第9-2話 明通曳山祭②

 それから私たちは会場である神社周辺の街並みを歩く。街を往く山車とそれに連なる囃子方や踊り子を見て足を止め、屋台で気になる食べ物が目につくと足を止める。そうしているうちに、気がつくと陽は傾き、吊るされた提灯には火が灯る。日中も人が多いと感じてはいたが、ここに来てさらに3割くらい増えたように感じた。


 今に始まったことではないが、ルナの格好をしていると人々から視線を寄せられるのを強く感じる。それは真綾と歩いているときも例外ではなく、二人いることでそれがさらに強まっている気もする。


「え、めっちゃかわいくない?」


「ハーフのモデルさんとかかな?」


「なぁ、あの二人……お前ならどっちがタイプ?」


 その視線にも会話にも気づいていないフリをして、そちらには目も暮れず前を向くか真綾と雑談をするかしながら往来を通り抜ける。真綾もこういうことには慣れているのだろう。特にそこには言及しないか適当に茶化した反応で流し、祭の雰囲気を楽しんでいるように見える。


 そうして少し開けた通りに出る。もともと歩行者用のレーンが広く設けられているうえに、今は車両通行止めにより歩行者天国となっており、それまでよりもゆっくりと歩くことができた。それが理由かはわからないが、先ほどよりもカップルの存在が目に付くような気がした。


『あたしは……今ちょっとそういう気分じゃなくて……』


 不意に真綾の言葉が甦る。中学時代の真綾なら、既に行き交うカップルたちを目にして愚痴の一つや二つは零しているところだ。だけど、真綾の口からはそれらしき言葉は聞こえてこない。そういう話題を意図的に避けているようにも思える。そうであれば、私からもわざわざそのことに触れることもない。道行くカップルに対しては、先ほどまでの無遠慮に寄せられる視線と同じで気づかないフリをしていれば良い。

 ところが、そうしていてもトラブルの種というものは向こうから押し寄せて来る。


 20mほど先から今風のファッションに身を包んだ男性二人が歩いて来るのが見えた。ファッション誌で特集されていそうな万人受けのする小綺麗な服装と髪型。だが、私は何故だか胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。

 ルナとして過ごすようになって、聡子たちと色々なところへ遊びに行くようになってわかったことがある。それは、下心を持って近づいて来る男が持っている独特の空気だ。それは、私自身が男だからよりわかるのかもしれないし、或いは、中学までの私の処世術の名残で、他人の機微を観察することが癖になっているからということもあるかもしれない。ともあれ、今目の前にいる二人には、私のそういうセンサーが黄色信号を告げている、あれはナンパだと。なにをもってそう判断したのかと言われると言葉に窮するし、その感覚が正しいという保証もない。だが、以前さくら祭で私がナンパされたことがきっかけで、他人の恋愛のいざこざに巻き込まれることになったことを思うと、見えている地雷をわざわざ踏みに行く必要もあるまい。そう思い至ったときには既に真綾の手を取っていた。


「ねぇ、お二人さ……」


「真綾、あっち行ってみよ!」


 二人組のうち一人がこちらへ声をかけて来るのとほぼ同じタイミングで、私の方がタッチの差で先に言い終わる。


「……あ、いいね! 行こ行こ!」


 真綾も私の意図に気づいたのか、合わせるようにしてわざとらしく大きな声で言う。

 特段、気になったものもないし行くあても考えていない。ただこの場から人の往来に紛れて彼らのターゲットから外れられればそれで良い。そうして私と真綾は二人、急転回してまた人通りの多そうな路地へと溶け込んだ。



「いきなりごめん……でも、合わせてくれて助かった」


「ううん……ほんと、ああいうのやめてほしいわマジキモい」


 抑揚のない声で真綾が吐き捨てる。


「ふふ、嫌すぎて一句詠んでんじゃん」


「えっ……? あはは、ほんとだウケる!」


 二人組を完全に撒くことが出来て余裕が生まれたのか、冗談を言って笑い合う。そうしてあてもなく歩いていると、いつの間にか別の通りに突き当たる。そこを左に曲がって少し進んだところに、600坪ほどの公共施設と思われる建物が姿を現した。


