第8-2話 独白②

 二年生になって、幼稚園以来ずっと一緒だったあいつとはクラスが離れた。今まで意識していたつもりはなかったけど、あいつのいないクラスはなにかが物足りない気がした。でも、月日が経って新しいクラスに慣れ始めると、そう感じたことも忘れていった。


「お疲れ様でした!!」


 最後の大会が終わって三年生が部活を引退し、あたしたち二年生を主軸とした新チーム体制が始まった。それから少し経ったある日の練習終わりのこと、キャプテンである同学年の生徒、神田七海に声をかけられた。練習終わりにこうして七海と個人的な話をするというのは、これまではあまりないことだった。


「真綾、ちょっといい?」


「いいけど、なに?」


 七海は同学年の中でも身長が高いし運動神経も一番良かったから、三年生の引退前からも試合に出ることが多かった。だから新チームでは当然のようにエースだったし、キャプテンに選ばれたときも納得しない部員はいなかった。


「クラスのことでなんだけどさ……」


 七海とは暫くクラスが離れていたから、普段彼女が学校でどう過ごしているのかはよくわかっていなかった。ただ、聞くところによると、どうやら同じクラスの一部の女子らから辛く当たられているらしい。その中には、去年まであたしと同じクラスで、あたしに対抗心を燃やしていたヤツもいた。


「ユリカたちでしょ? アイツらウザいよね。嫌味ったらしいし、なんかもうメラメラしてんの丸わかりっていうか」


 七海は顔が整ってるし、頭身も高いし、バレー部のエースでキャプテンでそのくせ学校の成績も良いし、たぶん男子にもモテるだろう。だけど本人の性格が割と控えめだから、そういうヤツらの標的にされる。あたしもクラスが一緒だったら七海に嫉妬していただろうか。

 今までクラスが離れていたからってこともあるけど、あたしと七海は同じバレー部に入ってでもないと、関わることはなかったかもしれない。あたしも七海も、たぶんそれぞれキラキラな女子グループに属してはいるんだろうけど、タイプが違いすぎるから。

 だからこそ、相談する先があたしだったのかもしれない。普段の学校生活での関わりは薄くて、それでいてクラス内のポジションだとか、男子からの好意だとかっていうある程度似たような境遇に共感できる人間。

 それからあたしたちは時々、練習終わりにそういう愚痴を共有するようになった。


「え! 七海、今回の期末テスト学年2位なの!? すっご!」


「えー、でも悔しいよ。今回こそは絶対1位取れたと思ったのに……」


「っていうか、その点数で1位じゃないんだ。じゃあ1位って誰なの?」


「翠だよ。昨日のテスト返しまでは結構いい勝負だったんだけど、今日返された残りの教科で差つけられちゃった。涼しい顔してあいつ腹立つわー」


 そのとき、胸のあたりがチクリとした。あたしがいないクラスで翠はどう過ごしているんだろう。七海とテストの点数を比べ合ったり、その結果で一喜一憂したりするんだろうか。

 この感情は嫉妬なんだろうか。ううん、翠と七海が仲良くしていることが嫌なんじゃなくて、あたしがその輪の中に入れないってことが寂しいんだ。きっとそうに違いない。


「ああ、翠と言えば……なんかA組のリコが最近翠のこと気になってるとか言ってなかったっけ?」


「はぁ〜!? なにそれ、あいつなんでモテてんの!?」


「モテてるっていうのとは違う気がするけど……っていうか真綾は翠と腐れ縁なんだっけ?」


「去年までね! 今は知らない!」


 リコも七海と点数を競い合うくらいには頭が良いという話だ。そういえばあいつら、小学生のときに二人でよく話してたような気がする。頭の良いヤツ同士で通じて盛り上がってたってわけ。なにそれ、あたしだけ蚊帳の外みたいじゃない。あいつから勉強を教わってるのも悪くなかったけど、そうも言ってられない。


 それからちょっとだけ勉強に目覚めたあたしは、本当に少しずつ順位を上げていった。それでも、三年生に進級する頃にはすっかり下位を脱出して、平均より少し上くらいの順位まで持ち直した。

 ちなみに三年生のクラス替えでもあいつや七海とは別のクラスだった。


 ある日の朝、あいつが登校して来るところにちょうど居合わせることがあった。久しぶりに見たあいつは、成長期で背が伸びたせいか、前に見たときよりも少し大人っぽくなった気がした。あたしは声をかけようとして思い留まった。ううん、とても声をかけられなかった。

 この世の全てをくだらないと一蹴するような、あらゆる人間は信じるに値しないとでも言いたげな、そんな目をしていたから。



「────え? 翠のクラスでの様子?」


 その日の部活終わり、あたしは七海を呼び止めて尋ねる。


「そう! 七海、同じクラスなんだからわかるでしょ! なんか様子が変とかさー」


「えー、いっつもあんな感じじゃない? もともと喋る方じゃないでしょ」


「それはそうだけど、あんな近寄りがたい感じじゃなかったし!」


 七海は顎に手を当てて考えている。


「うーーん。ま、でもたしかに、クラスの男子たちとあんまりうまくやってるようには見えないかも。一人でいることも多いし」


「そうなの!? いつから!?」


「いつから……って、去年の時点でそんな感じだったような気もするけど……」


 早く言えと言いたかったけど、そういえば去年は七海もクラスでは辛く当たられていたことを思い出した。たぶん七海は七海でヘイトを集めないように必死だったのだろう。



 月日は流れ、中学生活最後の清流祭のシーズンが近づいてきた。三年生にはいくつかの大きな役割が与えられ、その一つが例年恒例となっている演劇だった。これらの役割はクラスの垣根なく編成され、もちろん演劇も例外ではない。つまり、あいつと一緒になる可能性もあるということだ。

