第8-3話 独白③

『ふーん……あ、もしかして彼女?』


 あのときの自身の言葉を思い返す。なぜあたしはあんなことを聞いたんだろう。あいつが面倒くさそうに立ち去ったことを咎めたい気持ちはあったけど、あいつが首を縦に振らなくてよかったとホッとしている自分もいる。


「真綾、昨日翠となんかあった?」


 そう尋ねるのは七海だった。なんでも、実行委員の仕事をしていた七海は、ちょうどあたしとあいつが話していたときに近くを通りかかったらしい。わざわざあたしのクラスまで聞きに来るのだから、それほど大ごとのように見えていたのだろう。


「ねぇ、あたしってさ……翠のこと、好きなのかな……?」


 そうぼやいたところ、七海は驚きで一瞬言葉を失った。そりゃあ、白昼いきなりこんなことをぼやいたらそういう反応もするか。でもその反応は思っていた方向とは違っていた。


「えっ、いまさら!? っていうか、本当に自覚なかったんだ。わかってて強がってるんだと思ってた」


「え、なにそれ。ってことは、みんな勘付いてるってこと?」


「いや、みんなってことはないと思うけど……真綾と絡みある女子なら大抵気づいてるんじゃない? そこから多少噂が広まってるかもしれないけど……真綾の耳に入ってないってことはそれほどでもないのかな?」


 あたしは急に恥ずかしさが込み上げてきて赤面する。そんなにわかりやすく態度に出ていたこともそうだし、他人ですら気づいていた感情に当の自分が気づいていなかったという間抜けさにもそうだ。


「女子……じゃあ男子は!?」


「男子も知ってる人は知ってると思うけど……」


「ああもう、そうじゃなくて! 翠は知ってるの!?」


「えー、わかんないよ。あいつだいたい一人でいるし、会話だって事務的なのしかしないし……それこそ、昨日その話してるんだと思ってた」


 あいつの昨日の態度や普段の様子を思い返す。もしあいつがあたしの気持ちに気づいていたとして、それで敢えて距離をとっているのだとしたら。あたしは胸のあたりが締め付けられるような感覚を覚えた。



 そして迎えた清流祭当日。本番はささやかながら照明が付いたので、いつもの練習よりずっと没入感があった。別に演劇に心得があるわけじゃないけど、あたしも自然と役に入り込んだ演技ができたような気がした。


『その見すぼらしいお姿、二度と私の前に現さないでくださる?』


『学も才能も家柄もない、そんな凡人が立つべき舞台ではない。事実、貴様は碌に槍も振るえないだろう。甲冑はひび割れ、刃先はこぼれ、貴様の行く末を暗示しているかのようだ────身の程を弁えろ』


 あいつはあいつで長尺の台詞も危なげなくこなしている。そして、あたしの最後の台詞が終わる。カーテンコールも終わり、拍手に包まれ暗転する。ああ、本当に終わってしまう。放課後に練習のために集まることもなく、また、今まで通りの学校生活に戻るんだ。また、あいつとは別々の。



「あ、真綾! 演技良かったよ、ほんと女優みたい! 私だったらあんなに性格悪い感じ出せないもん。やっぱ才能だなぁって」


 たまたますれ違ったユリカが声をかけてきた。意訳すると本人の性格が悪いから演技が映えたと言っているのだ。


「そうそう。あーなんなら翠との掛け合いも良かったよ。性悪コンビの役、お似合いだった」


 取り巻きの一人が同調する。コイツはたぶん嫌味で言ったんだろうけど、今のあたしはそれを嫌味と感じることは出来なかった。


「ほんと!? お似合いとかやめてよ、照れるじゃん!」


 頬に両の掌を当てて身をくねらせる。役が抜け切ってないのか、あの意地悪な貴族の娘役のぶりっ子な仕草と重なる。それともユリカが言うように、そして浦部の思惑通り、適役だったということか。

 嫌味を言いにきたのに思い描いていたような反応が得られず、むしろ舞い上がっている様子を見せつけられたユリカたちは、すっかり冷めた目をしていた。


「……あんた、マジで翠のこと好きなの……? 正気? あんな……友達もいないし、暗いだけの……?」


 その言葉だけはユリカには珍しく、含みのない正直な反応に見えた。


「あはは! わかってないのねユリカさん? ま、悪い虫が寄り付かなくて結構ですわ! ……っと、つい役の喋り方になっちゃった。やっぱりユリカの言うとおり、あたし才能あるかも!」


 そう言ってその場を後にする。ユリカたちの顔は見えないけど、鬼のような形相でこっちを睨んでいるのが容易に想像できる。悪いけど、アンタたちと同じステージには居たくないの。そうやっていつまでも足を引っ張りあっていれば良い。あたしはそこからいち早く抜け出したやつを知ってるから。