「えっと……『土浦郷土史料館』だって」


 普段ならもう閉館している時間なのだろうが、今日は祭の日だけあってまだ一般開放しているようだ。外の往来ほどではないが、それなりの人が出入りしている様子が見える。

 祭に浮かれるカップルやナンパとは対照的な雰囲気のその施設に、私たちはさっきの気分転換を兼ねて入ることにした。


「うわ、でっか!」


 最初に目に飛び込んで来たのは、祭で使われる山車の実物大の模型だった。実際に祭で動いている山車をここまで至近距離から見ることはないため、その迫力に圧倒されそうになる。模型の周りには山車の各部位の解説の書かれた案内板が設けられている。そこには、土台となる材木の組み方や見えないところに施された意匠についての解説があり、思っていたよりずっと精巧に造られていることがわかった。


 隣の部屋には、この曳山祭と土浦地区の歴史の解説が、当時の写真や文献とともに紹介されていた。真綾とこういうところを巡っていると、小学生の頃の社会科の授業で行った課外学習を思い出す。その頃に巡ったのは地元のもっと小さな史料館だったし、グループワーク故に他の生徒も一緒だった。それがまさか、高校生になってから真綾とこんなかたちで巡ることになるとは思ってもみなかった。


「へぇ、今でもこんなにちゃんと神事とかやってるんだ。部外者的にはただのガラの悪い祭だとしか思ってなかったけど、私が浅いとこしか知らないだけだったね」


 解説を見て私は思わずそう呟く。今日一般公開されている祭は、一連の神事のほんの一部分でしかなく、関係者の間では準備を含めて一年間をかけて様々な儀式を行なっているようであった。自分が当事者だったとしたらこういった行事に関わることは絶対に嫌だが、人々の土着信仰的な営みを知ること自体は興味深くあった。


「あ、見て見てルナ! これ面白いこと書いてるよ!」


 真綾が楽しそうな声で私を呼ぶ。そこには曳山と並んで踊り歩く踊子たちの成り立ちが書かれていた。


「うーんと……『今でこそ踊子は女性が行っているが、その昔は女物の着物を着て女性に扮した村の若い男性が行っていた。その催しは大層な人気で、商店街中の人々が彼らを見に集まったという』……!?」


 予想外の文献に動揺する。確かに、昔からこういった文化があったこと自体は日本史の授業で聞いた気がするが、それがこんなにも身近な祭でも行われていたとは。


「見てこれ、似合わなすぎてウケる」


 真綾が笑って指差した先には引き延ばされた白黒写真が飾られている。写真の真ん中で着物を着ている数人がどうやらそれらしいのだが、確かに“女性に扮する”割には屈強で精悍すぎる気がしないでもない。だが、そんなことよりも、私自身が性別を偽ってルナを演じている以上、そういう話題に触れていること自体が気が気でなく思えた。


「そういえば、歌舞伎とかも昔は若い男の人がやってたけど、人気出過ぎて風紀を乱すとかで禁止されて、おじさんがやるようになったとか言うよね」


 日本史の教師の受け売りを話す。歌舞伎の場合は女歌舞伎から若衆歌舞伎を経て野郎歌舞伎に変遷するため、この祭の踊子とは真逆の歴史を辿っているのだが、話を逸らせられればなんでもよかった。ただ、話は逸れたものの、逸れた先は芳しい方向とは言えなかった。


「ルナってさ……たまにうちの高校とかにいる頭いいコみたいなこと喋るよね。見た目とのギャップ激しいっていうかさ」


「なにそれー、アホっぽいって思ってたでしょ」


「あはは、見た目だけはね。でも、話してみたら見た目ほどギャルじゃないっていうか……むしろ逆?‎ 前もちょっと話した気するけど、やっぱりその……あたしの幼馴染の……頭良かったやつと話してる感じに似てるんだよね」


 私は思わず言葉に窮する。真綾は前にもそのようなことを言っていた。実は私の正体を勘づいていて探りを入れているのだろうか。

 また別の話題を振ろうにも思いつかない。いや、思いついたとしてもルナにとって、或いは翠にとって都合の悪い話に行き着くような気がした。

 外の灯りとは対照的な蛍光灯の無機質な明かりが、フロアに投影される私の影をちらつかせていた。

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