 あたしは一年生のときにあいつとクラス新聞のネタ探しをしたことを思い出し、演劇への参加を立候補した。別に三年生になったら一緒に演劇に出ようと約束したわけでもないのに。

 それから一週間後の放課後、出演するメンバーの顔合わせを兼ねたオリエンテーションが、学習指導室という名の空き教室で行われることとなった。中には既に今回演劇に抜擢された面々が揃っていた。そしてそこにはあいつもいた。あたしは自分の読みが的中したことに舞い上がり、そのままあいつに話しかける。


「翠! あんたも演劇選んだんだ?」


 だけど、あいつの反応は思っていたものとは違っていた。


「────ああ、大道具か照明でもやってればいいかなって」


 そっけなく突き放すような返答。もともと口数が多い方ではなかったけど、今のは明らかに表面上返事をしたっていうだけの、露骨に距離を取ろうとする態度だ。


「なーに言ってんだ翠。お前には重要な役があるからな」


 後ろから聞こえた声は生徒指導の浦部だ。どうやらこいつが監督らしい。翠はその言葉が予想外だったのか、一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに気怠そうな、諦めたような顔をしてなにも言わずに受け入れた。


「お前もだぞ、真綾」


「え、あたし!? やだぁ、さっすが浦部センセー。あたし、女優としての才能見抜かれちゃってる?」


「はぁ……いいから座れ、説明始めるぞ」


 浦部が演目の説明をし始める。一昨年の三年生がロミオとジュリエットをやっていたから、てっきり有名というか定番の演目をやるものだと思っていたけど、浦部の口から発表されたのは聞いたことのない演目だった。

 物語の概要はこんな感じだ。とある時代のとある国、王様は武芸を披露して優秀だった者に褒美を与えると国内に広く御触れを出す。それを耳にした貧しい生活を送っていた落ちこぼれの主人公は、一念発起してその催しに参加する意向を示す。でも、主人公の不器用さを知っている人間は、お前にできるわけがないと嘲笑う。血の滲む練習をして本番に臨む主人公だったけど、持ち前の不器用さからか、本番の演武はとても優れているとはいえない内容だった。それでも果敢にひたむきに演武を続ける姿に王様と大衆は心を打たれる。最優とはならなかったけど、主人公は一定の評価と褒美を得て、ちょっとだけ豊かになりましたっていうお話。落ちこぼれでも努力は報われるっていうことを前面に押し出した説教くさい話。いかにも浦部が好きそうなストーリーだ。


 そして浦部から台本が配られ配役が示された。あたしの役は意地悪な貴族の女だった。


「はぁ〜!? なにこれ、納得いかないんだけど!」


 あたしの文句など聞こえていないように浦部はニコニコしてあたしたちの様子を眺めている。このクソ親父、あたしたちの反応を見て楽しんでいやがる。

 そういえば、あいつはなんの役だったんだろう。あたしはあいつの配役とその台詞を確認する。

 台本を見てあたしは絶句した。あいつの役は落ちこぼれの主人公を散々嘲笑った挙句、自身は演武から逃げ出すという情けないことこの上ない、噛ませ犬的な役だった。しかも、この物語は主人公が不器用で寡黙という設定上、他の役の台詞回しが中心となって展開していく。あいつの役は台詞や動きの多さもダントツで、大変な割においしくないという損な役回りだった。あたしの役も大概だけど、裏方として適当にやろうと思って来たら、こんな役に抜擢されたというのはさすがに少し同情した。


「お前ら悪役がこの劇の肝だからな、期待してるぞ」


 悪役というか、ただただ性格の悪い小物じゃないか。まぁでも、悪者同士一緒に演じる場面が少なくないはず。この際だ、色々問いただしてみよう。


 けれど、あたしが思っていたほどあいつと話す機会はなかった。あいつは稽古には協力的だったし、ほかの役とのすり合わせが必要な場面では快く応じた。でも、稽古が終わったらそそくさと帰る。その様子はやっぱり、誰からも距離を置こうという意志が感じられた。

 それでも、文化祭を直前に控えたある日、あたしは毎回のようにさっさと帰ろうとするあいつを、やっとの思いで捕まえることに成功した。


「待って翠! どうしてすぐ帰んのよ?」


 こちらを振り返るあいつの顔は困惑していた。なぜそんなことを聞くのかわからないと言いたげにして。


「別に……どうしてってこともないけど……」


 あくまで話そうとしないあいつに、あたしは苛立って嫌味を込めて言う。


「ふーん……あ、もしかして彼女?」


 するとあいつは、いかにも面倒くさそうな表情をこちらに向けて言う。


「なんでだよ、さっさと帰りたいから帰るだけだよ。それじゃ」


「あ、ちょっと……!」


 今度はあたしの静止を待たず、廊下の向こうへ消えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る