを見届けてから話を切り出す。


「あのさ真綾、この間のことだけどさ……」


 だが、そう言いかけたところで真綾は私の顔の前に手をかざした。


「待って! ……祭のときのことなら謝らないで。それをされたらあたし、本当にただの嫌な女になっちゃうから」


「でも……」


「いいから。あのときはルナも悪気はなかったし、あたしも混乱して余裕がなかった。そういうことにさせて」


 予想外の展開だった。まずは謝るところからだと思っていたが、それさえもさせてもらえなかった。いや、むしろここで私が謝ることは、もしかしたら私の自己満足でしかなかったのかもしれない。とりあえず罪悪感から逃れたいだけの、彼女の尊厳を無視した対応だと、真綾はそう感じるかもしれない。


「……わかった」


 続く言葉が見当たらず口を噤む。正確には言葉が見当たらないというよりも、思い浮かんだ言葉の尽くが彼女の気持ちに寄り添うものではないような気がした。


 依然、重苦しい空気が二人の間を流れ、沈黙が訪れた。なにかを話そうにもやはり全ての言葉が場違いになってしまうような気がしてしまう。できるだけ気まずい空気を発するのを和らげるため、純喫茶の雰囲気を味わいに来た客感を出してソファに深く座り直す。その行動も焼け石に水だろうとは思いながら。

 すると、真綾はその空気を破るように口を開いた。


「あーもう!‎ そんな暗い話をしたいんじゃなくて!‎ 今日はね、ルナに聴いてもらいたい話があって呼んだの。あたしが前を向くためにね────」


 真綾の目は真剣だった。長い付き合いだが、彼女のこういう表情は見たことがない。そう感じた矢先、中学時代に一度だけあった気がしたことを思い出す。


 そうだ、あれは清流祭の準備をしていた日の────。


 遠い目をした視界の端に、ちょうどコーヒーを二つ運んで来る店員の姿が映った。

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