第8-1話 独白①

 あたしとそいつの出会いは幼稚園の頃。近所にそういう子がいるっていうことはお母さんから聞かされて知っていた。だからといって、特別仲が良かったとかそういうことはなかったけど。


 そいつは比較的おとなしい子どもだった。周りの男の子たちが外で遊んでいる間も、女の子のおままごとに付き合ったり、一人でお絵描きや工作をしたりしていた。あたしはあたしで、活発な女の子たちと『トゥインクル☆ナイト』ごっこに勤しんでいた。一番人気のトパーズナイトの座を他の子に取られないよう必死だった。


「まあやちゃんばっかりいっつもズルい!」


「なによ! だったらほかの子とあそべばいいじゃない!」


 そんな横暴な態度を取っていたら、愛想を尽かして一人また一人と、日に日にあたしと遊ぶ子が少なくなっていった。だから、そのとき一人で遊んでいたそいつの存在はちょうどよかった。


「ねぇねぇ、『トゥインクル☆ナイト』ごっこしよ! あたしトパーズナイトね! あんたは?」



 それから小学生になったあたしたちは、6年間ずっと同じクラスだった。とは言っても、田舎の小規模な学校だからクラスの数も少ないし、たぶん確率としてはそんなに珍しいことじゃないと思う。それに、例によって、ずっと同じクラスだったからって特別仲が良かったわけじゃない。ときにはグループ学習かなにかで一緒に行動することもあったけど、あたしはあたし、あいつはあいつでそれぞれに学校生活を送っていた。


 中学に上がってからはさらに距離ができた。制服が義務づけられていたのとみんな思春期に突入し始めたこともあって、なにをするにも男子と女子の垣根があるような気がした。あいつとは、仲が良いとか悪いの前に性別という仕切りで分かたれた気がした。

 そして、それ以上にあたしには心を砕いていることがあった。


「クソ女が、ちょっと顔がいいからって調子乗ってんじゃねぇ!」


 あたしに告白してきた一つ上の学年の男子生徒は、あたしに振られるや否やそう捨て台詞を吐いて去って行く。褒めているのか貶しているのか。そもそもそのクソ女に数分前まで惚れていたのはお前だろうに。

 中学に上がった瞬間、同級生はもとより上級生らからも言い寄られることが激増した。あたしは可愛いんだっていう自覚は前からあったけど、実際に目に見える形でそれがわかると自信にもなるし、最初のうちは気分が良かった。


「えぇー! 二年の森下先輩からも告られたの!? モテる女は違うわー」


 同じクラスの女子の一人が言う。その目は笑っていない。違う、あたしはそういう不毛な会話をしたいんじゃない。こいつらは、あたしがいなくなった途端に散々あたしのことをこき下ろすだろう。でもあたしの発言力が強いから、一緒にいたらなんとなくキラキラな女子の一員に見えるから、表面的には仲良しこよし。


『A組の小柴はヤリマン』、『性格ブスのクソビッチ』


 いつの間にか謂れのない噂が広まっていた。あたしに嫉妬した女子か、あたしに告白して玉砕していったヤツらの腹いせだろう。どこまで本気にしているのかわからないが、関係のないクラスの男子たちもそういうキャラとして接してくるのがたまらなくウザい。


「よぉ翠、お前よりによってその性悪女の隣かよ。ははは、マジでドンマイだな」


 席替えであいつの隣になった。でもその後ろのヤツがいきなり煽ってきたから、あたしは売り言葉に買い言葉でその男子生徒とケンカになった。こんなことをしたいわけじゃない。あいつはどちらにも加担しないで傍観していたけど、それはそれで昔からよく知ってるあいつらしいと思った。

 色んな噂は、たぶんあいつの耳にも入っていたと思う。だけど、あいつの態度は昔のそれと変わらなかった。あいつから勉強を教えてもらうときは、小学生になったばかりの頃に一緒に宿題をやったときのことを思い出す。男子も女子も、打算も性欲も見栄もなく話せたあの頃を。