 清流祭のプログラムが間もなく全て終わるという頃、あたしは一人校舎裏にいた。ある男子生徒からメッセージがあり、この時間に話があると呼び出されていたのだ。


「よぉ真綾」


 ソイツの名前は田辺壮弥。不良ぶった横柄な態度と調子の良い性格、クラスの中心グループにいることが多く、女子生徒からの人気もまあまあ高い。


「……話ってなに?」


 そう尋ねてはみたものの、文化祭の日のこのタイミングでわざわざ校舎裏に呼び出すなんて、話題の相場は決まっている。


「なぁ、俺たちやり直そうぜ。ほら、お互い部活も引退してヒマだろ? お前、最近は清流祭の準備だかなんだかあったみたいだけど、それも今日で終わりだし……」


 この男はあたしたちが中学生になって間もない頃、あたしに告白してきた。付き合ってる人もいなかったし、恋愛に興味は人一倍ある方だったから、とりあえずOKの返事をした。だけど、いざ付き合ってみたらあまりに馬鹿すぎた。学校の勉強ができないっていう意味では、当時のあたしも人のことは言えないけど、それ以上に常識というか教養というか、そういうものがあまりに欠けていたし、なんならそれをカッコいいと思っているその性根がたまらなく嫌だった。それで、コイツの彼女っていう肩書きに耐えられなくてあたしから振った。


「元カレ面しないでくれる? 付き合ってたの一週間でしょ? 無理。はい、この話はこれでおしまい。あたしもう戻るね」


 今だってそうだ。よりを戻そうというのに自分の都合しか考えていないその自分勝手さが気に入らない。あたしはさっさと断ってその場を立ち去ろうとする。


「おい、待てよ! 話はまだ……!」


 そう言いながらあたしの肩を掴もうとする。あたしは咄嗟にその手を払いのけて、ソイツの目の前にいつだか学校から配られた防犯ブザーを掲げてみせる。


「触らないで、それ以上近づいたらこれ鳴らすから。残念、ひと気のないところならやり込められると思った? そういう単細胞なところが無理って言ってんの」


 行き場のない感情に肩を震わせてソイツは言う。


「……だから、翠がいいって言うのか?」


「なにそれ、翠は今関係ないでしょ」


「うるせぇ! わかってんだよ、お前がずっと翠にかまけてんのは!」


「……っ!」


 まさかコイツにまで気づかれていたとは。そんなにあたしの態度はわかりやすかったのだろうか、それともコイツが単にあたしのことをずっと見ていたからか。それはそれで気持ち悪い。


「はっ、図星かよクソが。まぁいいや、お前がそんなだから翠は最低な中学生活を送ってるんだぜ? お前のせいでな!」


「は? ちょっと、あんたそれどういう……」


「話は終わったんだろ? それとも気が変わったか? 付き合うってんなら教えてやろうか?」


「……最低」


 あたしはひと睨みするとそう吐き捨ててその場を後にした。


 


 後日、あたしは壮弥の取り巻きの一人を捕まえて知っていることを吐かせた。ソイツは全ての事情を知っているというわけではなかったけど、だいたいのことは把握できた。


 ことの真相はこうだ。あたしが翠に気があると察した壮弥は、嫉妬か八つ当たりか、翠がクラスで孤立するように仕向けた。取り巻きたちには翠を無視するように、あるいは威圧するように。さらには、デタラメな内容をでっち上げた悪い噂を流し、壮弥たち以外のグループからも翠に敵意を持たせる。必要があれば、ほかのグループの人たちにも翠はパブリックエネミーだと圧力をもって言い聞かせる。もちろん、中にはそれを間に受けないやつもいたかもしれない。でも、翠のことだ。もしそういう空気を察したら、自らクラスメイトと距離を置くようにするだろう。


『うーーん。ま、でもたしかに、クラスの男子たちとあんまりうまくやってるようには見えないね。一人でいることも多いし』


『別に……どうしてってこともないけど……』


 七海の証言、翠の態度、点と点が繋がっていくような気がした。どうしよう、翠に伝えるべきだろうか。でも、それを伝えたところで事態が良くなるとは思えないし、第一、あいつはまともに取り合おうとしないだろう。こういうのは、翠と壮弥が和解しない限り解決しない。そもそもその解決すらあいつが望んでいることかもわからない。本当はあたしと壮弥の問題なのに、あいつは一方的に巻き込まれただけだ。


 ────────それは誰のせい?


 その瞬間、心に影が落ちたような、心臓に冷たい血液が流れ込んだような感覚を覚えた。

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