 それから少しして、河澄中の文化祭、通称『清流祭』シーズンに突入した。とはいえ、一年生なんてそれほど大きな役割は与えられない。あたしたち一年生に与えられたのは、クラス新聞の制作っていう地味な企画だった。あたしもクラスのみんなも、それほど熱量はなかったけど、学校行事を理由に堂々と部活をサボれるという理由から、割と積極的に協力する人が多かった。ネタを集めて来る人、構成を考える人、執筆する人、それぞれ適当に分かれて作業を進める。とはいえ、作業しないで駄弁っているだけのヤツも、全く関係のないところで遊んでるヤツらもいる。


「え、ネタ足りないの? だからってなんであたしが……」


「だって真綾、手空いてるじゃん。ちょっと誰かとネタ集めてきてよ」


 教室を見渡すと、後ろの方で箒と雑巾で野球をして遊んでいる奴らが視界に入る。さすがにあのアホどもを誘う気はしない。あたしの目は執筆作業をしていたあいつに留まった。


「ねぇ翠。ちょっとあたしとネタ探しに行こ!」


「なんで翠? だいたい翠には原稿書く仕事があるんだけど」


「ネタないなら書く方も人余ってるでしょ? それに頭いいヤツもいた方がいいネタ思いつくって」


 あたしはそう言って、半ば強引にあいつを連れ立って校内を散策する口実を得た。



「ネタ集めって、どこかあてはあるの?」


「さぁ? 急に言われたんだから、あたしにあるわけないじゃん。ま、駄弁ってるだけってのも飽きてきたところだったし、ちょうどいいでしょ」


 ふと、空き教室から演劇のセリフ合わせのような声が聞こえてきた。おそらく三年生が出し物の練習をしているのだろう。


「あれ……そういえば、ロミオとジュリエットの男女逆転劇やるんだっけ?」


「男女逆転? ロミオが女でジュリエットが男の世界線のストーリーにするってこと?」


「ああそういう? あたしてっきり配役が男女逆転なのかと。ロミオを女子が演じてジュリエットを男子が演じる的な」


「ふーん……俺らが三年のときはなにやるんだろうね……」


 そうしてあたしはあることを思いつく。後にして思えばなんであんなことを提案したのかわからない。中学生になって、日に日に女として変化する自身の身体、女子としての振る舞いを強いられる環境、そういうものに少し嫌気が差していたのかもしれない。


「そうだ翠、ちょっとこっち来て! あたしたちも練習しよ!」


 そう言って誰も使っていない空き教室に連れ立って扉を閉める。


「練習ってなに……?」


「学ラン貸して! あたしもそれ着てみたい。代わりにあたしのセーラー貸すから翠はそれ着てて!」


 あいつに見られたってどうってことはないけど、どのみち下には体育着を着ている。困惑するあいつをよそにあたしは脱いだ制服を押し付けてあいつから学ランを借りた。


「へぇー、学ランってこうなってるんだ。スカート気にしなくていいのは楽だけど、首のところ鬱陶しいのね。どう、似合う?」


「あーうん、似合うんじゃない?」


 禄にこっちも見ないで怠そうに答えるあいつに、文句を言ってやろうと近づいたときにあたしのセーラー服を着たあいつが目に入る。


「ぶはっ! やば! 似合いすぎてウケる! ってかそのくらいの髪の長さのショートの女子とか普通にいそうじゃない?」


「はいはい、もういいでしょ。気が済んだら早く返して……」


「まだに決まってんでしょ! そうだ、いいこと思いついた。この格好でネタ集めに行きましょ。大丈夫、あたしは髪引っ詰めるし、あんたもそれ女子に見えるしバレないっしょ!」


「はぁ……? さすがに無理が……」


「嫌ならあたし一人で行くけど、あんたその間ここで待ってる?」


 そう言うと、あいつは諦めた顔をしてついてきた。

 思いつきで校内をほっつきまわったって、面白いネタがそう易々と見つかるわけはない。珍妙な格好をしていたって、当然それは変わらない。だけど、あたしはこの瞬間の非日常を確かに楽しんでいた。


「あ、ネタ一つ見つけたかも」


「え、本当?」


 素直に聞き返してきたあいつに、親指と人差し指でカメラを形作って向ける。


「『河澄中に謎の美少女発見! 一体彼女は何者なのか!?』」


「……却下。っていうか、それなら真綾でもいいじゃん。『謎のイケメン襲来!!』って」


 ああそうか、このときは意識していなかったけど、これは当てつけだったんだ。あたしの気持ちをあんたも味わえって。

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